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ダニエの長い長い一日 その3

 合祀(ごうし)教会は現在、人は常駐していない。

 七曜教会が管理しているということだが、ひと月に一度、係の者が掃除に訪れるくらいでほとんど放置されている。入口が施錠されているので境内にも普段は入れない。まあ、入ろうと思えばいくらでも手段はあるが。


 かなり遅めの昼飯代わりに黒パンをごりごり齧りながら合祀教会を囲む柵の周りをぐるりと歩く。当然だが、なにか手がかりがあっさり落ちている、というようなことはなかった。

 入口は門――というほどしっかりしたものではない。柵に途切れたところがあって、開くようになっているというだけだ。寸法の狂った鉄網とでも言おうか、いちおうは鉄製の門だし、ついでに錠もかかっているので、頑丈ではある。

 乗り越えられるかと問われれば、できる。おそらく割と楽に。しかし黙って入ってなにもなければ、バレれば怒られるだけの無駄骨だ。


「教会……行ってみる? 試しに」


 錠をがしゃがしゃやって開かないことを確認したドートンに、あまり気乗りしない気分のままダニエは言った。

 すいませーん、調査やってるんで立ち入り禁止の管理場所に入らせてください。

 間違いなく追い返される。こういうとき、実績の無い冒険者は辛い。これが鉄壁のガンズーや特級冒険者あたりなら、ふたつ返事で許可が出る。


 真っ当に入ろうと思えば、冒険者協会に渡りをつけてもらう申請をして、もしかしたらあいだに領主を挟んで、それから教会の返事を待って……いつになるかわかったものではない。

 しかも今はどうも冒険者協会や領主側と七曜教会の折り合いが悪いという噂も聞いている。下手に話を持っていくとそこで頓挫する可能性もある。


 急ぐ話ではないとはいえ、あまりこの仕事にかかりきりになるのも考えものだ。なにより、なるべく早く解決してやりたい気持ちも今はある。

 が、決まりには勝てない。


「なんて言うんだよ」

「そりゃま……そのまま?」

「聞いてもらえるかなぁ」


 不安はきっと的中する。それでも使えるものは足しかない。





 そもそも中央教会の中に入るのにも苦労した。

 まず番兵がいまいち話を聞いてくれない。これこれこういう調査の依頼を請けていて、というあたりですでに面倒くさそうにしていた。

 いっそ魔療師にかかりに来たとか術性定着薬(ポーション)を買いに来たとか適当な理由をつけて入りこむ手段もあったが、残念ながら我らはいまだ初級冒険者。識別票を見せろと言われたら終わる。


