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鉄壁のガンズーと銀風のトルム

 目が覚めてイフェッタがいないことに、ノノはそれほど不満を持たなかった。ちょっぴり下唇が上がっただけだ。

 もしかしたらガンズーが戻れば早くに帰ると伝えていたのかもしれない。荷物もある程度はまとめてあったことだし。とはいえ物わかりのいい子は顎をしばらく丸くしたままだった。


 というわけで、彼女にも亜竜の鱗をプレゼントする。

 角度を変えればその赤みも変える不思議な板をたいへん気に入ったようだが、最終的にどうするべきか悩んだようだ。眺めては置いて眺めては置いた。


 美麗だし価値のあるものではあるが、たしかにそのままでは困るか。ケーにぶつけて遊ぶくらいしか用途がない。

 鍛冶屋にでも行って、にかわと小さな針でも用立ててもらおう。簡易的なブローチだ。飛翔体の鱗となると、本格的に加工するなら王室ご用達の細工師でもなければ難しいだろうから、ちょっと引っかけられるようにしかできないが。


 明日にでも向かってみようと決めて、ガンズーは久々に――ほんの三日だが――家のベッドで寝た。なにか馴染みのない匂いが残っていたというのに、驚くほど熟睡した。





 ノノが胸を張って歩いている。そこには赤いブローチ。

 こんなようなものを作りたいのでにかわと針をくれと言うと、鍛冶屋の職人はその場でぱぱっと拵えてくれた。ありがたい。貼りつけるだけとはいえ、ガンズーがやっていれば重心のずれた代物になっていたかもしれない。


 ふたりで協会支部に向かう。先日、イフェッタがなんとかという受付嬢が自分に会いたがっていると言ったのを思い出した。

 受付所に入ってみれば冒険者の数は少ない。時間もあるが、どうも掲示されている依頼が少ない。いや、依頼自体は多いのだが、簡単なものが少ない。最も数の多い初級や下級の冒険者は冒険者酒場の斡旋所を回っているのだろう。


 あちゃー南の森にゴブリンが群れたか。数次第じゃ中級でも下手すりゃ死ぬからなぁ。そんなことを思いながら掲示板を眺めていると、件の受付嬢がばたばたと寄って――こなかった。

 ばたばたとはしたのだが、奥へ向かった。難しい顔で座っている男になにやら耳打ちする。

 立ち上がった男の動きは早かった。受付の奥にぎっしり並んでいる机を鮮やかに躱し、最後には受付を身軽に飛び越えた。すすすと寄ってくる。こいつも元冒険者の手合いかもしれない。


「ガンズーさん、お待ちしてました」

「お、おう? おう。いやなんか用だっつーから」

「用です用です。ご用です。ここではなんなので、よければ奥に」

「えぇ……べつにいいんだけどよ。ていうか伝言なんかしなくても誰か寄越してくれりゃよかったじゃねぇか。なんだってんだ?」

「まぁそれも奥で。大丈夫ですから大丈夫ですから」

「なにが大丈夫なのかね?」


 いつのまにか現れたボンドビーに、ガンズーの腕を引っ張っていた男は痛恨の表情を浮かべた。






「あー、要するに、テキトーな処理した仕事が蓋開けてみりゃこないだの事件に関わってて、下手すりゃ街中で瘴界騒ぎになってたと。なるほどなぁ、お前に報告もできねぇが、抱えとくわけにもいかねぇから俺か」

「まったくお恥ずかしい。ご迷惑をおかけして」

「俺はべつにいいんだけどよ」


 ついでにノノも満足しているので構わないだろう。今日はケーキではなく木の実をチョコレートで固めたものだったが、彼女は口の中で転がして楽しんでいる。


 応接室のソファに座るボンドビーは、ほんのちょっと髭に張りが戻ってきた気がする。亜竜の脅威が去り、タンバールモースとの関係も展望が見えてきた。多少は睡眠が深くなっただろう。

