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鉄壁のガンズー、風邪

 とうとう雨雲に追いつかれた。

 つい先ほどまで雲間に青空が見えていたというのに、わからないものである。


 アージ・デッソを出て二週間と少し、もう少しで帰り着くことができるところだった。なにせ目と鼻の先にはタンバールモースがある。

 だというのに、雨粒はだんだん強くなる――どころか、一気にドシャ降りになった。通り雨ならいいのだが、この辺りの気候は一度こうなるとなかなかおさまらない。最低でも一日以上は見なければならないだろう。


 しかし困った。濡れるくらいは――つい先日、顔の回りをグチャグチャにしたばかりだし――慣れたものなのでそれではない。

 宿場を出たところだったので、ちょうど休めるところが無い。このまま下手に進んでしまっては事故の危険もあるし、瘴気の恐れもある。魔獣に奇襲されて馬でも狙われてはたまったものではないのだ。


 最も手っ取り早いのは、タンバールモースに入ることである。

 だからこそ困っている。ガンズーが、ではない。協会の代表者が盛大に困っているのだ。

 ひと段落はついたものの、相変わらずかの街とアージ・デッソは微妙な関係が続いている。

 おそらく可能な限り近づかないようにと指示が出ているのだろう。だからこそ行きの際もわざわざ通り越し次の宿場まで急いだのだ。


 が、こうなるとそうも言っていられない。

 子供もいるし、教会の修道女もいるのだ。ちょっと寄ったからって悪いことになどなるまい。といった意見が集められ、代表者は苦渋の決断をした。





 タンバールモースは城郭都市である。出入りの管理は非常に厳しい。アージ・デッソの比ではない。

 なにせこの急なドシャ降りだというのに門の前には未だ人や馬車の列が残っていて、その進みが早くなるようなことなどない。きっちり面通しと記帳を続けているので、帳面が雨の雫で溶けかけている。

 ずいぶん待った上でようやく自分たちの番が来た。代表がクタクタの帳簿に苦労して全員の名を書きつけていく。

 それをつまらなそうに眺めていた徴税官が、ちらとこちらを見た。おそらくガンズーの名が目に入ったのだろう。どうせ名乗らずとも風体でバレる身空なのだ。ここで気にしても仕方がない。


 無事に街の中へ入ったので、急いで宿を探す。馬車を置けて、子連れでも問題なく、十人単位で泊まれる場所。

 さすがにバスコー王国第二の都市、さほど苦労せずに大きな宿が見つかった。部屋の確保もそこそこに湯を用意してくれと頼むと、ちょうど注文が多かったのかすでに準備はあるということだった。


 身体が温まってひと心地。さてどうしたもんかね、などと宿の食堂で協会職員たちと話していると、修道女のひとりがやってきた。


 ノノが不調だという。

 ガンズーは光の速さで彼女の元へ突撃した。


「ノノおぉぉぁ!」

「うー」

「どうしたなにがあった大丈夫か!?」

「むー」


 ベッドに寝かされている彼女は少々不機嫌そうにしているくらいで大事は無いように見える。ちょっぴり顔が赤い。というかなにやら迷惑そうにしている。なんだなにか嫌なのか誰かうるさいのか。


「ただの軽い風邪ですよ。心配ありません」


 横で彼女を診てくれていたフロリカがのんびりと言う。

 ガンズーとしては、そんなのんびりとしていられなかった。


 風邪。風邪!

 この旅はなかなかタイトなスケジュールを組んでしまった子供にはやはり少し無理をさせてしまった体力が落ちるのも当然ださらにこの雨だこれで冷えたのが悪かった子供の風邪は怖いのだ軽いものでも怖いのだこじらせてしまったら大変だ今すぐ医者を呼んでくるなんならここの領主に頼んで発令を出してもらおうそうしよういっそ医学の権威を国中から集めろ俺を誰だと思ってる鉄壁のガンズーだぞ!


 というようなことをまくし立てまくっているとノノはとても煩わしそうな顔をしていた。フロリカに部屋の外へ引きずり出された。


「ガンズー様」

「はい」

「子供は風邪をひくものです」

「はい」

「いちいち騒いではいけません」

「でも」

「でもじゃないです。ノノちゃんにも迷惑です」

「はい」

「安静にして温かいものを食べればすぐに回復します」

「はい」

「安静というのは周りの者もですからね。静かにしてあげてください」

「すいませんでした」


 笑顔で説教されるのほんと怖いんだよ。イヤだなぁ、こいつ本当にハンネ院長に似てきた気がするなぁ。


 彼女の前で姿勢を正したまま肩を落としていると、事情を聞きつけたらしいアスターが寄ってきた。


「ノノ、大丈夫?」

「大丈夫ですよ。ちょっと疲れただけでしょう。アスター君は疲れてない?」

「平気」

「ほんとかアスター無理してないかお前そういうときはちゃんと言わないとダメだぞどこも悪くないか?」

「へ、平気」


 顔を限界まで近づけて聞いてみるが、彼はちょっと引きながら繰り返した。見る限り体調に変化は無いようだ。フロリカに首根っこを引っ張られながらガンズーは少しだけ安心する。


