鉄壁のガンズー、うねうね
そういや野営なんて久しぶりだよなぁ。ガンズーは頭上の月を見上げながらしみじみと思った。
山中の木々がひらけた場所に一行は腰を落ち着けた。水の確保できる小川もあるにはあったが、そこからは遠い。こればかりは仕方ないだろう。
日が傾く前に下りに入りたかったが、こういうところで無理をすると事故が起こる。夜が明けるまでは交代で休みながらここで待機になる。
周囲に比べればひらけた場所ではあるが、それでも枝葉の屋根は近い。月光が隠れる時間は長いだろう。
ふと、ドートンたち三兄弟は野営の仕方など知っているのだろうかと疑問が湧いた。狩りに同行したこともあったというから、基本くらいはわかっているとは思うが、確認してみなければ。
無理に樹の多い場所で野営を張って、獣に奇襲されるならまだしも、溜まりだした瘴気に巻かれて中毒を起こすという新人冒険者もよく聞く。枕にした木の根が動き始めたりしたら目も当てられない。森の中には稀にそんな人骨が落ちている。
そういう点で言えば、神殿騎士のふたりはたしかに慣れている。こちらの行動に合わせているというよりは、行動が一致するのは当然というふうだった。山中訓練とかいうものも役に立っているようだ。
しかしふたりは、わざわざガンズーたちから少し離れた場所に焚火を作った。合同キャンプでもあるまいし仲良く歌でも歌いたいなどとは言わないが、べつに火くらい使ったっていいだろうに。
なによりどうもメイハルトの視線――は向けていない。ただ常に意識がこちらに向いているような――を感じる。シーブスは知らない。とうに寝ていた。
事前にアマンゼン司教やボンドビーに妙なことを言われたせいで、自意識過剰になっているのだろうか。ミークが特になにも言わないので、本当にそうである可能性もある。
そもそもなにか思惑が、と言われてもそれがどんなものかなどガンズーにわかりやしないのだし、向こうだってこの状況でなにができるでもあるまい。
こちらに害を為そうというなら、勇者パーティに寡数でかかるのは無謀に過ぎるだろうし、アージ・デッソへの諜報が目的ならここに同行する意味が無い。
なんだろうか。単に見届けるため同行したのか、あるいは純粋に善意で援軍をやっているということすらあり得る。
(ま、考えてもわからんな)
というわけでガンズーは小便から戻ると、仲間たちのほうではなくメイハルト神殿騎士が見ている焚火へ近づいた。
「なにかご用でしょうか? 鉄壁のガンズー殿」
ふわりとした笑みは、半日ほど山中を進んだというのにやたら爽やかだし、汚れなんかも少ない。どこかで顔でも洗ってきたのだろうか。
シーブスのいびきが聞こえてくるが無視して、彼の向かいの地べたに直に座りこんだ。
「単刀直入に聞くんだけどよ。お前さん、なんで同行を申し出たんだ?」
遠くで火を見ているレイスンがちらちらとこちらを窺っているのがわかった。ガンズーがなにか余計なことでも言わないかと思っているのだろう。まぁ言うかもしんねぇけど喧嘩はしないから心配すんな。
「我々は亜竜対策の使者ですので。見届けて報告するのが任務ですし、可能ならば参戦するのもそのうちです」
「んー。ま、そりゃそうか」
教科書どおりの返答である。実際にこれで説明がついてしまうので、そりゃそう言うに決まっている。
面倒なのでガンズーは突っこんだ。
「……お前ら、ていうかタンバールモース的にはそれでいいのか?」
「当然でしょう。亜竜の脅威が去るに越したことはない」
即答だった。さらに彼は続けて、
「民を守るのは騎士の義務ですよ。神殿騎士は教会を守るためだけに存在すると考えている者もいるようですが」
そう言う。彼はずっと焚火に目を落としているので、こちらに視線は向けない。
うーん。とガンズーは腕を組んだ。
それが本音だろうが建前だろうが、どこまでいっても教科書どおり過ぎて、なにかを諳んじているように感じてしまう。
「他になにか?」
「いやー、だってお前あれだろ。アージ・デッソ側が警戒してるのわかってて、あの場で俺たちに同行するって方針に変えたろ」
