鉄壁のガンズー、複雑
屋台、屋台、酔っ払い、屋台、酔っ払い、娼婦、屋台、ポン引き、酔っ払い。
こんな雨だというのに、適当に張り出したテント代わりの布の下で、色んな格好の人間が飯を食ったり酒を飲んだり喧嘩したり女の尻を揉んだりしている。アスター見ちゃダメ。
彼らの集まっている一角はこれでもかというほど狭い。のだが、狭いからこそ喧騒はなにやら熱気のようなものまで纏っている。というか実際に炊事の湯気で温まっている。
雨が当たらないように吊るされ並べられたカンテラはちょっと強い風でも吹いたら互いがぶつかりそうだ。おかげで明るいが、火事になりそうで怖い。雨天だからいいのか。
「えれぇこったなこりゃ」
「前より広くなってますね~。あら~あの子ちゃんとお部屋で相手するんだわ~偉いわ~」
のほほんと言うシウィーの視線の先には、修道服姿の男を近くの小屋へ導いていく若い女。あ、普通に街の聖職者なんかもこっち来てるのな。
ていうか普通に窓から小屋ん中が見えてんじゃねぇか。いかんいかん、アスターは――よし見てないな。ん、あっちになんかあるのか? なにやら路地裏の陰で蠢いているふたり組。見ちゃダメぇ!
なにが驚くといったら、そこそこ子供も見かける。どうもポン引きの真似事をしていたり、スリを狙っていたりするようだ。目の前で泥酔した商人が腰の袋を掠め取られたようだが、気付いていない。
おかげで、アスターがいてもそれほど不自然ではなさそうだ。
人波の中を泳ぐようにして抜け出す。いやぁ参った参った。いきなり腕を取られておっぱい触らせられたときはどうしようかと思った。なぜかノノやらイフェッタやらフロリカやらの顔が浮かんで耐えたのでセーフ。セーフ? まあいい。
凄まじい密度と混沌だった。アージ・デッソの夜街でももうちょっと整頓されていたぞ。
「この街で羽目を外せるのはここだけですから~。みんな忙しそうです~」
「つったってありゃ集まりすぎだろ。もうちょっと分散せぇよ」
「しょうがないんですよ~、この場所自体が狭いですからね~頑張ってちょっとずつ広げてるみたいですけど~」
「広げてるってまさか」
屋台の並びから離れるとあっという間に辺りは暗闇に包まれる。それでもどうにか目を凝らせば、街の外壁とは別の壁がこの区画を見下ろしているのがわかった。
抉るように削られている土壁。なるほど掘り広げてるわけね。たしかあの上って墓地なんだよな。いいのか。ていうか土砂崩れでも起こしたらここ埋まるぞ。
なんとも凄まじい場所だが、放置されている――というよりはこの様子だと黙認されているのだろうか。然もあらん。神職者にだって酒と女は必要だ。
「あそこです~。よかった~無くなってなくて~」
シウィーが指した先には、長屋というかモーテルというか、何軒かが連なった低い建物。周囲の半ばあばら家のような小屋よりは遥かにマシな代物だった。
「ってもお前、もう誰か住んでんじゃねーの」
「ちょっと包めばしばらく貸してくれますよ~」
「大丈夫なのかね本当に……」
言うとおりだった。
住んでいたのは少々とうが立った女で、ちょうど男を連れこんだところだったらしい。鍵が存在しない扉を無造作に開けたシウィーにたいへんご立腹し、お気持ちを渡すと機嫌よく出ていった。男も追っていった。
ようやく屋根の下に入りほっとする。ブーツの中は雨水なんだか泥水なんだかでたぷんたぷんになっていた。有難いことに先住民はタライに湯を張っていたので、遠慮なく使わせてもらう。
雨音はまだ強い。窓の庇が割れてでもいるのか、近くの床が湿っていた。
「さて、とりあえずここで凌ぐしかねぇかな」
「協会の方が街を出る段取りをつけてくれますし~それを待つしかないですね~」
