鉄壁のガンズー、同類
現れた男にひととおり挨拶すると、ダニエは死地へ赴く戦士のような面持ちで去っていった。
彼女がはたしてミークの試練を乗り越えられるかはわからないが、やり遂げたならきっとひと回りタフになれるだろう。
オーリーのおやっさんはカウンターにわずかに残った卵をちらと見て、欠片をひとつまみ口に入れると「ふん」と言った。な、なんすか。
「ははあ、ご主人が仰られたときは意外な冗談を言われる方だと思いましたが、まさか本当に鉄壁のガンズー様が」
その横で並んだ皿を眺める男が興味深そうに顎を撫でている。目を細めて、こちらに向き直った。
「失礼しました。旅商をやっておりますヒスクスと申します。ガンズー様のお顔を拝見するのは――実は二度目になりますが」
「ああ、知ってるよ。小坊主が世話んなってんな」
「ご存知でしたか。はい、デイティス君とは懇意にさせていただいてます」
懇意というかねんごろというか。いやいいことなんだけどね商人と仲良いというのは。
彼は優しく細めた瞼の奥で、瞬時にガンズーとノノを上から下まで見た。
お、今のは間違いなく値踏みされたな。このたぐいの人間がよくするやつだ。べつに不快感は無い。むしろこれは常に気の張った優秀な商売人なのだろうと感心するくらいである。だがノノはやめろ。
「おいベニー。どこだ」
そんなこちらの様子を無視して、オーリーが声を――大きくもしていないのにどういう仕組みかよく通る声である――上げる。
奥であれこれ片付けをしていたベニーが顔を覗かせた。
「あ、帰ったのお父。どした?」
「芋が入るようになる」
「へあ?」
「芋だ」
説明になっているのか怪しいほど言葉少なだが、意味は伝わったようで彼の娘は両手を上げて喜んだ。
意外なことにバスコー王国は芋の流通が少ない。
タロイモにせよサツマイモにせよ、種芋があまり広まっていないようで生産者が多くないのだ。ジャガイモなんてまず見ない。南のほうででわずかに栽培されている程度である。一番見かけるのはキャッサバだろうか。
芋なんだから気候や土壌の問題とも思えない。噂では何代か前の王様だか王族だかが芋の毒で死にかけたからだとかいう話もあるので、どうも地域的に根付いていないというだけのようだ。芋だけに。
なので、芋が食いたければ運よく仕入れに出会うか、いっそ国外に出るということになる。
他国ではごく一般的な食物なので、どこにでもある。というかバスコーに出回るのはそちらから入ってくるものだ。マーシフラもダンドリノも。
そして最も多いのが――
「元々私どもは都市同盟で商いをしておりましたので、あちらには伝手がいくらでもあります。ひと月もかからず段取りをつけられるでしょう」
ベニーに挨拶をすると、ヒスクスという商人は続けてそんな説明をする。
なるほど、おやっさんはどうやら仕入れルートの開拓をしていたようだ。そこで引っかけたのか引っかかったのか、この男に行き当たったのだろう。
案外そういうこともやるんだなこのオッサン。いや、店をひとつ構えているんだから、それくらいやれないといけないのか。
しかし、芋。
この三頭の蛇亭に安定して芋が入るとなると、レシピのバリエーションが凄いことになりそうだ。楽しみだ。
都市同盟の揚げ芋うまかったんだよな。ジャガイモじゃなくてサトイモが流行りだったがあれはあれでたいへん良い。頼んだら作ってくれっかな。
ていうか最近あの国の話をよく聞くな。この国から最も遠いというのに。ラダはもう到着したかな。
「いも」
ノノがぼんやり呟いたので、ためしに聞いてみる。
「ノノ芋好きか?」
「……いも?」
あまり食った記憶は無いようだ。まあこの子は野菜の特に根菜類が好きだし、食えばきっと気に入るだろう。カボチャも好きだし似たようなもんだ。いや、さすがにだいぶ違うか。
「えっへへー、一回おもいっきり芋だらけにしたパイとか作ってみたかったんだよねー。できたらノノちゃんにも食べさせたげる」
「いも」
上機嫌なベニーに、鸚鵡返しするノノ。たぶん意味は無い。
