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鉄壁のガンズー、鬼ごっこ

「ミーク様に会わせてください」

「藪から棒になんだってんだ」


 カウンターの向こうにちょこんと座ったダニエに、エプロン姿のガンズーは腰に手を当てて呻いた。






 木曜。予定どおりのお料理教室である。先週は突然のおやっさん登場に腰が引けたもので、まさかまたもスパルタコースかと内心ビビっていたがのんびりとベニーが迎えてくれた。胸を撫で下ろす。

 本日は各種卵料理を習った。ガンズーも日本の感覚で生卵を食べてはいけないということくらいは知っていたが、ここで実感した。詰み上がった卵に近づいてみるとほんのり表現しがたい香りがする。なるほどなあ。


 というわけで目玉焼き、炒り卵、オムレツである。

 お前そんな、目玉焼きくらいならそんな、俺にだってそれくらいはそんな、俺は魚のムニエルが作れる男だぞお前そんな。

 なんてことを思いながら焼くと鍋にがっつり貼りついた。目玉焼きを作っていたはずなのに炒り卵になった。そして炒り卵はなにか黄色い膜になった。

 やはり最大の敵は火加減である。あと油は惜しまないように。ていうかベニー先生に手本を見せてもらったらたっぷりの油の中に落としていた。揚げ卵じゃんそれ先に言ってよ。


 だがそれでも竈の前に立つことにぼちぼち慣れてきたガンズーである。それほど苦労せず奇麗な卵を用意できるようになると、オムレツに色々と混ぜたレシピも習った。チーズを買おうと決める。


 オムライスなんてできないかと聞くと、先生は眉間に皴を寄せた。炒めて味付けした飯を卵で包むのだと言うと、たいへん興味深いと感想。

 そういえばこの国にはケチャップが無い。というかトマトが無い。パスタはあるのに。ついでに言えばピザっぽいパンやパイはあるが、それそのものというような料理も無かった。

 トマトなんてその辺に生えてそうなもんだがなぁ、と思ってしまうが、無いものは無いのだろう。もしかしたら外の国にはあるかもしれない。やはり一度くらいは行ってみたいものだ。


 そんなこんなでカウンターに座るノノの前で卵祭りを開催していると、ダニエがひとりでやって来た。弟に続いて姉のほうもなにやら深刻な顔をしている。

 やれやれと思いながら卵食うかと聞くと、彼女は仲間のひとりに会わせてくれと前振りも無く言った。






「もしかしたら私のようなタイプはガンズー様には困るのではと」

「そこ気付いちゃったかぁ」

「見るからにしてそうですし」

「まぁな」


 ノノと並んで卵料理の山をもりもりと食べつつ、ダニエははっきり言った。


 そのうち相談せねばと思ってはいたが、自ら申告してきたならそれはそれで成長であると受け取るべきだろう。

 筋肉と勘でだいたいのことを解決してきたガンズーとはいえ、まだ今の彼女よりは探索者としての能力は高い自信がある。しかしそれをそのまま教えるわけにはいかない。そもそも教えるのが難しい。


 それを気取られたかは知らないが、遅かれ早かれ彼女が他の誰かに教えを乞おうとするのは自然の成り行きだ。いや、冒険者が誰ぞに師事しようと思うのが割と珍しくはあるが、そこはまずガンズーがいたので仕方ない。


 しかし、こうも早く来るとは。

 特にダニエなんかは単なる弟の付き添いというスタンスを崩していない印象だったので、少々意外だった。

 なにか心境の変化でも――と考えたが、明白である。


「なんだ、お前も弟と同じようなクチか」

「デイティスに会ったのですか?」

「加減も忘れて走ってやがったよ」

「あの子は思いこんだら頑固なので。おかげで今日も休みです。反対されましたがあんなヘロヘロで仕事をさせるわけにはいきません」

「んで今はなにしてんだ」

「ドートン相手に剣の練習してます。ヘロヘロしながら」

「がんこ」

「ノノちゃん見てると昔のデイティスを思い出すので、きっとこの子もそんなふうになりますよ」

「あー。頑固だわ。なんせ家帰りたいからって夜中に抜け出す子だからな」


 まさか自分に飛び火するとは思わなかったのか、ノノは野菜を絡めた炒り卵を口に突っこみながら、むう、と難しい顔をした。


「あの子がなんと言ったかは知りませんが、私は単にできることを増やしたいんです」


 もし食えそうなら、と置いておいた焦げた目玉焼きや崩れたオムレツまでわしわし食いながら彼女が続ける。

 なんか、こんな奴だっけこいつ? いや、元々図太いところがあることはわかっていたが。


「聞いてみたところ、斥候や野伏と呼ばれるたぐいの冒険者って少ないんですね。アージ・デッソに限らず」

「おう、全体的に少ねぇ傾向だな。ああいうのは下手すりゃ魔術師なんかより独特な才能がいるんだよ。ついでに言えば一端(いっぱし)になるまで大変だし、それなりになったらなったで身を持ち崩す奴が多いんだ」

