鉄壁のガンズー、帰る
左の拳が空を切る。お? と思った。
しかし相手の上体は完全に後ろへ反り、そのまま倒れる寸前だ。俄然、体勢はこちらが有利。このまま押しこむだけでいい。
だが突然に視界は上へずれて、目の前の姿は視界から外れた。顎を蹴り上げられたために首を傾けられたからだ。
その足裏を押し返すように首を戻すと、それを反動にして相手は後ろへ勢いよく転がる。十分な距離をとられた。
ガンズーが手の甲で顎を拭うと、彼も立ち上がり構えを戻す。
様になってきたな、と感じる。その長身にも筋肉が増え始めてきた。戦闘における勘もいい。身体の動かし方もわかっている。集中力もある。
よく考えて鍛錬している証拠だ。きっと修行の無い日も仕事の中でも積極的に身体を鍛えているのだろう。なにより良い顔になってきた。
実戦訓練を始めて二週間。
なかなかの――想像以上の――上達を見せている。まだガンズーにダメージを通すまでには至っていないが、こうも簡単に打撃を入れられるようになるとは思わなかった。
やはり悪くない。こいつは強くなりそうだ。
「やるじゃねぇかデイティス」
「はい! まだまだです!」
「なんでだよォーーー!?」
這いつくばったドートンがなんか叫んだ。やかましいぞアホたれ。せっかく弟がいい感じに集中してんだから邪魔すんじゃねぇ。
「お師さん違くないっすか!? 俺のほうが先っすよね!? なんでデイティスのほうがやり合えちゃってるんすか!?」
「うるせぇバカ。毎度毎度へっぴり腰しやがって。言ってんだろうが自分の身体を信用しろって。それできねぇでビビってるから吹っ飛ばされてばかりなんだよ」
「だってお師さんマジなんだもん! マジぶっ殺で来てんだもん! こないだ俺の下にあった岩割れたじゃないっすか! 割れたどころかちょっと砂になったじゃないすか! 死ぬからあれ! 死だから!」
「んなもんこいつにだって同じだ」
「凄いよ兄ちゃん! 僕たぶん、当たったら一発でどこか破裂すると思う! やっぱりガンズーさんは強いね!」
「うるせーチクショー! 今日初めてのクセしてこんにゃろーチクショー!」
頭を抱えてジタバタし始めた彼をほうって、ほれもういっちょうとデイティスを促した。悪くない体捌きから放たれる拳を受け流す。
そもそもこの兄弟は向いている戦い方が違う。今ガンズーの目の前にいる弟のほうは自分のペースを相手に押しつけるタイプだ。身軽に動き回り、柔軟な身体を使って翻弄する。ここに魔術が混ざればさらに手数は増えるだろう。
対して兄のほうはまず相手の動きを見るべきだ。動きを見て対応していく目はあるはずなのだ。その上で自分がどう受けるかを決めることができるし、そのための身体もできあがっている。はずなんだが。
できれば自分で気付いてほしいが、どうにも先に直すべきはすぐにイジけるその性格かもしれない。まあ、あまり時間がかかるようなら適当なところで助言してやるか。
デイティスが一回、ドートンが二回、アージェ川から上がってきたところで小休止。大丈夫だちゃんと加減したからどこも弾けなかったし潰れなかったしもげなかった。
「そういやすっかり聞きそびれてたんだけどよ、ダニエどうなった?」
ここ半月ほど、ガンズーの周囲はとにかく平和だった。それまでのゴタゴタが嘘のように。
アージ・デッソの状況もそれほど変わらず。ボンドビーからもヴィスクからも特に報せが無いということは、調査の進捗もそれほど芳しくはないようだ。
ときどきステルマーがやって来て近況を伝えに来た。教会やタンバールモース関連なのであまりガンズーにできることも無いのだが。忙しいのだからわざわざ来んでもいいと言っても聞かない。領主から言いつけられているのだろう。
トルムもちょくちょく訪ねてきた。そしてセノアに回収されていく。暇らしい。先日、ようやく包帯が完全にとれたので、近くまた遺跡へ向かう準備を始めるようだ。
が、なかなかミークに会わない。こちらへ伝えるべきことがあるならまた勝手に来るだろうし、べつに改めて話すようなことも思いつかないが、ダニエがどうなったかだけ気になる。彼女にも会えていないからだ。
「あいつなら協会支部の資料室に籠ってるっすよ。ここ最近は仕事を終えたらほぼ毎日」
