鉄壁のガンズー、けしからん
「――コーちゃん毛布被って~」
「こ、コーちゃん? ていうか、なんでです?」
「いいから~」
「ふもぶ」
急なシウィーの指示にコーデッサは疑問符を浮かべたが、頭から毛布に包まれて黙った。
朝。外の雨音はまだ強い。
アスターはきつく目を閉じて眠っている。やはり昨日は少し無理をさせてしまった。バシェットの上着を抱くように丸まっていた。
そのバシェットはといえば、今は外に出ている。外の様子を見てくると言って――おそらく言った。気をつけていなければ黙って立ち去ったように見えたかもしれない――出ていった。
彼の後ろ姿を追いながら改めて周囲を窓から眺めてみたが、粗雑な小屋がひしめき合っているもののその背はどれも低い。見晴らしはいいのだが、向こうに見えるのは街の外壁だけだ。
その窓の桟に、鼠。核石を背負い、体毛が毛羽立っている。正に濡れ鼠。
それからトントンと扉が鳴った。開けてみると、
「ガンズー殿」
協会の代表が外套のフードを上げた。
「おう。無事かい」
「はい、そちらもうまく隠れられたようで」
「いやぁ、それがな」
こっちに来てみると直接的に襲撃された。男爵とは別口で狙ってきてる奴がいるかも。しかもそれは『蛇』かも。
ということを順序だてて伝えると、彼の瞼は三段階に狭まっていった。最終的に皴だらけになった目元を手で覆って、しばし考えこんだ。
「……とにかく、子供の安全を優先しましょう。男爵へはアージ・デッソに戻ってから伺いを立てればよろしい。ガンズー殿は、その、ええ、某だかをここでどうにかしようなどとは」
「ま、まぁさすがにそんなこた考えねぇよ。それどこじゃねぇ」
「安心しました。どうにか今日のうちに街を出られるよう算段をつけます」
「ノノはどうしてる?」
「回復、とまでは言えませんが悪くはなっていないようです。修道女たちによれば薬が効いたのではないかと」
「ああ、そうか……よかった。彼女らにゃよく伝えてくれ」
「はい。それと、ですね」
声を潜めるようにして、彼は続ける。
「昨日の男爵の使いですが、今日も街を回っておりまして」
「まぁそうだろうな」
「いえ、それがどうも様子が妙なので街の者に聞いてみたところ、その使いのひとりが行方をくらませたようなのです」
「んん? どういうこった?」
「わかりません。ですが今日のところは彼らもアスター少年よりそちらの捜索を優先しているようで。動きやすくはありますが、きな臭いものを感じます」
貴族の従者ともなればそれなりにいい生活ができる身分のはず。そう気軽に失踪などしない。それもこのタイミングで。
たしかに嫌な気配がする。先日のゴロツキを思い出した。用済みとばかりにあっさり消されてしまったが、相手が『蛇』だとすれば納得できる。人の命など屁とも思っていない。
もしその従者がなにかしら尾を踏んでしまったのだとしたら、無事ではないだろう。
「わかった。こっちは可能な限り身を潜めとくよ。あんたも無理すんなよ。最悪の場合は壁越えることも考える。俺なら子供ふたりくらい抱えたってどうにかできるさ」
「承知しました。どうかくれぐれもご注意を」
「そっちもな」
彼が去っていったのと入れ違いに、バシェットも戻ってきた。
代表の歩いていった街の方向を見ながら、
「……協会の人間か」
「お前らのことは話してねぇから安心しろ」
「そうか……すまん」
そのやり取りを聞くと、毛布の塊がもぞもぞと動いてコーデッサが顔を出した。不機嫌そうな顔をしている。
「協会の人が来るなら来るって先に言っといてほしいんですけど」
「隠れることには変わりないし~」
「こいつ隠密とかできんの?」
「苦手だな」
「そこだけ即答しないでほしいんですけど! ちょっとくらいならわたしにだってできます!」
曲がりなりにも上級まで行った冒険者なんだからもう少し自信を持って言いなさいよ。隠れてても俺にあっさり見つかったくらいだから苦手なのは本当なのだろうけど。
ところで、
「で、なんかあったか?」
「……娼婦たちが騒いでいた」
「なにを」
「……道端に数人分の服だけが落ちていたそうだ。瘴気も少し」
間違いなく先日のゴロツキ連中である。結局、逃げた先で同じ末路を迎えたわけか。
『蛇』の仕業だと仮定して、そうなると一番の問題は――
「この場所、割れてると思うか?」
「……そういうのはせん」
「うん。うん? どういう意味?」
「えーと、あのお爺さんどこに誰がいるとかは人を使って調べてましたから、こっちの居場所まで簡単にバレてるってことは無いと思います。裏街のどこかに隠れてる、ってくらいしかわかってない――かなって」
「そうなの?」
「……おそらくな」
うーん、いちいち翻訳してもらわなきゃならんの面倒だな。
とにかくバシェットに――というか主に解説のコーデッサに――よれば、『蛇』もけして万能なわけではない。少なくとも会ったことのある彼らが言うのだから、多少は信じていいだろう。
この裏街を人海戦術で埋められれば困りもするが、それであれば昨日の時点でそうしている。あまり自由にできる兵隊もいないと見た。
と、アスターが起きた。辺りを不思議そうにきょろきょろと見回して、今の状況を思い出し姿勢を正す。
昨晩、彼本人とバシェットたちが語ったこの子の来歴を、ガンズーは可能な限り考えないようにしている。
考えてしまうと頭に血が上るからだ。
貴族の愛人の元に産まれ、顧みられることもない。母親ともあまりよい関係ではなかったようだ。自分と相手を繋ぐダシとしか見られていなかった。