 とはいえ疲れている。なにせ進展はそれだけだ。職員が無用の手間を避けようとしてしまったのも頷ける。


 あの亜竜、ちょっと妙だったぞ。そんなことを言ったらどうなるだろう。ちょび髭が丸々ぽろりと落ちるかもしれない。


「それにあいつら――うちのバカ弟子が引っかかったもんだし、俺に話を持ってくつもりになったのもわかるしな。あいつらにゃ依頼を請けるときはもっとよく吟味しろって言っとくよ」

「いえいえ、彼らは非常によくやってくれたようで、私も驚きました。口止めなんてしてしまったのですが、私の下へ聞こえてこなかったあたりそれも守ってくれているようで。申し訳ない気持ちになります」

「どっちかっつうとこれ以上巻きこまれたくなかったんじゃねぇかな。それにしてもなぁ……そっかあのガキ死んじまったか」


 姉弟たちの同郷だったという青年。ガンズーはもはやその顔もいまいち思い出せないが、なかなか才能のある男だったのは覚えている。

 木工所でぶん殴って以降、すっかりその存在を失念してしまっていた。考えてみれば彼はあの時点ではまだ生きていた。それを放置した結果となると、こちらの手落ちもあるかもしれない。

 とはいえ、その顛末を聞くと――


「『黒鉄の矛』の登録情報を確認してみましたが、確かにエクセンという名前もありました。かの半魔堕(オークライズ)が自然発生でないとすれば……」

「間違いなく『鱗』だろうな。そりゃあいつも持ってておかしくねぇや」

「こうなると、その薬が魔族化を促すという説が真実味を増してきました。こんな短期間に街の中で二体も半魔(オーク)が出るなどありえない」


 結局のところ、この街に残る最大の問題はそれだ。

 『蛇』の正体と『鱗』の所在。このふたつの正体がはっきりしない限り完全に安心することはできない。

 協会はシウィーからの情報提供を元にして解析を続けているという。現状、少しずつ材料の選別ができてきた。偽のほうの覚え書きと照らし合わせ、地方特有のものでも出てくれば、作成者も絞れてくるかもしれない。


「ところでガンズー殿……その、依頼が渋滞しておりまして……もし、もしご都合がよろしければ、なのですが」

「……暇があればな」


 イフェッタのな。





 明日にはまた三頭の蛇亭でお料理教室なので、今日は別のところで昼食にする。

 なので、市場にやってきた。目指すはパン屋裏手である。元の世界で言うところの総菜パンのようなあれは安いしうまいし非常に助かる。

 聞いてみると余った粉や隣の肉屋から出るクズ肉で作っていて、職人の飯を作るついでなのでお手頃なのだとか。


 ちょっと場所を間違えて市場を出たり入ったりしてしまったが、売り切れる前に包みを買うことができたのでよしとする。

 ところで、珍しいものを見かけた。


「――なにしてんだ」

「あ、ガンズー。それにノノちゃん」


 ひとつ多く買った包みを差し出しながらフードの男に話しかけた。

 南門手前、外周通りに向かった酒場の軒先。置かれた樽に腰かけて彼は通りを眺めていた。脇に、小さな杖が立てかけてあって、足に包帯が巻かれている。


「なにって……のんびりしてるかな」

「病室行ったらもう出たっつーから宿にでも戻ったと思ってたぜ」


 その男――トルムは浅めのフードを被っていた。彼の銀髪は――勇者の他にもうひとつある彼の二つ名にあるように――トレードマークでもあるので、無闇に声をかけられたくないときはそうする。

