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鉄壁のガンズー、ヤバイ

 どうかお寄りください、というボンドビーの誘いを固辞して、ガンズーは沈みかけた夕日を目指すように街を歩く。


 晩夏のアージ・デッソは心地のいい風が吹く。

 とはいえスエス半島の北部に位置するこの地帯のこと、天気次第ではそろそろ肌寒く感じる日が増えてくるかもしれない。


 良い外套を買っておきたいな、と考えたときに、べろべろになったダブレットの背中を隠すため冒険者協会で小さいマントを借りたことを思い出した。

 借りたものも返さずに誘いを蹴ってしまった。結局、協会にはまた出向かなければなるまい。


 そんなことを思いながら、ガンズーは三頭の蛇亭の扉を開けた。

 夕食の時間だが、店内に客はまばらだ。テーブルに四人組。カウンター席にひとり。

 少なく感じるが、この店は単価が高いからいつもこんなものだ。

 おもな客層は探索冒険者――つまり、遺跡探索で成果を上げられる羽振りのいい腕利きが集まるのだから。


 トルムたちはいない。わかっていて来たのだから当然だが。


 カウンターに座ると、厨房にいた主人と目が合った。にゅうー、とこれ見よがしに片眉を上げる。なんだよなんか文句あんのか。

 主人の娘である若い女給に視界を遮られ、注文は? と聞かれ晩飯を適当に、と答える。

 牛の煮込みがあるよというので、それに何品かつけ足して酒も追加した。エールを注ごうとしたので蒸留酒を頼むと、高い酒なので娘は上機嫌になった。


 お通しのように先に出てきたサーモンと玉ねぎとケッパー漬けの和え物を突っつきながら、そういえば昨日はこの娘を見なかったな、と気づいた。

 いつもの六人ではなく、ひとりだけここに残った俺をどう思っているのだろう。


 ずどん、と目の前に深皿が勢いよく置かれる。主人の親指はかろうじて汁の中に浸っていなかったので、牛の腿肉や尾肉がころころ入った煮物はどうにか美味しくいただけそうだった。


