鉄壁のガンズー、いい人
「――これは手入れではない! 諸君らの安全を考慮してのことであぁる!」
おそらくそこそこ離れた位置から届いてくる声は、しかし拡声器でも――もちろんそんな文明の利器など無い――使っているのではと思えるほどバカでかい。雨音がどこかに行った気さえする。天井の梁から埃がぱらりと落ちた。
この声量なら裏街全域まで響いていそうである。
「今ここに関しては! 諸君ら各々の事情都合には一切の口出しをせん! 約束しよう! だからして傾聴せい!」
「うるせー! 調子のいいこと言ってんじゃねー!」
「騎士なんかお呼びじゃねーんだよ!」
「のこのこ出てって捕まった奴を何人も知ってんだ!」
近くから野次が飛んだ。やはりというかなんというか、ここの住人と神殿騎士とは相性が悪いようである。
指示次第じゃ警察代わりのようなこともするだろうし、然もあらん。
ただ――声の主が記憶のとおりなら、少なくとも言っていることに嘘は無いのでは、とガンズーは思った。
窓から顔を半分だけ覗かせる。
「――黙らっしゃい! 前のことなんぞ知らんわ! 嘘なんかではないぞ! 諸君に危害は加えんと、このシーブス・カノルコが誓ってやろうではないか!」
むっちりした神殿騎士が雨の中で兜も被らず大口を開けていた。その後ろにも同僚か従者かは知らないが何人かを引き連れている。
「やっぱあいつかぁ」
「お知り合いですか~?」
「こないだの亜竜退治で一緒になった騎士だよ」
「ひえ。神殿騎士なんかに見つかったら面倒すぎるんですけど」
「……あまり顔を出すな」
「ヤローならそう悪いことにゃならんとは思うけどな」
直情気味でちょっと傲慢なところもありはするが、ガンズーは彼のことをおおむね快活で清廉な男だと見ている。言い換えると単細胞のバカになってしまうが、どちらかといえば良い意味でのバカだ。
とはいえタンバールモースの中枢に近いところにいる人間である。男爵と繋がっていないとも限らない。
さて、彼がどういった目的でこの場所に来たのか。場合によっては一戦やり合うことになってしまうだろうか。あいつならちょっとくらい本気で殴っても大丈夫かな。
そんなことを思っていると、大きく両手を広げたシーブスが続けた。
「ええい聞け、いいから聞けい! 見ろそこの丘の姿を! 神聖なるミラ・ハレイボン墓所を! 崩れかけではないか! この雨でいよいよ地盤が危ういのだ! 大神殿から保全せよとのお達しだ!」
「それがどうしたー!」
「どうしたもこうしたもあるかバカものがー! 生き埋めにでもなりたいのか貴様らはー! 今この場では貴様らの生業も犯罪歴も不問にするから避難しろと言っておるのだー!」
窓枠から四人で縦に並んでいた顔を見合わせる。周囲もどうやら彼の言葉の意味が浸透していったようで、野次を飛ばしていた連中も静かになった。
つまり――土砂崩れでヤバそう?
