鉄壁のガンズー、亜竜
アージ・デッソ領主ケルウェン・ハーシュ・ホーフィングン子爵。
七曜教会第十九教区統括補アマンゼン司教。
タンバールモース大聖堂守護選シーブス・カノルコ神殿騎士。
同じくメイハルト・ナーサレム神殿騎士。
バスコー王国冒険者協会アージ・デッソ支部長ボンドビー。
あとミーク。
「なんだこりゃ」
そうそうたる顔ぶれ――正直、顔見知りのふたり以外は覚えきれなかった――を紹介されたと同時、ガンズーは呻いた。
顔を向けてみてもステルマーは静かな面持ちで扉の横に控えている。が、よく見ればうなじに凄まじく汗が浮いていた。表面にはけして出さないあたりかなり頑張っているが、まだ根性すわってねぇな。
領主館の会議室にはすでに各々が座っていたので、ここへ来たのはガンズーが最後だったようだ。
そう勧められたのでノノは先に離れの修道女たちに任せてきたが、正解だったようだ。こんなところに連れてきても暇で仕方がないだろう。
ケルウェンに促され、ミークの隣で卓に着く。眉に集めた皴をこれ見よがしに彼女へ向けるが、あははーと笑い返されるだけだった。
「鉄壁のガンズー。よく来てくれた」
ひとまず、ケルウェン領主からそう言われるが、どうとも返せずに軽く頭を下げるしかできなかった。相変わらず常に困ったような顔をしているが、緊張感をたたえた表情と言えないこともない。
いいからさっさと用件を話せ、という気持ちもあるが、周りの目があるところでわざわざ失礼をする必要もないだろう。
「早速だが……少々、厄介な事態になった」
てっきり建前的な歓談でも続くかと思っていたが、そうでもないようだ。
考えてみれば周囲にいる者たちもそう気軽に呼び集められる人間ではない。それが集まっているのだから火急であるのは当然だった。
「ボンドビー」
「は。ガンズー殿、まず起こったことを――いえその前に、以前ご相談させていただいた秘匿依頼の中に、亜竜の討伐というものが含まれていたのを覚えておりますでしょうか」
「あん? 秘匿依頼……あー、最初に会ったときのあれか。そういやあったなそんなのも」
「その亜竜赤色種が付近に現れまして」
「……おう。まぁ珍しいな」
勿体ぶって語る割にはそこまで騒ぐ事件でもない。
たしかに亜竜は場所が違えば災害として扱われるような脅威だが、アージ・デッソやタンバールモースなら対処できないものでもない。両街の代表者が雁首揃えて話し合わなければならないほどではないだろう。
どうも話が見えなく、半眼になってしまったガンズーは思わず呟く。
「それがどしたってよ」
「亜竜をそれがどうしたとは……ふ」
「シーブス殿」
神殿騎士に鼻で笑われてしまった。それを神殿騎士の片割れが諫める。どっちがどっちだっけか。笑ったのがシーブスだっけ。その隣がメイハルトね。
ガンズーの言葉を受けてボンドビーが――ちょび髭がとうとう半分ほど白くなっていた――神妙に頷く。
「王都への輸送隊が遭遇したようです」
「……は?」
輸送隊。わざわざここで言うのだから、そのへんの商人が引くような積荷などではないだろう。
最近アージ・デッソから王都へ運んだものといえば。
ガンズーは横のミークを見た。彼女は困ったような顔で、
「見つけるのに苦労しちゃった」
とだけ言った。
「街道を大きく外れ、海沿いの辺りにまで出ていたようです。多少の痕跡は残っていたようなのですが――」
「けっこうヒドかったよー、まだ近くに集落とか無い場所でよかったのかもしれないけど。数えられるだけは数えてきたけど、本当にちゃんと全員だったか自信無いんだよね」
彼女によれば、街を出てその日のうちにタンバールモースからほど近くの街道上で戦闘の痕跡を発見したという。
そこから周辺を手当たり次第に探索してみれば、少しずつだが点々と痕跡が海側へ続いている。痕跡というか、人の跡。
まばらに立木の生える無人野を抜け海際まで出ると、さらに大きく広がる痕跡と砕けて散らばった輸送馬車の残骸。
そして、のんびりと鎮座する赤色の亜竜。
