鉄壁のガンズー、いってらっしゃい
「……早くね?」
「急ぎっつったのあんたでしょーが」
イフェッタが来たのはまだ早朝と言ってもいい時間だった。
とはいえ、遠征隊の集合時間がすでに近いので非常に助かる。
問題は、こちらが着替えているところだったのにノノが扉を開けてしまったことだ。ちょうどガンズーのケツが出たところだった。
だというのに彼女は気にしたふうも無い。家の中をきょろきょろと見回して、まぁええわという顔をしている。昨日、頑張って掃除をした甲斐があったようだ。
そのまま入ってくるのかと思えば、どうもどこか家の外へ目をやって立ち尽くしている。なにか眺めていた。ガンズーも玄関から顔を出してそちらを見る。
「あぁ。ノノの両親の墓だよ。元々母ちゃんのほうのがここに作られてたんでな」
「……へぇ」
共同墓地を利用しない者もいないわけではないが、珍しいのは間違いない。墓標も手作り感満載だしな。
納得したようにふたつほど頷くと、イフェッタはようやく扉を閉めた。一抱えほどの荷物をテーブルに置く。
「そんな用意するもんあったか?」
「女には色々あんの」
ねー、と彼女がノノに言うものの、その子にはよく意味がわかっていない。
「……もしかしてもう出るわけ?」
防具を身につけ大斧を背負ったガンズーの姿に、そんなことを言われる。
来てもらったばかりで申し訳ないことだが、出発が早ければ早いほど帰りも早まるというものだ。彼女とは一度腰を落ち着けて話をしたいとは思っていたが、戻ってからとさせてもらおう。
「まぁな。とりあえず想定してたとおり亜竜は見つかったよ。三日程度で戻れるんじゃねぇかとは思うが、もうちょっとかかるかもしんねぇ」
「ふぅん。案外早いのね」
「うまく行けばだけどな」
「どうにかしてきなさい。まぁでも三、四日か……ノノちゃん寂しい?」
「んー」
ノノは唸るだけでどうとは言わなかった。寂しいって言ってよ。
「んー……」
「ちょっと寂しいけど我慢するってさ」
「お前エスパーかよ」
「えすぱ?」
とはいえ、唸る子の視線が右上から右下に移った時点でガンズーにだって少しは察せた。
先日、行ってこいともひとりで飯は食えるともあっさり言いはしたが、それで平気だとは言っていない。彼女はすでに贅沢を知ってしまったのだ。
ガンズーはノノの髪をわしゃわしゃと撫で、頬を掌でぐいぐいと揉んだ。やめろこの野郎という目をされた。
イフェッタが来てくれて本当によかった。少なくとも、ひとりで寂しいという思いはさせずに済む。
「助かったよ。感謝する。帰ってきたらなんでも言うこと聞いてやらぁ」
「なんでもねぇ……ま、考えとくわ」
できれば常識の範囲内でな。
というわけで、ひとまとめにしておいた荷物を背に引っかけると、ガンズーは彼女に向けて姿勢を正した。
「ノノのこと、よろしく頼む」
「はいはい。あらよっと――ん?」
真面目な表情で演じてみせたのだが、彼女はこちらを見てもいなかった。なぜか唐突にノノを抱え上げると、やはりなぜか不思議そうな顔をする。
「……やっぱノノちゃんちょっと太った?」
元欠食児童が首を傾げる。自分を抱えるイフェッタの顔を見て、ガンズーのほうを見て、それから自分の身体を見る。
全力で眉間を歪め、またこちらに目を向けた。いいんだよお前はちょっとくらい太ったほうが。
「ていうかノノ抱えてなにするつもりだ」
「んー? いやぁほら、いい機会だし……サービス?」
「なんの?」
「そりゃもう、ねー?」などと言っているが、己の腹を睨み始めた子は聞いているやらいないやら。
なんだか知らないが、そろそろ出なければならない。
「とにかく、そんじゃあちょっくら行ってくっからよ」
「だってさノノちゃん。なんか言ってあげな」
「ん」
ふたりが揃ってこちらに顔を向ける。
「いってらっしゃい」
「いってらっしゃい、あ・な・た――ちょっとなにその顔せっかくの大サービスだっつーのに」
申し訳ないがほんのちょっと恐怖を感じてしまった。本当に申し訳ないのだが。頼むからいきなりくっつかないでくれ。
想像すらしたことのないシチュエーションは勘弁してほしい。
◇