「そういや連絡どうすんだ?」
「目印は伝えてきました~」
「目印?」
なにやらシウィーが窓に向けて、ちっちっと口を鳴らすと、桟に鼠が一匹、外から上ってきた。わ、とアスターが小さく驚く。
鼠の背には、核石が紐で括りつけられていた。
「この子に案内してもらいます~」
「いつのまに捕まえたんだか……」
動物を操る魔術がある、ということは聞いていたが、見るのは初めてだ。
鼠は再びどこかへ去っていった。ご苦労さんである。チーズでも買ってきてやろうか。
なにはともあれ、少し疲れた。妙な気疲れがあった。
旅の疲れなどもはや気配も感じないガンズーだが、今日は急な雨にノノの不調から始まってずいぶん状況に振り回された。もうすぐ帰れるところだったのに、ということもあるかもしれない。
アスターだって気丈にしているが、疲れが無いわけはない。
寝よう。そうしよう。
ただ、この家はベッドがひとつしかなかった。
「一緒に寝ます~?」
ヴィスクに怒られるので嫌です。
どんな場所、どんな姿でも体力を回復させるだけの睡眠がとれるのは冒険者としての必須技能である。
さらに言えば、どれほど熟睡していても周囲に気を張れる、ということも。
「――どこ行くんだ?」
目を閉じたまま言えば、瞼の向こうでビクりと震える気配。
灯りは消したので目を開けても視界はさして変わらない。雨音だけは相変わらず続いている。
だから、アスターも暗闇の中で出入口まで辿り着くのに苦労しただろう。
シウィーにびったり抱き着かれて眠ったはずだが、どうにか抜け出したようだ。扉を押し開ける寸前の姿でこちらへ振り向き固まっている。
「ガンズー……」
小さな呟き。暗さでそこまではっきりとは見えないが、どうせまた頬を強張らせてるんだろうな。
「やっぱお前、この場所を知ってたんだな」
「……うん」
「ここにいたのか」
影になった彼の姿が、少し揺れた。頷いた。
そうか。そうだったか。
アスターの故郷はここだったのか。ずっと近くにあったんだな。
これまでどんな思いでいたのだろうか。ほんの目と鼻の先にある街で、ひたすら口を噤んで、この街にも足を運んで、それでも黙り続けて。
ノノは自ら家へ帰ろうとした。パウラは母を思っていた。
しかし彼は、一度も帰りたいとは言わなかった。
帰ろうと思えばすぐそこにあるこの場所を、彼は口にしなかった。
なぜかといえば――そりゃ決まっている。帰りたくないからだ。
理由はわからないが、彼はここに帰るわけにはいかなかった。アージ・デッソにいることを選んだ。
聞くべきだとは思う。もしかしたらそこに、彼が狙われている原因もあるかもしれないのだ。
でも、今あれこれ聞いて、解決すると思えない。この子の心が解決するとはまったく思えない。
アスターはずっとなにかを耐えていた。そしてまた、なにかを抱えようとしている。
そんな小っせぇ手でこんにゃろう。チクショウ。
ちょっとは分けろ。
ここで聞くとするなら、
「どこ行こうとしてたんだ?」
彼は動かない。表情もいまいち見えない。
しばらくの沈黙が続いて、かすれたような呟きが再び届いた。
「おかあ――ここには、母がいます」
しゃちほこばった言い方すんなよ、俺とお前の仲だろ。
そんなふうに言いたかったが、その言葉にもなにか意味がある気がして、ガンズーは口を閉じた。
彼は少しずつ抱えたものを明かしてくれている。ならば変に誤魔化すべきではないのだ。
「母ちゃん、この裏街にいるのか」
「たぶん……どこかに行ってなければ」
「つまり――お前の家、か?」
わずかに動揺した気配があった。
やはりまた時間をかけて、彼は答える。
「僕の……家、じゃ、ないです」
ん? どういうことだ?