 どうにか合祀教会の管理担当者の居所を聞きだせたが、その担当もなんだか融通の利かなそうな若い修道士で、やっぱりすげなくされた。

 ただ、もしかしたら自分の担当地に怪しい気配がある、ということは気になったようで、話自体は聞いてくれたが、案の定こちらが立ち入ることは許してもらえない。

 もうすぐ今月の掃除に入るから、そのときに確認すると言われた。それはいつだと聞くと十日ほど先だった。ぜんぜんもうすぐじゃないじゃん、と喉の手前まで出かかった。


 じゃあそのとき一緒に同行させてもらえるか、とドートンが聞くと、とても迷惑そうな顔をされる。難しそうだ。

 ヤバイものが見つかって責任を問われてしまえ、と思い始めたころ、横で聞いていたらしい老修道女がそろりと近づいてきた。


「合祀教会といえば、そろそろ境内の紅葉が美しいころですね」

「は? ……あ、こ、これは院長様。お聞きでしたか」

「少々用事で立ち寄りましたが、耳に入りましたもので」

「いえいえ、お気になさるようなものでは。この冒険者たちがなにやら益体もない話をしているだけで」

「そうでございますか。そういえば貴方は以前にも三か月ほどあそこを放置して叱られていましたね。昔からどうしてもサボり癖が治りません」

「い、院長様、そんな話は今……」

「なかなか難しそうなお仕事を任されているようで」


 急にその笑顔――なんか怖い――をこちらに向けてきたので、双子揃って少しばかり固まってしまう。

 デイティスだけは元気よく答えた。


「心配してる人がいるんです。早く解決してあげたくて」

「左様ですか。お優しいのですね」


 老修道女は狼狽する修道士に向き直り、


「軽々に案内するのも難しいことはわかります。ですが、あなたで答えられる裁量もあるのではないですか?」

「しかし、ですね……」

「冒険者という方々は、信を持ってあたれば信を持って返していただけますよ」


 それだけ言って、老女はしずしずと去っていった。服装は周りにいる者とそれほど変わらないが、おそらく偉い人だったのだろう。

 なにやら威圧されてしまった修道士はしばらく頭を抱えていたが、意を決したように顔を上げる。


「鍵は貸せんし予定も変えられない。が……どうせ私以外はろくに気にしていない場所だ。誰か入ってもわからん。見つからない限りはな」


 ……ということは。


「くれぐれも、中を荒らしたりしないように。それから、もしなにかあったら誰よりも早く私に知らせるんだ」


 せっかくなので右手を胸、左手を額に当てた。手の形が違うと修正されたが、修道士も同じ姿をとった。





 南東区画に戻るころにはすっかり日が沈み、暗くなってしまったので逆に辺りは明るい。つまり、夜街の活気づく時間だ。

 こうなってしまうと、たとえ区画の端とはいえ合祀教会に入りこむのを誰かに見咎められる恐れもある。

 一度、宿に戻って時間をあけることにした。日付変わりの鐘を待つ。


 どこぞから尻に伸びてくる手をぶっ叩きながら歩く。ダニエは少し複雑な気分になった。

 人が消えようとも街はなんら変わりが無い。夜街だけではない。アージ・デッソという街自体に変化が無い。街の変化は、もっと大きな流れの中で起こる。自分の手が届くような場所では起こらない。


 そんなもんだけどね、と思うのは簡単だが、どうも胸の中にもやもやしたものが残る。私たちも同じだろうか。私たちが出ていって、ベンメ村はなにか変わっただろうか。

 例えば今、ダニエという人間が消えたら街になにか違いは出るだろうか。ドートンならどうだ。デイティスは――考えない。考えるだけで発狂しかねない。


 ベッドに倒れこんで少し頭を休めようとするが、どうにも妙なところへ頭の中を持っていかれる。あまりよくない思考をしている。

 眠くはないし、寝入ってもいけないのだが、できれば寝て忘れてしまいたい気分だった。


 母だけではなく、父にも兄にもちゃんとそれぞれに手紙を書いてもよかった。そんなことを思った。





 日付が過ぎてもすんなり寝屋に引っこむような人間ばかりではない。皆それぞれ明日も仕事があるだろうに。

 夜街を抜けるにはまだ人の目も多かったので、少し遠回りして南東区画をぐるりと迂回した。どうしても女連れの酔っ払いなんかとすれ違ったりしたが、咎められないならもう構わない。


 それでも、人に出くわすのは最小限だったと思う。なんとなくマナの知覚というものがどういう代物かわかってきた。

 要するにこれは、魔導であり技術だ。すなわち魔術の延長線上、あるいはその手前に位置するもの。

 目を瞑って手を伸ばす。三本目の手が長く長く伸びる。そういうイメージ――でいいのだろうか。自信はない――なのだろう。あるいは肌そのものがずっと広がるような。壁の向こうに指先だけが飛ぶような。


 ふと、これは感付かれる相手には容易くわかってしまうのではと気付いた。それはそうだ。冒険者あたりはそれくらいできるだろう。こんな付け焼き刃の技術で誤魔化せるわけはない。

 これまでにも看破されていたのだろうか。お、駆け出しの斥候か? 便所の中は覗くなよ。そんなふうに思われていたかもしれないのだ。

 しまった、そういう対策については聞いていない。どうすればいいんだろう。ガンズーは練習しろとしか言わなかった。そういう肝心なところが適当なのだ。


 とりあえず、部屋の中や壁の向こうをむやみに探らなければ大丈夫だろう。きっとうまくやる方法はある。難しそうだが。


 そうして可能な限り静かに合祀教会まで辿り着いたダニエたちは、やはりできるだけ静かに侵入を試みる。

 周囲に人は――わかる範囲で――いない。近くのアパートメントから覗いているような者もいない。多分きっと。自信は無い。無いが、大丈夫と思いしかない。


 門はかなり緩く揺れるので、そちらからではどう乗り越えようとも盛大な音を立ててしまう。最もしっかり設えられた柵の支柱を探して、そこをよじ登った。それなりに静かだったはず。


 合祀教会の敷地は――周囲を歩いてわかってはいたが――想像よりも広かった。

 ただ、植林なのか自然のものか、緑が多いので視界は狭く感じる。紅葉がどうのと言っていたが夜なのでわからない。落ち葉が多いというだけだ。

 これなら、中に入ってしまえば外から見咎められることは無さそうだ。物音もあまり漏れないかも。


 そう考えて、なにかが隠れるならおあつらえ向きであると思い至った。

 いやいや、さすがにそれは。そんな簡単に行き当たるなんてことはあるまい。頭を振ってみるが、このロケーションにどんどん嫌な予感が強まる。


 境内の景色を眺めてぱかんと口を開けている男ふたりに、警戒するよう伝える。特段、人の気配は無い。しかし気をつけるに越したことはないだろう。

 カンテラに火を灯し、念のため覆いを被せた。遠目に見られないよう、最低限の光量にする。


 奥に、これまた外から見るより大きく感じる社があった。異国風の拵えだが、取ってつけたような丁字架(ていじか)や彩色されたガラスなどところどころに七曜教の気配が混じっている。

 もし隠れるなら――やっぱり、あの中?


