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鉄壁のガンズー、おかえり/パウラ

遅くなりました

 パウラはこの旅を、自分が帰るためだけのものとは捉えていない。

 小さな壺がある。箱に入れ荷と共に積む予定だったが、彼女は自分で抱えて運ぶことを希望した。

 父を母の元へ連れて帰る。それが自分の役目だと考えた。


 父は冒険者であったし、どうやら母もかつてはそうだったらしい。

 頬にも二の腕にも腹にもすっかり贅肉がついた今の母の姿からは想像もつかないが、それなりに活躍したのだとか。

 あんたができなかったらまだ現役だったかもね、などと嘯くので、我が子にそんなことを言うとはなんとデリカシーの無い人だろうと思ったものだ。それを父に言うと、引退は非常に喜んだ上での即決だったらしい。


 父であるドミスは強い人だった。ちょっと森に入って小躯(ゴブリン)を退治してきたり、村の近くに角猪が現れたときにもあっさり解決してみせた。パウラはとても誇らしく思った。

 近隣の村には彼以上の冒険者はいないというし、かつては王都でも活動していたという。母ともそこで出会ったと言っていた。捕まったとも言っていた。どういう違いがあるのかはわからない。


 ともあれ、そんな両親をパウラは愛していた。自分も愛されていると信じているし、間違いないと思っている。

 自分が特殊な体質であることもずっと言い聞かせられていたが、しかしそれが自分の生活になにか影響を及ぼすなどと考えなかった。両親のみならず、村の人たちもよくしてくれる。

 世界は優しいものだと思いこんでいた。


 残念ながら、外から来る人には、そうではない者もいたらしい。


 最初はなにが起こったのか理解できずに泣いた。気付いたときには冷たい檻の中にひとり放りこまれ、父も母もいない。

 泣き疲れて寝ようにも、昼も夜もなく馬車はゴトゴトと揺れるので寝つくことさえできない。お腹が空いたと言えばパンは出てくるものの、それを格子越しに寄越してくるのは魔獣の顔をしていて、これは悪夢であると結論した。


 頭が働かないほどに疲れていたので、時間の経過はあまりよくわからなかった。二日か三日くらいだと思う。檻がひらいた。

 入れられたのは自分と近い歳の男の子だった。眠っていて、きっと彼も目が覚めれば置かれた状況に絶望するだろうと想像した。自分と同じように、きっと殺されてしまうと泣く。

 次にもっと小さな女の子が来た。その子は自分の足で立っていて、押しこまれるようにではあったが、自ら檻に入った。信じられなかった。


 そしてふたりとも泣かなかった。強いんだな、とパウラはどこか遠くから思う。

 けれど気付いた。男の子はときどき震えているし、小さな子はずっと服のどこかを握りしめている。

 自分と同じだとそれでようやくわかった。怖いのは自分だけであるだなんてことはなかった。


 三人でくっついて眠った。少しだけ安心できた。

 そして言う。自分の父親はとても強くて、必ず助けに来てくれる。絶対に。

 事実、父は来てくれた。格子の隙間からほんのわずか目が合って、これで助かると感動した。


 そして、パウラたちは救い出された。






 あのとき乗せられた魔獣の馬車と比べれば、今コトコトと静かに進む馬車は遥かに快適である。繋げられた二頭の馬は血走った眼を向けることもないし、動物を見かけても暴れようとしないし、胸を撫でれば鼻を近づけてきてかわいい。

 改めて街道の周囲を見回してみても、そこになにがあるというわけではなく、草原と空と、遠くに林と山の影が見えるくらいなのだが、いくら眺めても飽きない。


 馬の先をのんびり歩いている大きな姿が目に入る。

 鉄壁のガンズー。

 自分たちを助け出した張本人。とても強い人。とても。


 パウラはしかし、父だって負けていなかったと思っている。ドミスという冒険者にちゃんと出会っていれば、きっと彼だって感心するところだったはずなのだ。

 絶対そうだ。小脇に置いた壺を撫でる。隣に座ったアスターが不思議そうにこちらを見ていた。


 彼の姿を見返した。それから、ガンズーの肩に乗ってぷらぷら頭を揺らしているノノへ視線を移した。


 彼女がガンズーと暮らすことになったと聞いて、羨ましいと感じたことは嘘ではない。

 それはもう、あれほど頼りになる人などそうはいないのだ。なにより優しい人だとわかっていた。一緒にいれば楽しいだろうと思った。


 でも今から思えば、これでよかった。ノノは初め、少し怖いところさえあった。なにを考えているのかわからない子だった。

 それがすっかり明るい――ときどきとんでもない行動をするので、やっぱりわからないこともあるが――よい子になった。遊んでいると楽しい。大切な友達。

 だからきっとガンズーと共にいるのは、彼女にこそ必要なことだったと信じる。


 それに、修道院の暮らしは面白かった。村で暮らしていたころは教会にそれほど縁が無かったので、新鮮だった。修道女たちは厳しいけど優しかったし、司祭様のお話を聞くのも好きだった。

 パウラには兄弟姉妹がおらず、村にも歳の近い子は少なかったので、院の子たちと過ごすのも楽しかった。特に年下の子にはことさらお姉ちゃんぶった。率先して面倒を見た。

 フェッテは元気かな。ナリンはもう泣いてないかな。メアラはちゃんと夜に寝られているかな。そんなことを思って、彼女らの顔を空に浮かべる。


 そして――再度、横のアスターに目を向けた。やっぱり彼は不思議そうにしている。

 この人については少し複雑な気持ちがある。

 どうもみんな、彼を頭がよくていい子だと思っている節がある。多分、正しいといえば正しい。なるほど、まるっきり間違いではない。かもしれない。


 パウラからするとちょっと違う。こいつは単に頑固で不器用なのだ。今回のことを踏まえてもそうとしか考えられない。

 院ではみんなで暮らしているのだ。そりゃ、行き違いだったり少々魔がさしたりで、よくないことだってすることもある。

 それにいちいち突っこんで行ってもしょうがない。そんなだから年長の子たちとたびたび取っ組み合いになるのだ。毎回のように引き離したり修道女を呼んできたりしなければならないこちらの身になってほしい。