アスターはここにいた。そして母親がいて、しかしそこは家じゃない。
不思議に思っても、彼からの返答はそれだけだった。
もしかしたら凄く複雑な環境にいたのだろうか。こうなるとむしろ、彼からの説明だけでは把握しきれないかもしれない。
なのでガンズーとしては、
「そうか」
もうやることはひとつしかない。
「んじゃ行ってみるか」
そう言うと、今度ははっきり彼が動揺したのがわかった。なにせ肩が跳ねた。
「え」
「母ちゃんところにだって、お前を狙ってる怪しいオッサンたちが来てないとも限らねぇだろ。ひとりじゃ危ねぇよ」
「……止められると思ってた」
「止めねぇよ。母ちゃんに会いに行くの止められねぇよ。会いたいんだろ?」
立ち上がって近づいてみると、案の定、アスターはやはり口を真一文字にしていた。母ちゃんに会えるって顔じゃねぇじゃんかよ。
「――会いたく……は、ない……かも」
そして驚くことを言った。
母親に会いたくない。そりゃ家庭にはそれぞれの環境があるのだし、そういうこともあるかもしれない。ノノだってもしまたカゼフに会えと言われたら複雑な心情になるだろう。
そういう関係もあるのはわかる。わかるが、先日パウラとその母の再会を見たばかりのガンズーは受け入れ難い。なにがといえば、彼が会いたくなくなるような親を持っていたという事実を、だ。もっと早く言えよチクショウめ。
いやいや、そう決めつけるのも早計だ。なにか別の事情から会えないと思っている可能性もある。
言ってやるべきことを探して懊悩していたガンズーに、彼は続けた。
「でも、どうしてるかは知りたい」
複雑だ。アスターの心の中は複雑が渦巻いている。
だがこればっかりは素直に言ってほしかった。
母親の顔が見たい。そう言ってくれればいいのに。
「お付き合いしますか~?」
当然だが、シウィーも起きていた。毛布からむにゃむにゃした顔を覗かせる。
「いや、なるべくすぐ戻る。もし朝までに戻らなかったら、宿の連中に知らせてくれ。いっそお前らだけでも逃げてくれたっていい」
「ヤです~」
「心配しなくてもアスターは俺がヤですってお前」
「待ってるのはいいですけど~、なにかあったらすぐ行きますからね~。狭いんだし、わたしすぐわかっちゃうんですから~」
「ああ……そうかい。まぁ、じゃあ、頼りにしとくわ」
んふふ~、と笑って彼女はまた毛布に潜った。
実際、本当になにかあった場合に一緒に身動きが取れなくなるよりはいい。考えたくないが、もしもガンズーが拘束――どうやるかは知らない――されてしまったなら彼女だけが頼りだ。
いちおうは危険から逃れるためにこの裏街まで来たのだし、そこまでの警戒が必要かといえば疑問だが、念には念だ。
アスターへ振り返る。なんだか申し訳なさそうな表情でこちらを見上げていた。子供がそんな顔するもんじゃねっつの。
彼の母は外壁に向かってさらに奥へ行ったところにいたという。
終ぞ、自分の家は、とは言わなかった。
◇
はたしてそこに家らしい家など無かった。
強いて言えば、ノノの家よりも小さな小屋がいくつか並んでいる。
そして、
「形が違う……」
アスターの記憶にある小屋とは別物らしい。どうも裏街の建物は崩れては建て直しを繰り返しているようなので、中身まで違うとは言い切れないが――
窓の隙間から聞こえる矯正は、妙に若い。彼を見てみれば、小さく頭を振った。
どこかへ移住したのだろうか。裏街を出たことも考えられる。
「探してみるか?」
「いいよ」
短い返答。
「危ないし」
そう言うが、明らかに落胆したような雰囲気を漂わせている。なんだかんだ言って、母の顔を見たいというのは間違いなかったようだ。
だが確かに、雨の夜をうろつくのは危ない。
今のように。
振り返れば五人ほどのゴロツキ。もうどう見てもゴロツキ。なにせ手に持っているのが角材。そんなもので背中に大斧を背負うガンズーに喧嘩を売ろうというのだから、もしかしたらゴロツキではなく勇者かも。トルムに怒られるな。
困ったことに、そんな彼らが最も聞きたくないことを言った。
「そのガキ置いてけ」