「そらまたなんで? ていうかよく入れさせてもらえたな」
「ミークさんが支部長さんに頼んだみたいです。動物から植物から鉱物から、とりあえず置いてある記録や資料は片っ端から頭に入れるんだって」
「……本人が言いだしたのか?」
「覚えないと実地研修なんだそうです」
そりゃ大変だ。遺跡や山脈の中まで行かなきゃ確認できない代物もあるだろうしな。覚えようが覚えまいがどうせそのうち連れて行く気だろうけど。
ミーク当人はそれらを頭に入れているというより、全て忘れておいて必要に応じて思い出しているだけなので始末に悪い。なにせ必要が無いとあれこれ聞いても役に立たないからな。
「ほーん。結局あいつ課題はクリアできたんかね」
「……あー」
「あれは、ね」
兄弟の歯切れが悪いので、やはりダメだったようだ。そうするとなにやら言っていた罰ゲームは執行されてしまったのか。
「お師さんって、毒とかには強いんすか?」
「毒ぅ? どんな」
「いや特にこれってんじゃないっすけど。例えばで」
「そうなぁ、まぁ苦手っちゃ苦手だぞ。蛇の牙やら蜂の針やらならそもそも身体に刺さんねぇけど、食い物に混ざってたりすっとなぁ。よっぽど強いヤツじゃねぇと気付かんが、効いてるこた効いてんじゃねぇかな。なんとなく腹痛くはなるし」
「内臓すら化けモンじゃねっすかなんなんすかお師さんは」
「なんなんすかとはなんなんすか。んで、毒がどうした」
「だってなぁ、デイティス」
「ね。あれはさすがに僕も見てられなかった」
「おいダニエどうした。あのバカミークなにやらせた」
「……こう、毒に慣れるのは大事だよー、って。とりあえずすぐ捕まえられるのを集めてきたからねー、って」
「お皿いっぱいに、けっこう危ない虫を」
「いや、いい。悪かった。ダニエには優しくしてやってくれ」
彼女は己の望む方向へ進めているんだろうか。少しだけ心配した。
とまれ、ミークのスパルタは続いているようだし、その教え子もどうにかついていってはいるようだ。
ガンズーはひとつ伸びをして腰を鳴らした。
こっちも張り切るか。と言いたいところだが、
「お前ら、今日はノノが起きたら解散だからな。日が沈む前に行きたいところがあるんだ」
「そっかぁ、せっかくガンズーさんとの手合わせだったんだけどな。残念です」
「珍しっすね、いつもは夕方までいじめてくるクセに」
「心配すんな」
その分、ちょっと濃い目にしてやろう。
転がったデイティスが家の壁を壊しかけ、ドートンが林の葉波の中へ消えていったあたりでノノは起きた。十五時の鐘が鳴ってすぐのことだった。
さて、お出かけである。
先日、ミラ・オータウス修道院の修繕が完了した。領主の肝いりということで、アージ・デッソの職人たちは素晴らしく早い仕事をした。
そろそろ、引っ越しも終わったことだろう。
◇
「なにしてんだお前」
修道院への途上、中央広場の噴水前に新たな装飾が増えていた。
ベンチに座るように拵えられた像に、鳥が数羽集っている。というか止まっている。傍に串が散らばっているので、餌もあるし鳥たちには腰を落ち着けるのにちょうどよかったのかもしれない。
「――ガンズー様」
微動だにしないまま眼球――っぽいもの――だけを動かしてこちらを見た。喋った。アノリティだった。
近づくと、二羽だけ逃げていった鳥があったが、まだ頭の上やら肩には毛玉が鎮座している。
「そういやお前、しょっちゅう院の子供らんとこに入り浸ってたんだっけか。今日はどうしたんだ?」
きゅいー、と謎の音だけを返事にして、彼女は答えない。代わりに視線はノノを見ていた。その子のほうはといえば、両手を構えてじりじりとアノリティとの距離を測っている。鳥を捕まえる気だろうか。
しばらく待つと、ようやく彼女は答えた。
「お引越しのお手伝いをしておりました」
「ほー、偉いじゃねぇか。お前なら多少の荷物も子供ごと抱えていけたろ」
「セルゾ様、カレイル様、パトロ様、トーアス様、イム様、フェッテ様、それからナリン様とメアラ様を積載し修復完了した当該建築物内を進んでいたところ、節足動物に驚いたフェッテ様が落下しかけ、重心が崩れました」
「……おう」
「……左脚部で重量の全てを支えてしまいました。床材の強度を見誤った私の落ち度です」
