鉄壁のガンズー、縮む
目の前の女は不機嫌である。
この世界この時代にもスウェットなんてあったのかと勘違いしてしまいそうなくたびれた部屋着を身体にひっかけているが、そもそもそんな姿で外に出てきたのもガンズーのせいなので視線で突き殺されそうなのも仕方ない。
「んなデカい図体してうろちょろうろちょろさぁ、どこの不審人物よ。ここあんまり大手を振って外歩ける人ばかり住んでるわけじゃないんだから勘弁してよ。隣の子なんか子供連れの借金取りが来たとか怯えちゃって」
「すんません」
「すまねー」
へこりと頭を下げる。通常、ガンズーが頭を下げても大抵の女性は背丈の関係上その頭頂部さえまだ視界に収まる。
イフェッタの場合は額までは隠れた。背が高い。できればじっとりと睨みつけてくる目線も隠れてほしかったが。
「んで今度はなに。またなんか探しもの? ノノちゃん連れて、例の噂でも調べに来たってわけじゃないでしょ」
「噂? ってなんだ?」
「ん? あぁなんだ知らなかったんだ。べつに気にしなくていいよ、物盗りか通り魔か知らないけど近所が最近ちょっと物騒ってだけ。どうせ冒険者協会あたりがどうにかするんじゃない」
「ふむん?」
元々この辺りは街の中でも治安が良いほうではない。というかよろしくない人間が集まることができるのがこの辺りくらいだ。
つい先日でかい事件があったばかりだし、それに触発されてはしゃぎ気味になったバカでもいたのかもしれない。衛兵も協会も忙しいし、早く落ち着いてほしいものだ。その何割かが自分の肩にかかっている。
それはそれとして、
「で、だったらなに? まさかアタシに用って言うんじゃないでしょうに」
「おう、そうなんだよ。あんたに会いに来た」
「……は?」
本気で意外だったらしい。一瞬だけきょとんと口をひらいた彼女だったが、首は斜めになっていよいよ抉りこむような視線を送ってくる。
これは多分あれだ。くだらねぇ用件だったらぶん殴るぞと思っている顔だ。だって俺も似たような顔するもん。いや違うな、彼女の場合はタマ捩じるぞとかそんな感じだ。やめてください、いくら鉄壁でもそれは大変です。
しかしどうなんだろう。こちらとしては全然くだらなくない重要な案件なのだが先方としてはどうだ。
まあなんだかんだ話くらいは聞いてくれるかな、などと考えてここまでやってきたが、こうまで睨まれると怖くなってきた。凄まじく無茶なお願いをしにきた気がしてきた。
というわけでガンズーはもじもじした。
「さっさと言えや気色悪い動きしてないで」
くそぉ俺みたいなこと言いやがって。
恐る恐る、これまでの経緯を説明する。困ったことに前回会って以降の修道院が焼けたあたりの事情から始めなければならなかったので、やたら長くなったし、やたらたどたどしくなった。
彼女から飛んでくる「は?」の数が五を超えた時点で、ガンズーから出る「すまねぇ」は十を超えていた。
イフェッタがこちらを見る目は優しい。
ただ、それは単に呆れの色が濃くなった結果なので、結局ガンズーはいたたまれない気持ちから逃げられなかった。
ふぅー、と彼女の口から細く長い息が漏れる。深呼吸かな? 溜息ですね。しかし「は?」ではなかった。これは大きな前進だ。押し切れるかもしれない。これはいけるぞがはは。怖い。
「……ひのふのみ、いやー、四かな。とりあえず四つくらい聞いていい?」
とても優しくそう言われたので、ガンズーとしては「はい」と素直に答えるしかなかった。
「アタシの都合は考えた? アタシいちおう、働くお姉さんなんだけど」
「はい。いや、は……その……考えたことは考えたんだが、他に当ても無く……とにかく聞いてみんことには、と……」
「当ても無いなら会える確証も無いで来るだけ来やがった、と」
「さ、左様で」
「なにが左様よ」
「すんません……」
「……ふたつめ。アタシが無理ならどうすんの」
完全に頼りにしていたので考えてませんでした。これからまた考えます。
と言ったらいよいよお叱りを受けそうだったので、全力で頭を回転させて返答を探した。
「それなら……まぁ、もうそうなりゃどっかの宿に無理言って置いてもらうしかねぇかなぁ」
「知ってる宿はダメだっつったのあんたでしょ」
「いや、だからこう、どっか他に多少包んで」
「家にノノちゃん残してくのと大差無いでしょ余計な金までかけて本末転倒じゃないの」
「だって」
「なにがだってよ」
「すんません……」
ぶはー、と今度は天に向かって太い溜息。ガンズーはもはや限界まで縮こまっていた。腕の中の子は窮屈そうにしている。
「三つ。その子の意見は?」
「んん?」
「いっちゃん肝心なとこでしょうが。その子が抵抗ない相手のほうがいいに決まってんじゃない」
しまった。てっきりノノは彼女に気を許したものだと思っていたが、考えてみれば一時間ほど一緒に留守番したことがあるくらいだ。
ここでこいつは嫌じゃと言われてしまうとガンズーの努力は無に帰す。そんなことないよな? と願いながらノノに聞いてみると、
「サボテン」
とのことだった。
どうやら以前のことで味を占めたらしい。イフェッタがいればまた同じものが食えると思っているのだろうか。あれ買ったの俺なんだが。
「ダぁメよ。あんないいモンばっかり覚えちゃったらろくな大人にならないんだから。ブクブク太るよ」
ノノはそんなバカなという顔をガンズーに向けた。
これはどっちだろう。きっとおいしいものを食べさせてくれると信じていたか、自分が太るなどと考えていなかったか。
