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ダニエの長い長い一日 その5

 半魔(オーク)の腕力は、ダニエが体験したとおり非常に高い。振るわれる剣は首を断つどころか頭蓋を裂くだろう。

 だというのに、青い革鎧の男はその斬撃を撫でるようにいなす、逸らす、弾く。

 長い髪の毛先さえ触れさせない。


「アー……あァー……」


 焦れたような声を上げてエクセンは姿をかすませた。再び金属音だけがそこに残る。傍からでも、目だけでは追いきれない。


「んお、なんだこれ」


 からんからんと辺りに響く金属音に、男は少しだけ意表を突かれたようだった。ダニエもまた集中してみるが、今度は居場所が知れない。

 うーん、と彼は悩む素振りをした。


 急襲は頭上からだった。それも、こちらに。

 降ってきた剣先が脳天に突き刺さる、と思った瞬間には、革鎧の男によって引き寄せられていた。そうしながら、彼は地面に叩きつけられた剣を踏んでいる。

 くるりと一回転するようにしてから離された。と同時に、二刀が跳ねる。


「もうちょっと上手だったんだろうに、もったいねー」


 キン、とこれまでのものよりひと際高い金属の叩かれる音。エクセンの剣が折れた。

 それから腕、肩、胴、胸へと瞬く間に斬撃。しかしそれでも半魔(オーク)は倒れなかった。もがくようにどこかへ手を伸ばす。


「あァー……ごめ、ン……」

「そうか。悪いな」


 最後に、二刀が喉元へと交差した。

 飛んでいく見知った首がこちらを見ていたと思うのは気のせいだ。そのはずだ。

 ただ、ダニエにはなぜか彼の口がどう動いたのかわかった。


 母ちゃん、と言っていた。






半魔(オーク)ってさ、時々魔族でも無理なんじゃないかって身体になったりするんだよ。そこからでも動くかもしんないぞ」


 革鎧の男がのんびりと言う言葉が、どこか遠く聞こえる。

 ダニエは転がる首を見下ろしていた。もはや顔の半分以上が黒い靄に包まれている。

 ほうっておけば数刻もせず、エクセンという存在は瘴気の煙として消える。


 嫌いだった男である。殺されかけた相手である。そしてどうやら、いなくなった女性たちを襲って食っていた化け物だ。

 単なる同郷、情は無い。むしろ死んでせいせいすると言ってやったっていい。


 でも、こんな死に方をしなければならない人だったか、と思う。

 墓さえ作れないかもしれない。ヨナおばさんに伝えなきゃならないだろうか。そのときはまた、泣くんだろうか。

 そんなことを思った。


「あ」


 いつの間にか近くへ来ていたデイティスが小さく声を上げた。エクセンの胴体へしゃがみこむ。

 くくりつけられていた手首は、魔術に焼かれ焦げているが原型は保っていた。男がそれを覗きこみ、「非常食かねぇ」などと言っている。


 そのうちのひとつになにか引っかかっていた。

 腕飾りのようだ。黒ずんでいたが、形はわかる。

 弟は歯を食いしばり、目を細めた。


「あの、今さらなんすけど、あんたたしか――」

「お? 俺か?」


 そこでようやくドートンが男に話しかけた。

 唐突な闖入者ではあったが、彼が来てくれなければみんな死んでいた。感謝のしようもない。

 特徴的なその鎧などの風体をどこかで聞いたこともあった気がしたが、ダニエには思い出しきれなかった。


「えーと、せ、せ――性豪のヴィスク」

「ぶん殴るぞこのガキャ。青鱗だ、せ、い、り、ん」

「あぁ、それそれ。んで、その特級冒険者さんがなんでこんなとこに」


 腰に手を当てて鎧を見せつけながら胸を張っていた性欲旺盛らしい男が、どこかバツが悪そうに遠くを眺める。


「そりゃお前、あれだよ。こんなとこにやたら濃い瘴気が湧いたんだ、俺くらいになりゃ近くにいればわかるって。ていうかそこそこ騒いだし、俺以外にも集まってきてんじゃねーか」