あらー、せっかく直った建物の床ぶち抜いちまったかー。
どっちかというと子供たちよりこいつ自身が重いせいじゃないかと思わなくもないが、落ちこんでいるようなので黙っておく。
「技術者もその場にいましたので損害は少なく済みましたが……私はあの場所に入るべきではないのです」
「そんでヤケ食いか」
「エネルギー充填です」
「なんでもいいけど。んじゃ、俺はノノと一緒に向かうからな」
きゅきゅきゅーるるるると彼女のどこかから盛大な音がするのだが、やっぱり特になにか言ってはこない。どういう意図だ。ていうかそれもしかして自由に音出せんのか。
ほうっといてもいいのだが、屋台の食材を食い尽くしても困るし、そのうち鳥を捕食し始めてもさらに困る。
仕方ないので、適当な言い訳を用意してやろう。
「そういやお前、領主の離れのほうばっか行ってたから知らねぇのか。院なら子供たちが遊ぶの基本的に外だから、なんか壊す心配無いんじゃねぇの」
鳥たちは一斉に飛び去っていった。
「ガンズーだー!」
「ノノだー!」
「あ、アーちゃん!」
「アーちゃん戻ってきた!」
「みんなーアーちゃんまた来たよー!」
わらわらと院の子たちが集まってきて、わちゃわちゃといじくり回される。ノノはいつのまにか彼らの波に飲まれていって、気付けばその一部になっていた。
子供らは主にアノリティのほうにひっついたり登ったりしているので、ガンズーは少しだけ寂しくなった。なんだよめっちゃ懐かれてんじゃねぇか。
「アーちゃんあれ! あれやって!」
そう言われたアノリティが両耳――のような突起――に手を当てると、ペカーと眼球が輝く。子供たちはなにやら狂喜した。ノノが驚愕の顔でこちらを見る。俺はそんなのできないからな無茶言わんでくれな。
「ガンズー様」
たしかトーアスとイムという年小の男の子ふたりを腕の先にぶらさげていると、横から声。
フロリカが――見知った修道服で――そこにいた。
「おう、なんか久しぶりだな。やっぱあんたその服のほうが似合うぜ」
彼女は一度やたら大きく息を吸ってから、小さく微笑む。今の深呼吸はいったいなんだろうか。
「結局外に出られるまで少しかかってしまいましたし、なかなかお顔を合わせられませんでした」
「領主のとこも何度か顔出したが、行き違っちまってな。心配無いとは言われてもちょっと気になってよ」
「……そうですか。お気になされて」
微笑んだ表情は柔らかい。のだが、硬い。なんだかその笑みは貼りついているようにも見える。なんだろう、なにか気に障ることを言ったろうか。その顔はハンネ院長に似てるからちょっとやめてほしいんだが。
すん、ふん、と今度は早い息を吐いて院のほうへ手を向ける。
「そ、それよりどうですか。すっかり奇麗になりました」
「そうだなぁ、大工連中ったら大したもんだ。前より立派になったくらいじゃねぇのか」
「ありがたいことです。領主様にも感謝のしようがありません」
嬉しそうに彼女がそう言う。機嫌が悪いわけではないようで安心した。
と、後ろから服の裾を引っ張られた。振り返ると、
「……ガンズー」
パウラが下から見上げている。
こちらは明らかにいつもの表情ではなかった。なにか言いたげにもごもごと口を閉ざしていて、その顔に陰を落としていた。
「なんだおい、どうしたパウラ。そういやさっきお前いなかったな。ありゃ、よく見りゃアスターもいねぇな」
抱え上げて彼女の顔を覗いても、やはり口をひらかない。
「アスター君なら――えっと、あそこに」
フロリカが指差す先、空き地の奥にアスターはいた。他の子たちの輪には混ざらず、ひとりで。だが、ちらちらとこちらを窺っているのはわかる。
なんだなんだ、喧嘩でもしたのか? たまにはそういうこともあるよな。でも早く仲直りしないとダメだぞ。
などと言おうとしたのだが、パウラの深刻さはそれだけではない気がする。これはなにか問題かとフロリカに問おうとすると、
「実は――」
「私から話しましょう」
背後にハンネ院長が立っていた。いつもの笑みである。
そしてその後ろには、どうやら冒険者協会の職員。またぞろややこしい話でも持ちこまれたのだろうか。
ガンズーに抱えられたパウラへ視線を向けながら、ハンネが言う。
「パウラさんの送還が決まりました」




