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ダニエの長い長い一日 その1

 お母ちゃんへ。

 元気ですか。父ちゃんや兄ちゃんはよく働いてますか。

 わたしは元気です。

 デイティスもドートンも元気です。


 村を出てから、はや一か月が過ぎました。

 村のみんなの顔がなんだか懐かしく感じます。

 お母ちゃんにはとても心配されましたが、デイティスは無事に冒険者になることができました。わたしたちも一緒です。安心してね。

 あーじでそ(ちゃんとしたつづりがわかりませんでした。導師さまのところでもっとちゃんと勉強すればよかった)はとてもいい街です。なんとかみんなで食べていける仕事もあります。


 それから、とても驚くことがありました。

 あの大蛇を退治してくれた勇者さまたちを覚えていますか。鉄壁のガンズー様を覚えていますか。

 彼に会うことができました。村のこともちゃんと覚えていてくれました。改めてお礼を言えたって村長に伝えてあげてください。

 そして、なんと、デイティスは彼に教えをいただけることになったのです。わたしとドートンもです。びっくり。


 ガンズー様はもしかして怖い人なのかなって思っていました。けど、ぜんぜんそんなことありませんでした。優しい人でした。あと、けっこう適当な人でした。

 でも、おかげで冒険者としてやっていけそうな自信もつきました。デイティスはすごく強くなったんですよ。わたしもちょっとしたものになったような気がしています。一生分くらい走らされたけど。


 この前は、レイスン様から魔術の手ほどきをしていただきました。導師さまに話したら羨ましがられそうです。

 デイティスはやっぱりすごかったんです。父ちゃんも兄ちゃんもあんまり信じなかったけど、やっぱり天才だと思います。あっさり魔術が使えるようになってしまいました。

 いつか絶対、あの大蛇にも勝てるくらいのすごい子になると思います。


 でもまだまだ駆け出しで、なかなかお金をたくさんもらえる仕事はできません。頑張っています。

 目標ができたんです。とてもおいしいご飯を食べさせてくれるお宿があって、とても高くて、けどそこに泊まれるようになるくらいになりたいです。いつかお母ちゃんも連れていってあげたいな。


 これから寒くなるから、身体に気をつけてね。父ちゃんと兄ちゃんにもよろしく伝えてください。

 お金が貯まったら、一度村に帰りたいなと思います。

 また手紙書くね。ダニエより。


 追伸

 書こうか迷ったけど、いちおう。

 ヨナおばさんのところのエクセンにも会いました。生きてました。伝えるだけはしてあげてください。いちおう。





 デイティスに悪い虫がつきました、とも書くべきだったろうか。

 そう思いながら、ダニエは愛想をすっかり忘れた顔で焼き菓子を齧っていた。


 アージ・デッソ南東区画にある、そこそこ良いほうの貸家の一室である。南門側にあり、成金通りからも夜街からも少し離れていて、まだ多少は信用のある人間が住みつく一角だった。

 流れの商人のたぐいが滞在するならよいところなのかもしれない。あり余る金で家を買うでも高い宿に留まるでもなく、冒険者に混ざって木賃宿に泊まり口を糊するでもないなら。


 というわけで、目の前のヒスクスという商人はまあまあ稼げてそこそこ忙しいという人間なのだろう。ダニエはそう目算した。

 娘が弟と近い歳――ということは自分にも近いが――ならば、歳は三十少しといったところだろうか。父より少し下だと思うが、しかし若く見える。鉄壁のガンズーと同じくらいにも見える。彼が老けているというわけでは、いや、うーん。


 ともかく、若く見られないようにだろうか口の下にだけ小さく髭を生やしたその商人は、やり手なほうだと考えていい。彼らを助けた礼を受けたときにもそう思ったが、きっと間違いない。

