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鉄壁のガンズー、惨事

 腹に響く重い音。

 一瞬、火柱が吹きあがったようにも見えた。熱波は無い。空気が帯電でもしたのだろうか。降り注ぐ雨すら吹き飛ばして。

 火勢が無くとも、衝撃は広く届いた。ガンズーの身体さえわずかに傾いだ。周囲にいた裏街の人々がたたらを踏み、あるいは倒れる。いくつか家の屋根が歪んだ。どこかから飛んできたその欠片が頭に当たってこつんと鳴った。


 さて、シーブス神殿騎士がここに来た理由。どこのバカか知らないが、魔術かなにかを崩れかけの斜面に撃ちこんだりすればどうなるか。


「全員逃げろぉー!」


 ガンズーの絶叫は、土砂の轟音にかき消された。






 泥。石。あとはよくわからないが、草やら木切れやら謎の骨やら、どうも加工された形跡のある墓石の欠片のようなものやら。

 多分そんなたぐいの波が、凄まじい質量で圧しかかる。当然だがガンズーにそれをいちいち確認している余裕は無い。とにかく目の前を通り過ぎたのがそれらだったというだけだ。


 土石流が襲い来る寸前、シウィーが杖を構えたのが視界の端にギリギリ映った。彼女が練土魔術の使い手であることは聞いている。斜面丸々の土砂崩れをどうにかできるのかはわからないが、なんとかするつもりなのはわかった。

 ならば、今ガンズーにできることは彼女の盾になることである。


「ぼももももももっっっ!?」


 盾になる。やっていることはただ仁王立ちしているだけである。

 が、土の流れに立ちはだかるようにすれば、そこの流れを割るだけならできる。頭上を越える岩も勢いを落とすことはできる。圧倒的な質量も、大樹の根の下までは埋められない。

 口の中に突撃してきた泥やら石やらで窒息しそうになる。無理やり叫んで追い出した。追い出した先から侵入してくるが。


 ほんの一瞬。シウィーが詠唱できる時間だけ稼ぐ。それまで人ひとり分だけこの流れを遮る。すでに膝上まで埋まったが、倒れさえしなければいい。


「おごごごごっ!?」

「ひぃー! やっぱ化け物だこの人!」


 後ろからコーデッサの悲鳴。誰が化け物だこちとら頑張ってんだ。

 ともかく後ろがまだ無事なのはわかった。早くしろシウィー!


「――【山逆波(アル・ル・サー)】!」


 ずるん、と足元が引かれるような感覚があった。これまで前方からかかっていた怒涛の圧とは逆方向に。同時に、顔面に押し当たっていた岩がはがれる。

 じりじりと土の波が重力に逆らい押し上がっていた。犬のように頭だけを振って泥を払う。薄目で窺ってみると、周囲も同様のようだった。腰から下を土の中から無理やり引き抜く。


 土砂の勢いは収まっているが、それを抑えている魔術師は杖を握りしめて集中し続けていた。

 これだけの質量、これだけの広範囲を制するどころか、逆流させているに近い。どう考えても神業である。練土に関しては、同じことがセノアにもできるかどうかわからない。そして、それ相応の負担もあるだろう。


 見上げれば崩れた斜面からはまだところどころ土壁が剥がれて落ちてきている。油断すればまた土砂の被害が広がりそうだ。


「ガンズー殿ぉー! 無事かー!?」


 離れたところから神殿騎士の声。バカ野郎あんまりでかい声を出すんじゃねぇお前の声は響くんだ。がしゃがしゃと走ってくる音も聞こえる。

 顔の汚れを拭って改めて見回した。


 土石流の進撃は数秒のことだったと思う。ただそれでも、ガンズーたちが先ほどまでいた長屋は完全に埋まっていた。同じく埋まったのか砕けたのか、あったはずの小屋の並びは消えていた。視界の半分ほどが土色に変わっている。

