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(カミーユ視点)


「おかえりなさい…ませ。」


(しまった! 給仕の使用人から、直接、殿下に声を掛けるなんてあり得ないことだ。しかも『おかえりなさいませ』なんて、前世のメイドカフェじゃあるまいし…。幼い頃に、既にあらゆる教育を受けていたルイス王子を、別室で待っていることが多かったから、彼が戻った時に言っていた言葉がつい癖で出てしまった…。)


「あぁ、ただいま。疲れているだろうに、ありがとう。」


驚く使用人たちを余所に、ルイス王子は当然のように返事をくれた。口許がわずかに綻んで、氷の王子の表情が柔らかくみえた。


「他の者は下がれ。」


急な命令口調に、周囲のものは即座に姿を消した。


「あ、あの…」


(ど、どうしよう。いきなり二人きりだなんて。せめて、マリーには側にいて欲しかったのに…。)

立ち去るマリーを不安気に見ると、彼女は温かい笑顔を向けてきた。まるで、『よかったですね。お二人の時間をご存分に。』と言っているよう。

(そういうことじゃなくて…)


せめて、王子に緊張を悟られないように、うつむいて手を動かした。下を向いていても、ルイス王子の視線が痛いほど自分に向けられているのを感じる。そして、まだ書類が残る書斎の椅子には座らず、こちらにどんどん近づいて来ているようだ。


「よい香りだ。」


(近いっ。まさか一番近くのソファーに座るなんて。)


「良くお休みになれるように、茶葉をブレンドしました。何か召し上がりますか?」


フロックコートを脱いで、襟をくつろげた王子は、長い足を組みつつ、上半身だけさらにこちらに傾けてくる。

(近い近いっ。)


「アレン、ちょっと耳を貸してくれ。」


「え? 内密な話ですか? そんなに近寄らなくても、今は二人きりで――あっ!」


お茶を注ごうと、カップに伸ばした手を引かれ、気付けば、また王子の膝の上に座らされている。


「なっ、何すっ―――」


慌てて、膝の上から降りようとしても、抵抗虚しく、逆に王子の胸に、しっかりと閉じ込められてしまった。ルイス殿下の急接近に、カミーユの心臓が大きく跳ねる。

(こんなにドキドキするのは、きっとゲームの設定のせいだ…と、思い込むことにした。)


「イバロアの待遇が気になるのだろう?」


「!」


(イバロアは9歳から16歳まで過ごした、私にとっては第二の故郷。父さんと開いていたカフェの常連客のみんなの顔が浮かぶ。確かに、あの争いとは無縁の穏やかな国をどうするつもりなのか、これから聞き出そうと思っていた。)


「…どうなったのですか?」


息を呑んで、まっすぐに王子を見る。


「言語や文化の統制はない。自治権も基本的にはそのままだ。但し、あの国は、未開の地が多々あるから調査を我が国が支援する。」


「殿下!」


(まさか、敗戦国にそんな好待遇があり得るだろうか。それでも王子は嘘を言っているようには見えない。)


「嬉しいか?」


(本当によかった。みんながヒドイ目に合うことがないと分かって、ホッと胸を撫で下ろす。)


「はい! あっ…」


思わず笑顔を向けたそばから、唇を奪われていた。

何度も角度を変えた啄むような口づけは、終わる気配が全くない。


「…んっ…ん」


(やっぱり、ルイス王子はなんてキス魔なのかしら…。もう、くるしくて限界…)


「可愛いな…」


目を細めてうっとりと微笑むルイス様の、氷の王子らしからぬ甘ったるい表情にまたもやカミーユの心臓が高鳴る。

(何コレ…ていうかルイス様に可愛いって言われちゃった…ていうかやっぱり、なんて美形キラキラ王子様なの…この瞬間のスチル欲しい…はっ、そうじゃなかった…!)


