鉄壁のガンズー、またね
予定だけを言うなら、パウラを送り届けたならばその日のうちに帰路へ就くつもりであった。
とはいえ日程自体は巻いている。余裕はある。そして村長並びに村の者から歓待を受けることも想定にはあった。
さらに言えば、日程を繰り上げたために到着が午後になった。今からまた戻ってしまうと半端な場所で夜を迎えてしまう。
というわけでガンズーは村長の家でちょっとした晩餐に招かれた。ヴィスクたちやフロリカら修道女もいるし、子供ふたりもいる。協会の人間は代表者がひとりだけ。他は今後の調整のために近隣の宿場町へ走っている。
「ドミスは村の皆が頼りにしておった」
老人のような喋り方をする村長だが、まだ若い。多分、ラダやバシェットあたりよりも下だ。聞けば割と最近になって先代から引き継いだという。
「あの子が虹瞳とわかって、皆が村の宝だと喜んだ。しかし誰もが甘く考えていたのじゃな。こんな辺鄙な村までも手が及んでしまうとは」
簡素ではあるが丁寧に拵えられた晩餐は彼らからの感謝の気持ちが伝わるようでたいへん喜ばしい。エウレーナと競うようにわしわし食う。
ただ、村長当人は喜び半分後悔半分といった面持ちで、食はそれほど進まない。
言うとおり、結果的にパウラは帰ってきたとはいえ、一度は奪われドミスは亡くしてしまった。考えが甘かったと悔いる部分もあるのだろう。
そのパウラは、ここにはいない。
当然だ。今日はもう、母親とふたりで――あるいは、父親も一緒に――過ごすのがいい。話すこともたくさんあるだろう。誰も邪魔してはいけない。
というようなことを、様子を見に行かなくても大丈夫だろうかとソワソワウロウロしていたガンズーはフロリカにちょっと厳しめに諭された。なんとノノにまで溜息を吐かれた。だ、だって。
「この数十日、運よく雨も少なかったしさほど魔獣の接近も無かったが、今後はどうしたものか頭を悩ませておりますよ。見てのとおり、あまり人手に余裕のある村ではないでな」
確かに軽く見て回ってみると、村を囲む柵こそまあまあ備えられてはいるが、領主から派遣されているらしい衛兵のたぐいは少ない。いいとこ三、四人くらいだろうか。
少なくはあるが、しかし派兵されているだけでもマシではある。そもそも防衛を放棄されていたり、ベンメ村のように状況によっては撤退される場所もある。ここを担当する領主は多少の良心はあるようだ。
が、結局はそれも危険度に則したものでなければ意味が無い。どうもこの村は近くの丘からたびたび魔獣が下りてくるらしい。
これまではドミスのような実力のある冒険者がいれば対応できるものだったが、今後は村の者が総出で当たらなければならないかもしれない。そしてそれも、少し強力な魔物が現れれば難しくなる。
ということを村長は懸念しているようだ。
「どうもかすかに届いていた小躯の遠吠えが、大躯のものに変じたような気さえするのです。心配のし過ぎかもしれんのじゃが」
自嘲気味に笑っているものの、長年ここに住んでいる者がそれを間違えるかといえば、おそらく確信すらある。
さて、彼らは大躯に対抗できる防衛力を持っているだろうか。
難しそうかな。せっかく帰ってきたパウラには安心して過ごしてほしいものだ。よし、ここは一発――
「村長さんよ、俺が」
「なぁ村長。そいつは丘のほうから聞こえるのか?」
言いかけたところで、ヴィスクに横から遮られた。あ、この野郎。
「うむ、そうですな。たいてい、連中はそこから来ます」
「そうかい。んじゃ、途中退席で悪いけどちょっくら行ってくるわ」
なんでもなさそうに言って、彼はやおら席を立つ。村長はなにを言われているのかわからないように眉を上げていた。
「エウレーナ、シウィー。留守頼むな。あ、ガンズーの旦那は大人しくお子さんの面倒みとけよ」
「お、お待ちくだされ。もう日も沈んでおります、あまりに危険で」
「なーにだいじょぶだいじょぶ」
止めようとされても、彼はぷらぷらと肩越しに手を振ってそのまま出ていってしまった。忙しない男である。
出鼻から自分を売りこもうとしてやがるなあの野郎、とガンズーは思った。この村に置いてもらうつもりでいるようだし、張り切っているのはいいことだが。彼なら大躯くらいはどうにでもなるだろうし。
困惑している村長へ、頬に食べ物をぎっしり詰めたままエウレーナが言う。
「村長殿。我が主なら心配いらん。その――ドミス殿だったか。彼と近いくらいの働きは期待してもらっていい。ところで、あの丘の向こうにはなにがあるかご存知だろうか」