書類だのなんだのを――おそらく契約に関するもの。そのあたりの慣習をよく知らないが――用意すると言ってオーリーが引っこんでいったので、なんとなく世間話のつもりでガンズーはヒスクスに水を向けた。
「ハーミシュ・ロークにいたってのになんでまた反対側のこっちに来たんだ? なんか家もあるっつーし、しばらく定住すんのか?」
「えぇ。とりあえずはこのアージ・デッソを中心に仕事をしようかと。こちらへ来たのは――娘のためでもありまして」
「へぇ。実は昨日、ちょっくら顔を合わせてな」
「聞きました。失礼はしなかったようで安心しましたよ。いや、都市同盟は直近まで少々情勢が不安定なところがありましたので。今は多少落ち着いたようですが」
「あー、まぁ、引っ掻き回したからな。主に俺らが」
「貴方がたを非難する者などそうおりません。お気になさらず。そんなわけで、ダンドリノも同じく難しいところがありましたし、マーシフラと迷いましたが――娘も勇者様の近くがいいと言うものですから」
「なんだよそれだけでか。身軽っつーか、思い切ったもんだ」
彼は照れたように笑うと、頭を撫でた。
「妻はおりませんし……娘には頭が上がらんのです」
実感のこもった言葉だった。長い時間を娘とふたりで過ごしてきた父親から出る言葉だった。
ガンズーは将来の自分の姿を彼に重ねた。そして横目でノノを見る。ぼけーっとしている。彼女が大きくなったとき、自分たちの関係はどうなっているだろう。やはりあれか、パパ臭いとか言われるのか。いかん泣く。
泣きそうだったので、不躾かなと思いながらも気になったことまで聞いてしまった。
「嫁さんいねぇのか。早くに、とかか」
「いえ、実は結婚自体をしておりません。あの子……アシェリとは、血は繋がっていないのです。昔、ちょっとした成り行きで共に暮らすことになりまして」
なんだよこっちと似たようなもんじゃねぇか。いよいよ彼に自分を幻視する。
しかしなるほど、確かにこの商人とその娘とは見た目に血の繋がりは感じない。もしかしたらあの妙な喋り方も彼に出会う以前に培ったものだろうか。やっぱどっかの貴族の子なんじゃねぇのかあれ。
ともあれ、同じ血の繋がらない娘を持つ男である。
ガンズーは鷹揚に右手を差しだした。ヒスクスは唐突なそれの意味がよくわからなかったようだが、とりあえず掴み返す。固く握手をした。
「…………」
戻ってきたオーリーのおやっさんに、なんだこいつという目で見られた。
◇
「なーんか俺だけ蚊帳の外って感じなんっすよねー」
「べつに一から十まで一緒じゃないとならんってわけでもねぇだろ」
アージェ川のほとりにしゃがみこみ、両手で頬杖をつきながらドートンがぼんやりぼやく。
腕組みをして同じく川を眺めながら、ガンズーは顔面に突撃してきたトンボを払った。
二日が経ち、今日は三兄弟がやって来る日。
なのだが、現れたのは憮然とした表情のドートンひとりだった。
予想したとおり、ダニエは街中を駆けずり回っているらしい。今はどうも三頭の蛇亭の屋根によじ登って潜伏しているとか。着実に逞しくなっているが、期限は明日である。
デイティスはと聞いてみれば、ちょうどレイスンを見かけたのでそちらに言ったという。今日は徹底的に魔術をやるのだそうだ。
「デイティスはわかるんすよ。あいつはね、そりゃ元々やりたいことだったし、頑張るでしょーよ。でもダニエの奴までなー、どうしちまったんだか」
「お前は――その、エクセンの野郎のことはどう思ってんだ」
「俺はだってあれっすよ、あいつにゃ何べんコケにされたかわかったモンじゃねぇっすからね。やーいザマみれってなもんっす」
べへー、と大きく溜息を吐いて、
「まぁ、さすがにちょっと不憫たぁ思いますがね。あとはなんつーか、俺の手で引導渡してやれなかったのもちょっと」
「聞く限り、まぁまぁ頑張ったんじゃねぇかと思うけどな」
「まぁまぁどこじゃねっすよ俺なんか腕に穴あいたんすからねヴィスクさん来てなかったら秒で死んでたっすよマジで超頑張ったっすよ大金星っすよ」