 なにせ姿に華美なところなど無い。最初は金に困る弱小商人と見えたのだ。だというのに少なくない謝礼をぽんと渡してきたし、この家だって安くはない。

 使うところに使える金がある。それは使わない金ばかり貯めるよりも難しいのではなかろうか。ダニエはそんなふうに考えていた。


 だが、問題は彼ではない。というか、父親のほうはどうでもいい。

 隣でデイティスが笑っている。こちらは向いていない。

 向かいに座る少女と仲睦まじく喋っている。少女のほうも弟に笑顔を向けているから、そりゃまあ仲睦まじいという表現で正しいのだ。

 ダニエが受け入れられるかどうかはともかく。


「――それでね、いちおうは僕もできたんだけど、その子のほうが凄くてさ。あれから練習してみてるけど、離れたところに発動させるって難しくて……それでもここまでできるようになって、やっぱりレイスンさんって教師としても凄いなって」

「そんなことありませんわ、デイティスさんだって凄いです。まだ習って数日でしょう? わたくし、魔術については詳しくありませんけれど、そんな簡単なものではないことくらいわかります。素晴らしいですわ」


 なにがですわだこのアマ、ぬたぬたした喋り方しやがって。おめー商人の娘だろうがなんだその口調はふざけてんのか。

 口から出そうになった罵倒を菓子を噛むことで我慢する。乗っていた木の実がコリコリコリと音を立てた。


 アシェリとかいう小娘――繰り返すが、ダニエともそう歳は違わない――は、有り体に言って美少女だった。おう認めてやるよ事実はしょうがねぇよそれくらいはよ。

 上がり気味の目尻も通った鼻筋も大きめの唇も整っている。不思議な髪の色だってその雰囲気に似合っている。どこぞの姫様だと言われたら信じる。

 へちゃむくれてソバカスも半端に浮いた自分とはえらい違いだ。対抗できるのは髪色くらいで、それも手入れなど無縁だったからくすんでいる。鼻っ面に一発いれれば多少は近くなるだろうか。


 デイティスが騙されるのも――なにを騙されたのかは知らない。とにかく騙されている――仕方がないと言える。弟だって男の子だ。年頃だ。仕方ない。

 そうは思っても、腹の底から浮いてくる黒いものが治まらない。


 ――お姉ちゃんは許しませんよ。


 闇討ちも辞さんか……と考え、歯のあいだで圧縮されまくった木の実を飲み下したところ、ヒスクスが優しく言った。


「ダニエさん、この口に合いませんでしたか? なんだか先ほどから難しい顔をしているが……」

「へっ!? あ、いいえ、そんなぜんぜん! おいしいです!」


 そこでようやく正気に戻ったダニエは、どうにか外向けの顔を取り戻す。危うく口内に残った欠片を飛ばすところだった。

 横から弟が不思議そうに覗きこんできた。


「姉ちゃんどしたの? クルミの焼き菓子好きなのに」

「な、なんでもないってば。ほんと、すっごくおいしいわこれ。どこの菓子屋なのかしら教えてほしいくらい」


 あなたが心配だからよ、とは言えなかった。どれだけ弟に近づく女を警戒していても、さすがに目の前で表明はしない。それくらいの分別は残っている。


 今日の仕事を終え、いつもどおりにこの家へ向かうデイティスを追った。これまでは、感づかれることを恐れ離れていたために途中で見失っていたが、今回は違った。

 魔導の基礎を習ったおかげか、相当に離れて追跡をしても弟の行き先が手に取るようにわかった。壁を挟んでも彼の存在をびんびんに感じた。今までは鉄壁のガンズーの指導にそれほど身が入っていなかったが、最大の感謝と共に師と仰いだ。


 そうしてこの家を突き止め、あまつさえ先回りし偶然を装い、弟をどこか他の場所に連れ出そうとした。

 あっさりとここでの食事に自分も誘われたのは誤算だった。デイティスは優しいんです。


「まあ、そうなのですか? これ、わたくしが作ったんですの。嬉しいわ。お父さま、ダニエお姉さまに包んでさしあげましょう」

「ああ、そうしようか」


 誰がお姉さまじゃボケ。でもいただきます。


 ダニエにとっては残念ながら、この商人親子はたいへん優しかった。わかりきっていたことである。成り行きで彼らを助けただけなのに、礼を含めてとてもよくしてもらった。というか現在進行形で弟がよくしてもらっている。