アージ・デッソ北門の前にはそこそこの人数が集まっている。
神殿騎士ふたり。ボンドビー及び冒険者協会職員が数名。ステルマー。それから勇者パーティ勇者抜き。
どうも領主の使いと協会の面々はわざわざ見送りに来たようだ。大袈裟に感じてしまうが向かう先にいる相手を思うとむしろ少ないほうかもしれない。
「遅いぞ鉄壁のガンズー! 腑抜けているのか!」
叫ぶシーブスに半眼を向けても、彼は槍を片手に仁王立ちをしてまったく意にも介さない。
辺りを見れば遠征参加者は全て集まっていたので、たしかにガンズーが最も遅かったのかもしれない。しかし約束した刻限には十分に間に合っている。文句を言われる筋合いは無いはずだ。
彼を無視して勇者パーティのひとりとして合流した。彼らに旅姿で参加するのは久しぶりのことだったので、なにやら少し気恥ずかしい。
「よう」
「遅いっての」
結局怒られた。
「しょーがねーだろ今の俺ぁそんな身軽じゃねぇんだよ」
「ノノさんはどうされたんですか?」
「まぁなんとかしてきた」
「まさかあんた適当に置いてきたんじゃないでしょーね追い返すわよ」
「んなわけねぇだろいちおう信用できる奴に任せてきたよ」
「えー誰? けっこう困ってそうだったじゃん。ねぇねぇ誰だれ?」
「いいだろ誰でも」
「植物性物質の付着と揮発が確認されました。化粧に使うもののようです」
言った当人――機――を除いた三人から、信じられないものを見る目を向けられる。違うぞ、これはそのなんだ、あれだ、事故だ。違うぞ。なんかその、そういうのじゃないぞ。信じてくれ。
実現できる最高の速度で話題を逸らす。
「ていうかなんだ、アノリティ。やっぱお前も来るんだな。大丈夫なのか?」
「データ破損個所の上に仮想レイヤーを構築し下層の凍結処理をおこないました。機能のいくつかが制限されますが、併せて断片化されていたログの連結と空白データの処理をしましたので誤作動の心配はありません」
「お、おう……そうか」
「当機はもう以前までの私ではありません。ニューアノリティとお呼びください」
要するにデフラグやクリーンアップをいっぱいやったってことだろうか。
ちらとレイスンを見る。
「これどれくらいもつと思う?」
「以前同じような呪文を唱えていたときは三日ほどでしたかね」
「まぁ遠征のあいだ大丈夫そうならいいか」
ともあれ、神殿騎士のふたりもとうに準備は済んでいるようなので、いよいよこれで出発できる。
ウルヴァトー山の手前までは人の手が入っているので――主に狩猟協会の狩人によって。伐採もそこまで伸ばす考えもあったようだ――進めるところまでは馬を使うことができる。
「どうぞ、アノリティさん」
「レイスン様、何度も申し上げますが私にスラスター機構は用意されておりませんので、単機での乗馬は不可能です。補助が必要です」
「あなたを持ち上げるのはとてつもない作業なんですがね……」
「さっさとしなよあんたたちー」
「セノアも早くね」
「考えたらミーク、あんた馬いらないんじゃない?」
「しょーがないじゃんセノア乗れないんだから」
各員が乗る馬は冒険者協会が用意してくれた。
勇者パーティにおいてはふた組が同乗となる。アノリティが垂らされた布のようにべろんと尻に乗っかると、その馬は一瞬だけヤバそうな顔をしたが大丈夫だろうか。あいつ比重おかしいんだよな。
「お、久しぶりだなおい」
ぼふ、と返事。
ガンズーの前には他よりもひと回り大きな体躯のものがいる。ノノたちを虹狩りの護送隊から救出に向かった際に乗った馬だった。
「ほう、いい馬だな。どうだ鉄壁のガンズー、私のと交換せんか。見てのとおりの重装備でな。下手な馬では潰れてしまうのだ」
それを見て寄ってきたシーブスが言った。
自分で言うように彼はガチガチの重装備。兜をその手に持っているので頭だけは出ていて、それ以外の身体の全てが鉄板に覆われている。プレートアーマーというやつだ。
少なくとも今は動きに支障はない。それなりの膂力はあるようだが、もしかしてその甲冑姿で山へ入るつもりだろうか。
だからといってガンズーはどうこう言ったりしない。好きにすればいい。遭難しそうになっても手助けしたりしないけど。