運んでいた馬車の中身は――
「おい、ジェイキンはどうなった?」
「んー……ぐしゃぐしゃになった馬車の下にさ。この辺かな」
ミークがその平坦な胸の下辺あたりに手を添えて、
「この辺からぱっくり無くなっちゃってた人がいて、多分あれ囚人服だったと思うんだよね。檻も千切れてるだけで開いた形跡も無かったし、逃げられなかったんじゃないかなー。馬車ごとガブッて」
「マジでか……」
ジェイキンが死んでしまったというなら、『黒鉄の矛』が起こした一連の事件について重要参考人がいなくなってしまったことになる。
こうなってしまうと『蛇』についても『鱗』についてもいよいよもってうやむやになってしまうかもしれない。いや、それもあるし、事件の処遇について領主や協会が責任を問われる可能性も出てきた。ボンドビーがハゲるどころではない。
今からでもバシェットを連れ戻す? いや無意味だ。なんの進展にもならないし七曜教会も納得するまい。
これは……いや、なんだこれ? ガンズーの頭は置いていかれた。
事故である。街道沿いに亜竜が出現したというならそれはもう事故だ。
だがよりにもよって最も肝心な情報源が通る街道にピンポイントでそんなことが起こるだろうか。
まさかその亜竜も『蛇』とかいう黒幕が――いやそんなことできるのか?
「その亜竜どうしたよ」
「飛んでっちゃった」
「飛ん――あぁ!? 飛翔体かよ!? なるほど……そりゃヤベェわ」
亜竜とはその名のとおり竜そのものではない。
魔獣が起こす変異の一種、巨化のさらに上の段階である。
あらゆる魔獣がそうなる可能性もあるため、姿は様々。トカゲがそのままでかくなることだってあるので、当然ながら正に想像する竜の姿のようにもなるが、それには限らない。
元が狼のものも蛇のものも蛙のものも蟻のものも可能性はある。中身がスライムみたいな亜竜だっているし、枝や根っこが伸びているものだっている。
ただ、大きくなれば大きくなるほど姿は似たものになっていく。体表に鱗が生えて腕ができ爪が伸び、顎が形成され牙が揃う。尻尾が伸びる。それから、翼ができあがる。
しかし飛べない。翼は羽ばたきはするが飛ばない。力を蓄えていくと、その性質に応じて体表の色を変化させていくが、そこまでいっても飛ぶことはできない。それはそうだ。ちょっとした山のような体躯が浮かんだりはしない。
ここまでならば、軍を出すなり上級や特級の冒険者を集めるなりで十分に対処できる。魔獣の延長線上のものでしかない。
だが稀に、魔術的な作用なのかなんなのか、空を泳ぐことを可能にする個体が現れる。そんなことができるほどに力を得た最終形態。
亜竜飛翔体。下手な魔族よりよほど凶悪な魔物である。
「いやーおっかなかったよー。一歩間違ったらあたしもパックンされてたかも。あははー」
空々しく笑うと、はぁ、とミークは溜息を吐いた。
彼女はその亜竜を確認すると、なにはともあれ報告にタンバールモースへ走ったらしい。
結局そこから王都へ走り、また戻り、街間の連絡や現場の収拾をひととおりこなして帰ってきた。日数のかかる作業を済ませてきたのだから、国としては大いに助かったことだろう。
なんにせよ、正真正銘の災害と言える存在が街の近くに出現したというなら大問題だ。国単位で対策する代物だが、王都が動くにはまだしばらくの時間がかかるだろう。
であれば当座は現地の人間が対処しなければならない。あるいは解決しなけれならない。
なるほど、それで近隣のお偉いさんが集まったというわけか。教会の人間、それも他の街の者までいるのが気になるが。
「その亜竜、どこ行ったかはわかってんのか?」
「依頼にあった個体だとすれば、元はウルヴァトー山の山頂付近で発見されたものです。他に目撃証言もありませんので、戻ったのではないかと。捜索隊を派遣しております」
見ればちょび髭どころか髪が何本か跳ねているボンドビーが答えた。こいつここ数日で寿命縮んだんじゃねぇか。
ウルヴァトーといえば、カルドゥメクトリ山脈のうち手前側にある山のひとつ。たしかアージェ川の源流であるヴァーユ川はそこから来ている。アージ・デッソにも比較的近い。
