15
翌日の早朝、カミーユはティーセットと軽い朝食を用意して、ルイス王子の寝室の扉の前にいた。
「殿下はまだ、お目覚めではないのですか?」
扉の前にいた、ルイス王子の専属の執事シェーンに声をかけた。彼とは昔からの顔馴染みで、王城では、マリーとこのシェーンだけが、アレンがカミーユだと知っている。
「ええ。丁度よかった。もうお時間なので、アレン様が殿下を起こして差し上げて下さい。」
「えっ?!」
シェーンはニッコリと笑って、アレンの背中を少々強引に押すと、そのままパタンと扉を閉めた。
「ちょっ…」
どうやら鍵を閉められたらしい。
(まさか、シェーンさんは最初からそのつもりで、わざわざ殿下の寝室に朝食を持ってくるように言ったんじゃあ…)
「どうしよう…」
(二人きりにされてしまった。でも、王立学園の入学の事を頼むならむしろ好都合だわ。)
意を決して、ルイス王子が眠る天蓋付きの大きなベッドに近づく。
高い窓から降り注ぐ朝陽が、彼の端正な横顔を照らしている。キラキラと輝く金髪と長い睫毛。広い室内の最高級の調度品も全て、この完璧な王子様のために誇らしげに存在している。不思議とそんな感じがして、彼のプライベートな空間に踏み入れるのが、今さらながら恐れ多くなってきた。
「う…ん…」
(起きた?!)
と思ったら、王子は寝返りをうっただけだった。
(ためらってないで早くしなきゃ…!ルイス王子のスケジュールは分刻みなんだから。)
実際王子は、飛び級で王立学園の課程を終了しているが、現在は魔法大学に在籍していて、言わば、まだ学生の身分だ。その上で広く政務にも携わっているので、毎日忙しいことこの上ない。
「朝ですよぉ。起きて下さい。」
反応がない。
「殿下! 起きて下さい!」
大きい声を出しても、ピクリとも動かない。
(あれ…相当疲れてるのかな。)
何とか起こそうと、身体を揺すったり、耳元でベルを鳴らしてみても、全く反応がない。
「うそ…」
(ルイス王子の寝起きがこんなに悪いなんて知らなかった。執事のシェーンさんは、毎日どうしてたんだろう? )
困ったように、ふと扉の方を眺めても、当然、誰も助けにくる気配がない。
「こうなったら…」
キンキンに冷やした薔薇のハーブ水を、王子の頬にパシャパシャとかけてみる。
「…っく」
(お、起きた…?)
「負けたよ。さすがは僕のお姫様。」
(え? 今なんて…)
「きゃっ!」
急に手首を握られて、その勢いで、持っていた瓶の中の冷水が、全て王子の頭に掛かった。
「も、申し訳…!!」
慌てて何か拭くものを探そうとしたが、握られた手首をそのままグイッと引っ張られて、ベッドに引き摺り込まれる。
「きゃぁっ!」
長い腕に、ぎゅっ、と抱き締められて、滑らかな肌触りのな掛布ごと、ルイス王子の温もりに包まれた。
(信じられない。いくら婚約者とはいえ寝所のベットに引き込むなんて…)
イタズラッぽく微笑む王子の碧い瞳は、パッチリと開いていた。
「…まさか、ずっと起きてたんですか?」
「すまない。一生懸命、私を起こそうとする君の行動が可愛くてつい。」
そう言って、王子は額に口付けた。
「もうっ、お止め下さい!」
「寝所に入ってきた君が悪い。」
瞳を一瞬鋭く細めた王子に、両手首を拘束されて、上から覆い被される。
(な…?!)
ルイス王子の金糸の髪から滴るハーブ水が、ポタリと落ちてアレンの頬をつたう。王子のゆったりした夜着からは、均整のとれた逞しい胸元が覗いている。
(う…ぁ…ヤバイ…正にこれが水も滴るってやつ…って見とれてる場合じゃなかった!!)
この体勢はマズイ…。早朝とはいえ、王子の寝所で押し倒されているのだ。けれど、ゲームの強制力なのか、王子に既にメロメロなカミーユの心臓は高鳴るばかりで、抵抗らしい抵抗ができない。
王子の碧い瞳に捉えられると、何故かこの身体は力が入らなくなってしまうのだ。
「カミーユ…そんな顔をして…我慢できなくなりそうだ。」
「へ?」
(一体何を…自分は今どんな顔をしているんだろう…。)
「こんなに朝早く私に会いにくるなんてどうした? カミーユとして私の側にいる決心がついたか?」
「い…ぁ」
早朝だというのに、王子は何とも甘い空気を醸し出してくる。
いつの間にか王子は片手でアレンの両手首をシーツに縫い止めて、もう片方の手で小さな顎を掬いとる。愛しげに細められた瞳に、どんどん王子の端正なお顔が近づいてくる。
ポタポタと滴るハーブ水の薔薇の香りが、二人の体温で匂い立って酔いそうだ。
ルイス王子はどうやら、またキスでアレンをカミーユの姿に戻そうとしているらしい。
「殿下…ま、待って、下さい…折り入ってお願いがあります!」
吐息が感じられるほど近づいたルイル王子の唇の接近が一瞬止まる。
「お願い? 何かな?」
王子はアレンの唇を、長い指で優しくなぶって、ちゅ、と瞼にキスを落とした。
(げっ、結局キスはするのね…)
アレンはいっこうに落ち着かない胸を抑えて、深呼吸をしてから口を開く。
「王立学園に入学させてほしいんです。フローラル邸のアイリーン様と、フリッツ・オーベル、それと私も…。」
そう言うと王子は目を見開いて驚いたようだ。
「ほぅ、また急に何故?」
「いえ、ただ…」
心の奥を見透かすような、ルイス王子の澄んだ碧い瞳に、アレンは思わず顔を逸らした。