「なるべく急いで戻るから、待ってろってよ」


 ガンズーが驚いて顔を上げると、主人はすでに厨房へ戻るところだった。

 言葉が頭に浸透するのに時間がかかった。

 ぼんやりしたまま煮物に匙を突っこみ、塊をすくって口に入れるが、肉が奇麗にはげ落ちた軟骨だけしか拾えていなかった。ぽりぽり齧る。


 要するに、今のはトルムたちの伝言か。

 彼らは、ガンズーがまたこの宿に顔を見せると思って、主人に伝言を頼んでおいたのだ。


 待ってろ、と。


 当然のように、迎えにくるというのだ。

 彼らに唾を吐いた――というか、なんかもう凄いくだらないカミングアウトをぶちまけた――自分を、見捨てないというのだ。


 ガンズーは蒸留酒をあおった。割らずになみなみ注がれた酒が喉を焼く。


 結局のところ、思い詰めていたのは自分だけだったようだ。

 挫折して逃げて、解決を仲間に押しつけ、そのために仲間たちは動いていて、自分はここで酒を飲んでいる。


 結局のところ、彼らは自分が期待した――甘えた――とおりに動いている。動いてくれている。


 ガンズーは、己の情けなさは極まったところまで来たな、と思った。


 子供たちの顔が頭をよぎる。パウラの、アスターの、ノノの顔が。


 今日もいろいろとあったおかげで少し酔っぱらいたいと思っていたが、やめる。主人の娘には悪いが、蒸留酒はこの一杯で終わりだ。

 ガンズーはいつの間にか置かれていたほうれん草の乗せパイを齧った。なぜかやたらとうまく感じた。





 昨夜に泊まった冒険者宿――山羊のひげ亭、という名前だったらしい――に戻ってぼろぼろのダブレットを着替えてから、ガンズーは再び外に出た。

 手には借りたマントを丸めている。

 遅い時間になってしまったが、冒険者協会はまだ人がいるかもしれない。さっさと用事を済ませてしまおうと考えた。


 南東区画はまだ夜街を求める者でにぎわっていたものの、中央広場の辺りまで来ると人気はあまり無い。すでに灯りを落としている建物もちらほらある。

 流石に遅すぎたか、と思ったが、協会支部に近づいてみると事務所と受付所のどちらもまだ中に人がいるようだった。


 受付所の扉を開く。灯りが残っているのは斡旋受付の辺りだけで、他はもう人がはけていて薄暗い。

 その唯一の受付には、三人の冒険者がいた。どうやら彼らが最後のようだ。

 仕事の完了報告だったのだろうか。彼らは用事を終えると、よろけながらガンズーの立つ出口へ向かってきた。


 なんだかあちこちくたびれて、顔からも生気が抜けている。

 男ふたりに女ひとりの組み合わせだった。それでガンズーは、彼らが朝に見かけた登録したての新人だと分かった。


 ひとりがガンズーをちらりと横目で見て、少しのあいだぼんやりとしていた。

 しかしなにか気にする余裕もなかったのか、仲間に促されるとそのまま受付所を出て行ってしまった。

 大丈夫だろうか。あんなへろへろしていたら今もらったばかりの報酬をかっぱらわれそうだが。


「あら? 鉄壁のガンズー……さん?」


 今まさに残業を終えた受付嬢がこちらに気づいたようで、ガンズーは振り向く。

 やっと帰れるというところだったはずなので、少し申し訳ないなと思いながらガンズーは軽く手をあげた。その手で出口の外を指す。


「新人かい?」

「ええ、そうです。今日はちょっとごたついて――って知ってますよね。最初ですし簡単な仕事を任せたんですが、出発が遅かったのもあってずいぶんと遅くなってしまって……悪いことをしました」

「それでわざわざあんたも残ってたのか?」

「まぁその、心配でしたし……あの、もしかして今日のことでなにかお急ぎでしたか? 支部長はもうお帰りになってしまいましたが、対応できる者をお呼びしましょうか」

「あぁいや、そうじゃねぇんだ。戻ったときに、こいつを借りてよ。明日にしようかと思ったが、まだ誰かいるのがわかったもんでな」


 言って、ガンズーは丸めたマントを受付台に乗せた。

 受付嬢はピンとこないようだったので、ボンドビーに伝えてくれりゃわかる、とつけ加えた。


「こんな時間までご苦労さんとは思うが、大丈夫なのか。どこまで帰るのか知らんけど、危なくねぇか」

「いえ、事務所で申し送りをしたら誰かしらと一緒に出ますので。宿舎も近いですし、これでも元は冒険者ですからね。まぁ、下級止まりでしたけど」


 ほう、とガンズーは思った。

 冒険者協会の職員は元冒険者が多いというが、こんな受付嬢までがそうだとは思わなかった。

 ボンドビーもそのクチだろうしな、などと思いながら、ガンズーはためしに――失礼だなぁと自覚しながら――その受付嬢を力をこめて見てみた。


『 れべる  : 13/50


  ちから  :   12

  たいりょく:   15

  わざ   :   14

  はやさ  :   13

  ちりょく :   27

  せいしん :   21 』


 知力が負けた……


 これでもあの遺跡の装置を通るだけなら通れるのだろうな、とガンズーは少し気が遠くなりそうだったが、数値的にはミークも負けてるのでセーフ、と謎の納得をする。


 おそらく元は魔術師のたぐいだったろう受付嬢が、仕事の後始末をしながらふと顔を上げる。


「ガンズーさんは……今日、ケガなんかは?」

「いや、俺はべつにな。着てた服がちっと破れたくらいだ」

「そうですか……」

「……ヴィスクたちは、どうなったか聞いてるかい?」

「『イースファラ』の三人は皆さん無事です。エウレーナさんもなんとか一命を取り留めました。ヴィスクさんの腕も経過次第ですが、元に戻るだろうと。シウィーさんも入院で済みそうです」

「そうか。そりゃあ良かった」

「……コーデッサさんから、『雪の篝火』の登録抹消申請がありました」

「……そうか」


 山道で死んだ冒険者たちのことを思う。


 冒険者なんてものは、危険しかないような生業だ。

 危険な任務を負い、危険な場所へ乗り込み、危険な生物と対峙し、時によりその対価にすら危険が隠れる。

 死ぬのが仕事なんてことは言わないが、きっと死ぬ確率は兵隊や漁師や奴隷よりもはるかに高いんだろうとガンズーは思っている。


 先ほどの新人たちが受け取った今日の報酬は、きっと今晩の宿代にもならなかったはずだ。

 結局のところ、冒険者稼業で身を立てよう、金を稼ごうと思うなら、もっと危険でもっと困難な仕事に飛びこまなければならない。


 それができなければ、この受付嬢のように他の仕事につくか、ただ酒場でくだを巻くだけのチンピラにでもなるか、山賊か盗賊かそういうたぐいの犯罪者にでもなるか、あるいは――死ぬか。


 だが、とガンズーは思う。

 無くなってしまった『雪の篝火』という冒険者たちのことを思う。


 彼らが命を賭してまでパウラの父親に付き合ったのは、


「連中のおかげで、子供を助けられた」

「……はい」


 冒険者なんて酔狂な生業(なりわい)を、最後まで――最期までやりたがる人間とは、金もほしい名誉もほしい賞賛もほしい、強くなりたい脅威をねじ伏せたい未踏の地に立ちたい、欲深いものなのだ。


