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鉄壁のガンズー、マナ

「呼んでおいて自分が遅刻とはどういう了見ですか」

「すまねぇ」

「すまねー」


 昼飯代わりの串餅を齧りながらのんびり戻ると、家の前には腕を組んで睨みつけてくるレイスンがいた。すっかり忘れていた。

 しかし想定よりもずいぶん早く来たらしい先方にも問題はある。ということで適当に謝ったらノノも真似をしたのでこれはいけないと思った。教育上よろしくないかもしれない。まあレイスンならいいか。


 いつもの小杖で自身の肩を叩きながら「まったく貴方はその子のおかげで多少はマシになったかと思えばこういうところは」うんぬんかんぬんとエンジンのかかった彼を宥め、それはそれとしてと横に視線を移す。


 三兄弟が姿勢を正して固まっている。正確には、デイティスが全力で固まっている。ドートンもかなり。ダニエはほどほどに。


「なに緊張してんだお前ら」

「……そりゃねっすよお師さん」

「久しぶりに来てみたら勇者パーティの方が増えてるんですから、こうもなってしまいます。失礼をしてしまいました……」

「レイスンだぁ……背信者レイスンだぁ……」


 ひとり恍惚の表情をしている勇者見込みは置いておいて、そのパーティの仲間へと振り返る。


「なんかやったか?」

「いえ特には。なにやら家の前でたむろしているようでしたので、妙な輩では困ると思いご挨拶だけはしましたが」

「いたいけな若者を脅すんじゃねぇっての」

「そんなことはしません。ベンメで見かけた方々だとすぐにわかりましたし。しかしまさかガンズーさんが指導をねぇ……」

「なんだよ」

「彼らもなかなか苦難の道を選んだものだなと」


 互いにガンを飛ばし合っていると、ドートンがおずおずといった様子で声を挟んできた。


「あの……もしかして、今日はレイスンさんになんか教えてもらえるんっすか?」


 いきなりさん付けになってやがる。てめぇ俺には最初呼び捨てだったくせしやがって。

 気を取り直して、今日は魔術の勉強にするぞと言おうとしたが、レイスンに先手を取られた。


「ああなるほど。具体的なことは聞いていませんでしたが、おおかた魔導について説明をするにも言葉にできずに行き詰まったのですね。だから基礎からでももう少し学びなおしておけばよかったのに」

「わざわざこいつらの前で指摘すんのやめてくんね?」


 川に流した師匠としての威厳がさらに目減りしていく気配を感じる。やっぱ先に実戦の姿を見せたほうがよかったかもしれないと後悔した。






「では改めまして、本日の教鞭をとることになったレイスンです。よろしく」


 背信者レイスン。

 ダンドリノ国――自称だが正確には、神聖ダンドリノ教導国における()七曜教会において、弱冠二十歳にして史上最年少で司教となった男。

 かの国でかつて勇者トルムが弾劾にかけられた際、擁護派を一手にまとめあげ彼を救い出した功労者。結果的に勇者とたったふたりで教会内で暗躍していた親魔族の一派を撃滅し、裏に潜んでいた魔族を仲間たちと共に打ち倒した。

 しかし国、ひいては教義に反したことを咎められ、自ら神職を辞し、冒険者として勇者パーティへ加わる。その経緯から、彼は自身のことを『背信者』などと(うそぶ)いている――


「――んですよね!?」


 目をきらめかせながら自分の出自を目の前で語るデイティスに、レイスンはいきなり出ばなをくじかれた。引いている。

 そういやぁセノアが拉致された流れでダンドリノにぶっこみ仕掛けて、さらにそこからトルムと引き離される羽目になったわけだが、合流するまでのことはあんまり詳しく聞いてなかったな。あのへんも詩歌には詳しく語られてたりするんだろうか。魔族とやり合ったのもあれが最初だったな。


「よ……よくご存じで」


 どうにか体勢を立て直したレイスンだが、頬はまだちょっぴり引きつっていた。


 三兄弟は彼の前に座って並んでいる。家の前で。青空教室である。

 地べたに座らせるのも突っ立ったままなのもどうかと思ったので、家の中から椅子を出してきてやった。

 そしてその後ろにはせっかくなのでガンズーも自身用の椅子に座っている。さらにその膝上にノノ。


「ノノは休まなくていいのか?」

「まだ眠くない」

「そっか」


 まあ、講釈を聞いているうちに眠くなるだろう。そうでなくとも彼女は虹瞳だ。魔術の基礎を頭に入れておくのはよいことだ。理解できるかはともかく。


「バスコーの大司教でも難しい加護魔術の天才なんですよね!? そんな人に教えてもらえるなんて僕もう感動です! あと噂で聞いたんですけど元々はマーシフラの孤児院出身で、そこ今は凄く奇麗になってるんだとか!? あれやっぱりレイスンさんのおかげですよね!?」