そうなると、やはり亜竜の対処に先陣を切るのはアージ・デッソから、ということになるのだろうか。
事件のことはひとまず置いておくとしても、地理的な関係上はそうなる。
しかし被害が出たのはタンバールモースの領内。聞いたところ街道が通っているだけのほぼ手付かずの地だったようだが、それでも領内ではある。
そして被害に遭ったのはアージ・デッソから王都への囚人輸送。
なんとなくガンズーは、ここに神殿騎士がいる理由がわかった気がする。
おそらく、互いに腹を探っている。
かたやアージ・デッソ側は、どうにかこの騒ぎを自力で収めて落としどころを提示したい。七曜教会から突かれる腹を隠したい。タンバールモースから助勢が出てしまうとついでとばかりに追及が続く。
かたやタンバールモースとしては亜竜討伐を名目に人を出したい。領内で発生した被害、あるいはアージ・デッソの所有物に被害が出た弁償という建前も用意できている。人を出すことができれば、調査の手が伸びる。
どう考えてもアージ・デッソが不利だ。災害級の亜竜への対応なのだから、平時だろうとタンバールモースから援軍くらい出ていただろう。
そもそも近所なのだし属領だったよしみもある。王都からそういう指示があってもおかしくない。実際にもう出ているとも考えられる。
タイミングが悪かったな、とガンズーは他人事のように思った。
事実、他人事なのだが、これがこじれるとオーリーのおやっさんやラダ、旅立ったバシェットたちに余計な迷惑がかからないとも言い切れない。それはちょっと――かなり――嫌だった。
とはいえ、
「やっぱ面倒くせぇ……」
「ほんとだよねー」
小声で独り言をすると、横の女に同意された。
考え無しに周囲へ報告しまくった彼女が原因と言えないこともないのだが、それはそれで亜竜への対策が遅れても困るので仕方ないだろう。
しかしまぁ、面倒くさい。
細かいことは置いておいて、とにかく被害が大きくなる前に亜竜をどうにかすることだけ考えればいいのに。そう思った。
さて、それではここにガンズーが呼ばれたのはなぜだろう。
答えはすぐにわかった。
「鉄壁のガンズー、単刀直入に聞く」
顔を努めてしかめることでどうにか威厳を保っているケルウェン領主が言う。
「勇者トルムが負傷しているのは聞いている。その上で、だ」
周りの者たちの目が一斉にこちらを向いた。
「君をはじめとした、勇者の仲間。君たち単独で亜竜の討伐は可能だろうか」
領主から発せられる、勇者への勅命。
勇者はこれを断れない。であれば、勇者と道を同じくする仲間であればどうか。
これもやはり断れない。ガンズーたちは勇者パーティとして登録されており、王室にもそれを認められている。勇者の仲間にも、特権は保障される。ならば義務も同様だ。
ガンズーはちらとミークに目配せしながら言った。
「……マーシフラの亜竜は何色だったっけな?」
「黒じゃなかったっけ? あれも飛んでたよねー。今から考えてみたら飛翔体だったんだねあれ」
「あれなー。けっこうヤバかったよな。トルム抜きかぁ」
しかし勅命が勇者を飛び越えてその仲間に行くことはない。
どんな場合でも必ず、勇者本人と約定を交わさなければならないのだ。勇者に関係しているからといって好きに指示ができるわけではない。
勇者への勅命は王都で審査される。そして勇者に不利な命を――明確に行動不能の状態である場合など――出した者は、審問対象となる。
ケルウェンもそれは重々承知しているだろう。だからこれは、勇者を介さずに出された冒険者たちへのお願いだ。
なので、ガンズー個人はここでこれを断ることができる。ちゃんと勇者を通してくれと言えばいい。
そしてトルムは入院中。彼自身はきっとなんとかしてくれるようこちらに言うだろうが、強制力は発生しない。
どうすっかなー。ウルヴァトー登って戦って帰って、こりゃ一日仕事じゃねぇよな。ノノ置いてけねぇしなー。無理かなー。




