鉄壁のガンズー、託児
亜竜の捜索にはミークも参加することになった。となれば、見つかるのも時間の問題だろう。
トルムには俺から伝えると彼女に言うと、街中で適当に散らばっているセノアにレイスン、ついでにアノリティに教えてくると宣言してまた飛んでいった。
なにか忘れているような……ダメだ、頭が疲れている。だからあれこれ考えなきゃならない場所に俺を連れ出すのは勘弁してくれよ。
まだ打ち合わせることがあったらしい領主と協会支部長を残し、館を後にした。神殿騎士たちもすでにいない。
とりあえずノノを迎えに行こうと、離れへ向かう。彼女を回収したらトルムのところに寄らなければ。左腕の包帯をぶっちぎってしまったのでオプソンには見つからないようにしなければ。
そんなことを考えていると、対面から歩いてくるステルマーと、彼が付き添うようにして老人がひとり。
先ほどまで顔を合わせていた相手だ。アマンゼン司教。
ガンズーよりも前に会議室を去っていたが、どうやら修道院の者たちの様子を伺いに行ったらしい。教会関係者なのだから、挨拶ぐらいはするというものか。
彼は目の前まで来ると、首をわずかに動かすようにした。こちらも頭を下げる。
「先ほどは……」
「いやあ、こっちもちゃんと挨拶できねぇで。失礼しちまいました」
置物のようだと思ってしまった相手だが、まがりなりにもこの街の七曜教会でトップに立つ人物だ。ハンネ院長よりも上。改めてそう考えるとなんとなく姿勢を正した。
髭も無いし髪もほぼ無いが、眉毛だけはずいぶん長い。目に影ができている。それほど大きくない体躯を法衣に包んでいるが、顔だけ見ればその辺にいそうな老人だった。
「鉄壁のガンズー殿には感謝しております……修道院の者は皆、敬虔で優秀な子たち。彼女らを、そして子供を守ってくださった。そして此度も、お力に頼ることとなる……」
のんびりのんびりした口調だが、しゃがれても滲んでもいないよく通る声。会議で出したどもり声が嘘のようだ。この声で説法でもされたら気持ちよく眠れそう。
「その、俺はあれですぜ。神殿騎士の奴が言っていたとおり、ポカやらかしちまいましたんで。今回はなんつーか、その挽回みたいなもんです」
「……ガンズー殿」
影がかかるせいで眠そうにも見える目が、こちらを捉えた。
「かの神殿騎士にはお気をつけください。タンバールモースは昨今、少々情勢が不安定なところがございます……此度の件、他にも思惑があると見てよろしいでしょう。立場上、儂から領主殿には言えませなんだが」
「……ん? えぇと、司教さん。それ俺に言って大丈夫なんですかね?」
アマンゼンは不意にかくりと首を少し曲げた。まさか立ったまま寝落ちしたのかと思ったが、ひとつ呼吸を整えただけらしい。
「……儂は、実を言いますとあまり信心深い人間ではないのです。神の教えも神への祈りも、適度に心へ宿すのがよいと考えております……気付けばこんな立場となりましたが、例えば大神殿に移りたいなどは思いません」
「そりゃまた……いいんじゃねぇですか。尊重しますや」
「ありがとう。儂はねガンズー殿……アージ・デッソはよい街だと思う。活気がある、人の活きている街だ。街には、教えが必要な場所とそうではない場所がある……儂はここは、このままのほうがいいんじゃないかなぁと思うのですよ」
よく響く声を急にもごもごと控えて、「危ないところに飛ばされるのも怖いから言うこと聞くしかないんだけども……」という彼に、どう返したものか迷う。
なかなか思い切ったぶっちゃけに、ガンズーは思わず一歩下がっていたステルマーを見た。目を閉じている。私はなにも聞いておりません、だそうだ。
なんにせよ、彼は彼でこの街を案じていたようだ。平穏を愛する人間であるのだろう。平和ではなく平穏。近くに災の気配があろうとも、変わらぬ日常を望む心。
生活をする者として当然の心だ。誰も彼もが戦うことなどない。
ならば言うことはひとつ。
「これまでどおりの生活ができるように、頑張りまさぁ」
「……金神の加護よあらんことを」
◇
「気をつけてね」
「おう。いや早ぇな」
病室のトルムは暇そうだった。もうすぐ退院できるが、だとしても今なにか時間を潰す手段があるわけではない。
とりあえずここ数日は上半身を鍛えていたらしい。空いてるベッドをバーベル代わりにして怒られたとか。
亜竜の討伐をやることになったと言うと「わかった」と答えられた。勝手に請けて悪いなと言うと「いいよ」。仲間も連れてくぞと言うと「うん」と返事。そして気をつけてである。
なんかこうお前、もうちょっと躊躇とか文句とか無いのか。ノノの返事じゃねぇんだぞ。その彼女は隣の空きベッドでごろごろしている。
「だってガンズーが請けたんだから、なんか困ってそうだったんでしょ」
「まぁそりゃ……うーん、確かに困ってはいたが、どっちかっていうと勢いで言っちまった部分が多いかなぁ」
「そういうときはだいたい先に答え出てるじゃない」
ぐうの音も出なかった。
あれこれ考えたが、厄介な事情が有ろうが無かろうがガンズーは領主たちに頼まれれば結局どうにかしようとしていたと思う。
なにはともあれこの街にはできるだけ平和であってほしいし、面倒な事情もなるべく抱えてほしくない。これからも子供たちはここで暮らす。少なくともノノはそうなるだろう。
魔物も賊も亜竜も大人の事情も、遠ざけられるならそれに越したことはない。