 褒めてもらいたいのだ。感謝されたいのだ。

 誰かの助けになりたいのだ。

 ガンズーはそう思っている。


「……おっと。すまねぇ、せっかく仕事あがったってのに話しこんじまった」

「いえ、かまいません。支部長も細かいことを伝えられなかったと言っていましたし。報酬のことだとか、気にしておられましたから」

「べつに仕事うけたわけじゃねぇからいいんだがな……まぁ、近いうちにまた顔を見せるって伝えてくれや」

「はい。かしこまりました」


 これで切り、というつもりで出口に向かおうとするガンズーだったが、ひとつだけ気になったので聞いてみる。


「あいつらの――あー、子供のよ、身元はあんたらが調べんのかい? パウラってのは親父がいたからすぐわかるだろうが、あとのふたりはよその国から連れてこられたかもしんねぇよな」

「その打ち合わせもしていたようです。子供たちが自分のいた地域の名をはっきり知っていればいいですけど……私は細かいことを知らされていませんが、協会の情報網を使うことになるかと。国をまたぐのであれば、なおさら私たちが適任でしょうし」


 彼女は「あ、でも」と指を顎に当てて考えるような素振りをした。


「ひとりはすぐにわかるかもしれません」

「あ? なんでだ?」

「この街にもあったんですよ。虹瞳の子供がいるって噂。ある冒険者のところに産まれたって噂だったんですけど、誰も見たことなかったので隠されてるんじゃないかなんて言われてたんです」

「なんだよ、だったら教会なんか連れてかないで、すぐそいつんとこに確認に行きゃあよかったのか」

「いえ、そうとも。被害の届けだとかも聞きませんし……親が意図的に手放したということも考えられますから」

「ああ、まぁ、そういうこともあるか……」


 ガンズーは少し暗澹とした気分になった。

 アスターやノノが捨てられたとはあまり考えたくない。命懸けでパウラを助けに向かったその父親の姿を見たから、余計にそう思った。


「だから支部長もいったん、避難させようと考えたのではないでしょうか。どちらにせよ、明日にはわかることと思いますが」

「そうかい。いや、ややこしい話が絡みそうなら、俺なんかの出番はねぇからな。よろしく頼むぜ」

「そんなこと! 今日のことは、ガンズーさんのおかげですよ」

「どうかね……まぁ、ありがとよ。そんじゃあ、邪魔したな」


 肩越しに手を振って協会を出る。

 辺りはいよいよ建物の灯りも消え始め、月光が存在感を増していた。ずいぶんと遅くなってしまった。あの受付嬢には悪いことをしたと思う。


 ぶらぶらと中央広場にまでやって来ると、もはや通る人もおらず、噴水はとっくに弁が閉められ止まっている。

 泉は静かに月を映していた。


 トルムたちは今ごろ、遺跡の手前あたりで野営に入ったくらいかな。ガンズーは思った。

 まがりなりにも彼らは王国で最強の集団だ。もしかしたらスエス半島の全てを見ても、カルドゥメクトリ山脈の向こうを見ても、そうであるかもしれない。


 万が一のことなどそうそう無いと思う。

 しかし、なにが起こるか分からないのが冒険だ。未踏の遺跡に挑むというのだからなおそうだろう。


 なにより、彼らには今、自分がついていない。

 腰に吊った予備の剣をさする。本当ならそこに愛用の斧があるはずの背中がやたらすかすかとする。

 なんにせよ、今は自分にできることをするしかないのだが。

 明日からでも動き出して、せめて彼らに恥じないようにしなければならない、と思ってはいるのだが。


 待つしかないというのは辛いな、とガンズーは水面の月に呟いた。


 ふと、足音に気づく。


 誰かがこちらへ走ってくる。

 こんな時間にジョギングする馬鹿なんているまい、と周囲を見回してみる。どうも北側から聞こえるものだったらしい。


 影になった路地から月明かりの下へ現れた者は、修道女の姿をしていた。


 教会の修道女というものは大抵、頭をウィンプルで覆って同じような姿をしているので、ガンズーは見分けがつけられないなんて思っていたが、彼女に関してはつい先ほど会ったばかりだったので誰かわかった。

 フロリカという若い修道女だ。子供たちを引き受けた修道院の。


「おいあんた、どうした?」


 思わず声をかける。

 フロリカは息を荒げ、被りの中からは亜麻色の髪が――案外、髪は長くしているものなんだな――数房とび出していた。尋常の様子ではない。

 彼女はガンズーを見つけると、一瞬、ひどく怯えたような目をしてから、すがるような顔になった。


「ガンズー様……」

「なんだ? なにがあった?」


 おぼつかない呼吸に、喉からの音が言葉になってくれないようだ。活を入れるように肩を掴む。

 フロリカは今にも泣きだしてしまいそうだ。


「の――ノノちゃんが、いなくなってしまって」


 やはり斧を持ち歩くべきだったろうか。

 ガンズーの背中は、血を抜き取られたように冷たくなった。

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