「はぁっ、はぁっ…何するんですか! 殿下。」


我に返ってルイス王子を睨む。頬の辺りにくすぐったい感覚がしたと思ったら、カミーユの真紅の髪だった。どうやら王子様にキスされると元の姿に戻ってしまうらしい。


「カミーユ、君は6年前、執事のリードンに、さらわれたのではなかったのか?」


息一つ乱れていない、余裕の笑顔を浮かべたままルイス王子が尋ねた。優しく髪を撫でられているのに、何故だか恐怖を感じた。


「…殿下。わたくしは、リードンにさらわれたのではありません。」


ルイス王子の手を振り払って、意を決して口を開く。緊張で震える身体に、さっきまでのお互いの熱がどんどん冷めていく。


「…では、一体どこのどいつが君を連れ去った?」


振り払った王子の手が、カミーユの手首を掴んだ。


「っ、わたくしは、誘拐されたのではありません。」


王子の氷のように冴えた碧い瞳が怖くて、思わず顔を逸らす。


「まだ、幼い君が…自分の意思でこの国を…私の元を去ったというのか?」


捕まれた手首に込められた力がどんどん強くなっていく。王子の声には、抑えきれない怒りが交じっていた。

(怖い…でも、言わなきゃ。ヒロインのアイリーンが登場してしまった以上、できれば、早くこの王子の側から離れたい…。直感で分かる。恐怖に震える今でさえ、王子の側にいる喜びでカミーユの胸は高鳴っている。王子がアイリーンと恋に落ちるのを間近でみるカミーユは、嫉妬に狂って正気でいられないかもしれない。そうなれば、本当に悪役令嬢として、破滅への道へまっしぐらだ。)


深呼吸してから、ルイス王子を待つ間、用意していたセリフを一気に吐く。但し、彼の顔は見られずにうつむいたまま。


「そうです。毎日、休む暇もない厳しい王妃教育にうんざりして、逃げ出したんです。見知らぬ魔法使いに馬車を頼んで、一人で城を出たのでリードンは関係ありません。窮屈なこの国に比べて、イバロアでの生活は、それはもう自由で天国のようでした。一刻も早く元の暮らしに戻りたい。殿下、こんな愚かなわたくしにはこの国の妃は無理です。だからどうか――――きゃぁぁぁぁっ!!」


ガチャーンッ!!


ティーセットが床に落ちて割れたと同時に、背中に固い痛みが走る。


思わず、ぎゅっと瞑った目を、そうっと開けると、天井の精緻なシャンデリアを背景に、獣のような獰猛な瞳をした美しい氷の王子様。その碧い瞳とキラキラと流れるような金髪が、逆光で影った彼の美しい体躯のシルエットに妙に際立ってみえた。


(怖い…けど…きれい…)


お茶を用意していた、硬いクリスタルのテーブルに押し倒されて、両手を拘束されたまま、ぼんやりと思った。

(やっぱり、カミーユは青年になったルイス王子に…いや、幼い頃からもう既に、ずっと彼に恋している。)


「僕の側にいると…約束しただろう…」


そう言って切なげに歪められた、少し薄い形の良い唇から漏れた声は掠れていた。


「そ、そんなの覚えていません。―――っ!」


思わず、顔を背けようとしたら、乱暴に頬を捕まれて正面を向かされる。


(どうしてそんな悲しそうな瞳をするの…私が何か悪いことをしてるみたい…)

遠い昔に見覚えのある、ルイス王子のすがるような瞳に、何故だか、彼を抱き締めたい衝動にかられた。


「離して…」


(ダメだ…! この(ひと)は、いずれ、アイリーンと結ばれる運命の王子様。一時の情に流されてはいけない。)


「…っ」


首もとにチクッとした痛みを感じると、ルイス王子が耳元で囁いた。


「ダメだよ、カミーユ。どれだけ君を探したと思っている? 僕の最愛の可愛い可愛いお姫様。もう絶対に離さない。」


わずかに憎しみが込もったような、ルイス王子の低くて冷たい声は、いずれ言い渡される死罪を予感させるような口調だった。


「失礼いたします…ど、どうかなさいましたか?」


ドアのノックと共に、マリーの震える声がした。

陶器の割れる音に心配して、意を決して声を上げたに違いない。人払いした王太子殿下の指示を翻して、仕えるお嬢様のために、身を盾にする忠誠心は見上げたものだ。

ルイス王子は、一旦、身を起こして、不機嫌そうに扉の方を見やる。


「…マリー!」


「お嬢様!! 」


ルイス王子の拘束が溶けた瞬間、ドアの向こうのマリーの胸に飛び込む。マリーは、アレンではなくカミーユの姿に戻っていたことに目を丸くした。


「今日は、君のお茶が飲めなくて残念だ。また、明日頼む。アレン。」


そう言って、王子が形の良い長い指をパチンと鳴らすと、カミーユはまた、アレンの姿に戻っていた。

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