鉄壁のガンズー、避難
どういうことだ?
タンバールモースの貴族がアスターを探している?
たしかさっきは、内務なんちゃらこんちゃら卿とか言っていた。ここの領主は伯爵だったか。おそらくその下についている爵位持ちなり騎士なりだろうと思う。間違いなく貴族、それなりの地位にいる人間だ。
そんな輩がなぜ? しかもこのタイミングで。
そもそも彼は教会の催しに合わせて何度かこの街に来ているはずだ。それであれば、アージ・デッソの修道院にアスターという子がいるとわかっているのでは?
向こうの狙いが読めない。
階段の下でガンズーは限界まで縮こまる。でかい身体が恨めしい。連中に姿を認められる前でよかった。入門台帳を確認してのことだろうし、こちらが一緒に行動していることは当然わかっているだろう。
この妙な空気は伝わっているだろうし心配は無いと思うが、頼むから誰も下りてくるなよ。
連中は困惑したままの主人とひと言ふた言ほどやりとりすると、帳簿に目を通し始める。小声でなにか言い合って、そのまま踵を鳴らして出ていった。
ガンズーは胸を撫で下ろした。いやにあっさりではあるが、なぜかバレずに済んだらしい。宿の中を家探しするまでの強行はしないようだ。
「ガンズー殿」
潜めたような小さな声に見上げると、協会代表が階段の上から手招きしていた。
宿の主人に気取られぬよう、平然とした顔で陰から出て彼の元へ向かう。
「危ないところでしたね」
「焦ったぜ。なんだありゃ」
「私にも彼らの目的はなんとも。ですが、やはり用心しておいて正解だったようです」
「もしかしてバレなかったのは」
「宿には偽名で届けておきました。さすがに街へ入門の際に虚偽をするのは重罪ですので、そちらはどうにもできませんでしたが」
「助かったぜ」
やはりアージ・デッソ冒険者協会の人間は優秀揃いだ。有名人だししょうがねぇなぁなんて顔で堂々と歩いている自分が恥ずかしくなってきた。
と、そこで気付いた。俺はここまでどれくらい顔を見られたろう。向こうがなぜアスターを探しているのかは知らないが、ガンズーが同行していることはわかっている。
街に入って時間が経っていないからこそ、連中の動きはまだ単純だったのだ。これがアスター本人ではなく鉄壁のガンズーを目印にすればいいと手法を変えてこられたなら厄介だ。
困った。目的の子が探し当てられるにせよ自分が見つかるにせよ、面倒なことになるのは間違いないだろう。面倒が無いならもっと穏便に来るはずだ。
とりあえず俺だけでも離れるべきだろうか。いやしかしノノが。ううむ。
そう考えていると、廊下の窓から外を眺めているシウィーの姿が目に入った。
向こうもこちらに気付く。外から見咎められないように身体を斜めにしているので、なにを見ているかといえば明白である。
「カウェンサグさんといえば~男爵さんですね~ここの領主さんのご親戚ですよ~偉い人ですね~」
身を屈めて、目だけを覗かせるように彼女と同じく外を窺う。
はす向かいの宿へ入っていく先ほどの連中がいた。
「……領地無しの男爵か?」
「ここはおっきいですからね~王都みたいに執政を分担してるんですね~」
「っつーことは、領主の伯爵並みに権力持ってる奴か」
「そう考えてもいいかもしれません~。内務官の一番偉い人ですし~街の場所次第じゃもっとかもしれませんね~怖~い」
へろへろした喋り方ではあるが、彼女の目は鋭い。その先では、宿から出てきたその男爵の使いが通りの向こうへ歩いていく。雨の中ご苦労さんだ。
「対応を決めねばなりません。修道女の方々も含めて話をするべきでしょう」
後ろから代表に促されたので、ひとまず彼女たちの部屋へと向かった。
「七曜教会の関係者はそれ用の門が別にあるのです。出入りの管理も教会が独立してやっておりますので、これまで執政官といえども確認できなかったのでは」
年かさの修道女がそう教えてくれたので、今までアスターの所在が割れなかったことは納得できた。なるほど、今回は正面からの入門になってしまった。そしてそこでアスターの名を発見された、と。
にしても、
「動き早ぇな。街に入ったのが昼前で、まだ日も沈みきってねぇぞ」
「かなり下のほうまで命令が届いているのでしょうかね。門で拘束されなかったあたり、そこまで徹底されてはいないようですが」
