ダニエの長い長い一日 その2
数日前、夜街の近くに住む娼婦がひとり、唐突に姿を消した。
珍しい話ではない。男と街を出奔する娼婦などいくらでもいるし、借金取りから逃げるため街を抜け出る女もいる。特に理由は無いが蒸発する者もいる。そもそも娼婦といっても、それ用の店に在籍しているでもなければ所在は知れない。
とはいえ、その娼婦は老舗の信用ある店に雇われていた評判のいい女性だったのだという。怪しい噂も聞かないし、特定の男といえばその店の用心棒だというのだから、姿をくらます気配など無かった。
彼女たちは仕事の都合上、なんらかの諍いに遭遇して命を落とす者も多い。あるいは、諍いなど無くとも。
というわけで、なにか事件にでも巻きこまれたかと思われた。だがそうだとしても、死体すら出てこない。よく娼婦や浮浪者の遺体が出てくるアージェ川の堰の底や下水道の隅、ゴミ処理場の山の中にもいない。
怪しい場所の全てが調べられたわけでもない。街を離れて森にでも捨てられればそれこそわからない。だいたいからして死んだとも決まっていない。
まあ、よくある話なのだ。なんとなく逃げ出したという可能性だってある。そのうちひょっこり戻って、名前や店が変わっているかもしれない。そんなふうに思われた。
次に消えたのも娼婦。こちらは個人でやっていた者だったのでなおさら誰も騒がなかった。同居していたという男が衛兵に数日拘束されただけだ。
成金通りに住む高利貸しの妻が消えた。これも大量の恨みを買っていたため、おおかた逆恨みに停滞者の誰ぞにでもかどわかされたのだろうと、あまり捜査は進まなかった。
北東区画に住む、大工の娘が消えたことで、ようやく辺りも警戒心を強めた。
街にいる警吏のたぐいは南東区画を軽視する傾向にある。というより、力を入れても仕方がないと思っている。付き合っていられないのだ。小さな小競り合い程度なら毎晩のように起きている。
だが、いよいよ行方不明者が増え、周囲に無関係と思われる者まで消えたとなると本腰を入れなければならない。
だが、ここ最近のアージ・デッソの情勢がなかなかそれを許さない。大きな事件が起きたばかりな上に、どうも危険な魔獣が近辺に現れたらしい。
冒険者協会も同様だったが、それでも依頼さえすれば誰かしらが動く。冒険者酒場やら賭場やら娼館のオーナーやら何人かが集まり、事態の解決を願った。
担当者は困った。これまでの該当者が、示し合わせて街を出たなどあり得ない。なにかあったと見るべきである。
街中でのことなので、例えば犯人のようなものがいたとしても間違いなく人間と考えていい。さらには婦女子ばかりが被害に遭ったなら、単なる変質者かなにかとも思える。危険な相手としても、冒険者なら対応できる。できねばならない。
だが四人。街の中で起こった事件の被害者としてはちょっと多い。本来ならば上に伺いを立てていい。が、協会は今てんてこ舞いである。
まずは様子見だな。担当はそうして依頼書を貼り出す指示を出した。
◇
現在ダニエたちが世話になっている山羊のひげ亭も冒険者酒場のひとつであり、当然のように南東区画にあった。
どうやらガンズーもここに泊まったことがある、どころかたまに飯を食いに来るらしく、最近になって女将が今までに比べ一割ほど優しくなった。彼に弟子入りしたという話をやっと信じたらしい。
だからといって、ダニエはこの区画に馴染みができたわけではない。酒とそれに合う塩辛いつまみは好きだが、夜はあまり歓迎できない。
ちょっと帰りが遅くなれば、そこらに商売女とそれ目的の男で溢れるし、なにか勘違いしたオッサンに声をかけられたこともある。初手から銀貨を渡そうとしてきた者までいる。
それどころか飲んでいればそういう女性を連れた冒険者が酒場に入ってくることもあったし、いざ寝ようと思ったら窓の外から艶めかしい声が聞こえてきたこともあった。窓閉めろや。時々ドートンがこそこそと出ていく。まったくもう。
そんなわけで、ダニエはこのご近所に少し抵抗があった。あまり積極的に歩きたいわけではない。
それでも昼間はマシだ。明るいだけでずいぶん雰囲気が違う。閑散としているので男に品定めのような目を向けられることも無い。この時間にも営業している店に嬉々として入っていく者を見かけて辟易したりはするが。
「しっかし、調査っつってもどうすりゃいいんだか」
「どうしようね兄ちゃん。とりあえず色々聞いて回ってみる?」
「そうだなぁ……なんかこないだ、お師さんも似たようなことしてたな」