炭が爆ぜたのか、火が大きく揺らいだので彼の顔にかかる影が動いた。表情を変えたわけではない。
「なぜそう思います?」
「そこの寝てる奴、なんか不思議そうな顔でお前を見てたからな」
「そうでしたか。シーブス殿とは特になにか打ち合わせたわけではありませんでしたので」
「あぁ、そうなのか」
「はい。独断でしたが、望むところでもあったようなので構わないのでしょう」
つらつらと話しながら、ここでようやくメイハルトはこちらに目を向けた。
「失礼ですが、鉄壁のガンズー殿といえば、もっと御しやすい方かと思っていました。なるほど冒険者、目端ぐらい利きますか」
「最近ちょっと疑り深くなってな」
「そうですか。実のところ、上からはアージ・デッソにおける先日の事件を調べてくると共に、派兵の段取りをつけられるよう言い含められていまして」
立て板に水を流すように内部事情を語り始めた彼に、ガンズーは思わず片眉を上げた。そんなほいほい言ってしまっていいのだろうか。
「貴方がたがいる時点で難しいのではと思っていたのですがね。案の定、ホーフィングン子爵はそちらを頼った。ま、上の指示も元々やっかみじみた疑いからのいっちょ噛みでしかない。早々に元来の目的へ舵を切らせていただきました」
両手のひらをこちらへ見せて言うので、首を軽く捻ることで返した。
要するに、アージ・デッソへ介入する算段をつけるようには言われていたが、無理そうだったので名目上の命令だけはこなすことにした、と。
「怒られねぇの?」
「私もシーブス殿もそれなりの立場ですので。少々騒がれたところで痛くも痒くもありません。貴方がたに本気で敵対されるよりよほどいい。亜竜の前に置いていかれても困りますしね」
「んなこたしねぇよ」
「我々もそうです。少なくともこんなところで妙なことなど考えませんよ」
まあそうだね。
言うことにも納得がいったので、ガンズーは立ち上がった。
「明日にゃ討伐しちまいたいって考えてるけど、お前ら無理すんなよ」
そう言うと、彼は片手を上げて答えたので、それを横目にして仲間の下へと戻った。
レイスンにはなにやら溜息を吐かれたが、特になにも言わない。やり取りを聞いていたのだとは思うが、文句を言うつもりはないようだ。
代わりに、寝ていたはずのミークがもぞもぞとこちらへ頭だけ向けた。
「あれねー」
目を閉じたままでもにゃもにゃと言う。
「全部じゃないと思うにゃー」
なにがにゃーだ。だが同感だ。
あんなすらすら喋られたらなぁ。やっぱ怪しいよなぁ。
◇
「ぬおおおぉぉぉ……」
急斜面をシーブス神殿騎士が転がっていく。
ごいんごいんと甲冑が悲鳴を上げているが、なかなか頑丈な鎧のようでどこか拉げたりはしていない。
崖下を覗いていたガンズーは、でも中身はちょっとわかんねぇな、などと思いながら見ていたが、太い木立に激突して止まった彼はすぐに頭を振りながら立ち上がる。身体もかなり頑丈なようだ
握ったロープの先にかかっていた荷重が消える。仲間がみな斜面を降り終えた。メイハルトもすでに降り立っていたので、残ったのはガンズーとアノリティのみ。
「んじゃ俺たちもいくぞアノリティ」
「何度も申し上げておりますが、ガンズー様は私の取り扱いに難があります。精密機器に対しては厳重に注意を払っていただくことを推奨します。繊細な作業のできない方と認識していましたが、ノインノール様への対応からそれは誤りであると」
「黙ってねぇと落っことすぞ」
彼女の首根っこを――関節の継ぎ目なのか、ちょうど手を引っかけられる節がある――掴んで猫のように持ち上げながら、空中に向かってぴょいと跳んだ。
足を滑らせて斜面を下る。馬車を抱えて落ちるよりはずいぶんと楽だ。直立の姿勢で手の先にぶらさがっている正にマリオネット人形のような荷物もあるが、ぶらぶら揺れるだけで邪魔にもならない。
地面が近づいたので、さらにもうひとつ跳ぶ。着地。しつつタッチダウン。アノリティの足先はちょっとだけ埋まった。
「んん?」