 自分がいなくなって、ちゃんとやっていけるだろうか。心配になる。


 でも、まだもう少しだけ一緒にいられるのは少し嬉しい。


 旅路は日中にだけ街道を進み、街や宿場を経由していくだけなのでさほどの危険もアクシデントも――最大のアクシデントは最初に終えた――無かった。

 ほんの数回、魔獣がちょっかいを出してきたが、ガンズーや青い鎧を着た冒険者が蹴っぽると逃げていった。一度だけ大きく狂暴そうな腕の四本ある熊が襲ってきたものの、護衛の女の人が魔術を唱えると地面にパクッと食べられた。凄い。


 王都にも少しだけ寄った。パウラはただただ口を開けて眺めるしかなかった。横を見ればノノもアスターも同じ表情をしていて、ついでにフロリカ修道女も似たような顔をしていた。

 街の外からでも見える巨大な王宮。三階建ては当たり前、四階建ての高い建物が並ぶ豪華な街並み。行き交う多種多様な人々。大きな橋の下には街中だというのに船が通っている。その辺の露店にすら見たことのない果物が置かれている。

 アージ・デッソをとんでもない都会だと思っていた。それどころではなかった。


 バスコー王国の中心地、フラタウリ・オルソ。この国の全てが集まる場所。

 父はここにいたこともあった。やっぱり凄かった。こんなところで暮らせる人が凄くないわけはない。パウラは感動した。

 半日ほどしか滞在できなかったのが悔やまれる。早く大きくなりたい。大きくなって、アスターとノノに会いに行って、ついでにまたここにも来るのだ。ふたりと一緒に来るのもいい。決めた。そうしよう。


 遠くの雲行きが怪しいという。なので、少しだけ馬の歩みが早くなった。もう一日ほどで村にはついてしまう。

 ようやく帰れる。だというのに、胸が締めつけられるような焦燥を感じる。

 到着してしまえば、今度こそお別れだ。できればあと一日、二日。三日でいいから旅を延ばしてもらえないだろうか。無理だとはわかっていても、そう願わずにはいられない。


 そんな気持ちが伝わったのか、だんだんと口数の少なくなってしまった自分にみんなが優しい。違うのに。ただ、もう少しだけお話がしたいだけなのに。

 そう思ううち、村が近づいてきた。わかる。村の外になんてほとんど出たことは無かったが、この空気を覚えていた。丘から流れてくる、かすかな湿度を感じる風を覚えている。


 先行した協会職員が戻ってきた。と同時に、村の遠景が見えた。

 小さな村だ。王都とは比ぶべくもない。アージ・デッソと比べても、ずいぶん小さく感じた。かつてパウラの世界は、あの中にしかなかった。

 あそこを離れて、数か月も経っていない。だというのに、もう何年も戻っていなかったような気がして、まったく違うものになってしまったような気がして、自分はいったいどこにいるのかわからなくなる。


 けど、あの木で作られた小さな門を知っていた。あそこから、遠征に出る父を見送ったこともある。

 間違いない。パウラは帰ってきた。壺を強く抱える。父と一緒に、帰ってきたのだ。


 なぜだか肩やら足やら震えてしまって、馬車から降りるのに苦労する。

 ガンズーが降ろしてくれた。アスターが支えてくれた。ノノがくっついていてくれた。

 彼らとは、これで、これで。

 これで。


 できることなら、もう少しだけ。


「――パウラ!」


 絶叫のような呼び声が、パウラの心をしばし、全て吹っ飛ばした。





 母親と抱き合うパウラの姿を、ガンズーは少し離れて見守っている。

 ノノとアスターも同じように、少し離れて。


 王都でははしゃいでいた彼女も、村に近づくにつれ、少しずつ元気を失っていったのはわかっていた。いよいよ別れが近いとなればそうもなろう。いまいちかける言葉が見当たらず心配していた。

 それでも帰らねばならない。母親の姿を見れば踏ん切りもつくだろうかと考えていたが、はたしてどうだろうか。


 彼女の母は、遠目にもひどく痩せているように見えた。これまで心労もかかっていたはずだ。その心を思えば、然もあらん。

 向かいには村の者たちだろう人々が集まっていて、彼女の帰りを祝福してくれているらしい。パウラという子は、周りにとても愛されていたのだとわかる。無事に帰らせることができた。きっとこれは、誇っていいことと感じる。


 横目でノノを見る。

 母に再会できたパウラになにを思っているのか。彼女も母に会いたいと思うだろうか。思うに決まっている。

 それはもう叶わない。だから彼女は言わない。強い子というのも本当に考えものだな、などと改めて心に浮かべてしまう。


 だから彼女の肩を支えるフロリカが有難かった。ガンズーは今、ちょっとノノを支える余裕が無い。その背に隠れるようにしてしゃがみこみ、べろべろに泣いているのは困りものだが。


 ぽん、と背を叩かれた。ヴィスクがにやりと笑っている。どうも労ってくれているようだ。

 それから、鼻を拭けと言われた。


 心配すんじゃねぇ、出発の時点で散々泣いたんだ。ここまで来ちまったらもうそんな泣いたりするかい。

 あー、首の周りがべちゃべちゃだ。鼻水なんだかなんなんだかわかんねぇな。ガビガビになりそうだ。仕方ないな。

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