 大惨事だ。


「おおっ!? 無事、だが……酷い有様ではないか」


 こちらの様子を見てシーブスは顔をしかめた。そう言う奴こそ鎧のところどころを泥で汚し、岩でもぶつかったか擦ったような跡もあった。


「だいじだぼ――げぇっほ! たいしたことねぇ、あー土食った口ん中ジャリジャリだ。おい、街の奴ら無事か?」

「いかんな。何人か飲まれた。砕けた家の中にもまだ人がいたかもしれん」

「クソが!」


 そこまで言って、気付く。

 自分は直前までどちらを向いていた? おそらくこっち。べっとりと土色に覆われている。

 そこにいたのは、


「アスター!?」

「うそ、バシェットさん!? どこー!?」


 アスターとバシェットはそこにいたはずだ。逃れる時間はあったか? わからない。だが逃げていたとしたら、もう出てきてもいいはずなのだ。

 思わず縋るようにシウィーを見た。


「た、たぶん~……このへん~……」


 未だ魔術を展開し続けていた彼女――その顔は雨で濡れているのか汗で濡れているのかわからない。ひどく険しい――が、一瞬こちらに目だけを向け、杖の先をかすかに揺らす。

 堆積するまま蠢動していた土砂の震えが、波紋のようにこちらへ近付いてきた。アスターたちがいたはずの場所が、ゆるゆると平たくなっていく。


 その中心あたりから唐突に、土や岩や建材の破片が跳ね上がった。内から吹き飛ばされるように。

 少なくない量である。小屋のひとつやふたつくらいは飲みこみそうな。


 それだけの土砂が吹き飛んだその場に、バシェットが立ち上がった。その下にはアスターがいる。

 泥で汚れてはいるものの、意識もあれば怪我もしていないようだ。


 彼らの姿を見て、コーデッサが狂喜して駆け寄っていく。シウィーもようやく術を解いたようだ。膝が汚れるのにもかまわず座りこんだ。


「な、なにやら凄いものを見た気がするが、あの御仁は何者だ?」

「あれは……まぁ、あんま気にすんな。俺と同じくらいかもっと強いのがもうひとりいたってだけだ」

「かなりとんでもないことではないかそれは」


 下手なことを喋らぬよう無視していると、シーブスは「いかんそれどころではない!」と叫んで走っていった。救助活動をしなければならない。できれば参加したいが、大丈夫だろうか。


 その前に、のそのそとアスターの元へ寄る。

 息苦しかったためか、緊張感がまだ残っているのか、彼はまだ少し息を荒げていた。生き埋めになったのだから当然である。

 口の中がザラついてもどかしい。かける言葉もなかなか見つからない。

 両手で肩を掴む。温かい。無事だ。よかった。


 横のバシェットの顔を見れない。

 この子が無事なのは彼のおかげだ。昨日から、彼には助けられてばかりだ。面目ないのもそうだが、それ以上に救われた思いが強い。


「ありがとよ」


 かろうじてそれだけ言った。

 アスターも泣きそうになっていた顔を彼へ向けた。どうやら、今度こそ互いに真っ直ぐ顔を合わせた。


「……無事ならいい」


 相変わらず言葉の少ないオッサンだ。ありがとよ。


 ふと、事件の直前にアスターが見ていた女が気にかかった。

 姿は見当たらない。まさかあの女も土石流に飲まれたろうか。いや、立ち尽くしていた場所まで土は届いていなかったように思える。この騒ぎに、逃げてしまったのだろうか。


 はたしてアスターに聞くべきだろうか。

 あれがお前の母親か? と。


 いや、今はそれどころではない。

 まずはあの魔術を放った者だ。これは人災だ。『蛇』の仕業、と考えるのは早計だろうか。

 しかしこれまで迂遠な所業を繰り返していたのが、いきなり直接的な手に変わったのが気になる。下手をすればアスターは死んでいた。本末転倒だ。この行為の目的がわからない。