「丘の向こうですかの? あまり詳しくは――そういえば昔、森を抜けた先に廃墟があると聞いたことがありましたな。城なんかもある大きなものが。ですが今なら魔獣の巣窟になっていても不思議ではないですな」
「そうか」
うぐん、と口の中の物を飲みこんで、彼女は頷く。
それきりまた食事に取り掛かってしまったので、ちらりとガンズーはもうひとりの奥さん、シウィーへ視線を移した。
しー、と彼女は唇に人差し指を当て、
「イースファラは、あっちのほうにあったんですね~」
とだけ答えた。
なるほど。あの張り切りは他にも理由があったわけだ。
パウラもヴィスクも、思うところの多い帰郷だ。もっと素直に喜んだっていいんだぞ、なんてことを考えてしまう。
これはガンズーに故郷が無いからだろうか。それとも、帰る方法などわからないからだろうか。そもそも自分は帰りたいのだろうか。どこに帰るのだろうか。
どこに――ガンズーが帰るとすれば。
今は、アージ・デッソの川のほとりにある小さな家だ。
ところでヴィスクは三時間もしないうちに帰ってきて、核石がふたつと短い角が一本を持ち帰ってきた。鼠の大躯だったそうな。
村長はたいそう驚いたと同時に喜んだが、彼はといえば「鼠だし他にもいるかもしんないなー怖いなー戸締りしっかりね」などとほざいていた。営業に余念が無い男だった。
◇
「あんたの顔ね、昔ちょっと見たことあるんだ」
パウラ、そしてノノとアスターは、しゃがみこんで頭を突き合わせている。なにか大人に聞かせられない話でもあるのだろうか。
その姿を眺めていると、パウラの母親がちょこちょこと寄ってきて隣に立ち、小さく囁かれた。
ひと晩たってさっぱりした彼女の表情は、昨日の疲弊した姿が嘘のようだ。
少ししか顔を合わせられなかったが、改めて見てみれば肝の強そうな母ちゃんである。きっと旦那がいなくとも、娘と共に生きていける。
「ああ、同業だったんだってな。どっかで会ったか?」
「王都でね」
「王都で……つったら」
「『鉄壁』なんて大層な名前もついてない、ペーペーのペーのころさ」
「トルムに会う前じゃねぇかよ。勘弁してくれよ」
「ま、あんたでかいし目立ってたからね。運さえ良けりゃ一端にはなるだろ、なーんて思ってたけど――」
それが今や勇者パーティの一員である。
巡り巡って彼女の娘を救うことになるとは思いもしないだろう。そう考えてみれば、一時パーティを離れることになってしまったのも悪くなかった。
「……本当に、ありがとう」
子供たちの姿をその目に映しながら、彼女は呟く。母親の顔だなぁ、と感じた。
そうだ、ひとつ言っておかねば。
「あんたの旦那な」
「うん」
「最期の最期まで、娘のこと考えてたよ」
「……そっか」
ドミスという男は、死の淵にあって現れたガンズーに「どうか」と言った。「娘をどうか」と言った。唯一残った希望に全てを託して、それは叶った。
パウラだけでなく、子供たち三人が助かったのはガンズーの手柄ではない。彼のおかげである。彼とその道を同じくした冒険者たちのおかげである。
どうかそれを知っていてほしい。
「――ガンズー様」
フロリカの声がかかった。
遠くに少しぶ厚い雲が見えるものの、辺りは快晴。
帰還の時間だ。馬車の準備ができたようだった。村の者たちが総出で見送りに来てくれている。
ぶらぶらとだらしなくヴィスクが歩いてきた。その横にはエウレーナがいる。ふたりとも装備を外して軽装になっていた。
彼はうまいこと村長に取り入り、村に住まわせてもらう段取りをつけたようだ。ならば彼らともここで別れになる。
「ガンズー殿」
「おう」
「たいへん世話になった。達者で。トルム殿たちやラダ殿にもよろしく」
「おうよ。元気な赤ちゃんぽんぽん産めよ」
エウレーナは少しだけ顔を赤くしたが、朗らかに笑う。
その横でヴィスクはいつもどおりにしていた。斜めに立って口角を上げている。
「どっちがいい?」
「あん?」
彼はよくわからないことを聞いてきた。
「ちゃんとしたのと、普通の」
「……普通にしろよ、青鱗のヴィスク」
「そうな」
うへへ、と笑ってから、彼は顔だけこちらに向き直った。
「あばよ」
「おう、じゃあな」
冒険者の別れの言葉など短い。これでいい。無くったっていい。貴族のような仰々しい台詞を吐かれても仕方がない。
いつまた出会い、また別れるか知れないのが自分たちのような人種だ。これでも上等なほうだ。