「ていうか、もし僕のところに来てても勇者云々は置いておいて請けてたよ。いや僕自身は動けないんだけどさ。頼む順序が違っただけじゃないかな」
「お前は当然そう言うだろうよ」
「だからそっちが請けたことも当然だろうね」
「むう」
「ただ、ガンズーが悩むところもわかるんだけどね……」
というわけでガンズーの対応にお墨付きは出たものの、肝心の問題は残ってしまっている。
ふたり揃って、毛布に包まって転がる子を見る。
「山の中にいるかどうかはともかく、近隣で他に目撃情報が出てきてないならどっちにしても一日、二日の遠征では済まないかなぁ」
「そこなんだよ……」
「誰か預けられる先とかあるの?」
「それがすんなり出てくるなら悩んでねぇんだよな……」
うーん。ガンズーは腕を組んでそっくり返る。
というかそもそもノノに細かい説明をしていなかった。当然、彼女は不審な空気を感じ取って毛布から頭を出した。
「パパどっか行くの」
「ん、まぁ……ちょっと竜退治にな」
「りゅう」
「おうよ。ほっといたら街もノノの家もガオーされてめちゃくちゃにされるぞ」
「がおー」
「そうだ。大変だろ?」
「ふーん」
「ふーんてお前。で、その、だからな、ちょっと何日か出かけてこなきゃならないっていうか、今回ばかりは連れてけねぇっていうか」
「ふーん」
「ふーんてお前」
彼女は特に止めなかったし嫌がらなかった。寂しい。
「行ってら」
「い……ま、まぁ行くんだけどよ。だからそのあいだノノに待っててもらわなきゃならないわけで――」
「るす番してる」
「は? いやいやなに言ってんだひとりで置いてかねぇぞ誰に頼むかを考えてんだから――」
「ごはん食べれるよ」
「…………」
ノノはまだ小さい。
のだが、実際にガンズーと出会うまではたしかにひとりで飯の準備もしていたようだし、なんなら木の実を集めて金を稼ぐ手段まで確保している。
酒に酔って彷徨う父親が家を出ているあいだは、ずっとひとりでいたのだろう。
ということを思い出してちょっと涙ぐんだ。ダメだダメだ。ひとりにしていくわけにはいかない。
「ノノちゃんは強い子かもしれないけど、ガンズーはノノちゃんが心配なんだよ」
咄嗟に言葉が出ない状態になっていたが、トルムがそれを汲んでくれた。
「こないだだって知らないところに連れていかれて大変だったでしょ?」
「泣いた」
「うん。ガンズーも大変だったんだよ」
「パパも泣いてた」
「ね。泣き虫だよねガンズー」
「なきむし」
うるさいやい。
さて、この子があまり歓迎したくない覚悟を抱えていることはわかった。であればなおさら、そんな覚悟はいらんぞと教えてやらねば。
問題は誰にどういったかたちでこの子の面倒を頼むかだ。
こういうとき、普通は親戚やら近所の人にお願いするのだろうか。残念ながらノノにもガンズーにも親戚などいない。ご近所付き合いはこれまで保留のままにしてしまった。
では近所でなくとも知り合いだ。
まず修道院の面々が浮かんだ。なにせノノともどもガンズーも世話になった実績がある。
が、いかんせん彼女らは現在居候の身。聞けば領主邸の離れは人数的にギリギリだった。頼めば子供ひとりくらいのスペースは確保するかもしれないが、あまり負担はかけたくない。
領主としても無理な頼みをする手前、断りはしないだろうしあるいは屋敷のほうで預かろうとするかもしれない。だがあそこはノノにちょっと嫌な思い出がある。夫人という心配要素もある。ダメだ。
三頭の蛇亭。宿なんだし妥当な料金を払えば受け入れるかも。しかしあくまで客としてだ。おやっさんとベニーのふたりで切り盛りしているのだし、子供ひとりに付きっ切りというわけにはいくまい。
山羊のひげ亭も同じく。そもそもあそこは時おり飯を食いに行くくらいでそれほど懇意にしていない。あのおばちゃんなら悪いようにはしないだろうけど、ちょっと気後れする。
三兄弟。却下。ノノの面倒を見てもらうのだ。彼女に面倒を見させるわけにはいかない。
こういうときに留守番を頼もうと彼らを弟子にした気がするが、やっぱダメだ。不安すぎる。
ヴィスク。そうだあの嫁さんふたりなら互いに慣れて――しまったあいつら仕事に出ちまった。なんで阻止しなかったんだ俺は。
あとは、えーと、あとは……協会の連中? いやいや、連中って言ってる時点で誰か思いついてねぇじゃねぇか。ボンドビー? あいつ奥さんとかいんのかな。いやこれ以上なにか任せるといよいよハゲそうだな。
あと、あと……あれ? 俺けっこう知り合い少ない?
あ、そうだ! 目の前にいるじゃねぇか! トルムは遠征に出れないんだからこいつに任せれば――足折れてる奴に頼むのもなぁ。ノノもまだそんなに慣れてないわけだし。
頭を抱えたガンズーに、その足が折れた男からぽんやりした声がかかる。
「一番いいのは面倒見がいいというか、ノノちゃんと仲良くしてくれる人がいいんだろうけど……なんか凄い悩んでるね」
面倒見がいい。
ノノと仲良く。
してくれる人。
してくれたことがある人。
ひとり心当たりがあった。
◇
ガンズーはうろうろしている。
ノノを左腕に抱え、うろうろしている。
立ち止まり、建物を見上げ、そしてまたうろうろしている。
在宅かどうかすらわからなかったが、はたして祈りは通じたようだ。
「――なんだってのよあんたさっきから」
イフェッタは今日もすっぴんだった。




