鉄壁のガンズー、赤い蛇
蛇足という言葉は中国のなんか古いことわざとかだったっけか。ガンズーは思った。蛇の絵にちょろりと足を描いてしまう話をどこかで聞いたような。
腹の横から申し訳程度に生えている四本の足は、宙に浮いているものだから宙を泳ぐようにじたばたしている。そこだけ見ると少しかわいい。
それと、やはり頭から尾の先まで赤い。背も腹も赤い。だが完全に染まっているところもあれば、薄く色づいている部分もあり、色調が波を打っているようだ。
亜竜の変色がどういう仕組みで起こっているのかは知らないが、鮮やかに彩られたその鱗は美しい。ヴィスクの鎧もそうだが、変色種の革が素材として珍重されるのは実用性以上にその美麗さが理由でもある。
平たい頭には枝でも刺さったのではないかというような不自然な角。左寄りに一本だけだが、ちょっとした大剣並みの長さと太さ、そして鋭さがあった。
ガンズーはのけ反りながらそれを躱したが、翼の先に引っかけられて結局は倒れた。
翼は多足の虫がひっくり返ったかの様相で何枚も生えているが、やはり空を飛べるほど大きくもないし、左右でちぐはぐに並んでいる。ただの飾りとしか思えないが、それで撫でれば岩ぐらい削れそうだ。
総合的に言って、
「ミークのバカたれなにが小せぇだ! これは細長いっつーんだよ!」
「だって小さいじゃーん!」
転がりながら毒づくと、やはり暴れ回るそれから逃げている彼女の返事が聞こえた。
蛇の体形が残ったままの亜竜。なるほどこれなら、少々身体が大きくなったとしても森の中に潜ることはできる。寝そべっているか丸まっていればいい。
体長はざっと見るだけで三十歩分以上はある。その身体を器用にぐねぐねと木々の間へ通して、頭を振り回していた。
大きく開いた顎がこちらへ迫る。上顎から下顎までのひらきは、ガンズーの体躯さえ飲みこむだろう。
だがしかし。
突っこんできた顎を大斧でぶっ叩いて打ち返しながら、ガンズーは考え直した。
「確かにちょっと小せぇ! なんだこりゃ!」
亜竜飛翔体として考えた場合、それでもまだ小さい。
赤に変色した個体であるなら納得の大きさではある。だが、逆に言えばそれだけでしかない。この成長段階で飛べるとは思えない。
瘴気の用量が身体の大きさにイコールとなるタイプの魔獣は、すなわち強くなればなるほど大きくなるはず。ベンメ村で戦った大蛇は亜竜化してもいないのにこれよりでかかった。
「表皮の硬度が規定値を越えています。前例に照らし合わせ、進化個体と認定。中距離火砲支援を中止、近距離戦闘に移行します」
だが飛んでいる。先ほどの炎を見る限り生体魔術も凄まじい精度だし、鱗の硬さはアノリティの言うとおり変色種を越えている。飛翔体に至った力は十分に感じられた。
「考えんのあとにしな! あんたら絶対上に飛ばすんじゃないよ!」
「抑えてっからさっさとしろセノアぁ!」
「やっとるわい!」
ミークが囮になり、ガンズーとシーブスが叩く。炎が吹きかけられればレイスンが防ぎ、アノリティが殴る。亜竜との戦闘はひたすら至近距離で続けていた。森から身体の全てが出て、空へ逃げられないように。
そのあいだ、セノアは四方へ核石を放り投げていた。木々の枝葉の向こうにも投げる。とにかく面積を稼ぐ。
「おーしこんなもんでしょ!」
八つほどの核石――それもなかなか上質なやつ――を惜し気も無くぶん投げ、彼女は杖を地面に突き刺す。
空を飛ぶ者を相手にするなら、遠距離攻撃手段を用意しなければどうすることもできない。当然だ。なので例えば軍隊であれば、主力は魔術師になる。最近は弩の生産も増えたらしいが、それでも魔術が頼りだ。
大量の魔術で遠間から狙い撃つ。飛ばれてもやっぱり撃つ。近づいてきたら重装の盾で防ぐ。それがセオリー、というかそうするしかない。
ではガンズーたちならどうするか。ミークの弓はちょっとした鉄板くらい易々と貫くが、それでも亜竜の鱗には辛い。やはりセノアが頼りになる。
離れた地点から発見できていれば、高火力の魔術でとっとと一撃できていたかもしれない。全員、できればそういう流れを期待していた。
だが相手の先制を許した。接近された。
こうなるとやるべきは、飛ばさないことである。
「鳥を見よ、雲裂く翼。人を見よ、地に這う掌。人よあの勇敢な鳥を見よ」
結界魔術、あるいは空間魔術と呼ばれる技術がある。
火や風などを発生させる、あるいは操作する一般的な魔術と違い、一定の範囲に特定の効果を持続させるその魔術は、どうもかなり複雑な技能が要求されるらしいもので、使い手が少ない。人を選ぶのだ。
エウレーナが修道院の消火に用いたのもこれだ。彼女はなかなか異質な才能を持っているようで得意としているが、セノアは核石を犠牲にしなければあまり正確に行使できない。
とはいえ、才能という点で言えばセノアだって負けてはいない――どころではない。彼女に比する魔術師などそうはいない。
核石を使わなければならない。逆に言えば、核石さえあれば、どんな魔術だろうとあっさり使いこなしてみせる。
シーブスの槍を角で弾いた亜竜が、天へ向かってその頭を伸ばした。機能しない翼を蠢かせている。飛ぶつもりだ。
が、セノアが静かに結詞を紡ぐ。
「【落鳳圏】!」
ずし、と一瞬だけガンズーの肩にもわずかに圧がかかった。その違和感は、目の前で巨体が地に激突する衝撃で消える。
――シイイイィッ!
