鉄壁のガンズー、別れ
木陰にぼんやり座っているパウラに、ノノはぴったりくっついていた。
再び修道院を訪れたのが朝。そこからずっとそんな調子だ。
特になにか互いに話している様子は無い。ただ、周りの子たちと遊ぶわけでもないままそうしているし、パウラのほうも迷惑に感じていたりはしないようだ。ふたり並んでどこかしらを眺めている。
彼女たちに初めて会ったときのことを思い出す。
あのときも、あの子たちは互いを慮って支え合っていた。きっと今も、なにができるというわけでなくとも、一緒にいようとしている。
ベンチに座ってその姿を見ていると、ガンズーは鼻の奥がムズムズしてきた。
ノノがどう考えているのか、これでよくわかった。結局のところ、あの子は優しいのだ。人の心を思える子だ。
それが誇らしくもあり――もっと我がまま言ったっていいのにな、とも思う。
パウラが帰ることになる、と伝えても、ノノはそれほど大きな反応は見せなかった。ほーん、という顔を返してきただけだった。
しばらく待っていると、どこへ帰るのかと聞かれた。馬車で十日近くはかかる遠い村だと教える。
いつ帰るのかと聞かれる。一週間後と答えた。ふーんと言われた。
次に、もう会えないかと彼女は言った。会うことはできるが、気軽に行き来できる距離ではない。難しくなる。そう伝える。
今度は反応が無かったので、ガンズーはこれはヤベェと思い、一生の別れではない機会があれば連れていってやることもできるしお前たちが大きくなれば自分で会いに行くことだってできる、と早口で言った。
やっぱり彼女の反応は無かった。
そりゃ嫌だよなぁ、友達だもんなぁ。ガンズーはそう理解して、それ以上にかける言葉が出なかった。もう夜も更けていたため、今日はもう寝ようと促す。
ノノは最後にこう聞いてきた。誰が待っているのか。
母親が待っていると答えた。その子はひとつふたつ頷いたと思えば、素直にベッドに潜った。
納得はしてもらえたのだろうか。不安だったがひとつ言えることは、その日の彼女は寝入るまで時間がかかったということだ。
朝、珍しくノノが自分から修道院に行こうと言ってきたのでそのとおりにしたのだが――こんな光景見せられるとはなぁ。ガンズーは空を仰ぐ。ちょっとふたりを直視できなくなってきた。
誤魔化すように視線をあちらこちらへ動かすと、結局は遊んでいる子供たちの元へ向く。中心にはアノリティがいる。ほんと入り浸ってんなあいつ。
気になることがもうひとつある。
先日と違い、今日はアスターも輪の中に入っている。ただどこか上の空で、相変わらずチラチラと目線がパウラとノノのほうへ行く。周りの男の子たちと共に遊んではいるものの、度々表情が翳る。
明らかに様子がおかしい。友達との別れが近い、というだけの反応とは思えなかった。
「やっぱり、わかりますか」
雑事を終えたのか、ちょこちょこと近づいてきたフロリカが小声で言う。ガンズーと同じ方向、アスターを見ていた。
「なんかあったのか? 喧嘩でもしたか?」
「喧嘩といえば喧嘩なのですが、なんといいますか」
「歯切れ悪いな」
「私も子供たちから聞いただけなので……」
隣に座った彼女の眉間には少し皴が集まっていた。話すのに困るような内容なのだろうか。あるいは、彼女の中でも判断しきれていないのかもしれない。
「協会の方から報せが来て、当然それはすぐにパウラちゃん本人にも伝えたんですが……他の子たちに伏せているわけにもいきませんし、みんなにも知らせました」
ふむ。となるとアスターも同じくそこで聞いた。
まさか彼女だけが故郷に帰ることになってやっかんでいるんじゃ――と考えて、即座に否定した。あの子はきっと、そんなこと欠片も考えない。彼は下手をすればガンズーよりできた男だ。頭に浮かぶことも無いだろう。