「バシェットさん」


 横で心配がどうだの無茶をどうだの言っていたコーデッサが、なにやら静かになって呟いた。上空を眺めている。


「あれ」


 なんだよ、まだなにかあるってのか。彼らがそちらを見るので、億劫に感じながらガンズーも首を傾ける。


 衝撃波を伴って爆裂したはずの黒い渦。

 中空に、それはまだ留まっていた。


 汚濁したマナの塊。物質に固着すれば、瘴気に変わる。


「おい――なんで散らねぇんだ」

「し、知りませんよ! あんな現象見たことも――」

「……あり得るとすれば」


 バシェットの呟きがやけに遠い。


「……術式がまだ終わっていない」


 その言葉を合図にしたように、ぼわんと――音など発してはいないが――黒い渦が土砂の上に降り注ぐように散った。

 雨水はもはや染みこむこともなく土の上を流れている。だというのに、その靄は自然と土中へ溶けていった。


「シーーーブス! なんかヤベェ! 人を退避させろ!」


 叫ぶ。遠くで岩を相手に格闘していたシーブスが不思議そうに顔を向けた。


 ぼこ、と手前の泥が盛り上がる。

 連鎖するように、そこら中で同じ現象が起こった。


「コーデッサ! アスター連れて下がれ!」

「え、でもこれ」

「前に見たことあるんだよこれと似たようなの! 瘴気溜まりだらけになった墓地でな!」


 盛り上がった泥が、腕の形に変わった。引きずるようにして肩。それから中途半端な人の頭のようなものができあがる。

 一度かたち作られた頭から、半分ほど泥が落ちる。下には、白骨の顎が見えた。


「が、ガンズー殿! 今度はなんだ!?」

「俺が知るか!」


 シーブスの叫びに叫び返す。だが、なぜこうなっているかは知らずとも、なにが起こっているかはわかる。


「アンデッドだ! 土に混じって起きてきやがった! どんだけ数がいるのかわかんねぇからさっさと逃げろ!」

「な、なにぃー!? 貴様ら、近隣で死んだ者を勝手に埋めておったな!? あれだけ処置はしっかりしろと下知があったろうに――ええい、ともかく逃げよ! 街へ逃げよ!」

「シーブス様! どちらへ!?」

「逃げ遅れがおるかもしれんだろがぁ!」


 彼がバタバタと従者へ指示を出したりしているうちに、一帯の土砂からどんどんと泥が人の形を象り浮き上がってくる。

 ところどころ半端に削れて、白骨が覗いていた。


 瘴気に浸った死体が起き上がることがある。とうの昔に朽ちた白骨でも動くことがある。

 ゾンビだとかスケルトンだとか、ガンズーとしては連想する名前はあるものの、ざっくりアンデッドと呼ばれる魔物――そう、これも魔物だ。分類の仕方次第では魔獣とも言える。厳密には死体についた菌の魔獣なんだとか。

 そしてどういう理屈なのか、こうして周囲の物体を身体に纏わせるような代物も発生する。以前、糞尿に塗れたアンデッドを相手にすることになって色んな意味で死にそうな目に遭った。


 屍人形(アンデッド・ゴーレム)――今回の場合は、屍土(マッド・)人形(アンデッド・ゴーレム)といったところか。


 そこまでの脅威ではない。一体、二体くらいなら今のドートンたちでも対処できる程度だろう。

 だが、数が――えーと、ひーふーみー、えー……これ百は軽く超えてね? もしかして丘の上から古い死体も流れてきただろうか。


「なぁ、手伝ってくれっか?」

「……乗りかかった舟だ」

「シウィー、いけるか? 土が相手ならパパっとどうにかなんねぇか?」

「ん~――泥に入ったマナがずっと励起しっぱなしですね~。この辺りはもう動かすの難しそうです~。どうやってるんだろう凄~い」

「マジかよ……直接ぶん殴るしかねぇか」


 のたのたと立ち上がった屍人形たちが、やはりぬたぬたとこちらへ足を進め始めた。動作は遅いが、これだけの数が迫ってくると圧迫感がある。

 こちらもじりじりと下がる。まだ住民の避難は終わっていない。魔物はほぼ全てがこちらを狙っているが、彼らに向かぬよう引きつけるように、かつ街へも向かわないように動かねばならない。


 さすがにこの事態なら神殿もタンバールモース自体も黙っていられないだろう。神殿騎士や衛兵の援軍もすぐに来る。当初の目的だった隠れることは難しくなってしまうが、もはや言っていられない。


 背中から大斧を手に移す。こびりついていた泥が落ちた。隣でバシェットも腰から手斧を下ろす。


 目の前で腕を振り上げた屍人形を、掬うようにして吹き飛ばした。

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