「なんで近くに」

「……ちょうど仕事から帰ってきたとこだったし、軽ーく息抜き?」

「あんた嫁さんふたりも連れてるとか有名じゃなかったっすか」

「お前ほれ、そんなの、わかるだろ男だったら。毎日毎日パンと肉じゃ飽きるってもんじゃん。魚や草食いたい気分になることもあるだろ」


 本当に性欲旺盛だったようだ。腰に巻いたドートンの上着をきつめに縛り直す。

 なぜかこちらに言い訳を並べていた彼は、ひとつ指を鳴らして無理やり話を打ち切った。「おっと、忘れねーうちに」とか言いながら。

 蹲ったままのデイティスの隣に並ぶ。つまり、エクセンの遺体の横に。

 なにやら自分の懐を漁りながら、隣を覗きこんだ。弟が手に取った腕飾りを。


「被害者の持ちモンか?」

「はい……探してくれ、って言われてて」

「ふうん。依頼?」

「依頼のうちですけど、これは……なんていうか」

「ああ、個人的に頼まれたのな。んじゃちゃんと届けてやれよ。協会に任せねーでさ、自分で。そのほうがいい」

「……そのつもりです」

「そっか。ならいいぜ。まーこの仕事やってるとなー、こういうのもちょいちょいあるからなー。文句言われたり泣かれたり色々なー。でもま」


 核石やら珍しいガラスの瓶やらを取り出しながら、ヴィスクとかいった特級冒険者が続ける。


「頼まれたんだし、最後まで付き合ってやったほうがいいよな。多分な」


 その言葉に、弟はなにも答えなかった。抱きしめてあげたい。


 ヴィスクはなかば崩れかけた遺体の腕をとると、剣を少しだけ抜いてその指先に切り傷を作った。わずかに滲んだ血を核石に擦りつける。それを瓶の中に放りこんだ。

 さすがに気になったので聞いてみる。


「なにしてるんですか?」

「ん? まあちょっとよ。こんな街ん中で半魔(オーク)なんてそうそうあるこっちゃねーし、二回も続きゃなぁ……いやほんと、運がいいんだかなんなんだか。旦那のご加護かねぇ……」

「?」


 独り言へと変わっていった彼の言葉はどうにも意味が知れなかった。詳しく教えてはくれない――教えられてもきっと困るだけだが――ようだ。

 やおら立ち上がると彼はデイティスに、


「ほれ、瘴化進んできたし、あんま近くにいると体に悪いぞ。ていうかお前ら、よく見りゃしょっちゅうそのへん走ってる奴らじゃん。あれだろ、旦那の弟子だかなんだかなんだろ? ガンズーの旦那の」


 そう言ってから、こちらの顔を見回してきた。

 隠すようなことも無いので、素直に頷く。


「バリバリの新人じゃねーか。ツイてなかったなーこんなのにぶち当たっちまってさ。協会には報告ついでに、ちゃんと危険度の査定しろって文句言っとけよ」


 報告。そうだ、仕事の報告をしなければならないのだ。

 なにをどう話せばいいのか、ダニエには見当もつかなかった。





 言われたとおり、合祀教会の前にはこんな時間だというのに何人かの見物人が集まってきていた。ほとんどが冒険者だ。それに連れられた娼婦らしき者もいる。

 ヴィスクが彼らを散らしてくれたおかげで、ダニエたちは無用な詮索をされずに済んだ。その上、協会の職員なり衛兵なりが来るまではこの場を押さえていてくれるという。瘴気がまだそこにあるからだ。

 代わりに、彼は音も無く寄ってきた騎士らしき女と術師らしき女のふたりの前で正座することになった。あれが奥さんだろうか。


 さすがに会えないかと思っていたが、はたして修道士は起きていた。真っ先に伝えに来いと言っていたわけだし、実はかなり気をもんでいたのかもしれない。番兵にもしっかり話は通っていた。

