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賑やかな王都の城下町が遠くに見渡せる小高い丘の上の花畑には、眼下の喧騒が嘘のような穏やかな時が流れていた。
「将来は僕のお嫁さんになって下さい。」
片膝をついて真剣な瞳でそう言うのはこの国の第一王子、ルイス・ウェヌス・エヴァグリーンだ。王太子殿下だ。
金髪碧眼で12歳の王子は絵画の天使がそのまま飛び出してきたかのような神々しいまでに麗しい容姿をしている。
「…はい。もちろんですわ。」
差し出された王子の手を取り、不思議そうに応えたのはカミーユ・オッセン9歳。ローズブラウンの髪と瞳をもつ侯爵令嬢。
幼い誓いを祝福するかのように二羽の蝶が二人の間をゆっくりと舞う。
「ありがとう。ずっと私の側にいておくれ。一生大切にする。」
ルイス殿下は目を細めてカミーユの手の甲に口づけた。
「…おかしな殿下。わたくしたちは、こんやくしゃなのだから、結婚するのが当たり前なのでしょう?」
可愛らしく首を横に傾けてカミーユはルイス王子を見下ろした。
「それでも、きちんと君にプロポースしておきたかった。」
甘やかな笑みを浮かべてルイス殿下がカミーユの髪を撫でた。
「カミーユは僕のことが好き?」
(嫌いなわけない…。殿下はいつだって紳士的で優しいし、それに特別にかっこいいもの。)
サラサラの金色の髪は午後の優しい陽の光を受けて、円を描くように帯びた光がまるで天使の輪のよう…それにサファイアを溶かしたような碧い瞳に見つめられると、カミーユは何故だか身体に力が入らなくなってしまうのだった。
「ええ、私はルイス様が大好きですわ。」
正直な気持ちを満面の笑みで伝えると、ルイス王子は一瞬目を見開いて顔を背けてしまった。
「殿下? お耳が真っ赤です…きゃっ!」
急に抱き締められてカミーユは驚いて身を強ばらせた。
「あ、あの…」
今までにも軽く抱き寄せられたことはあったが、こんなにも…ぎゅっとされたのは初めてだった。
「君が可愛いのがいけない。僕をこんなに動揺された仕返しだよ。しばらく動いちゃダメ。」
「そ、そんな…」
(ルイス様は一体何を言ってるんだろう?)
訳も分からずしばらく胸に閉じ込められたまま、なぜか鼓動だけが早くなっていく。
「カミーユ、受け取って。」
王子は耳元で囁いてから、カミーユの左手の薬指にルビーの指輪をはめた。
「キレイな石…ゼリーみたい。」
赤い透明な光を放つ宝石をカミーユはまじまじと見つめた。
「ふふ、ゼリーか。可愛いカミーユ。気に入ってくれた?」
「…はい、とっても。」
「あとでゼリーは、この可愛い両手いっぱいに送ってあげるからね。」
ルイス王子は苦笑しながら、カミーユの頭をよしよしと撫でた。
「まぁ、こどもあつかいしないでくださいませっ。」
カミーミュは頬を膨らませながらも、宝石をお菓子みたいだなんて言ってしまった、自分の発言が恥ずかしくなってきた。
「ごめんごめん。カミーユは立派なレディだよ。」
ルイス王子は目を細めてカミーユに優しい視線を送った。
「本当に…そう思っておられますか?」
ただでさえ3歳年上なのに、年齢以上に大人っぽく見えるルイス様の目に、自分はどれほど幼く映っているんだろうか。
「あぁ。」
王子がカミーユの肩を優しく抱く。
「…これで君は僕の…僕だけのお姫様だ。」
ルイス王子はカミーユを肩を抱く手に力を込めて笑みを深める。
「え?」
あまりに小さく囁かれた王子の声は春風に掻き消された。
「ふふ。カミーユはずっと僕の側にいなきゃダメってこと。」
そう言って王子にちゅっと頬に口づけられると、カミーユはまたトクンと胸が高鳴るのを感じた。
◇◇◇
「まぁ…! 指輪をいただくなんて、ルイス殿下はお嬢様にぞっこんですわね。」
帰りの馬車で乳母のマリーが、ため息混じりに微笑む。
「ぞっこん?」
「お嬢様が特別に大好きということですわ。」
「…おおげさね。殿下は私だけじゃなくて、まわりにいる人たち、みんなを大切にしておられるもの。」
実際ルイス王子は、幼いながらもその穏やかな人柄から、末端の使用人に至るまで老若男女問わずファンが多かった。
「まぁ、大袈裟だなんて…このルビーも本物であるばかりか、お色や純度からしても最高級品ですよ。」
「…。」
きっと、こんやくしゃが別の女の子でも殿下はそうしたに違いないわ。だって誰にでもお優しい方だもの。
(あら…この気持ちは何かしら…)
「お嬢――――」
その時、ガタンッと馬車が傾いて乱暴に扉が開け放たれた。
「きゃぁぁぁぁっ、あなた達は―――っ!」
カミーユを守るように覆い被さっていたマリーが気を失ってずるりと前かがみに倒れた。
「マリーっ!!」
視界にあらわれた黒いマントの男の顔はよく見えない。
「みつけた…カミーユ・オッセン」
「ひっ」
次の瞬間、頭に強い痛みが走って視界は真っ暗になった。