「ああ、便利そうですもんね。盗っ人にでもなったほうが実入りは早そうです」

「やんなよ」

「場合に寄ります」


 おいおい、と思いながら半眼を向けると、ダニエは肩を少し上げてふにゃと笑った。これは必要とあらばやる女だ。ミークと同じ笑い方だ。

 うーん、デイティスがちょっと暴走気味だったから心配だったが、こいつの場合は違うな。どちらかというと、今まで浮ついていたのが腹を据えた感じだ。

 こうなると女って怖ぇんだよなぁ、などと適当なことを思いながらガンズーも立ったままオムレツを齧った。


「なもんだから、上級以上のパーティなんかでも探索専任を置いてるようなとこって少ねぇんだ。たいてい誰かしらが兼任してんな」

「逆に言えば一定のレベルまではあまり需要が無いと聞きました。そして、そこを超える者は引く手あまただとか」

「協会やら王室やらのスカウトまで来るぞ」

「凄いですね。食いっぱぐれが無さそうです」

「怪しい連中のスカウトも来るけどな」

「食いっぱぐれが無さそうです」


 おいおい。ふにゃり。

 まあ、どんだけ金を積まれたとしても、最低限こいつが弟の傍を離れるということだけは無さそうだが。


 とはいえ、せっかくやる気になってくれたのだしその意思は尊重すべきだ。なにせ勇者見込みの横にいる人間なのだから、彼女だって一角(ひとかど)の冒険者になれる可能性は十分にある。

 のだが、


「それで、ミーク様は」

「……そこが問題なんだよなぁ」

「なぜですか?」

「んー……いやな、俺もお前は早いうちにちゃんと専門の奴から話を聞くなりしたほうがいいとは思ってたんだよ。だがその……あいつはな、教えるの下手でなぁ。俺が話できる奴の中なら、ラダって爺さんがいるからそっちのほうが――」

「そんなことないよー」


 来るならそろそろだろうかと思っていたが、やはり来た。

 まったく唐突に、ノノの隣に女が座っていた。目玉焼きの黄身だけをほじくって食べていた子は盛大にビクついたし、さらにその横のダニエなどは椅子から落ちかけた。

 そりゃこんなワープじみた登場の仕方をされたら、探知能力を多少は覚えた人間なら愕然とするわな。それな、べつに意識して隠密したりしてねぇんだぞ。


 ミークはいつのまにやら自分の皿を用意して、オムレツをつついていた。


「あ、あの、ミーク様……」

「やあやあダニエちゃん、だっけ? こんにちわー。ガンズーやレイスンから聞いてたよ」

「は、そ、そうですか……光栄です?」

「いやこっちに聞かれても知らんけど。んでどっから聞いてたお前」

「藪から棒に云々くらい」

「ほぼ最初からじゃねぇか」


 少なくともガンズーがこの三頭の蛇亭に来た時点で、仲間たちはめいめい外出していた。ミークも含めて。


「だってさーガンズーのエプロン姿とかこんなの見ないわけにいかないじゃん。みんな勿体ないことするねー。でも案外やるじゃんこの卵おいしいよ」

「時間かえてもらうかな……」


 そのために戻ってきたわけでもなかろうが、彼女の場合は街の反対側にいたってピンと来たから飛んで――文字通り屋根の上でも飛んで――きたと言っても不思議ではない。

 だがはたしてここで行き当たったのは正解なのだろうか。正直、彼女にダニエを任せるのは心配しかないのだが。


「それでなになに? ダニエちゃんあたしみたいになりたいの?」

「いえ、あの。さすがにミーク様のようにまでは」

「大丈夫だいじょーぶ! 才能ありそうだからできるよ多分!」


 金髪は揺らさず、目だけがこちらを見ていた。そうだろそうだろ不安だろ。だから言ったのに。


「そーだなーなにから教えよーかなー、こういうの初めてだからなんかワクワクしてきた。うわ、あたしってなにからやったんだっけ」

「……あんまアホみたいに無茶なことさせて壊すなよ」

「そんなことしないよあたし優しいんだから。うーんと、レイスンが魔導はすんなり覚えれたって言ってたしー、探知や追跡くらいもうできるよねー、隠密も簡単だしなー。うーん……毒」