「あら~たいへんね~」
「ど、どど、どうします!? ここ丘から割と近いですよ!?」
「つったってお前、へらへら出ていけねぇぞこっちは」
「……待て、静かに」
視線を戻せば、シーブスの元へ何人かの女――おそらく娼婦。子供連れ――が近付いていくところだった。可能な限り声を拾うように耳を澄ませる。
「あのさ、騎士様。アタシら、他に家なんか無いんだよ。ここおん出されたらどこ行きゃいいってのさ」
「心配せんでいい! 擁壁の構築が済み危険が収まるまでは教会が屋根の手配くらいはする!」
「で、でも工事するってんなら、邪魔な家のいくつかは壊すんだろう? そりゃ立てたり壊したり気軽にやってるけどさ、ウチらみたいな女はそれも簡単じゃないんだよ」
「んん……むむむ……わかった! 退避させる家の者は私の元で記録する! 責任もって次の住居を用意しよう! 確約する! ただし同じようなものにしかならんぞ! 木も安くはないのだ! 無理を言われると私は困る!」
自腹かよ。神殿だかってのも計画が適当だなおい。
などと言っている間に彼の元には周囲から大量の人が集まってきた。退避予定の家以外からも来ている。どさくさに紛れて自分の家も建て替えてもらおうというのだろう。こりゃ捌くだけでたいへんだ。
その様子を見ながら、シウィーがぽつりと呟いた。
「修道女さんたちも言ってましたけど~、いっそ教会に逃げこむのも手かもしれませんね~」
「ああん? だってお前、ここの教会ったら連中の中枢だろ」
「ですけど~、貴族さんと教会はいちおう別枠ですから~。それに男爵さんだけが問題だったならともかく、今は他の危険もありますし~」
「……なぁ、ちなみによ、そのカウェンサグとかいう貴族と教会はどんな関係かわかるか?」
「……懇ろだ。表面上は」
「献金もしてるし催しに参加もしてます。でも原理派に属してるってのは知ってる人は知ってますね。近しい人は教会内でも限られます。調べきれてないですけどそちら派閥の人ばかりなんじゃないですかね」
「つまり、そこまで権力が届くわけじゃねぇのか」
「……子供の安全を考えれば、いいかもしれん」
振り向けば、ちょうどアスターは起き上がって目をくしくしとこすっていた。バシェットの姿に気付いて、被っていた上着を差しだす。
頭を下げて「ありがとうございました」と言う彼に、やはり無言の大男。
礼儀正しい子供に答える代わりに、礼儀のなってないオッサンはこちらへ口をひらいた。
「……あれは信用できるのか」
「あれ? あぁ、シーブスか。信用――かはわからんが、悪いことはできねぇ奴だと思うぞ」
「……なら行け」
教会に身を寄せるなら、当然だがバシェットたちは同行できない。無断侵入者であり脛に傷持つ身である。裏街の人々に紛れればしばらくは誤魔化せるかもしれないが、どこでバレるかわからない。
彼らはまた身を潜めて、カウェンサグ並びに『蛇』を狙うことになる。
のだが、足元の子に真っ直ぐ見つめられバシェットは若干――本当に若干。目がちょっと泳いだくらい――そわそわした。
おそらくアスターとしては、この人は来ないのかな、と単純に思っているだけなのだろうが、この男はそういう目にダメージを受けるらしい。
「あいつに顔が割れてるわけでもねぇし、見送りぐらいはいいんじゃねぇの」
「……む」
「えーやだー神殿騎士怖いんですけど」
「お前は来なくてもいいぞ」
「ひとりだけ置いてくとか鉄壁のガンズーは酷いヤツですね」
粗方の荷物をまとめて、外套を被る。そういえばこの家を貸してくれた女はどこに行ったのだろう。空いてることに気付けば勝手に戻ってくるだろうか。避難勧告が出てしまっているが、どうにか対応してもらおう。
外に出てみれば未だ雨は強いが、昨日ほどの勢いは無い。が、それでもこの調子で振り続ければ、たしかに脆くなった地盤なら危なそうだ。
神殿騎士に殺到していた人たちは、次に彼が従えていた後ろの人員に向かってあれこれ好き勝手に騒いでいた。彼自身は事務処理を諦めたようだが、周りを押し退けて自分を優先させようとするチンピラを槍で叩いたりしている。