「てめぇで言ってんじゃねっつの」
とはいえ彼らの実力を思えば、元冒険者の半魔を相手にして生き残った時点で実質勝利なのは間違いない。黒狼のときも思ったが、こいつは相当に運がいい。
それを知ってか知らずか、驕らないのも丸をあげたい。運だけで実力以上の結果を出してしまいその後の活動で悲惨な結果になる冒険者も多いのだ。中級への誘いまであったというし、よく弁えている。
そのあたり、特にドートンは冷静に考えているように思える。彼我の戦力をきちんとわかった上で、この結果がどういったものだったか理解している。
もしかしたら、彼の才能とは恵まれた体力ではなく、こうした冷静な判断力にあるのかもしれない。普段からはまったくそう見えないけれど。
ただまあ、
「デイティスにも剣で負けちまうしなー。やっぱ俺なんかはそこそこで満足してりゃいいほうってなもんなんすかね」
すぐに己を卑下するのはいただけないが。
「くだらねーこと言ってねぇで早よ来い。ひとりでもやれることはあるぞ」
「つったって今日はなにすんすか。俺、割と楽に街ん中回れるようになったすよ」
「そんくらいで満足してもらっちゃ困るんだよ」
街どころか国内一周できるくらいになってもらいたいが、それはおいおいやっていってもらおう。
今日やることは決まっている。そろそろだと思ってからずいぶん経ってしまったのだ。家のほうへ向かいながらガンズーは言った。
「実戦訓練だ。ま、そこそこ実戦もやっちまったみたいだけどな」
ドートンはしゃがんだ姿勢から、ケーのようにばいんと跳んだ。悪くない跳躍力である。
「マジすか!? え、いいんすか!? だってお師さんなんかいっつも基礎だ基礎だっつってたじゃないっすか!?」
「これも基礎だよ。冒険者なんざいざってときにゃ戦えてナンボなんだ。散々思い知ったろ?」
「むしろもっと早くやってほしかったくらいす」
そうね。
だってあれやこれや最近のアージ・デッソは物騒なんだもんよ。お前ら一か月程度でなんで魔物と戦ってんだよまったくもう。
家の前で向かい合った彼は見るからにウキウキしている。先ほどまでのアンニュイが嘘のようだ。
実際、これからおこなうのはデイティスにもダニエにも話していないことであるし、自分だけ少し先に行けると優越感を覚えているのかもしれない。
正直そうでもないと思ってしまう。弟はトルムの薫陶を――当人は気付いていなくとも――受け、レイスンに限らずあらゆるところから力をつけようと模索しているようだし、双子の片割れは正に今もスパルタ調教の真っ最中だ。
というわけで、ガンズーにも少しだけ対抗心が湧いた。
ま、さすがに崖から落とすようなことはしねぇよ。優しくするぜ。俺は優しいからな。
「で、お師さん。実戦訓練ってどんな感じで? あ、なんかこう、木剣とか用意したほうがいいっすかね? あれっすか、型とか覚えるんすか。あとなんか、必殺技とか」
「そのうち剣も使うけど今日はいらね。無手でいい」
「素手っすか!? いやでもそっすよね、お師さん殴るだけでもとんでもねぇっすもんね」
「おう。だから頑張れよ」
ドートンは構えた両手の握り拳はそのまま、ん? と首を傾げた。
「えっと……なにすんすか?」
「殴り合い」
「……合い?」
「殴りかかってこい。俺も普通に殴り返すから。ていうか殴りにいくから」
「……いやあの、こう、動き方とか」
「んなもん自分のやりやすい動きが一番いいんだよ。いいか、マジで普通にぶん殴りにいくから、全力で抵抗しろ。まぁ、加減ぐらいはしてやるがちょっと弾みってこともあるから気をつけろよ。俺の拳は頭破裂するから比喩抜きで」
「……逃げ、ってのは」
「林から出ようとしたら本気で蹴る。俺の蹴りは首千切れるぞ比喩抜きで」
「…………」
五度目の沈没でドートンはアージェ川から浮かんでこなくなったので、その日は終いとなった。
しかしこいつかなり粘ったな。なかなか頑丈になっている。いいことだ。