 有名人は大変だ。素顔でほいほい外も歩けない。ほいほい街をうろついているガンズーはそんなことを思った。


「オプソンさんから、もうある程度はくっついてるからあとは筋肉を萎えさせないようにって言われてね。なるべく歩こうかなって」

「軟弱だなぁ。俺はほれこのとおり、すっかり治ったぜ」

「ガンズーはだって変だし」

「変とはなんだコンニャロウ」


 軽口を叩きながらノノを彼の横の樽に座らせてやった。包みをひらいて渡すとかぶりつく。


「ノノちゃん、ガンズーいなくて平気だった?」

「へーき」

「強いねノノちゃんは」


 伸びたチーズを顎に垂らした子は、ふふんと胸を反らした。

 トルムがそこにあるブローチを目にして


「あ、鱗。これもしかして例の?」

「お、おう、いやー実はな。落ちてほうっとかれそうなのを拾っただけなんだが」

「あはは、これくらいならいいんじゃない。よかったねノノちゃん」

「ん」


 怒られるようなことはないと思ってはいたが、それにしてもあっさりである。いいんだろうか。いいか。


「で、なにしてたんだ? なんかおもしれーモンでもあったか」

「そろそろ来るかな……あ、来たね。あれ」


 彼が通りの向こうを指差すので、ガンズーはパンを齧りながらそちらに視線を移した。


 門から続く、街を囲う柵。それに沿うように伸びた外周通りは、そこを歩いて行けば西門に辿り着き、北西区画へ続いていく。

 その西へ続く道を走ってくる者があった。全速力には遅い。単なるジョギングには早すぎる。しっかりした足取りだが、表情には疲れが浮かび始めているようなので、おそらく今もてる最大限の速度なのだろう。

 額や頬に、金髪が貼りついている。


「デイティスじゃねぇか」


 彼はこちらに気付かず、そのまま通り過ぎた。東へ向かう道へと走り続ける。

 いつもの鍛錬だろうか。日々ちゃんと走っているのは知っていたが、その姿を見るのは初めてだった。

 しかしずいぶん鬼気迫った顔で走っている。もちっと気楽でもいいんだが。


「ちょっと見かけてね。ずっと走ってるから、頑張るなーと思ってさ」

「ずっと?」

「少なくとも僕が見かけてからもう八周目かな。その前からなら、もっと走ってるかもね」

「っへー。前は一周すんにもヘロヘロだったのに、慣れるもんだな」

「凄いよね」

「三日三晩走り続けられる奴がなに言ってやがる」

「そんなのガンズーだってそうでしょ」


 小さくなっていくデイティスの背を見送る。そういえば上の双子は別行動だろうか。サボっているなどとは言わないが。

 いい機会なので、トルムに言った。


「あいつな、デイティスって言うんだけど」

「うん。レイスンから聞いた。ガンズーのとこに通ってるんだってね。見てすぐにわかったよ」

「お前に似てる才能があるんだってよ」

「才能?」

「なんつーかな……ほれ、お前って剣も魔術も上達がすげぇ早かっただろ。ついでに俺や他の連中もぐんぐん力がついてよ。なんかそういう才があるんだってよ。自覚があるのか知らねぇけど」