目の前には密度の高い森が広がっている。が、想像していたより木々の頭が低い気がする。上から見てもいまいちわからなかったが。
「……なぁミーク。ほんとにこの先か? なんか亜竜が隠れられそうにねぇぞ」
「そう? まぁでも小さめだったし、こんなもんじゃない?」
あっけらかんと彼女が言うので、セノアと互いに眉へ皴を寄せながら顔を見合わせた。
改めて確認する。
「いや、だって飛翔体だろ? さすがにもっとでけぇと思うが……あれか? 元が虫とかそんなのか?」
「マーシフラにいた黒色種だったらどう頑張ってもこの森から頭か背中は出てたわよね……虫型の亜竜ってあんまり見ないけど、そんな小さくなるっけ……?」
「そんなわけないじゃーん。虫なんかでもないよあれは」
一歩下がったところで明らかに、おや? といった表情を浮かべたレイスンを見た。こちらも確認する。
「そういやお前、どんな種類だったか聞いた?」
「いえ、先に合流したのはガンズーさんですし……てっきり確認しているものと」
「……こっちもすぐ領主たちと会議だったもんでな」
三本の視線に刺され、ミークは不思議そうな顔をしていたが、右上に向けた黒目を時計回りに一周させると、一瞬だけ口をぱかんと開けた。
「お前いま、あ、って思ったろ」
「いや、ほら、えー、言っ……たような言ってないような、どっちかといえば言ってないかもしれないけど、だって聞かれなかったし」
「聞かなかった俺たちも間抜けだけど、そこ大事だろがよまず最初に言えや」
「……てへぺろー」
「その舌ひっこ抜くぞ」
なにはともあれ、この森に潜んでいるとすればその亜竜は想定していたよりもかなり小さい。下手をすれば変色種よりも小さい。亜竜に成りたてぐらい――成りたてを見たことは無いが――と言ってもいい。
亜竜の力は大きさに比例する。妙な話だった。小さな飛翔体。突然変異かなにかでそんなこともあるのだろうか。
「んで、なんの亜竜だったんだよ」
「えーと、あれはね――」
申し訳なさそうに苦笑いしていた彼女が、唐突に目を見開いた。笑みが消える。
「――来た!」
叫んだのと、木立の向こうでなにかが光ったのは同時だった。
炎。炎の奔流がこちらへ飛んでくるのはわかった。が、森の木々を焼き払い突き進んでくる――わけではない。
炎は蛇行していた。立ち並ぶ木の幹を避けるようにして、こちらへ伸びてくる。
着弾までに若干の余裕があったおかげで、レイスンの術が間に合った。
「【巌塁】!」
いまだ地面に突き刺さっていたアノリティを中心にするように、ガンズーたちを半透明の膜が覆う。
襲い来る火炎はその防護壁に突き刺さる直前で、やはりうねった。生き物のような動きで膜の周囲を跳ね回る。
「おいお前ら! 下がってろ!」
「心配無用! メイハルトよ、私の後ろに回れい!」
跳ねていた炎の先が神殿騎士へと矛先を変えた。一度おおきく空中へ伸びると、落ちるようにふたりへ向かう。
だが彼らは焦る様子も無かった。
「むうううん! 風よ風よ我がともがらよ! 【風纏】!」
仰々しく叫び、レイスンも得意とする魔術を行使するシーブス。彼が掲げる槍の周囲に枯れ葉が舞い上げられた。
「ぬんぬんぬんぬんぬん!」
風を巻きこんで振り回される槍の穂先に、降り注ぐ炎はどんどんと吹き散らされていった。気付けばかすかな火の粉の残滓だけが残る。あれ、もしかしてあいつ強いの?
「まだ来るよ! 今度は本命!」
ミークが森の奥へ向けていた矢を放った。物質は素通りさせる膜を貫き、日差しが届かない暗がりの中へ飛んでいく。
はたして矢が命中したかはわからない。だが、矢の消えた方向からなにかが近づいてきた。
凄まじい速度で迫ってくるそれは、確かに飛んでいる。最初に見えたのは赤い鱗だった。だから一瞬、曲がりくねる炎がもう一度やってきたのかと思えた。
なにせ炎と同じような軌道、同じような速度でやってくる。器用に木の幹を避けて曲がりながら飛んできた。
蛇とは、宙を飛べるようになっても蛇行するものらしい。
蛇型の亜竜赤色種飛翔体は、滑るように襲来した。