裏通りを三人でぶらぶらと歩きながら、人の少ない明るい夜街を眺める。
調査依頼、ということだが、最終的な目的は行方不明事件の解明ということになっていた。なかなか無茶を言う。
しかし期限もおそらく目途がつかなかったのかずいぶん余裕があるし、報酬も悪くない。じっくり腰を入れてかかってもいいだろう。
「とりあえず話を集めるか。どこから行くかな。やっぱいなくなった人の家とかからか?」
「ねぇねぇ兄ちゃん、あの店とかは? こんな時間でも開いてるよ」
「ダメよデイティス絶対ダメ。そんなとこ入っちゃダメ」
のほほんとしたままビロードのすだれを潜ろうとするデイティスを止める。仕方ねぇな、みたいな顔で続こうとしたドートンは蹴った。
とまれ、気になるのは最後に消えたという大工の娘だ。彼女だけは他と毛色がまったく違う。なにせこの区画に住んでいるわけではない。
話を聞いてみるならそちらだろうな、とダニエは考えた。このまま夜街周辺をうろうろしていても進展は無い気がする。
◇
放蕩娘がどこへ行こうと知ったことではない。大工は娘のことをそう切って捨てた。
男ふたり、女三人のちょうど真ん中で、成人して間もなかったという。だというのに、粉屋への奉公もあっさりと追い返され、家に戻ってからはなにをするでもなく遊び歩いていたのだとか。
金なんか渡していないから、どうせ人様に言えないようなことをして日銭を得ていたのだ。口に出したくもない。そんなことまで言われた。
聞くだけでも親とはずいぶん折り合いが悪かったようだが、実際によく思っていなかったのだろう。家にいた母親には散々愚痴を聞かされ、言い終われば追い払われた。修道院の修復に参加していた父親にも無下にされた。
どうしたものかなとダニエは悩む。親から聞けるようなことはもう無い。というか、これが全てなのだ。
わずかな情報を元にすると、その某という娘もそれまでに消えた娼婦たちとそれほど差を感じなくなってしまった。遊び歩いていたというなら、夜街近辺をぶらぶらしてでもいたのだろう。在所の差異に意味が無くなった。
高利貸しのほうに向かってみる? そう考えるが、成金通りの人間が木っ端冒険者の自分たちへ素直に話をしてくれるだろうか。
つらつら頭を回してみても有効な手が思いつかない。話し合おうと振り向いてみれば、ドートンがひどく不機嫌そうな顔をしていることに気づいた。
「どしたの」
「……んだよあの親」
なるほど。彼は娘がいなくなった親の反応に憤っているようだ。
おそらく亡くなった妹のことを思い出している。双子の片割れはどうにもこういう話に敏感なのだ。ダニエ自身も思うところが無いではないが、よそ様にはよそ様の事情がある。いちいち気にしても仕方がない。
「親父もディナなんてせいぜい墓作ってやるくらいしかしなかったが、ありゃそれどこじゃねぇぜクソ。自分の子供なんだと思ってんだ」
「ドートン」
「わかってるよ。でもなぁ……」
唇を歪ませぶつぶつ言うまま歩くドートン。しばらくすれば勝手に腹に収めるので、ほうっておくしかない。
ダニエとしては、さもありなんと受け止めている。そりゃ小さいころは妹が死んだことがとてもショックだったが、長じれば子供なんて減るものだと思って多く作る代物と理解するしかないとわかる。
慈善事業をしている教会の人間でもない限り、おおむねそんなものだ。ガンズーが特殊なのだ。あの人なんであんなに子供好きなんだろう。
ましていなくなった娘は成人を過ぎていた。本来は、家を出ている人間だ。ああいった反応になるのも頷けた。
「そうかなぁ」
一歩離れて歩いていたデイティスがぽつりと言った。
「父ちゃんだってお姉ちゃんのことずっと覚えてるし、あの人たちもわかんないと思うけどなぁ」
弟の言う『お姉ちゃん』とは、自分のことではない。ディナのことだ。彼自身は覚えていない姉。
ドートンは虚を突かれたような顔をして、少し考えたあと、弟の頭をぐしゃぐしゃと――嫌がられながら――撫でた。ダニエも弟を抱きしめたかったが、往来なので自重した。
「あの」
横から唐突に声をかけられ、三人で揃って振り向く。
こちらと同い年くらいの、若い男がいた。
「あんたら、妹の行方を捜してるんだよな……ですよね」
先ほど伺った大工の横にいた男だった。弟子かなにかと思っていたが、どうやら息子だったらしい。消えた娘の兄。
彼によると、娘には恋人がいたという。冒険者酒場の丁稚で、まだ家も持っていないため逢引のために夜街へ出かけていたらしい。
