鉄壁のガンズー、帰還
崖の上に足をかけて、ガンズーはその身を一気に引き上げた。
「よーしお前らよく頑張ったな。もう大丈夫だぞ」
身体にしがみついた三人の子供たちに声をかけながら、抱えるために縛っていたくくりを解いていると、
「おお、ガンズー殿。良かった」
というボンドビーの声に顔を上げる。
改めて見れば、ボンドビーは腕をまくってロープを握っていた。その後ろには護衛だろうか、ふたりほど若者が息を荒げて地に両手をついている。
てっきり木かなにかにロープを繋いだかと思っていたが、まさか自力で引いていたとは。もしくは引き上げようとしてくれていたのか。
「なんだよ、その辺に繋いでくれりゃよかったのによ」
「いやぁ、そうなのですがちょっと長さが足りませんでな。急いで来たもので準備がよくありませんでした。しかし流石はガンズー殿、あれよあれよと登ってこられて、拍子抜けしてしまいました」
はっはっは、などと笑っているが、ガンズーに加えて子供三人分の重量を引き上げるのはなかなかの作業だ。現に連れた二人は疲労困憊している。
まくった袖から見えるボンドビーの腕は老年手前にしては筋肉質だった。
冒険者なんて荒くれをまとめる組織の統括である。案外、現場主義であり腕も立つ男なのかもしれない。
ガンズーはちょっとだけ眼前のちょび髭男の認識を改めた。うまく使われそうになったことは忘れていないが。
「――子供たちも、無事のようですな」
子供たちはガンズーのズボンを掴んで、ボンドビーをうかがっている。
「囚われてたのは三人だ。間違いねぇな?」
「はい。聞いていた通りです。依頼者であるドミス殿がご自身で確認しておりましたから――」
「お父さん?」
ボンドビーの言葉にパウラが反応した。
彼女の父親はドミスという名前だったようだ。
ガンズーは、ボンドビーを見た。柔和な表情を崩そうとはしていない。それでかえって、彼がつとめて感情を出さないようにしていることに気づいた。
「……荷車を引いてきたっつったか」
「えぇ。皆さん、収容させていただきました」
「そうか。向こうか?」
「林の手前に護衛とおります」
「そうか」
それだけ聞いて、ガンズーはパウラの頭を撫でる。
パウラは嬉しそうに、
「お父さんね、助けにきてくれたの。パウラ見たんだよ。お父さんすっごく強いから、パウラぜんぜん怖くなかったよ」
そう言った。
ガンズーは何か言ってやろうと思ったが、歯を食いしばっていたので曖昧に微笑むしかできなかった。
「……参りましょう」
ボンドビーがそう促すので、ガンズーはやはり頷くしかできなかった。
パウラは背伸びをして、荷台を覗きこんでいる。背中を向けているから、どんな表情をしているかは分からない。
彼女を心配してか、アスターもその横に佇んでいる。
布に包まれた父親の遺体を見て、パウラは少しだけ泣いたが、それはガンズーが想像したよりもはるかに静かな嗚咽だった。
君を助けるために凄く頑張ったんだよ、というボンドビーの言葉をどう思ったのかはわからない。
ただ、ほどなく泣き止んで、それから彼女は眠る父親をじっと見つめている。
少し離れたところ、ガンズーの足元で、ノノはその姿を眺めていた。
遠くからボンドビーの護衛が馬を引き連れてきた。ここへ来るためにガンズーがその背に乗ってきた馬だ。
「おう、無事だったか。悪かったなぁ乗り捨てちまって」
声をかけてみると、ぼっふ、と返事――返事? 少なくとも怒ってはいないようだ――のように口を鳴らした。頭が良い馬である。
「ガンズー殿。そろそろ魔獣の死骸が瘴化分解を起こし始めております。新手に襲われてもたまりません。撤収いたしましょう」
「ああ、そうだな……そういやぁボンドビー。少し手前と、あと麓にも生き残りがいたと思うんだが」
「シウィー殿とコーデッサ殿ですな。シウィー殿がいささか重体でしたので、コーデッサ殿に頼んでひと足先に街へ戻っていただきました。彼女は軽傷でしたし、森に彼女らが乗ってきた馬もおりましたので」
麓にいた女魔術師はコーデッサという名前だったらしい。
上級冒険者たちは彼女だけを残して全滅してしまった。
彼女はこれからどうするのだろう、と余計なことまで頭によぎり、ガンズーはかぶりを振った。
それはガンズーが考えることではない。
帰路につく段になって、子供たちを冒険者たちの遺体が乗った荷車に乗せるわけにもいかず、それぞれの馬に相乗りすることになったが、ノノがパウラの服を掴んで離さなかった。
ノノは相変わらず表情を動かさないし、何も言わないので少々参ったが、パウラも拒まなかったし、ふたりで静かにガンズーを見つめるので、ガンズーの馬の背には三人が並んで乗ることになった。
元々ガンズーを乗せてもビクともしない恵まれた体格の馬である。子供がふたり増えた程度なんということもない。
