鉄壁のガンズー、魔術
カクンカクンと頭を動かして意識を飛ばしていたダニエが夢から帰ってきたあたりでレイスンは正気に戻った。ドートンはいびきまでかき始めたので後ろから小突いて起こした。
「――これは失礼したしました。最近なかなか学術的な議論ができる相手も少ないもので、少々ストレスが溜まっていたのかもしれません」
嘘こけなにが学術的だ。後半はほとんど単なるダンドリノへの愚痴だったじゃねぇか。
「ともかく事前知識はこんなところにしておきましょう。では次に魔術の理論――ガンズーさん鼻をほじらないでください。わかりました。なにはともあれ実践に入ってみましょう。まず触れてみたほうが頭にも入りやすいですしね」
こいつまだ説明続けるつもりだったのか……
真面目にふんふん聞いていたデイティスですら、もはや自分がなんの話を聞いているのかわからなくなって頭の上に疑問符を乗せていた。
ようやく実際に魔術の使い方を習うことができるとなり、三兄弟は身を乗り出して――というより上の双子は、ひとまず背伸びをした。寝起きだこれ。
「とりあえず……そうですね。ガンズーさん、試しに明かりでも作ってみてください」
「あ? 俺か?」
「えぇ。魔術とはやろうと思えば誰でも使えるというこれ以上のない証左になりますから」
なんだそれは人のことを原始人かなにかみたいに言いやがって。
ドートンがなにやら神妙な顔で振り向いた。
「お師さん……魔術できるんすか……?」
「俺をなんだと思ってんだてめぇは。ちょっとぐれぇなら俺だってできるよ」
「お、お師さんが……?」
「俺のことただの筋肉ダルマとでも思ってたろお前」
「いや、その……無理しなくてもいいっすよ、お師さんの筋肉が魔術みたいに凄いもんなのは知ってますから。あれっすよね、こぶ作ったらなんか光るとかそんなやつっすよね」
ふざけたことを言う彼の目の前に人差し指を突きつける。
それから――えーと、明かりったら光だな。光だからあれだよな。たしか、
「【光】」
指先がチカリと光った。
「おわーっ!? 目が!」
ちょっと加減を間違えて点灯が強くなりすぎてしまった。そこまで強烈ではなかったはずだが、鏡に反射した太陽光を直視した程度には眩しかったろう。それが目先であればなおさらである。ドートンは目を押さえて椅子から落ちた。
苦労しつつ豆電球ほどの光量に抑える。青空の下でもはっきりわかるくらい。抑え過ぎて消しかけたが、どうにか維持はできている。
ダニエとデイティスは素直におー、と感嘆してくれたが、ノノはなにやら知らない人を見るような目でガンズーの顔と指先の光を見比べていた。そうか、お前も俺を筋肉の人だと思っていたか……
「はいよくできました。さすがにそれくらいはちゃんと覚えていましたね」
「そらそうよ」
特に感慨も無く言うレイスンに自信満々で答えて、指をひとつ払って魔術光を消す。なにせ覚えている魔術は三つだけ。光、火、水。終わり。いくらなんでも忘れたりは――いやちょっと怪しかったのは認める。
なんにせよこれくらいの生活魔術ならガンズーにもできる。というか、マナの使い方なりコツなり理解すれば誰でもできるようになる。難易度で言うなら鉄棒の逆上がりくらいのものだ。
とはいえ強弱の加減や長時間の維持をしようと思うと途端に難しくなるし、いちいち集中せずに発動させるとなるとさらに。逆上がりの最中に片手を離せと言われたらそりゃあそれなりに練習しなくては無理だ。
「ではガンズーさん。今おこなった手順を解説してみてください」
「……ぬう」
「……やったことを説明するだけでいいですから」
「あー、なんだ。だからよ、光を生みだすわけだから、まず光を想像すんだろ。んで指の先に光らせること考えるだろ。んで光だ」
「……まぁ、細かいところは置いておきましょう。その前にもうひとつ、段階がありましたよね?」
「んん? ……ああ」
そうだった。その前にやったことがある。
逆上がりをするなら、まず鉄棒を掴まなければ。
「マナを通したな」
「はいそうです。なにはなくともまずそれが必要になります。魔術の入門とはすなわち魔導の入門。マナを導くすべを習得しなければ始まりません」
「先生! 具体的には!?」
「先ほども言いましたとおり、我々の身体にはすでにその機能は備わっています。それを自覚さえできればあとは簡単ですよ」