打ち据えられたように顎を腹を土に押しつけた亜竜が、初めて鳴き声を上げた。
好機である。遠慮なく大斧を振り上げ、頭を叩き割りにかかった。
身を捩ることで突き出された角に阻まれる。驚いたことにこの角は完璧に打ちこんだ封鉄の大斧でも断ち切れないらしい。
瞳孔さえ赤く染まった蛇の目がこちらを見る。口の端からちろりと舌の代わりに炎が覗いた。あ、やべ。
至近から吹きかけられるところだった火炎は、シーブスが横から突撃したために頭が跳ねたため逸れた。槍の穂先は亜竜の首の辺りを強かに打っているが、貫くには至っていない。
「わはは、なるほど地に縫いつけたか! 叩き放題だこれは面白い! やるな虹雷のセノア!」
叩くんじゃなくて刺せや、と言いたかったが、楽しそうだったので黙った。代わりにガンズーも再び斧を薙ごうとしたが、回りこむように振られた尾にシーブスと共に吹き飛ばされる。
転がりながら顔を上げてみれば、じりじりと重そうに鎌首をもたげ、亜竜はこちらを睥睨していた。
がぱん、と咢をひらく。また火吹きか、馬鹿のひとつ覚えめ。
と、その開いた口のなかにどこかから飛来した矢が飛びこんだ。
さすがに喉まで硬いわけではなかったらしい。かすかな身震いをして亜竜は頭を振り、半端に閉じた口から炎を漏らしている。
それなりのダメージはあったようだが、逆にその目は怒りに燃えているようにも思えた。というか、はっきりこちらを睨んでいる。
「あ、なんかヤバそう」
飛んできた矢と同様、どこから届いてくるのかわからないミークの声。
それと同時に、巨大な蛇が奇妙な動きをする。
左右食い違ったように背から飛び出している翼を、ばたばたと――羽ばたきというより、ぐねぐね波打たせている――動かす。
元から赤かった薄羽が、さらに赤熱したように光って――
渦を巻くような炎流が、四方八方に撒き散らされた。
「うおー!? 熱ぃ熱ぃあちぃなんじゃこりゃー!?」
火を噴く羽ばたきが、辺りを火の海にする。
どうもこの蛇は森の木々を傷つけぬように動いていたのだが、もはや森の入口も炙られ始めていた。なりふり構わなくなったらしい。
小さな火災旋風がそこら中に発生しているようなもので、ガンズーは正しくケツに火を付けて逃げ回った。
「【風纏】! ガンズーさん、防護が間に合いません! 早急に対処を!」
同じく駆けて炎から逃げるレイスンから魔術をかけてもらうが、炎は防げても熱波は防ぎきれない。このままでは喉が焼ける。
「これはなかなかいけませんね。頭には届かないし、腹を削ってもあまり効果が無さそうだ。先に火の元を潰しましょうか」
いつの間にか隣に来ていたメイハルトが、ガンズーに並走しながらそう言った。
「てめぇ今までどこ行ってやがった!」
「私が出る幕ではないと下がっていましたが、殊の外厄介でしたね。ガンズー殿は左をお願いします。私は右」
「翼か!? おいコラ左のほうが多いじゃねぇか!」
「そんな大きな得物を持っているのですし。【青刻】」
聞きなれない魔術を唱えて、彼は腰の剣を抜き払った。青みがかった刀身が振るわれると、目の前の炎が太刀筋に吸われるようにかき消える。
どうやら魔術剣の一種のようだ。剣も劣化を始める様子が無いし、もしかしたら月銀かもしれない。いいモン持ってやがる。
メイハルトは亜竜の横へ回りこむと、跳び上がりざま翼を数枚切り落とす。尾の手前に着地し身を翻すと、さらに跳んで斬りつけた。
「こっちゃ熱いんだぞチクショウ! おいアノリティ!」
渦巻く炎の中で涼しそうにぼけーっとしていたアノリティがこちらへ振り向く。亜竜の頭に届かないので腹を殴っていたようだが、あまり効果が無く困っていたようだ。
「跳ぶぞ!」
ぼんやりした顔のまま、しかし意図は伝わったらしく、ついと両手を重ねて前方へ差し出す。
ガンズーはその手へ片足をかけた。思いきり踏ん張り、跳ぶ。
高く伸ばされた亜竜の頭に並ぶ。翼を数枚もがれ、身をよじっていた蛇と目が合う。バーベキューにしてくれやがってこの野郎。
そのまま、掲げていた大斧を振り下ろす。頭にではない。角で弾かれる。
縦に並んでいた左側の翼を一気に断った。周囲を覆っていた火炎の渦が急速に厚みを減らしていく。
「そこのデブ! あいつの頭おろさせなさい!」
「だ、誰がデブか!」
着地すると、ちょうどシーブスが突撃してくるところだった。その向こうにはセノアが杖を構えている。
「えぇえい! 折れろ!」
斜め上へフルスイングするように槍を振り上げる神殿騎士。だから槍ってそういう使い方でいいのか。
どむん、と重い音を響かせて、亜竜は――腹だか胸だか首だか――身体をくの字にする。苦悶のまま開いた口の先には虹瞳の魔女。
「【雷咆】」
凝縮した雷の弾丸が、蛇の咢の中へ吸いこまれるように炸裂した。