「それか~秘密でやってるかですね~、そのぶん~探してる本人は必死かも~」
繰り返すが、正当な理由があるのなら公明正大な手順でもってお触れでも出していただけばいい。わざわざ宿を一軒一軒回る必要など無い。おそらくシウィーの言うほうが正解だろう。
「カウェンサグ男爵ですか……」
「有名なのか?」
「有名、といえば有名かもしれませんが。タンバールモースにも教会の行事に参加しない貴族の方は何人かおりますが、そのひとりですね」
「ほーん、ここも一枚岩じゃねぇんだな。七曜教に距離置いてる奴もいるのか」
「逆です」
「逆?」
口を濁したようにして、フロリカたち修道女は互いに顔を見合わせた。その空気を言葉に表すなら、言っていいのかなーどうなのかなー、である。
少し考えて、彼女は結局口をひらいた。
「男爵は熱心な七曜教徒ですが――原理派に属しているという噂です」
「原理派? なんか前にもどっかで聞いたような」
七曜教原理派。あるいは原理主義。
どこの宗教もそうなのか、七曜教にも聖書と呼ばれるものがある。正確には『七考曜刻聖典』とか言うらしい。これがどうも三百年くらい前に制定されたものなのだが、元々子細な教義が記されたものでもなかったのだとか。
七曜教が宗教として広まっていく中でガシガシ追記がなされていったので、現在の聖書は当初より数倍はぶ厚くなっている。
問題は、原典がそのまま保存されていること。そのおかげで教会内には現在の教義を認めず、原典のみに従うべしとする思想の派閥がある。
これが原理派。バスコー王国で主流な現行の聖書に依る教派は、そちらから言わせると第五次新派、とかいうそうな。ついでに要素だけ抜き取って完全に聖書の中身を刷新したものがダンドリノ国の正七曜教である。
で、その原理派の教義――というか原典の中にこんな記述がある。
『地の上、陽の下の子たる人間、五体五色に生ずる』とかなんとか。
正直どんな解釈でもできそうだと思ってしまうし、実際に現行のものではかなり大枠で意味を取るようになっているそうだが、原理派、というか初期の七曜教ではこう捉えた。
五体がちゃんと揃ってて毛や肌や目の色が五色に収まっているのが人間だよ。そうじゃないなら人間じゃないよ。
上記のようなことを説明され、へーなんか緩そうな七曜教も最初はけっこう厳しかったんだなー、などとぼんやり考えていたガンズーは、数秒してから気付き愕然とした。
「まさか虹瞳がダメだってんじゃねぇだろな!?」
「過去にはそうした者たちが迫害されていたという記録もありますし、無いとも言い切れません」
ガンズーは後ろで静かに座っていたアスターを振り返る。自分が原因で厄介事を呼びこんでしまったとでも思っているのか、ずっと視線は下がっていた。
彼を探し出してどうするつもりかは知らない。が、そんな輩に捕まってしまっては碌なことにならないだろう。
というかその話が正しければノノも危ない。これは悠長に構えている場合ではなくなってしまった。
しかし、
「雨も相変わらずだし、ノノもまだ下手に動かせねぇ。ついでに――」
カンカララーンカンカララーン、と雨音の間を縫って盛大な鐘の音が響く。アージ・デッソのものよりずいぶん豪華な刻時の鐘だ。
十八時。外はほの暗くなってきた。この時間からは門の出入りがさらに厳しくなる。特に街から出ようとするなら、貴族なり教会なりの許可が必要になる。
最悪の場合、多少無理でも街を出て雨の中を強行軍する手もあったかもしれないが、こうなると難しくなる。少なくとも朝までは待たなければならない。
はたしてそれまでこの場所に潜んでいられるだろうか。いつまた先ほどの連中が戻ってくるかわかったものではない。
困った。ガンズーは腕を組んで背中を丸める。いっそこちらからその某とかいう貴族のところに乗りこんでやろうか。おらおらこちとら鉄壁だぞウチのモンになんぞ用でもあるんかい。
その場が収まったとしても、多分あとでケルウェンとボンドビーが泣く。おそらくトルムにも迷惑がかかる。そしてもしも場が収まらなかった場合、下手をすれば刃傷沙汰になってしまう。
むむむ。
「少しのあいだ~裏町にでも隠れましょうか~」