両親はまったく知らないが、自分にだけはそれを話してくれたと言った。その相手は今も普通に働いているという。
「……こうなっちまったら、帰ってくるなんて考えちゃいないけど」
どうか妹を見つけてやってくれ。彼はそう頭を下げて、作業現場へと戻った。
その背へ大声の礼を投げるデイティスの後ろで、あまり似ていない双子の顔を見合わせる。
なんとなく勢いで請けた仕事だったが、これはちょっと気合いを入れなければならないかもしれない。
◇
山羊のひげ亭から三つほど小さい通りを渡った先にある冒険者酒場。娘の相手はそこで下働きをしている。
年齢の合いそうな――やっぱり、自分たちと近い歳だ――丁稚がその男しかいなかったので、見ただけですぐにわかった。
なので、裏口の先で薪を抱えたところを捕まえた。チンピラの所業だが、チンピラが珍しい場所ではないので問題ない。こういうとき、背の高いドートンはそれだけで雰囲気が出るので役に立つ。
「だ、誰だあんたら」
「聞きたいことがあってよ」
肩を酒場の壁に押しつけられても薪を落とさないのは偉い。だが視線が凄まじい早さで泳いでいる。そこまで肝は強くない。
こういうときは下手に出て話を聞くより最初から威圧的にいったほうがスムーズに進む。ドートンの場合は単に相手が自分より弱そうだったからというだけなのだろうけど。
「てめぇの女が消えたってのにずいぶんのんびりしてんな。飽きて捨てでもしたのかああん?」
凄んでいるが若干わざとらしい。首を捻るな首を。顎を出すな。
とはいえ、相手にはそれなりに効果があった。言われた途端に口を皺ませて目線を下げていく。
「ち、違う、俺は」
「なにが違うってんだよおうおう。てめぇなんか知ってやがんなおおおおう」
これはいけない。調子に乗り始めた。
肩を耳あたりまでいからせて顎をこきこき左右に振り始めたバカの脇腹を殴る。
顎関節が変な具合になったらしい彼をデイティスに任せて、選手交代することにした。
「勘違いしないでね、私たちは行方不明事件のことを調べてるだけ。当事者みたいなもんだからあなたも知ってるでしょ? いちおう、あなたが殺して埋めましたでも話は通じちゃうんだから、慎重に話を聞かせてほしいんだけど」
お前も容疑者だぞ、というのが止めになってくれたのか、男の口はすらすらと動いた。
曰く、彼女とは以前から夜街の近く、南東区画の端で逢引をしていた。夜、酒場が本格的に忙しくなる前に少し休憩時間があるので、その時間に待ち合わせをするのが毎回の約束だったのだそうな。
だが先日、いつもどおりに向かってみれば彼女がいない。すっぽかされたかと思ったが、辺りを見てみると――
「こいつが落ちてて……」
懐から出てきたのは木でできた小さな腕飾りだった。染料で多少の装飾はしているものの、あまり奇麗なものではない。慣れない手作りによる代物ということがありありとわかる。
事実、彼が手ずから拵えたものだそうだ。丁稚の身で贈り物などしようと思ったらこれくらいが限界だろう。
その飾りが落ちている。もしや捨てられたかと考えた。嫌われてしまったろうかと思った。が、これは両手に揃いで作ったものだ。片方だけ落ちているのもおかしい。
そこで近辺の物騒な噂を思い出した。もしや彼女も消えてしまったのか。だが彼女は本来、この夜街周辺にいるわけではない。これが知れると、そのうち自分に疑いがかかるかもしれない。
男は結局、黙っているしかなかった。彼女の家まで行く勇気も無かった。
「情けねぇこと言いやがって、無事を確認するくらいできねぇのか」
「だって、もう三人も消えてたんだぞ!? もしそれだったら、俺なんかにどうにかできるかよ!」
「官憲にでも伝えればよかったじゃない」
「そんなことしたらあいつら、これ幸いに俺が犯人だって言いだすさ! 他の分まで含めてな!」
この街の衛兵たちがそこまで無能だとは思わないが、該当者の同居人がひとり拘束されていたのも事実。無いとも言い切れない。
「それ、よく見せてもらってもいいですか?」
参ったなと思っていたら、デイティスが男の手にある腕飾りを指して言った。
おずおずと差し出されるそれを、弟は手に持ってよく眺める。ひとつ頷いて返した。
「ありがとうございます。ずっと持ってたんですね」
真面目に表情を引き締めようとしても、弟の顔はやっぱりかわいい。
「もし会えたら、とても心配してたってちゃんと伝えます」
泣きだしてしまった男を置いて、向かうのは話に出た待ち合わせ場所。娘が腕飾りを残して消えたという現場。
南東区画の端、合祀教会である。