ま、そのうちまた会いに来てやろう。そのときにゃ大家族になってるかもな。
周囲の空気に気付いたのか、子供たちは途端にぎくしゃくし始めた。
さぁてここからどれくらいグズグズしちまうかな、とガンズーは思っていたが、そうはならなかった。
少しだけ逡巡したあと、アスターはポケットからなにか取り出した。
木を削って作った髪飾りだった。拙い造形であっても、丁寧に淵を削ってあって塗りものもしてある。よくできている。
自分で作ったのだろうか。作ったにしても、旅の中でそんなことをしている様子は無かった。ということはその前、パウラがアージ・デッソを出る前に用意してあったのか。
そうすると、もしついてこなければ渡せず仕舞いになっていたはずである。それでもずっと黙っていたのか。お前……お前。
受け取ると、パウラはしばらく手のひらのそれを見つめた。
それから、ころりとひと粒だけ涙が落ちる。いつもの嗚咽などではない、ほんの小さな涙。
ありがとう、と口が動いた。言葉にはなっていない。でも彼女は繰り返した。ありがとう。
ノノが急に挙動不審になった。自分の服のところどころを叩いて、足元をきょろきょろと見回して、最終的に手を彷徨わせる。
どうやら贈り物という考えが頭からすっぽり抜けていたらしい。おちょぼ口になって中空を睨んでいる。あれは全力で焦っている顔だ。
ふと、自分の胸元にくっついている物に気付いた。それからガンズーを見る。ぷるぷる震えた。あれは全力で困っている顔だ。
ふーむ。
「お前にあげたモンなんだから、お前の好きにしていいんだぞ」
とだけ言ってやる。
彼女はやっぱり困り続けたが、意を決して胸のブローチを取った。
それをパウラに押しつけるように渡す。そんな渡され方では彼女も困る。
ノノはなぜか大股をひらいて仁王立ちのような姿になっていた。あれはどうも、返すんじゃねぇぞコンニャロー大事にしろよコンニャローと伝えている。
そうされてしまうと、断れない。
代わりに、パウラは彼女に抱き着いた。強く抱きしめた。
泣いてはいない。我慢している。泣いてしまっては、みんなの顔が見れないもんな。
ガンズーはなにか言うべきだろうかと悩んだ。彼女らの別れに、下手に横やりを入れたくはない。
でもなにかあるはずだ。ガンズーが、大人が伝えるべきこと。
例えば、
「お前が会いに来るか、ノノとアスターが会いに行くか、どっちが早ぇかな」
そうだ。これは永遠の別れなどではないと教えなければならない。
この子たちは、そう遠くないうちにまた会える。いつだって会える。そうなる。
悲しい別れなどではない。
だから、もしそこに言葉があるとするなら――
「またね!」
遠くなっていく村の門から、パウラの声が届く。
小さな手を大きく振って、どこまでも響くように声を張り上げる。
「絶対、また会おうね!」
遠く地平に影が消えても、彼女はまだそこにいるとわかる。
パウラはそこにいる。
馬車の後ろへ乗り出すようにして、ノノとアスターはずっと村の方向を見つめていた。飽きることなく。
あんまり頭を出すと危ないぞ、と言ってやりたいが、まだしばらくはこのままでいいだろう。フロリカが押さえてくれているし、大丈夫じゃないかな。彼女が一番落っこちそうな姿勢だけど。
ともあれ、大きな仕事を終えた。寂しいが――とても寂しいが――凄まじく寂しいが――晴れやかな気分だ。
あとは無事にアージ・デッソまで帰るだけだ。何ごとも無くふたりの子供を送り届けなければ。
帰ったらまた関係各所を回って頭を下げなければならないが、こればっかりはしょうがない。いやーハンネ院長になんて言われっかな。また正座かな。今度はアスターとノノも一緒かもしれん。あとアノリティ。
しかしこんなに晴れてるってのに雨が止まねぇなぁ。顔ビチョビチョだ。
「ガンズーさんの涙と鼻水は~無尽蔵ですね~」
「うるせぇやい」
「顎に柱ができてますから~拭いたほうがいいですよ~」
「……あんたなんでいるんだ?」
シウィーは平然とついてきていた。旦那どうしたお前。
「先に言いだしたのエレちゃんですし~、やっぱり、ちょっとくらいふたりっきりもいいじゃないですか~」
「お前はそれでいいの?」
「わたしはもうちょっとやりたいこともありますし~それに~」
「それに?」
「エレちゃんのお腹が大きくなったくらいがちょうどヴィスク様も空いてるかな~って~」
「……生々しいっすね」
先ほどまでの気分が台無しである。
なにはともあれ、帰ろう。
俺たちも帰郷だ。