「パウラちゃん、最初は凄く喜んだんです。でも、みんなと別れなければならないとわかったんでしょうね。だんだんと……それでその」
「ん?」
「みんなやっぱり寂しくも感じていますので、行ってほしくない子もおりまして。その様子にパウラちゃんも、本心ではないと思うのですが……帰りたくない、って言ってしまったみたいなんです」
それはなぁ、いや、気持ちはわかる。
短い時間とはいえ、同じ屋根の下で暮らした仲間たちと別れなければならない。これは小さな子には辛い話だ。ガンズーは深く共感する。なにせ自分は仲間から少しのあいだ離れるというだけで前後不覚になった男だ。
しかし、パウラには待ってくれている人がいる。会いたい人がいるのだ。ずっとここにいるわけにはいかない。
難しいものだ。彼女はどちらも大事で、にっちもさっちもいかない気分だろう。
「それを聞いたアスター君が、凄く怒ったそうなんです」
「あいつが怒った? 想像つかねぇな」
「私も意外で、というか子供たちも呆気に取られてしまったみたいです。それでどうも、最後にはパウラちゃんが泣きだしてしまって」
「……アスター、なに言ったって?」
「なにやら、そんなことを言ってはいけないとか、帰れるなら帰らなければダメだとか、そんなような。お母さんのところに行けって、凄い剣幕だったみたいです」
「…………」
バカめアスター。お前こそ、そんなこと言っちゃダメだぞ。
そんなこと、お前、そんなのはお前あれだぞ、大人が言わなきゃならないことなんだぞ、それをお前、そんななぁ。
断言するが、パウラと最も仲が良いのは彼だ。やはり同じ境遇にいたということが強いのだろうか、よく一緒にいるところを見かけた。ノノが来たときにはたいてい三人で固まっている。
そんな友人から突き放すようなことを言われれば、彼女が泣いてしまうのもわからなくもない。
だが違う。それは違うんだパウラ。それはきっとアスターの優しさなのだ。今は彼女もわかっていると信じる。聡い子たちなのだ。
ガンズーは鼻の奥がムズムズして仕方ない。軽く歯を食いしばって耐える。どうにかフロリカにはバレていないようだ。
その子たちはといえば、気付くとノノがパウラを引っ張ってずんずん突き進んでいた。回転登り棒ごっこをしているアノリティに向かって。つまり、アスターのいるところに向かって。
おいおいまさか、無理やり関係修復に持っていくつもりか。いやそんなに深く考えてないな、なんか様子が変だからぶつけに行っただけだ。でもこういうときは正解かもしれない。なにせもう時間はあまり無いのだ。ナイスだノノ。
が、アスターは少しの逡巡のあと、孤児院の裏へと走り去ってしまった。
あーもーアスター、お前も頑固なタイプか。なまじ気持ちが多少なりわかってしまうから辛い。仲直りって踏ん切りがつかないと難しいよな。
フロリカが彼を追いかけようとしたので、立ち上がりながら手で制する。
「すまん、ここはちょいと俺に任せてみてくんねぇか」
「そうですか……えぇ、わかりました。お願いします」
俯いたパウラと唇を尖らせたノノを横目に、ガンズーは歩きだした。
孤児院裏手には小さな菜園があったようだ。だが今は特になにかが植えられているわけではない。もしかしたら、襲撃があったときに荒れてしまったのか。
点々と雑草が生えていて、そのうちの一本にトンボが止まっていた。
しゃがんでそれを眺める小さな背中。
「ガンズー」
アスターは顔を向けず、目だけでこちらを見た。
「……よくねぇぞー、アスター」
腕組みをしながら言ってみても、彼はやはり振り返りはしなかった。
だが、頬に力が入っているのはここからでもわかる。口は真一文字に閉じられている。あの顔だ。辛抱している顔だ。
「お前らしくないんじゃねぇか。ちゃんとパウラと話してやれよ」
任せろとは言ったものの、正直なところ彼になにを言うべきかなどガンズーの頭には浮かんでいなかった。