「やめろバカたれ」

「えー大事だよ耐性つけるのって。でもじゃあどうしよ。あ、一度とりあえず実力を見るためにひとりで魔王境界まで行って戻」

「あの、ミーク様。ミーク様、ミーク様」


 指を立ててあれこれ計画を――謀殺計画を――立て始めたミークに、たまらずダニエは服の裾を摘まんだ。


「私、まだ、下級」


 片言になって訴える。そうだね魔王境界どころか山の手前で死ぬね。


「あ、そうだった。ごめんごめん。えーとじゃあ、タンバールモースまで何分くらいで行ける?」

「分?」

「分」

「……試したことないですけど、必死で走って三時間くらい?」

「あれ? えーとじゃあ……いま表に馬車が来てるんだけど、中に何人くらい乗ってるかわかる?」

「お、表? 馬車の音もしないですし、気配だって」

「ほら、いるでしょ、南門のほう」

「……遠いです」


 あちゃー、となぜか半笑いで額に手を当てるミーク。

 対照的にダニエは先ほどまで力の入っていた目がどんよりと曇り、俯いていた。だからお前やめてやれよ自分のバカみたいな基準を出すの。


 「よし!」となにやら握り拳を作って人の心がわからない天才は立ち上がった。


「基礎練習からだね! ダニエちゃんに課題を出します!」

「課題ですか?」

「簡単なやつだよ!」

「おい今言え。俺のいる前で言え。とんでもねぇ無茶振りしやがったら止めさせっからな」

「ふっふっふ……あたしを捕まえてごらんなさーい」


 口の横に手を当てて、()()を作りながら天才が言った。

 ……あぁ、鬼ごっこか。


「あたし色々調べることもあるし、普段どおりにしてるからさ。そのかわり、ダニエちゃんからは逃げるようにするね。それで、ダニエちゃんは追いかける。あたしにタッチできれば合格」

「普段どおりというと、普通に街にいるということですか?」

「うん。普通にそのへん歩いてるしご飯も食べてるしここで寝てるよ。でもダニエちゃんがいるなーと思ったら逃げるね」

「やめろよお前ちょっと思いついたからって街どころか国出たりとかよ」

「やんないよダニエちゃんまだ簡単に国境超えれないでしょ。まぁバスコー国内を範囲にしてもいいけど」

「勘弁してください」


 彼女と敵対していたころは実際に国を跨いだ鬼ごっこをトルムたちと共にしていたのであながち冗談でもないのだが、いくらこのアホでもさすがにそれくらいの手心は加えてくれるだろう。加えるかな。どうかな。


 ということを彼女も思ったのか、少なくとも命の危険は無いと安心したのか、ダニエは「それくらいなら頑張れば」と言った。

 言ってしまった。あちゃー。


「言ったね」


 笑顔のままミークが了解する。


「じゃ、今からね。できれば三日くらいで捕まえてくれると嬉しいな。できなかったらまた考えましょー。あ、罰ゲームありね。では」


 そしてかすかな風を残して彼女は消えた。ノノが再びビクつく。


 そのまましばらく固まってなにか考えていたダニエは、ゆっくりとガンズーへ振り向いた。

 多分、ミークが出した課題はガンズーでも難しい。仲間の中でも、トルムがどうにか対応できるくらいだろうか。アージ・デッソの冒険者――斥候冒険者をかき集めても、クリアできる者は限られるだろう。

 要するに、彼女は徹頭徹尾ハードルを下げはしなかった。千尋の谷から手足を縛って落とされる難易度だった。


 ガンズーはなるべく優しく見えるよう微笑んだ。


「頑張れよ」

「……罰ゲームってなんでしょう」

「ひとつ言えることは、あいつは加減を知らねぇアホだ」


 重い足取りで宿を出ようとする彼女の目の前で、扉がひらいた。


「――まだいたのか」


 オーリーのおやっさんだった。今日も姿が見えなかったのでまた狩りにでも出たかと思っていたが、そういうわけではなかったようだ。

 その後ろに、もうひとり男がいる。


「あ、ヒスクスさん」


 ダニエがぽつりと呟いた。

 男は彼女の姿を認め、こちらに視線を回すと、柔和な笑顔で頭を下げる。


 その名前はたしか――あぁ、昨日のお嬢ちゃんの親父か。

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