どちらにせよ、この子の夢がひとつ潰えたかもしれない。
「心配すんな、帰ってきたらまたうまそうな果物買ってこような」
「そうやって甘やかすとデブで我儘なしょーもない女ができあがるのよね」
「言うこときく……」
「そ。よくできました」
「ノノぉ!?」
これはいけない。俺よりも先にノノが節制を覚えてしまう。偉い。偉いんだが、寂しい。
「四つめ」
謎の狼狽をするガンズーを無視して、イフェッタは続けた。
「予定が決まり切ってもないのに唾だけ付けにくるんじゃないよアホたれ」
最後は質問ではなく叱責だった。すいません。
そうなのだ。もし彼女が快諾してくれていたとしても、ではいつからいつまでなのかはここではっきりと答えることができないのだ。
まずは亜竜が発見されなければならない。居場所さえわかれば一両日中には遠征となるだろうが、どこに向かうのか決まらなければ始まらない。
そしてその場所によっては、日程がどんどん延びる。
「いや、それはそのな、あれよ。そういうののプロが入ったし、多分もう明日くらいにはわかるんじゃねぇかと思うんだよ。だからこう、ほれ、急がなきゃならんかったというか」
「見込みで人さま使おうってのかい。はー、さすがは鉄壁のガンズーさまですわーお偉いのねー」
「マジで困ってんだよぉー助けてくれぇー!」
とうとうガンズーは降参した。いじめないでくれと白旗を上げた。ノノを抱えていなければ土下座していたかもしれない。この世界に土下座の概念は無い。
もう一も二もなく頼みこむしかない。最初から無理な頼みなのは承知の上で来たのだ。そこをなんとかと言うつもりで来たのだ。恥も外聞もだいぶ前に捨てた。具体的には目の前の彼女に股間を弾かれたあたりで。
またひとつ溜息が――と思ったが、どちらかといえば笑ったのだろうか――鼻で笑ったのかとも思えたが、苦笑だったのかもしれない――届く。
「初めからそう言えっつの……」
ほぼ口の中だけで呟かれたので、いまいちガンズーには聞き取れなかった。
「はー。ったく。アタシがしばらく休みにしてなかったらどうするつもりだったのよホント」
「え、そうだったのか?」
「この商売の女は休み取らなきゃならんときもあんの」
「……あ。あー……あー……その、体調はいかがでございましょうか」
「変な口調やめな。軽いのよアタシ」
なるほど。あまり引っ張る話題でもないので飲みこむ。
ん? ということは、
「ということは?」
「いちいち確認するくらいなら言うことあるでしょ」
ノノを腕から下ろす。
踵を揃え、両腕をぴしりと伸ばす。
「ありがとうございます!」
「ます」
ふたりで頭を下げた。
◇
ミークが本日中に戻ってくるでもない限り、少なくとも出発が明後日以降となることは間違いない。神殿騎士も同行する都合上、各所への連絡作業が含まれるし、それぞれの準備もある。
ということをイフェッタに伝えると、ならば明後日の朝には一度家まで来てくれるという。荷物でも置くついでに。もしそこですでに出発が決まっているなら、そのまま残ってくれる。
家の場所を伝えようとすると、
「知ってるからいいわよ。それより掃除しときなさい」
と言われた。
どこに住んでるかまで有名になっているのだろうかと不思議だったが、彼女はこの街に詳しい。了解していてもおかしくないかもしれないと納得する。
もし遠征が長くなってしまった場合は、なにかしら店には理由をつけるから気にすんな、だそうだ。それなりに古参だし借金があるわけでもないのでどうにでもなるのだとか。ガンズーは頭が上がらない。
ともあれ、問題は亜竜。早く見つかってもらいたい。
と考えていると、勇者パーティの超斥候でありスーパー野伏は見事に期待に応えた。次の日の午前中にはガンズーにも知らせが届いた。
亜竜赤色種は予測どおりウルヴァトー山中に潜んでいた。ただし山頂付近ではなく中腹の丘陵地帯。
少々入り組んだ場所なので確かに巨大な生物でも身を潜めるに適している。人間が進行するにも苦労する。その代わり、距離的には山頂を目指すよりはマシだ。
勇者パーティだけの足で考えるならば、三日ほどで済む。神殿騎士の能力が未知数ではあるものの、四日まではかかるまい。スムーズに行けば、だが。
そしてやはり出発はその次の日。どうにか想定どおりの予定となってくれた。あまりイフェッタを拘束してしまっては山の中でお腹が痛くなるし、ノノを待たせてしまうのも嫌だ。
仲間との打ち合わせを終え種々の用意をすると、ガンズーは運よくまた出物があったサボテンの実を買った。
ノノはえー、という顔をしていた。しかし結局食べた。内緒な、と言いながらふたりでこそこそ食べた。気が早いが、なんとなくこそこそした。
ゴミの中に皮が残ってしまったので、バレてしまうこれはいけないと思ったが、久々に顔を出したケーに食わせた。割と喜んだ。蛙はどうやらサボテンも食うらしい。
自分の代わりに女がしばらくここにいる、と彼に伝える。くれぐれも喋るところを見せないようにとも。
「なんだい? つがいでもできたのかい?」
そんなんじゃない、おっかねぇんだぞ。おっかねぇんだぞ!
と言っておいた。マジにお前なんか妙なことすんなよ俺がなに言われるかわかんねぇんだぞマジで! とも言った。なかなか迫真の勢いで言ったので、ケーは珍しく素直に了承した。
なんだか亜竜そのものよりこっちの事情ばかり考えている気がする。もしかしたら遠征中すらそうかもしれない。
いかんなぁ、と思いながら出発の日を迎えた。