数年前に屋敷へ呼ばれたという。実子として迎えられた。彼の身なりや言葉使いが整っていた理由がそれでわかった。貴族の子としてある程度の教育がされていたのだ。だが、母親は喜んだが、呼ばれたのはアスターだけだった。
母は捨てられ、そして――腹違いの弟ができて、結局は彼も捨てられた。それも魔物に引き渡されるという最悪の処分法で。
ほれみろ。ちょっと思い返すだけで腹が立ってきた。どうしてくれるんだ。ほんともうどうしよう。
バシェットが調べたところ、どうやらその弟に少々問題があったようで、アスターが生きていると知ったカウェンサグ男爵――とかいうクソ野郎――は慌てて家に呼び戻そうとしているらしい。
自分の子供をなんだと思ってるんでしょうかね。やっぱ乗りこんでぶん殴るのが正解だった気がする。
腹を立てていると、ぎょろろんと腹が鳴った。そうかお前も怒っているのか、などと思うが、単に空腹なだけである。
ついでにバシェットが仕入れてきた朝食――黒パンとチーズ少々――を皆でもそもそと齧る。
ノノはちゃんと飯を食えただろうかと考えた。食欲は落ちていなかったはずだが心配だ。しっかり食べて風邪なんぞ吹っ飛ばしてほしい。
今ごろ、パウラは母とふたりで朝食をとっているかもしれない。大切な時間だ。自分の家で、家族と共に。なによりも大切で、ありふれた。
一所懸命にパンを齧るアスターを見る。
ガンズーはノノを、両親を失いひとりになってしまったと考えていた。
彼はどうだろう。父も母も健在でいる。
でももしかしたら、この子はずっとひとりだったのかもしれない。今も。
やはり疲れが残っていたのか、軽い食事を終えるとアスターはふたたびウトウトし始めた。遠慮なく眠るように言う。
再度バシェットが外――裏街の外まで――を偵察に出、シウィーも気になることがあると言うのでそれについていった。
というわけでコーデッサは挙動不審になっている。
湯を沸かして、外套やらブーツやらを拭いて、湯を捨てて、下履きの洗いが半端だったのでまた湯を沸かす。核石がもったいないぞ。
「――お前そういえば、故郷に帰らんでよかったの?」
なんとなくそう聞いてみても、彼女はタライにジャブジャブ突っこんでいる手元しか見ていない。
「おーい」
「ふぉ!? わたし?」
「お前以外に誰がいるんだよ」
「だ、だって」
なかなか視線を合わせようとしない。うーん、苦手にされている感もあるが、どちらかというと彼女はこういう気質なのかもしれん。
「俺なんかお前にしたっけ?」
「い、いえ、そういうわけじゃないですけど」
「にしちゃあ妙によそよそしくねぇか」
「うぅ……」
ひたすらもじもじしながら、彼女は下から睨むような媚びるような目を向けてきた。
「わたしが勝手に気にしてるだけなんで、お気になさらず……なにもできなかったのが引っかかってるだけだし……」
「なにもって――」
あれか。子供たちを助けに山へ向かったときのことか。
「お前らよくやってくれたじゃんよ」
「なんもできなかったですよ。知ってるでしょ」
「そうかぁ? おかげさんでノノたちも助かったんだけどな」
「それはみんなのおかげなんですよ。わたしなんか本当に全然――」
「いや、だからお前らのおかげなんだし、お前のおかげでもあるだろ」
しばらく眉間に疑問符を浮かべていたコーデッサが、だんだんその眉を上げていく。あー、あんまりそういうふうには考えないもんなのかな。
「余所のパーティは知らんが、俺はまぁ、ウチの誰かがなんかやって、その礼をこっちにも言われたりしたら単純に嬉しいけどな」
というかトルムが勝手にあれこれ引き受けて、勝手に解決してくることも多いので、割と慣れている。
同様に自分がなにか手柄を立てたなら、それは仲間のものでもある。
『雪の篝火』というパーティがどういう集まりだったかは知らないが、仲間たちの仕事を感謝されたのなら、素直に誇ってもらって構わない。
「助かったよ。ありがとな」
口の中でもごもごなにか言いながら、彼女はまた手元に視線を落とした。今さらといえば今さらの言葉なので、そのあたりの文句かもしれない。
とはいえ、ノノの恩人たちにようやく伝えることができた。彼女の気も晴れてくれればいいのだが。
「で、帰んなくてよかったの?」
「だってしょうがないじゃないですか。バシェットさんこっちに行くって言うんですもん。ほうっとけないですし、見てないとまたどっか行っちゃいそうだし。連れてかないと爺っさまに怒られるんですってば」
「そんだけにしちゃなかなか危ねぇ橋だがなぁ」
ピンと来て――こういうときのガンズーのピンは当てにならない――笑いながら言ってみた。
「あれか、あのオッサンに惚れでもしたか? わはは」
今度は明確に睨まれた。そして顔が赤くなっていた。強張った表情がそのまま下へと傾いていく。
えぇ……マジで? いやだってあんた、二回りくらいは歳違うんじゃねぇの。娘どころか下手すりゃ孫だぞ。その爺っさまと近い歳だぞ相手。
それ以上に言うべきことが見つからず、ガンズーは黙った。コーデッサも黙ってしまった。なんともいえない沈黙が流れる。
外から雨水を跳ね飛ばす音が届いて、ほどなく扉がひらく。シウィーと、件のけしからんオッサンが帰ってきた。
どうも急ぎ戻ってきたようで、少し肩を揺らしている。
「なんかあったか?」
「神殿騎士さんが~ここに向かってます~」
「騎士だと?」
「……手入れかもしれん」
言うとおり、窓の外、遠くから銅鑼を鳴らすような大声が響く。
「近隣の諸君! 聞け!」
聞き覚えのある声だった。