それでも気持ちはわかる。この子はただただパウラのためを思っている。だからこそ出た叱咤の言葉だ。不器用な優しさの発露だ。
でもそれがわからない相手じゃないだろう。きちんと話せば伝わる。少しぎくしゃくしたからといって、頑なな態度をとる必要など無い。そういうところは歳相応だが、それで正しいのだ。ならば仲直りだって簡単だ。
というようなことを、ガンズーは思うまま言葉にした。
「…………」
アスターは黙っている。目の前にいたトンボはいつのまにかどこかへ行ってしまった。
「もう一週間も無いんだぜ。お前だってこのまんまお別れは嫌だろ」
ちらとこちらを見てから、また目線を戻す。
「いいよ」
「いいってそんな、そりゃねぇだろよ。後悔すんぞ」
「だって」
口はひらいても、頬の強張りは残ったままだった。
「このほうが、パウラも行きやすいよ」
……ああ、これは頑固だ。そしてたしかに歳相応だ。
子供が思いつく、不器用で稚拙な――ただひたすらの優しさだ。
そんな優しさは違うのだ。よくない。誰かの為に、その誰かを悲しませるやり方だ。もっと他にいくらでもあるのだ。よくない。よくないぞ。
ならば、彼の思いをどう導いてやればいいのか。パウラにどう伝えてやればいいのか。
泣く寸前になったガンズーには、どうにも答えが出なかった。
◇
出立の日には南門手前に協会や修道院の面々が揃い、盛大な見送りになった。前日にはささやかながらお別れ会も催したそうで、パウラの目元は少し赤い。
そろそろ馬車を出すというころになると年少の子が泣きだしてしまったので、彼女はそこでもやはり泣いた。ガンズーもちょっとだけ泣いた。横に立っていたヴィスクがマジかこいつという目をしていた。
修道院から同行する者にはフロリカも含まれていた。御者を含めた協会の職員もどこかしらで見知った顔である。それほど気を張らずに済む旅路となるかもしれない。
荷積みを一手に引き受け大層よく働いているアノリティに、街のこと頼むぞといちおう言っておいた。チカと眼球を光らせたので、任されたということだろう。
ノノは予定通り修道院に頼んだ。前回よりも素直に聞いたのは、もしかしたらガンズーどうこうよりパウラのことが頭を占めていたのだろうか。寂しい。
のだが、その姿が見当たらない。そして、アスターもいなかった。
どうしても院から出てこなかったという。時間が差し迫ってしまい、仕方なく他の皆で見送りに出たらしい。院には司祭が残っているので心配は無いというが。
そうすると、ノノは彼のところにいると思われる。あの子だって見送りをしたかったはずだが、しかし付き添う相手は向こうだと考えたのか。ああもう、ああもうほんと。
ふたりがいないことにパウラは残念そうな顔をしたが、ぐずついたりはしなかった。こうなることも考えていたのかもしれない。
でも悲しんでいるのは間違いない。アスターも悔やむことになる。それがわかってしまう。きっとずっと心に残る。
「大丈夫ですよ~」
後ろからシウィーが小さく言った。
「きっとすぐ、いつでも会いに来れる平和な時代になりますから~。ね~、ガンズーさ~ん? お願いしますね~」
そうだ。それが自分たちの役目だ。
子供たちの小さな後悔は、必ずいつか取り戻すことができる。彼らの再会は、俺たちが叶えなければならない。
「ねぇガンズー」
馬車から身を乗り出して、小さくなっていくアージ・デッソを眺めていたパウラが言った。
「戻ったらね、アスターにね」
その虹色の目はずっと街を見ていた。
「絶対また会いに来るねって、伝えてほしいの」
強い子たちだなぁと思った。そして、子供があんまり強いというのも考えものだな、とも思う。
もっともっと泣いたっていいのに。悲しんでもいいのに。
結局、最後まで鼻を啜っていたのはパウラではなくガンズーだった。