あー、これ苦労したんだよな。
なんといっても本来のガンズーには備わっていなかった感覚だ。たとえ身体はそうできていると言われてもなかなか馴染まなかった。もし尻尾や羽があったらこんな感じかと想像することでどうにか開眼できた。
「最も近いのは触覚ですかね。例えば皆さん、こう……腕をゆっくり振ってみてください。風、というよりは空気の流れを感じることができるでしょう」
レイスンが目の前のなにも無い空間を掴むように手を振る。
三人の生徒もそれを真似する。そしてノノも同じく――ぶんぶんぶんぶんとちょっと過剰に――手を振った。どうやらこの子も真面目に聞いているようだ。ガンズーが実演したのが効いただろうか。
「ここからですが……これは各学派どころか個人でも色んな意見があるので、とりあえず私の理論で行きます」
とん、と彼は自分の頭を叩いた。
「後頭部に集中してください。そこで今の空気の流れを感じ取ろうとするつもりになってください。そこに、空気とはまた別の流れがあるはずです。髪が邪魔に感じるかもしれませんが大丈夫です。マナは通り抜けます。そのために剃髪する流派なんかもありますがね。目を閉じるのもいいですよ。なんなら、頭を揺らしてみてもらっても結構です」
へー。始めて聞いたが、レイスンは頭派か。ていうか、脳かな?
俺はこれ耳だと思ってたんだけどなぁ。だって明らかに人間として形が違うのここだし。でも耳ん中になんか臓器みたいのが詰まってるってのもよく考えりゃ怖ぇな。
生徒たちもそれぞれ集中し始めたようで、ダニエなんかはゆっくりと左右に頭を動かしていた。ドートンはしきりにうなじの辺りを掻いている。ちょっと外れてねぇか。
ていうかやっぱこいつら真面目だよなぁ。前に協会主催の魔導教室を覗いたことかがあったが、新人の奴ら学級崩壊みたいになってたもんな。
と思っていたら膝元のノノがぼんがぼんがヘッドバンキングを始めた。あんまりやりすぎるとクラクラするから気をつけなさいね。
さて、ガンズーも似たような手順でマナの知覚に成功したことがあるのでわかるが、こういう手法だといざ開眼したとしてもなかなか自分で気付きにくい。
なにせマナとは元々ほうっておいても身体には通っているのだ。それを認識できるかどうかなので、緩やかな自覚だと難しいこともある。知らないうちに追っていたかすり傷のようなものだ。
というわけでガンズーは踊った。
せっかく集中している膝に乗った子を揺らさぬよう、上半身だけをぐねぐね捩じる。頭上に手をやり、わちゃわちゃと動かした。レイスンが涼やかな目を向けてきた。なんだよいいアシストだと思うぞ。
と、ダニエが振り向く。
「ガンズー様、なんか変な動きしませんでした?」
「お、わかったか?」
「わかったというか……なんとなく、空気の流れがあったような。いえ、肌に感じたわけではないんですけど」
「そうだ。よくやった。それが索敵の第一歩だぜ」
斥候冒険者などが得意とする索敵や探知は、なにも気配や勘だけを頼りにしているわけではない。マナの補助は大いにある。むしろ彼らは魔術師や導師の次にマナに精通していると言っても過言ではない。
まあ、魔導に疎いくせして才能だけでそういった技術を使いこなしてしまうミークみたいなのもいるが。なんであいつ知力の数値低いんだろうなぁ……
「あれ?」
不意にデイティスがアージェ川の方面へ顔を向けた。
「もしかして川のほうがマナって多いんですか?」
「ほう、素晴らしい。周囲の多寡までもう掴めましたか。やはり無意識化で順応していたのでしょうかね。そうです、空中においては水気の多い場所のほうがマナは多くなる傾向があります。雨の日なんかはわかりやすいですよ。そしてこれに慣れると水中や地中のマナも感知できるようになります。生物体内のマナを感知する技術もありますが、これはまた手順が変わりますので今回はやめましょう」
往々にして、出来の良い生徒がいると教師は機嫌がよくなる。
そして、出来の悪い生徒は置いていかれがちになる。そういうところをいかにフォローアップするか。そこに教師の腕が問われるというものだろう。
「その感覚さえ掴めればあとは簡単です。こっちにおいでと念じてみればマナが動くのがわかるでしょう。己の身体をフィルターとするように魔術の発動先へと導いていきます。これすなわち魔導。魔術とは、魔導によりマナを用いておこなわれる術理を体系化したものを言うのですね」
