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ルイス王子の寝所に程近いドレスルームには、既に数十着のドレスがズラリと並んでいた。
「こんなに?!」
(まだ、この国に戻って一週間しが経っていないのにいつの間にこんなたくさんのドレスを…サイズもピッタリみたい…。)
「いつでも、カミーユお嬢様のお姿に戻られてもよいように、殿下がご用意下さったんですよ。お気に召すものがなければ、すぐ王家御用達の職人を呼んで―――」
「これだけあれば充分よっ! ありがたく着させていただきます!」
(信じられない。ドレスだけじゃなく、アクセサリーや靴までこんなにたくさん…。まるで、早くアレンからカミーユに戻るように催促されているみたい。)
迷った挙げ句、カミーユはライムグリーン色のなるべくシンプルなドレスを選んだ。マリーは少し不満気だったけれど、ここが腕の見せ所とばかりに、髪型や装飾品を駆使して、一国の貴族の令嬢として、それなりに美しく仕上げてくれた。
「お綺麗ですよ、さすが私のお嬢さま。」
鏡に映ったのは、前世でよく見た乙女ゲームの悪役令嬢、カミーユ・オッセンそのものだった。
(はぁ…マズイ…もう二度と王宮には戻らないと思っていたのに…。早くここから逃亡しないと、3年後には死刑だわ。)
「何かお気に召しませんでしたか?」
渋い顔になるカミーユを、心配そうにマリーが声を掛ける。
「いいえ! そんなことないわ、マリー。殿下がお待ちでしょうから早く行きましょう。」
(大丈夫よ、カミーユ。アイリーンの王立学園の入学も決まったし、きっとルイス殿下もすぐにヒロインに夢中になるわ。そうしたら、婚約を早々に破棄してもらって、アレン・バーデンとして、またイバロアで父さんとカフェを開こう。)
大きな鏡の前で、決意新たに、カミーユは深呼吸をした。
◇◇◇
寝室の奥の広いテラスのテーブルには、身支度を整えたルイス殿下が腰かけていた。
カミーユに気づいて顔を上げた王子は、何故か目を細めて、眩しそうにこちらを見ている。
「紅茶は、私がお淹れしますね。」
「カミーユお嬢さま…」
その場にいた王子付きの唯一の使用人、執事のシェーンに給仕を変わってもらおうとすると、表情をあまり変えないシェーンが、心なしか涙ぐんでいる。彼は、二人が幼い頃から世話をしてきた。
「カミーユお嬢さま、ここはわたくしがやりますので、どうか殿下とゆっくりお話なさって下さい。」
やっと戻った主人の最愛の婚約者に、シェーンは嬉しそうに声を震わせた。
「いいえ、私、紅茶には自信があるんです。よかったらシェーンさんとマリーもいかがですか?」
カミーユが、にっこりと二人にも微笑みかけるとシェーンとマリーは顔を見合わせて驚いた。
「よい。好きにさせろ。」
ルイス王子が、降参したように手を挙げる。
お世話になった人に、紅茶を振る舞えるのは嬉しい。カミーユはいつものように心を込めて紅茶を淹れた。
「それで、フリッツ・オーベルとは何故一緒に入学したいんだ?」
カミーユの淹れた紅茶に口をつけてから、王子は尋ねた。声色が少し冷たく感じたのは、気のせいだろうか。
「え? あ、フリッツはとっても博識でどんなことでも知ってるんです。魔力も高いし、機械の修理や発明だってしちゃうんです。イバロアでは、もともと時計屋を―――」
王子のティーカップがガチャンと音を立てた。
「あ、あの…」
(何か気に触るようなことでも言ったかしら。まさか入学取り消しなんて言わないよね?! 何とか、フリッツも入学させてもらわないと、この国から逃げられそうもないし、ここは頑張って、フリッツ・オーベルがいかに素晴らしい人材かをプレゼンしないと…!)
「殿下! フリッツは、とっても優秀で、きっとこの国の将来を担う―――」
「もうよい。紅茶のおかわりをもらおう。」
(なっ…自分から聞いておいて、何て気分屋なのかしら。ゲームの冷静沈着なルイス王子とはちょっと違うような…? でも、ここは殿下の好みの紅茶で機嫌をとっておかないと。)
王宮に来てから、色々な茶葉や果実をブレンドして、数種類の紅茶を試してみたが、殿下は、シンプルなルビー色の紅茶が一番好きなようだ。
わざと不味い紅茶を淹れて、嫌われるように仕向けることも考えたが、職業病なのか、どうしてもそれをすることはできなかった。何より、美味しそうに紅茶を味わうルイス王子をみると、じんわりと胸が温かくなって、喜びが湧いてくる。
「とにかく、王立学園に入学するなら、君がこの国に戻ったことを広く国内外に知らせなければな。」
紅茶を飲んだ王子の表情が、少し柔らいで見えた。
「このまま愛しい君を、誰の目にも触れさせず王城に閉じ込めて置くのも悪くなかったが仕方ない。まずは、私の両親に挨拶して…あぁ、婚約の儀も早急に執り行わなければな。国を挙げての盛大な祝宴にしよう。学園の長期休暇には王家の別荘も案内したい。君は、東のイースタッツ城しか行ったことがないだろう? 南のサーデリア宮も、青い海の美しい良いところだ。どちらにしても王太子妃としてカミーユ、君を――――」
「あのっ! そのことなんですが、少々よろしいでしょうか?」
(今後のスケジュールを、勝手に語りだした王子を止める。アイリーンと仲を深めるまで、表情の乏しいはずの氷の王子様が、途中から非常に楽しそうなお顔になったのは気のせいだろうか…。)
「何だ?」
「私は、カミーユとしてではなく、アレンとして、学園に入学したいんです!」
王子は、先ほどまでの笑顔を貼り付けたまま固まり、場の空気が一気に凍った。