ノノがなにを思ってそうしたがったのかはわからない。
わからないが、もしかしたら彼女なりに、今この場で最もいたわられるべきはパウラであると考え、そして最も頼れるのはガンズーであるとしてくれたのかもしれない。
平原を行きながら、ガンズーはボンドビーに聞いた。
「なぁ、こいつら、これからどうするんだ?」
「そうですな。ひとまずは、教会に預かってもらうのがいいでしょう。アージ・デッソにも孤児を受け入れている所がございます。身元の調べと、帰す算段がつくまではそちらに頼みましょう」
孤児か。ガンズーは思った。
ガンズーは親の顔を知らない。正確には、この世界での親を知らない。
気がついた時には傭兵団で丁稚をやっていて、そのまま下っ端として小さいころから戦場に出された。
三歳で親から買った、と傭兵団の長に教えられたことがあったので、かろうじて歳はわかったが、親の名前だとか、故郷の場所だとかはまったく知らない。
だが親がいないことを苦に思ったことはなかった。
それは傭兵たちがなんだかんだで気のいい連中だったこともあり、前の世界の親を覚えていたからということもある。
しかし不思議と――
(前の世界に帰りたい、と思ったこともあんまりねぇんだよな)
夢で見た母の姿を思う。おぼろげな父の姿を思う。
懐かしいと感じる気持ちはあるし、望郷の念も無いとは言わないが、帰りたいかと問われれば、ガンズーはうーんと悩んでしまう。
(まず生きるのに必死だったしなぁ)
あれよあれよとこんなところにガンズーはいる。
そしてトルムたち仲間というかけがえのない居場所――自分からくだらない流れで飛び出したことには目をつぶって――もできた。
たとえ帰る場所がなくても、ガンズーはこのままここで生きてゆけるだろう。
だが。
ガンズーは、ボンドビーに抱えられるようにして馬に乗るアスターを見た。
視線を己の手元に移せば、ノノとパウラの頭がゆらゆら揺れている。
この子たちは、ちゃんと帰ることができるだろうか。
ノノはどこから連れてこられたのだろうか。
アスターの親はどこにいるのだろうか。
パウラの父は死んでしまった。母親はいるのだろうか。
あるいはこれも、ガンズーが考えることではないのだろう。
それでもなおガンズーは思う。
もしこの子たちの帰りを親が待っているのなら、必ず帰してやらなければならない。
子供たちに親はきっと必要だ。そして、親にも子供は必要だ。
もしかして、前の世界の親も俺の帰りを待っていたりするのだろうか。そう思うと、ガンズーは少しだけ寂しい気もした。
◇
街に戻り着いたころにはすでに太陽は傾いて、こんな厄介な日だったというのにやたら爽やかな青空は、ほのかにオレンジへと染まりだしていた。
ボンドビーは冒険者協会で大まかな連絡を終えると、ともかく子供たちを休ませてあげようということで、すぐに教会へ向かうようにした。
それも彼がじきじきに向かうというので、なんともフットワークの軽い責任者である。
結局、ガンズーもそれに付き合った。
アージ・デッソで教会と呼ばれるものはみっつある。
ひとつは、噴水広場のほど近くにある中央教会。
バスコー七曜教会のアージ・デッソにおける本山といったもので、聖堂や各施設が併設されている。
集会や祭事はおもにこちらで行われるので、単純に教会と言ったときはおおむねこちらを指す。パウラの父親や上級冒険者たちも、そこで荼毘にふされるだろう。
ひとつは、南東区画にある合祀教会。
この地域がバスコーに併呑される以前にあった土着信仰の宗教施設だったが、七曜教に取り込まれるかたちでほぼそのまま残った。
教会というよりは寺院といった様相だが、丁字架やステンドグラスといったところどころの装飾は七曜教風となっている。
そしてもうひとつが、今ガンズーたちがやってきた七曜教修道院。北東区画のさらに北端にある。
正式にはミラ・オータウス修道院というらしい。
ガンズーは入り口のアーチに書かれた文字を読んで、中央教会や合祀教会にもちゃんとした名前があったのだろうかと考えた。いつかレイスンが説明していた気がするが、思い出せない。
目の前ではボンドビーが修道院長らしき老修道女と話をしている。
その後ろには三棟の小ぶりな建物が並んでいた。
屋根にちんまり乗っかっている丁字架でひとつは本院と分かったので、後はおそらく修道女の住居に、そして孤児院とそれぞれ別れているようだった。
ガンズーの右手を掴んでいたアスターが、少しその手に力をこめる。
パウラは左足にしがみついていた。
ノノは左人差し指を握っているが、ぼんやり教会の屋根を眺めている。
三人とも、緊張しているのかもしれない。
これから少しのあいだ――あるいは、ずっと――あまり考えたくないことだが――この見知らぬ場所で暮らすと思えば、先行きに不安を覚えても仕方ないことだ。
あらかたの話がついたのか、院長につき従っていた修道女がこちらへと寄ってきた。