ドートンはひたすら首を振りながらうんうんと唸っていた。レイスンはとりあえず彼は放置することにしたようだ。これはダメなほうの教師だ。誰だこいつを教師にしようとしたのは。
まぁなかなか魔導のコツが掴めない奴なんていくらでもいる。ガンズーは一か月くらいかかった。落ちこむなよと言ってやるべきだろうか。
「感覚を忘れぬうちに試してみましょうか。ガンズーさん、なにか燃やすのに手頃なものなどありませんでしょうか?」
「ん? そうだな、落ち葉の山ならあるぞ」
「山まではいりませんね。一枚ずついただきましょう」
レイスンが三兄弟に落ち葉を一枚ずつ渡す。いまだ頑張っていたドートンにも現状を無視して渡していた。ひどく面目なさそうだ。やはり後でちょっとフォローしてやろう。
さらに核石まで渡した。適当に使い潰すための質の低いものだが、姉弟たちはドギマギしていた。いくら低質といっても彼らからしたら貴重なものだ。
生活魔術をちょっと試すくらいならそうそう身体に汚染が溜まるということもないが、大事をとってだろう。
ノノも欲しがったのだが、どうも火を扱うつもりのようなのでやめさせる。彼女には光か水の古代語でも教えてあげるとしよう。さすがにこの歳でそう簡単には発動できないだろうが、覚えるだけでも満足度は違うはずだ。
「マナを通すことさえできればもうやることは単純です。今回は火の無いところに火を発生させこの落ち葉を燃やしてみましょう。先ほどガンズーさんが言っていたとおり、起こす現象の想定、作用の指定、これがまず黙唱です。それから結詞。これだけです。この一連の流れを一韻と言います。これに前唱が加わって二韻、紋を用意し三韻、印を組んで四韻と続き核石への刻文などで省略なんかもできますね。個人的にはそもそも黙唱や結詞の時点で韻はひとつなのではないかと考えていますが、まだ今までの歴史に対抗できるほど研究できていないのでなんとも――」
「おいコラまーた脱線してんぞ」
「おやこれは失礼。実践が先ですね。はい。えー、火は古代語で火となります。発音に気をつけてください。わずかな音の違いでまったく意味が変わってくるのが古代語です。というか、同じ音ですら文脈や意図によっても違ってきてしまいます。違う音で同じ意味となる語まであります。これも慣習がそのままになっている部分もあるのですがね……簡略重複語なんて妙なものを考案した賢者もどこだかにいたというし、もっと体系の整理を進めてもいい気が――」
どこか遠くへやはり脱線していった教師を放置し、デイティスはおもむろに手中の落ち葉を弄んだ。
「ふーん。火かぁ」
ぼわん、と発火。
彼が何気なく言った古代語の結詞と共に手先から炎が上がり、落ち葉は影も形も消える。一拍遅れて、炎も消えた。
ガンズーは驚いた。隣の兄と姉も驚いていた。ノノは「ほわぁ」なんて言っていた。ぶつぶつと自分の世界に行っていたレイスンも帰ってきた。
そして当然、デイティス自身が驚いていた。
最初に気を取り直したのはダニエだった。
「デイティスは天才なんです」
「そ、そうですね……いや驚きました。加減はおいおい覚えていきましょう……」
レイスンに言った彼女が、次はこちらを振り向く。
「天才なんです」
「わかったってよ。よぉくそれはわかったよ」
勇者見込みが勇者見込みらしい天才性を発揮したのはともかく、横の双子はなかなか苦戦する。まだマナの誘導がうまくいっていない兄と、姉のほうはどうも発音がよくない。そのせいで黙唱の集中ができていないようだ。
むしろこれが普通だ。いきなりできるものではない。弟がおかしいのだ。
そしてその優秀な弟にばかりあれやこれやと指導を仕掛けている教師のせいでもある。この依怙贔屓野郎め。
ふと、ノノが手元をむにむに動かしているのに気付いた。
さすがにそろそろ眠くなってきたかな? を思ったが、なにやら周囲のマナがそちらへ動いているような――
彼女は前方へ適当に指先を放り、
「れー」
レイスンの前髪が炎上した。
アージェ川へと飛びこんでいった男を横目に、ガンズーはノノを盛大に高い高いした。
天才です。この子は天才です。勇者も凄いのかもしんねぇが、ここにも天才がいるぞー!
でも火は危ないから他のを練習しような!