そして馬を譲る気も無い。
そう言う前に、馬自身が断った。
ぶるるしゅ、と口を震わせ、シーブスの顔に唾をしこたま吹きかけた。
「ぬおっ!?」
「あー、悪いな神殿騎士さんよ。こいつなんか気ぃ荒いらしくてよ。俺はいっぺん乗ってるから許してもらってるが、まぁ、そういうことらしいや」
「んんん……おのれっ」
顔面から獣臭を発して離れていく騎士を見送る。馬の背に上がり、その首筋を撫でてやった。ニンジンでも持ってきてやればよかったろうか。
そういえば神殿騎士の片割れはどうしているだろうか、と思って見てみれば、一足先に騎乗していたようで少し離れたところからこちらの様子を眺めている。
今のところ特になにかしてくるわけではないが、なんとも不気味だ。
メイハルトもシーブスほどではないが、しっかり鎧を着こんでいる。だから登山なんだぞお前ら。あれか、騎士だからか。そういう恰好じゃないとダメなのか。もしくはそれでなんの問題も無いのか。
ひょこひょことボンドビーが寄ってきた。どうにか髪も髭も生き残っていたようだ。
「ガンズー殿、吉報をお待ちしております」
「おう。俺ひとりならともかく、今回はあいつらもいるからな。心配すんな」
視線を移せば、尻からずり落ちたアノリティが落下した弾みになぜか目を発光させ、ミークとセノアの乗る馬をびっくりさせ無駄に騒がせたりしている。
なんだか懐かしさすら感じる、いつもの光景だ。トルムがいないのが残念だ。
「よろしくお願いします――神殿騎士にはくれぐれもご注意を」
後半の言葉はひそひそと小声にしたのに、馬上にいるガンズーの耳には届いた。器用な奴だ。
「よし! それでは参ろうか!」
相変わらず持ったままの槍を振り回して、シーブスが声を張り上げる。今から張り切ると疲れるぞ。
◇
シーブス・カノルコという男は少なくとも使えないわけではなかったらしい。
ウルヴァトーの山影が見えてきた辺りから野良魔獣がちょっかいをかけてきたのだが、先導する彼に――べつに彼が案内しているわけではない。案内はミークの仕事である――瞬時に撃退される。
鈍重そうに思えるその体格も装備も、馬上から槍を操る分にはまったく感じさせない。
麓の手前――の、さらにもうひとつ手前あたり――にちょっとした掘っ立て小屋があった。無人かと思ったが、常駐する者がいたらしい。
冒険者協会から連絡が行っていたのか、そこで馬を預かってくれるという。
手早く昼食をとって、山中へ入った。
以前ガンズーが単機突撃したコンネオ山とは違い、ウルヴァトー山はおおむねなだらかな道程だ。切り立った岩壁がそこかしこで崖を作っている、などということはない。
魔王の座すカルドゥメクトリ山脈の一部ではあるが、人の入れる山のひとつ。もしかしたらオーリーのおやっさんが猪を獲りに来たのはここだろうか。
ただし、樹が多い。山林がぶ厚い。
木の影には瘴気だまりも少なくないし、獣が多ければそれだけ魔獣も多い。魔獣化している樹木もあるようだ。自ら勝手に掘り返ったような根の跡を見かけた。
人は入れる。が、安全などとはけして言えない。
しばらく進むと、着実に山道は狭くなってきた。一列に並んで進まなければならないほど。もはや獣道である。
少し高いところに出る。木々が低くなり、視界がひらける。
「あの辺だよー」
ミークが指差したのは遠く、丘に挟まれるようになった森林。
なのだが、低い。現在ガンズーがいる場所から見るとやたら低地に見える。森の頭を完全に見下ろしている。
しかし亜竜の隠れられる場所ということは、絨毯のように伸びるあの森の木々は相当な高さがあるはず。ということはかなりの高低差がある。おそらくふたつ、三つは崖を下りなければならない距離。
なだらかなウルヴァトー山。だからといって山である。自然がかたち作った起伏はこちらの都合など考えてはくれない。
また崖落ちかぁ。ガンズーは思った。今回は下るだけなのだが、崖を落ちるだけを目的に山を登ったこともあるので、落ちる気になってしまった。
前回の崖落ちはノノとの出会いに繋がった。今回は――
森の中で、なにかが蠢いた気がした。