しゃがみこみ、子供たちと目線を合わせると、「こんにちわ」と言って優しく微笑む。
声で分かったが、若い修道女だ。二十歳を越えていないかもしれない。
アスターが小さく返事をしたが、パウラはもじもじして声を出せなかった。ノノも相変わらず黙っている。
修道女は立ち上がってガンズーの目を見てから、深く礼をした。
「お話をお聞きしました。子供たちをお救いいただき、感謝いたします」
「俺は大したこたぁしてねぇよ。この子の親父や、他の連中が頑張ったからだ」
ガンズーの言葉にパウラがぴくりと震える。
続いて老修道女もやってきた。ガンズーが子供と繋ぐ手をちらと見てから、笑顔のまま言う。
「勇者トルム様のご令友、鉄壁のガンズー様ですね」
「ああ。あんたは……院長さんでいいのかな?」
「当修道院を督しております、ハンネと申します。こちらはフロリカ」
示された若い修道女と共に、ハンネと名乗った修道院長は右手を胸に当て、左手を拳にして額に当てた。ガンズーはいまいちこの七曜教の祈りに慣れない。
院長は言葉を続けて、
「子供たちは冒険者協会の方々が親元を見つけるまで、私たちが責任を持ってお預かりさせていただきます」
「ああ、頼みますぜ。こいつらは、その、なんだ。怖ぇ思いしてきたんで」
「それはもう、重々。木神の御名において」
慈愛を司るという七曜神の一柱の名を呟くハンネ院長。
ガンズーは宗教に関してうといが、彼女たちは少なくとも自分なんかよりよほど愛を持って子供たちに接してくれるだろう。
「ボンドビーよ。いちおう、追手も警戒しとかねぇと――」
「街と同様、この敷地にも加護がございます。例え魔族であろうと、この教会の元には手を伸ばすことすらかないません」
寄ってきたボンドビーへの言葉に、代わりに院長が答えた。
ちょび髭はちょび髭を指先で整えながら、
「ええ、まぁ、心配はないかと思いますが、街の近くでやりとりがあったという話もありましたので。邪心ある人間がどこから聞きつけるか分かりませんからな。何人か信用できる者を見張りにつけましょう」
ハンネ院長はその申し出に内心どう思っているのかわからないが、なにせ虹の眼が三人。警戒しても罰は当たらないだろう。
三人の子供たちにガンズーは目線を合わせて、
「それじゃあなお前ら。修道女さんがたの言うことちゃんと聞いて、いい子にすんだぞ」
と言うと、パウラは一瞬くしゃっと顔を歪ませた。
アスターが口を何度かもごつかせ、
「……おじさん、行っちゃうの?」
意を決したように言った。
それはつまり、できれば一緒にいてほしいと言ってくれているのだ。
言おうか言うまいか悩んだのだろう。きっとアスターは、しかしガンズーが一緒にいられるようなことはないとわかっている。
聡い子だ、とガンズーは思った。
ガンズーは困った。
実際、ガンズーがここに見張り役として残るという案もある。
だが、そうもいかない。ガンズーにはやるべきことがあった。おそらく、今この街でガンズーにしかできないことだ。
「ばかやろうお前、俺はおじさんなんて歳じゃねぇぞ。でもなぁアスター。俺はほれ、冒険者だ。いろんなとこに行くのが仕事だからな」
頭を撫でてやるが、アスターは口を真一文字に結ぶ。彼がなにかに耐えている時の顔なのだとわかった。
パウラはみるみる涙目になってしまう。
ガンズーはとても困った。
「あー、ほれ。お前らが帰れるようにもしなきゃなんねぇしな。だからその、な」
横に立つボンドビーを伺ってみるが、彼は指先でちょび髭を撫でて、同じく困ったような顔をするだけだった。
「……たまに、遊びに来るからよ」
言うと、アスターとパウラは花がひらいたように笑顔になった。
ガンズーという男は、正直なところ子供とどうやって付き合えばいいのかなんて知らないのだが、まぁ、もう、これはしょうがない。
気にならないといえば嘘になるし、とガンズーは自分を納得させ立ち上がった。
きゅ、と膝あたりが引っ張られる。
ノノがズボンを掴んでいた。
この子はずっと感情を表に出さない。口もほぼひらかない。声を聞くことができたのは、かろうじて自分の名を名乗ったときくらいだ。
けれど優しい子だ、と思う。パウラを気遣った行動をガンズーは見た。
そんな子が、ガンズーに行くなと言っている。多分そう言っている。
今日で何度めかも分からないが、もはやガンズーはいよいよ泣きそうになってしまって、固まるしかなかった。
というか、下手に口をひらけば泣く。
フロリカといった修道女が、ノノを優しく抱きとめるようにして、ズボンを掴む彼女の腕にそっと手を添えた。
それでようやく、ノノの手は離れた。名残り惜しいと感じてしまうガンズーがいた。
最後の力を振り絞り、「よろしく頼んます」と修道女たちに会釈すると、ガンズーはボンドビーを伴って修道院を後にした。