ガンズーの耳から煙が出そうになったころ、シウィーが――やはりのんびりと――もうちょっと緊張感というものをだな――言った。
「裏町?」
「大きい街には~たいていありますね~」
「ああ、墓所横ですか……」
修道女のひとりが難しそうな顔で言うのを、フロリカは怪訝そうに窺う。どうやら彼女もあまり詳しくないようだ。
「大神殿の反対方向、ここからですと東へ外壁に沿って行った先ですね。小さな丘状に墓所があるのですが、横手へ回るようにすると外壁の狭間に繋がるのです。そこにも、その、人は住みついていますようで」
歯切れの悪い修道女の説明だったが、ガンズーにもわかった。
なるほど、スラムというやつか。たしかに大きな街には付き物だ。王都にも当然あったし、アージ・デッソも南東区画がある意味でその役割を担っている。
が、七曜教の本拠にそんなものがあるとは、教会の者たちからすればあまり喜ばしいものではないのかもしれない。位置的に街道の反対側に陰になっているようだし、なるべく隠したいもののようだ。
「なんか伝手でもあんのか?」
「伝手というほどではないですが~屋根を借りていたこともあるので~」
いまいち当てにならないことを言うシウィーだが、しかしこれはいいかもしれない。スラムといえば身を隠すにはもってこいだ。一日、二日ほど誤魔化すだけならなんとかなるかも。
ただそうなると、全員で動くわけにはいかない。
「ノノちゃんは探られていないようですし~このままここで休んでいても大丈夫だと思いますよ~。最優先はアスターくんですね~あとガンズーさんも~」
「雨の状況に限らず、明日の朝一でアージ・デッソに報告を送ります。連絡役として私は残りましょう。どうにかこちらの協会とも連携できればいいのですが」
「ノノさんを見なければなりませんし、私たちもここに。この際、もしなにかあれば教会を出すことも考えましょう」
うぐぐ、またノノと別行動か。ほんの少しのあいだとはいえ、ままならない。
修道女たちにくれぐれも、くれぐれもと頼んだ。フロリカにも頼んだ。両手を掴んで頼んだ。握り締めては砕いてしまうので最大限に配慮して。圧力を感じたのか彼女は固まっていた。
アスターへ向き直る。今度は、ちゃんとこちらを見返していた。それでも口は真一文字に閉められているが。
「すまんなアスター。ちょっとの我慢だ。もしかしたら危ないとこかもしんねぇけど、俺がついてるからよ」
「大丈夫だよ」
彼は即答する。奇妙に思っていると、「そんなに危なくないよ」とも言った。
さらに彼は続けて、
「僕がこっちにいたら、そのほうが危ないかもしれないし」
やはりその頬には力が入っている。
彼はなにか耐えている。
◇
夜、さらに雨。大都市とはいえその暗闇を消し去るほどの灯りは無い。
視界が悪い中を、フードを深くして進む。周囲の建物は高く密集しているのに、人通りは驚くほど少ない。当然だ、雨に外へ出る物好きなどそうはいない。
おかげで逆に目立ちそうだ。できる限り人目の無さそうな道を進んだ。
先導するシウィーに、文句も言わずついていくアスター。小さなフードにも容赦なく雨は降り注ぐ。
「あれですね~」
足元へ向いていた視線を上げてみると、べったり黒い影になっている外壁が上方へ伸びているように見える。どうもその墓所だかは、壁を延長して囲われているようだ。
とすると侵入はできない。横手に回るとか言っていたが、どう入るのだろうかと考えていると、
「水が溜まってそうですから~、気をつけてくださ~い」
呑気なバスガイドのようなシウィーが示したのは、外壁の根っこにちょこんと開いた通路――というか横穴――だった。
小さい。慎重に行かなければガンズーはつっかえる。
「元は墓守さんの通用路なんかだったそうですけど~今じゃ関係ありませんね~」
反響して彼女の声が響くが、それ以上に水音がうるさい。踵は完全に水没している。
アスターは大丈夫だろうかと心配になるが、彼は通り抜けるのに苦労しているガンズーなどとは違い悠々と進んでいた。タフだなこいつ。
タフというか――なんか、知ってる道を行くかのような。
ともあれどうにか穴の中から抜け出たガンズー。
その顔に、街中よりもよほど明るく活気ある空気が届いた。