 しかしいよいよどうしたものか。こうなると雨よりも、ノノの回復を待たねば帰ることができない。

 どちらが早いかといえば――


「体調次第ですけど、きちんと休ませれば明日には落ち着くと思いますよ。念のため明後日までは見たいところですが」


 見上げた先で困ったような顔になっているフロリカがそう答えた。おや、俺はなぜこんな駄々っ子のような姿勢に。

 とまれ、おそらく雨もそこまで長くはなるまい。となるとどちらにせよ、そこまで予定は変わらないだろうか。


「もし彼女がなかなか復調しないようなら、我々で先行して連絡してきましょう。協会の者や修道院の方々も気を揉んでいるでしょうし」


 代表がそう申し出てくれたので、とりあえずの目途は立った。あまり長居したくはない街だが、大人しくしているしかないだろう。


 しかし風邪か。今までそんなこと無かったからなぁノノ。なんだかタフな子だと思いこんでいたが、そりゃ風邪くらいひくよな。いかんな、そういうときは冷静に対処しなければと考えていたのに、早速ダメだった。

 実際、今後また同じようなことがあればどうすればいいんだろう。風邪薬なんて便利なモン無いしなぁ。そういえば子供って薬の量も違うんだっけ。オプソン先生あたり、便利な薬草とか知ってないかな。聞いてみるか今度。


 と、宿のあちらこちらをウロウロと不審者のように歩き回って考えていたガンズーは、ロビーの椅子に座っていた老人と目が合った。あ、すいません、迷惑でしたでしょうか。


「なにやら、お子さんが風邪でもひいたとか」


 騒ぎ――主にガンズーのみが騒いだだけである――が聞こえていたようだ。

 禿頭で小柄な爺さんだった。頭に頭髪はまったく残っていない。代わりに、白い髭はとても長い。なんだか日本の神様でも思い出しそうな、人好きのする柔和な笑みをたたえていた。


「すまねぇ。騒がしくしちまって」

「いやいや。子供はのう、やれ咳が出たーだの熱が出たーだのするが、親からしたらのう。心配もつのるというものじゃ。勝手に治るなんぞと言われても、こればっかりはの」

「そう、そうなんだよ。こんなこと初めてで、どうしたもんかと」


 逸る思いをフロリカどころかノノ当人にも邪険にされてしまったガンズーは、唯一わかってくれた老人の言葉にすがるように頷いた。

 彼は顎を上げて笑った。


「ほほー、そりゃたいへんじゃ。若い親ならなおさらじゃ」


 からから笑うと、老人は抱えていた袋に手を入れると、なにやら丸まった油紙を取り出す。

 中には黒い小さな粒がいくつか。


「迷惑でなけりゃ、こいつを飲ましてみるがええ」

「なんだこりゃ?」

「怪しいモンでないぞ。試しに食うてみ」


 粒をひとつ口の中に放りこみ、彼はにこりと笑う。

 怪しい。怪しいが、どうも純粋に好意で言ってくれているようだし、今は藁にもすがりたい気分である。

 訝しげにその粒を眺めて、ガンズーはひとつ摘まんで口に入れてみた。


 甘い。覚えのある甘さだった。

 ピアオラの丸薬と同じ味である。


「ピアオラか」

「おうおう、知っとったかい。儂ゃちょいと薬師の真似事をしとってなぁ。こいつはええぞ。体を強ぅしてくれるし、子供が飲んでも悪ぅはならん。体が強なるということは、風邪も逃げてくからのう」


 これは有難い。ガンズーも持っていたこの薬の薬効は知るところであるし、たしかに風邪にも効きそうである。

 手持ちが無くなってしまったのですっかり頭から失せていたが、こんなところに持っている者がいるとは。


「こりゃ凄ぇや、バスコーにこいつを持ってる奴がいるとは思わなかった。いくらだ爺さん」

「ええ、ええ。飲ませる分だけ持ってけ。やるのは一個ずつにせぇよ。菓子代わりに食いたがる子もおるからな」

「いや、そりゃ悪ぃよ」

「まだまだ材料はあるんじゃ。爺のお節介だと思うがええわい。儂もこの雨で難儀したところでな、同じ宿に入ったよしみじゃ」


 薬を数粒だけいただき、ガンズーはひたすら頭を下げてからノノの部屋に向かった。

 フロリカは子細を聞くとやはり怪訝な顔をしたが、薬をひとつ味見――毒見――すると納得したようだった。どうも彼女は薬草学もある程度は修めているらしい。いつか出されたミント茶もその一環だろうか。勤勉な人だ。


 その薬が以前にあげたものと同じものだと聞くと、ノノはほほうと興味深そうな顔をした。そういえば結局、彼女は菓子だと言って渡したそれを食べなかった。

 やはりほほうというような表情で薬を飲むと、ほどなく眠った。睡眠に導入するような効果は無いので、単に疲れただけだろう。


 効いてくれればいいが。そんなふうに思いつつ、先ほどの老人に改めて礼を言おうとロビーに戻る。

 彼はすでにその場を後にしていた。残念だが、同じ宿に泊まっているのだからまた顔を合わせる機会はあるだろう。


 そして代わりに、別の来訪者があった。


「内務執政カウェンサグ卿の命である」


 フードの表面に落ちた雨粒を払いもせずに入ってきた数人の男たちは、ずかずかと受付まで歩み寄ると、鷹揚に言った。

 外套の裾からは刺繍の入った服が覗いている。言うとおり、なにやら偉い人間の使いらしい。それもおそらくただの使い走りではなく、それなりの立場にある者のようだ。


 そんな人間がわざわざ雨の中にくり出してくる。さてどんな用件だろうか。どんなものでも巻きこまれては困る。

 この巨体では効果が薄いだろうなと思いながら、ガンズーは階段の陰に隠れる。


 はたして、彼らは耳を疑うことをのたまった。


「アスターという子供が街に入ったので探している。この宿にいないか確認させてもらう」

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