 ドートンがひとつ頷き、社の戸に手をかける。外開きだったらしいそれが、どこかに錆か歪みでもあるような重い音を立ててひらいた。


 はたして、中はがらんどうだった。最低限の集会ができるような椅子や長机なんかはそのまま、あまり近隣で見かけない像などもいくつか置いてあるが、それだけである。

 奥には物置があるくらいで、他に部屋も無い。やはり、何者かがいたような痕跡は無かった。


 拍子抜けした気分で外に出る。結局、この場所は外れだったのだろうか。

 ふと見ると、デイティスが社の横手に回ってなにかを見ていた。どうやら足元。

 近寄ってカンテラで照らしてみる。壁の際に、なにやら鉄板が敷かれていた。敷かれて、というより設えられていた。扉のようにも見える。


「下水の降り口じゃねぇの? こんなとこにも繋がってんだな」


 同じく寄ってきたドートンがそう言った。なるほど、似たようなものが街の中にいくつかあった。まだこの教会が使われていたころの名残りだろうか。


「姉ちゃん」


 足元を見るデイティスが小さく呼ぶ。彼の視線は扉まで届いていなかった。もっと手前の足元へ向いている。


 カンテラの覆いをわずかに上げた。弟の足元を照らす。

 なにも見当たらないと一見では思った。砂利の上に伸びた短い雑草が絨毯のようになっている。倒れて千切れて――倒れて? 誰か踏んだ?

 それと、汚れている。点々と、黒くくすんで――


「……血か?」


 しゃがみ込んだドートンが言った。

 間違いない。血が落ちた跡だ。


 三人で顔を見合わせた。途端に辺りは静かになって、自分の心臓の音だけ――あれ、こんなに早かったっけ私の心臓――が聞こえる。

 血の跡は、下水道口に続いている。


「……ダニエ」

「少なくとも、近くにはいない……と、思う」


 鉄扉の向こうにも気配は無い。嫌だが、奥へ奥へと探ってみる。

 中の様子がわからないのでどうにも曖昧だが、人間かあるいは獣のたぐいでも、そこにいれば手応えくらいはあるはず。


 ドートンが一歩前に出ながら、腰の短剣を抜いた。合わせて自分もデイティスも同様にする。一か月のあいだに少しずつ装備も揃えてはきたが、武器らしい武器はアージ・デッソに来たころ用意したこれだけだ。


 彼の手が扉の取っ手にかかった。呼吸が震えそうになるのをどうにかして抑えようと努める。

 緊張しいの自分が嫌になる。兄弟ふたりはなぜそうも平気そうなのだろう。デイティスは昔から肝が太かった。やたらに天才だなどと言っていたわけではない。彼の真価はその心根だと思う。

 ならドートンは。度胸も無く自信も無くしがちだった彼は、しかし土壇場では妙に冷静に動く。おかげで死地からも生還した。鉄壁のガンズーという自信の源を手に入れたことも影響しているだろう。


 自分には芯が無い。今もこういう場に恐怖を感じる。


 扉がひらいた。どうかなにも出てきませんようにと願った。出てくるとしても、こう、あんまり怖くないものでありますように。


 真っ暗な穴の中から、冷たい風がひとつ吹く。それ以外に、なにかが飛び出してくるようなことはない。

 ぎし、と小さい音。ドートンが扉の鉄板を離しただけだった。ああもう、ビクついている。


「……やっぱ、なにもいないか?」

「う、うん。下にもぜんぜん――」


 穴の中へ緩く流れるようなマナの波。見えぬ腕で手繰るように掴む。

 ぞろり、とその手を逆に掴まれたような感覚。


 ――かしゃん


 ダニエは飛び退った。跳んでから、ふたりに下がれと言うべきだったと、寒気を感じながら後悔した。


 横から降り口を覗きこんでいたドートンが吹っ飛んだ。

 下がったダニエを追い抜いて後ろへ転がっていく。

 飛び出してきたなにかにデイティスが短剣を振る。

 金属音。小さく火花。

 ダニエは動けない。

 胴か肩かを殴られた弟が視界の隅へ転がる。

 なにかがこちらを向いた。


「――あれェ」


 かつん、からからん、と金属片を打ち合わせるような音。

 なにかは人間の姿をしていた。そして、届いてくる声も――なんだかずいぶんザラついているが――知っているもの。


「ダニエちゃんダぁ……ひサしぶりだネ」


 目から口から漏れる靄を夜闇の中に溶かしながら、エクセンの姿をしたなにかはそう言った。

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