相変わらず声がでかい。
「バカものが! 女子供を押しやるとはどういうつもりか! 貴様なんぞ土留め代わりに埋めてやろうか!?」
「余計に脆くなんぞ」
「古来には人柱という由緒正しい神への献身の作法があったのだ! 光栄に思うがいい!」
「いいからお前も人の整理せぇよ」
「わ、私はその、あれだ! 字を書くのが遅いのだ! ここに立って不埒な者を監督するほうがよほど鉄壁のガンズーではないか!?」
槍を立てて仁王立ちしていたシーブスが、ようやくこちらに気付く。あんまり大きな声で呼ばないでくれませんかね。
しっ、と口元に人差し指を寄せてから、改めてガンズーは言った。
「久しぶりだな」
「お、おおう、ど――どうしたのだこんなところで」
フードを深くしたこちらの姿に、なにやらお忍びである、という気配だけはわかってくれたらしい。可能な限り小さく――それでもまだちょっとでかいが――した声を返してきた。
「ちっと色々あってな。身を隠してたんだ」
「身を――左様か。いや、みなまで言うな。貴殿のような男はいつか粗相をしてしまうのではないかと心配していた。誰を殴った? 領主か? 司教か?」
「俺をなんだと思ってんだ」
実は、と前置きしてこれまでの経緯を話す。カウェンサグ男爵については名前を出すのは控えた。シーブスの立ち位置がまだはっきりしていない。まず様子を見てみて、問題なさそうなら改めて相談する。
とにかく同行している子供がなにやら狙われており、それから逃れるためにここへ潜んだと伝えた。
そしてもし可能であるなら、街を出られるようになるまでその子を教会で保護できないだろうか、と。
「任せろ!」
即答だった。逆にちょっと心配になる。
「なるほどなるほど。例の虹瞳の子たちか。そうかそうか、ひとりは親元へ帰ったか。それは重畳、喜ばしいことだ。その連れている子も親がいるのだろう。この街で危険に晒されたとなれば七曜教の恥だ。助力は惜しまん」
「いや、頼んだのはこっちだが、そんな安請け合いしていいのかよ」
「なにを言うか。功徳献身助け合いは七曜教の本懐! なにより友人の頼みであるのだ。当然だろう。宿にいる貴殿のお子も連れてくればいい。病ということだし、神殿には十全な対処ができる場所もある」
マジか。ちょっと人よすぎないかこいつ。この自信満々な顔を見る限り、心底から言っている。もっと早く頼ればよかった。
「いい人ですね~」
「うん、まぁ。俺もここまで言ってくれるとは思わんかった」
「私は周りの令嬢や修道女にもいい人だと評判だ!」
「……ちなみに結婚は?」
「なかなか相手が見つからん! 破談ばかりだ! わはは!」
「……まぁ、いい人なのはわかりましたけど」
「いい人なんでしょうにね~」
なんだ。シウィーもコーデッサもなにが言いたいんだ。いい奴なのはいいことだろうが。それ以上に必要なことなんてあるもんか。
そのいい人が、周囲をきょろきょろ見回して言った。
「それで、その子はどこだ?」
「ん? ほれ、そこに――」
振り返ると、アスターは少し離れたところにいた。傍にフードを深く被っているバシェット。
なぜそんなところに、と言いかけて、彼らがどこかへぼんやり視線を向けていることに気付いた。というより、アスターがなにかに目を奪われ立ち止まり、後ろの男は困惑しているようだ。
その視線の先を見る。
若い――少なくともガンズーよりは若い女。頬が少しこけているが、おそらく美人のたぐいだろう女。
彼女も自分へ目を向けている子供を見て――睨んで? ――いる。
わなわなと唇を震わせている。混乱して覚束ないような、あるいは憎悪が抑えられないような。
まさか。
と思った時だった。どこか遠くからパチンと小さな音。雨音の中でも異質な音。外壁のほうか?
なんの気なしに見上げた。
「あ、ダメ」
珍しくシウィーの声が間延びしていない。
薄暗い曇天、そのはるか手前の頭上に、黒い線が引かれる。火花が散っていた。けして雷などではない、だがそれに近い力が漏れている。雨を弾いている。
それは弧を描くように、抉れた丘の中腹に向かって――
炸裂した。