「ふーん」

「ふーんて」

「だってピンと来ないし」

「やっぱそうか」


 勇者の自他を引き上げる才能。やはり自覚のあるものではないのだろうか。

 レベル上限のことも聞いてみたかったが、この様子ではそれも自分ではわかっていないかもしれない。


「そういえば昔、ガンズーに僕は人と違うとか言われたっけ。それのこと?」

「ん、まぁ、それじゃないっていうか、そっちもっていうか」

「なにそれ」

「うーん」


 説明が難しい。腕を組んで悩んだガンズーに、トルムは笑った。

 それから、デイティスの去っていった方向に遠い目を向ける。


「……僕は、フィオがいなくなってから必死でやってきただけだしね」


 トルムには故郷が無い。生まれたダンドリノの集落は滅んだし、農奴として拾われた荘園も魔獣に焼かれた。

 そのときに助け出してくれた冒険者と長く旅をしていたらしい。あまり詳しくは聞けなかったが、少なくとも成人近くまでは一緒にいたようだ。

 その冒険者も死んだ。魔族と戦ったのだという。


 その魔族とは、ハーミシュ・ローク都市同盟で再会した。あのときの彼は、おそらくガンズーの知らないトルムだったと思う。

 いやー怖かった。しばらく口きけなかったもんな。


「でもガンズーが言うならそうなのかもね。じゃあ、僕の次はあの子が勇者かな」

「次ってなんだ次って。次なんか無いだろが」

「あはは、うんそうだね。そうだった。頑張らないと」

「足折れたお前と足引っ張ってる俺が言えるこっちゃねぇけどな」

「セノアみたいなこと言わないでよ」


 だっはっは、とふたりで笑う。ノノが不思議そうな顔で見ている。

 せっかくなので、前から聞きたいと思っていたこともこの際だし言ってみよう。


「俺ぁよ、もう旅が終わったらノノんところに帰ってくるつもりでいるけどよ。お前、それからどうすんだ?」

「旅が終わったらかぁ……うーん」


 実際のところ、トルムの旅の目的は済んでいるのだ。自らの手で仇は討った。

 だがまだ敵の首魁は残っている。魔王期は終わっていない。スエス半島は今もまだ封鎖されていて、各地で人は減っている。

 彼はそれを終わらせるために、歩みを止めないことを決めたのだ。


 だがその後はどうするのだろう。これまで話せなかった。


「王都にでも行くか? 姫さん待ってんじゃねぇの」

「う。まぁその、うん。そ、そうだね。挨拶くらいはしないと」

「そのまま捕まえられそうだな。王様もほうっとかねぇだろうし」

「あそこで暮らすのはちょっと考えられないかな……」

「そんで謎の雷が王都を襲う」

「やめてよガンズー。繊細な問題なんだから」


 いいからさっさとケリつけちまえばいいのによ。ガンズーは他人事のように思った。他人事だからである。

 セノアとバスコー王国第一王女と、あとまぁついでにミークの、トルムに対する微妙なスタンスが気にならないこともないが、まあ勝手にやってくれればいい。ガンズーは馬に蹴られようがビクともしないが、女性陣から睨まれるのは嫌だ。


「やっぱり、旅を続けるかも」


 苦虫を口の中で転がしていたような顔をぱっと上げて、彼は言った。


「まずはカルドゥメクトリを越えてみたいな。内海を渡ってみるのもいいね。イークルハレルやクヴァーンって国に行ってみたい」

「ああ、そりゃいいな。俺もちょっと興味ある」

「知ってる? イークルハレルの北にこの半島より大きな島があって、そこの国は凄く技術が発達してるんだって」

「おう、あれだろ? 王都の馬車みてぇな」

「昔の技術の時点であんな凄いんだから、今はもっと進んでるかも。それに北には海みたいに広い森もあるとか。魔女の森って呼ばれてるんだってさ」

「リボンだかイボンだかいう森だろ。広いったってなぁ。おとぎ話じゃねぇの」

「だからそれを見に行くんだよ。他にも人間が辿りつけないような場所が世界にはたくさんあるっていうしね。世界樹とか大砂漠とか」

「あー、なんだったか。ば、ば、ばて、ばち」

「世界樹バティヒエリリッセ。もっとずっとずっと北に行けばちょっとだけ見えるって伝承があるらしいけど、どれくらい遠いんだろう。でも南にも行きたいな。トゥロブンエス大砂漠。砂漠ってどんななんだろうね」

「砂ばっかりだと思うぞ」

「ガンズー行ったことあるの!?」

「いやねえけど」


 話しているうちにテンションが上がってきたのか、トルムは目をキラキラさせながら語った。

 そういえば王都の学者やら共存村にいる外から来た魔族やらに、彼はいつも熱心に色々と聞いていたのだ。

 外の世界に出たいのだろう。きっと彼の旅は終わらない。


 これまでなら、自分もついていきたいと思ったかもしれない。外の世界を見たいのは今もそうだ。

 が――ちらりとノノを見た。


 それはまた、この子が大きくなったときに考えよう。

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