 冒険者としては、先に協会へ報告するべきなのだが、これを無視するには忍びない。話がこじれて恨まれても困る。

 さてどう報告したものかと悩んでいれば、彼はドートンの怪我を手早く応急処置してくれた。なんだかんだ、七曜教の人間はそういうことには労を惜しまない。お返しにと、ありのままお伝えする。

 あなたの管理地の中に半魔(オーク)がいました。そう聞かされた修道士は鼻で笑い飛ばした。事実だと念押しすると、一瞬だけ気を失った。

 合祀教会へ向かうつもりか走っていってしまったのでそれからは知らない。協会に報告していいか聞くと、勝手にしろと遠くから返ってきた。


 幸い、協会支部は受付所を閉じてはいたものの、事務所棟に灯りが残っており、少なくない人員が残業をしていた。最近ひどく忙しいというのは本当のようだ。

 対応してくれた職員に苦労してひととおりの説明を終えると、迷惑そうだった顔は青く変わった。

 なにも言わずその場を離れ、なにも言わず奥へ入っていき、何人かを引き連れて戻ってきた。静かに、明日もう一回来て、と言われた。それきり出ていく。


 仕方ないので宿へ戻った。夜も遅い。

 実際のところ、自分たちは当事者ではあるが通りすがりでもある。現場の保全やら事後処理やら色々あるのだろうが、今これ以上できることは無いのだ。明日来いと言うなら、言われるままにしたほうがいい。

 当の半魔(オーク)とは顔見知りである、というのは――黙っておこう。三人でそう決めた。


 久しぶりに、故郷の夢を見た。


 朝、再び協会へ向かうと、奥へ通される。

 わざわざ応接室を用意されてしまい、無駄に緊張してしまった。もしかしてなにか処罰でもされるのだろうか。口封じだろうか。そんなことまで考えた。

 出てきたのは、たまに受付の奥のほうであれこれ指示を出している男。おそらく偉い人なのだろうが、役職などは知らない。


 初手から謝罪をされた。依頼に対して危険性の推測ができていなかったこと、実績にそぐわない仕事を出してしまったこと、即時の対応をできなかったことなど、あれこれと。

 協会から冒険者に対してそんなふうに謝るなど聞いたことが無い。助言や警告はあれど、一度依頼を請けたならその先でなにが起ころうと冒険者自身の責任だ。


 ひととおりの謝罪が終わると、その上で今回の件はけして他言しないように、と続いた。そういうことか。

 なぜかを聞くと、どうしても、としか答えない。更には言ってもいないのに、報酬を上乗せするときた。更に更に、中級への昇級も考慮する、と。

 言えないということは、もしかしたらなにか別の大きな事件に関わっているのだろうか。


 ダニエたちとしては文句など無い。あまり身の丈に合わない事情に、これ以上の深入りなどごめんだ。

 報酬はせっかくなので言うままにしてもらったが、昇級は断った。半魔(オーク)と戦って生き残ったということで勘違いしているのだ。どう考えても早すぎる。中級のノルマなど持て余すだけだ。

 職員は、心底ほっとしたような顔をしていた。





「ああ、そうかい」


 大工はそれだけ言って背を向けた。横で同じく報告を聞き、痛恨の顔を浮かべていた若い男がその後を追う。


 協会職員によれば、合祀教会の地下にある下水の廃道からは、やはり四人の痕跡が見つかったという。服の切れ端など、身につけていたものが転がっていたというだけだが。

 念のため修道院に向かってみれば、大工にはまだ話が伝わっていなかった。申し訳ない気持ちになりながら、娘は死んで見つかったとだけ話す。その兄にも同じように説明する。

 詳しいことは協会に訪ねてくれ。そう言った。詳しいことを話せないので、文句のひとつも言われるかと思ったが、返ってきた返事は短かった。


 やっぱりなんとも感じていなかったのだろうか。そんなふうに思っていると、遠くでふたりは立ち止った。どうやら言い争いをしている。兄のほうの声だけがかすかに聞こえるが、なにを言っているかはわからない。