 丸めこまれるのも納得だ。だって自分も丸めこまれそうだもの。弟は絶対に渡さんけどな。


 アシェリから「よろしかったら作り方をお教えしますわ」などと言われ、身の振り方を考えていると、家の扉が叩かれる音が聞こえた。

 ヒスクスが向かうと程なく、彼は小柄な老人を伴って戻ってきた。


「おやおや、来客中でしたかな。これは失礼」

「まあ、ウィゴール様。ごきげんよう」

「こんにちわアシェリさん。ああ、座ったままでええよ。すぐに出るでな。お客さんがたもどうかお気になさらず」


 言うとおり、その老人は部屋の中には入らずその場で待った。ヒスクスがなにか小さな袋を持ってきて受け取る。


「では、いつもどおりにお願いします」

「はいはい、承知しましたよ。それでは、どうもお邪魔さま」


 ほんの数十秒の客に気になってしまうが、不躾にそれを聞けるほどダニエは親子と親密なわけではない。

 なので黙っていると、彼らと親密であるデイティスが気にするふうも無いように聞いた。


「お取引かなにかですか?」

「うん。以前から少し。仕事先をひとつ失ってしまったから、色々と模索してるんだよ」

「ウィゴール様は優秀な薬師なんですのよ。安価なお薬を、お医者様なんかにかかれない人たちにも手が届くように苦心してらっしゃるの」


 それはけっこうなことで。ということは、あの包みはヒスクスが仕入れた材料とかそんなところだろうか。どうでもいいけど。


 その後も歓談は続いて、ダニエはアシェリから向けられる笑顔に居心地の悪さを感じながら曖昧に笑っていた。





「だからお前、次の日まで残るほど飲むなっつってんだろがよ」

「うっさいドートン。身体はなんともないっつってんでしょ」

「でも姉ちゃん、やっぱりちょっと酒臭いよ」

「ごめんねデイティス。私もう二度と酒飲まないわ」

「何度目だよそれ……」

「うっさいドートン」


 朝、協会支部へやって来た。日課の仕事探しである。今日は予定が入っていないので、新規で請けられる依頼を探さなければならない。

 ダニエの口からは自覚できるほどの酒の気配が感じられるが、二日酔いで不覚をとるようなこともないし、足元がフラついたりもしない。身体は頑丈なのだ。


 結局、商人の親子からは再度の来訪を願われるほどのたいへんな歓迎っぷりだった。アシェリからは、自分はひとりっ子なのでダニエのような姉に憧れるし仲良くしてほしい、というようなことをですわ口調で言われた。

 これで彼女がデイティスにひっついていなければ、こちらとしてもかわいがるのは吝かではなかったが、しかし。

 実際に彼女が義妹になる可能性すらある。ということを考えると、いつも以上に酒が進むというものだった。


 なにはともあれ、仕事である。金を稼がなければ。

 金を貯めて、一度アージ・デッソを離れ故郷に帰ってみるのもいい。弟も多少は冷静になるだろう。


 そう思っていると、いつもの受付嬢が依頼掲示板の前でふらふらしているのが目に入った。その手には依頼書が一枚。


「ニリアムさん、どうしたんすか?」


 ドートンが話しかけると、彼女は困ったような顔のまま振り返る。


「あら、みなさん。おはようございます。ご依頼探しですか?」

「えぇ、まぁ。それ、どうしたんです?」


 手に持たれたままの依頼書を指差しながら聞いてみる。彼女はそれと掲示板を見比べながら答えた。


「新しい依頼なんですけど、掲示板がいっぱいで。どうしよっかなって思ってたところなんですよ」


 掲示板は現在、少々難しめの依頼で埋めつくされていた。おおむね、中級冒険者以上でなければ対処に困るものばかり。

 大躯(オーガ)退治、遺跡の建材採取、コンネオ山行きの護衛。ダニエたちからするとまだちょっと腰が引けるものしかない。

 どうも一定以上の冒険者が枯渇気味らしいという話は聞いていたが、ここに影響が出てきているようだ。


「それ、もしよかったら見せてもらえませんか?」


 デイティスがそう言うと、ニリアムという受付嬢は少し躊躇しながら依頼書を渡してきた。


「街中でのものですし、そこまで危険は無いと思いますが……被害者も出ているようですので、もし請けるのなら気をつけてくださいね」


 依頼は、夜街近辺の調査だった。

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