 あまり見ているべきものではない気がする。こちらも立ち去ったほうがいいかもしれない。そう考えていると、兄だけが戻ってきた。


 悲愴な顔を彼はしている。悲しみがある。怒りもある。

 けれど、なんとなく――例えば、家族への遺恨が残ったような表情ではない。

 彼は深く頭を下げると、また父親の後を追い走っていった。


 ふたりがなにを話したのかは知らないし、自分たちが知るようなことでもない。


 ただ、ディナのことを思った。昔に亡くなった妹を思った。自分もドートンも兄も、デイティスだってその存在を覚えている。

 そして、父も母も、彼女のことを覚えている。きっとずっと覚えている。





 黒ずんだ腕飾りを受け取った男は、表情を変えなかった。変えぬまま、長く――長く息を吐く。


「ありがとう」


 小さく、それだけ言った。身を返して、彼は酒場の中へ戻ろうとする。


「あのっ」


 その背にデイティスが声をかけた。しかし、そこから続かない。彼が振り向いても口は動かない。きっとなにを言うかなど決めていなかったのだ。

 しばらく悩んで、弟は消え入るような声で言う。


「ごめんなさい……」


 その姿を、彼はやはり表情を動かさず眺めていた。長い沈黙が流れる。

 本当は、こちらが謝らねばならないようなことなどない。なのになぜか、ダニエもドートンも弟を止められなかった。


 酒場の裏口を開けながら、男は最後に言った。


「あんたらのせいじゃないよ」


 閉じられた扉を眺めながら、デイティスが呟く。


「……強くなりたいな」


 勇者に憧れ、冒険者に憧れ、晴れてその夢を叶えた彼は、しかしまだ夢の途上。


「もっと強かったら、エクセンさんも助けられたかなって考えちゃうよ」


 きっと弟は苦しむ人々の誰も彼もを救うような人間を思い浮かべていて、そうであれと信じている。

 もしそれを勇者トルムが聞いたらなんと答えるのだろう。この街にいる彼に、確かめてみる勇気は無い。


 ダニエは、弟の肩を抱きしめてやることしかできなかった。


「前にお師さんが言ってたんだけどよ」


 ぼんやりと空を眺めながらドートンが言う。


「冒険者って、こう、色んなとこ行けて、色んな人に会えて、まぁ、うまくやりゃ金も作れるんだけど」


 あちらこちらに視線を移しながら語るので、きっと思い出しながら喋っている。ダニエが聞いた記憶は無いので、どこかで世間話でもあったのだろう。


「やっぱ、死んだり死なせたりってのも多いんだよな。てめぇが死んじまったりで危険だ、とかって意味じゃなくてさ――」


 がりがりと彼は頭を掻く。記憶にある言葉と、自分の言いたいことがうまく繋がらないのかもしれない。


「誰かがヤベェことになってたり、どうしようもないってことも多くて……しんどいことも多いって。慣れるけど、あんま慣れるのも嫌だよなぁって……言ってた。あんまりよくわかってなかったな、俺たち」

「うん」


 下を向いたまま、デイティスが答える。


「慣れないと思う。慣れたくないな」


 ダニエは――なにも言えなかった。

 弟の髪に唇をつけたまま、強く目を閉じる。優しすぎる彼の言葉に、どうか優しい未来がありますようにと願った。


 強くなりたい。自分はそんなことは思わない。

 ただ生きていたい。家族と共に生きていければいい。お金が少しと暮らせる場所があって、贅沢を言えば弟の望みが多少でも叶えばと思うだけだ。


 でも多分、皆がそうだ。皆が似たようなことを心に抱えている。

 きっとエクセンだって同じだった。望む生き方がしたいだけだった。

 強ければそうできたか。違う。強いものが皆すべて望むように生きられるわけではない。


 強くなりたいとは思わない。

 (したた)かになりたい。望みが叶わなくたって生きていけるような(したた)かさがほしい。


 なるほど、自分はそのためにここに来たのか。弟と、あとまあ、ついでにドートンと、それから何人かの人たちと。

 彼らの望みが叶わなかったとしても、そこに寄り添えるように。


 ダニエは(したた)かでありたい。

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