「あ、あぁ、そうなんですか。近況はあまり耳にいれていませんでしたので……それなら結構なことですね……」

「デイティス。デイティス。デーイティス」


 腰を浮かせて熱弁する弟の肩をドートンが抑える。デイティスをステイさせる。デイティスステイ。デイティステイ。

 ふふふ、と謎の笑いを浮かべたガンズーにノノが不思議そうに振り向いた。


 さて、これではいつまで経っても始まらないので、レイスンはひとつ咳払いをして場を整えた。


「えー、はい。早速ですが、魔術とはなんでしょう」


 三兄弟はそれぞれ互いに顔を見合わせる。


「なんか改めて説明しようとすると難しいっすね。マナを使って火を出したり水出したり、とか?」

「三軒向こうのオンゾ爺ちゃんは魔術で土を耕したりしてたよね。あれしかできないって言ってたけど」

「周囲のマナに働きかけて自然現象や行動、作用の過程を省略する、あるいは代用させる――というのを聞いたことがあります」


 ダニエの優等生的な回答を得て、三人の前に立つ教師はうんうんと大袈裟に頷いた。わざとらしいぞ。


「なるほど。ベンメ村には導師がおられたんでしたか。デイティスさんはそちらから魔導の素養を認められたとか。ダニエさんが聞いたのはそちらからですね?」

「えぇ、はい。そうです」

「ふむ。しかし魔導、魔術については個別の指導などは無かった」

「そうですね。導師様は簡単な読み書きや数字は教えてくれましたけど、それ以上は特には」

「僕一度、才能あるなら魔術を教えてって言ったことがあるんですけど、うまく教えられるかわからないから嫌だって言われました」

「自信無いじゃあ。イヤじゃあ」

「あ、兄ちゃん似てる」


 すぐ脱線しやがってこのアホたれ共。

 しかしレイスンはやはりふむふむと首を動かした。こいつ俺がふざけてたらすぐ怒るくせに。


「正しいですね。術理をうまく把握できるかは個人の資質で変わってきます。間違った指導で学んだ魔術は暴発暴走の恐れもある。王都の学院やダンドリノの教練塔はそのあたりケアがなっていない……いえ失礼、話が逸れました」


 お前も脱線すんのかい。


「さて、それではマナとはなんなのでしょうか。ドートンさん?」

「え、お、俺? えーと、マナっつったらあれっすよ。その、なんかその辺にいっぱいあって、体ん中にもある……えー……おー……あれ? これ空気じゃね?」


 なに言ってんだお前は。空気の中にもあるのは確かだが、それとはまた別物だろがい。


「いいですよ。明確に言語化するのはなかなか難しいですからね。言うべきところはおおむね合っています」


 え、マジで? あぁそっか、俺は勝手に酸素、窒素、二酸化炭素とかの横にマナも混じってるみたいに考えてたけど、そこまでは理解されてねぇもんな。

 前にマナについて話したときになんかそういう元素みたいなもんかと聞いてみたら「元……素……?」って言われたもんな。


「では空気とは……となると脱線が過ぎるのでやめましょう。そも空気という概念が発見されていくらも経っていないそうですからね。魔王期が無ければこのあたりももっと進んでいるのでしょうが……こほん」


 率先して脱線していきやがる。誰だこいつを教師にしようとしたのは。


「ともかく、マナ。古くは体内より出でる秘法の力と思われておりました。このころはそれそのものを『魔力』と呼んだそうです。これが後、正に言ってくれたとおり、なにかしら周囲に存在する力の源、そう考えられるようになりました。これを取り入れ利用しているとわかったのですね。『魔力』の意味も、その行使する能力の度合いとして意味が変わっていきました」


 口が回る回る。ノってきやがったな。


「では具体的になんなのかと言えば、様々な解釈がなされたそうです。自然界に存在する精霊である、悪魔が人類にもたらした忌むべき存在である、人を祝福する神の御業である。七曜教はおおむね三番目寄りの解釈ですね。まぁ、これは時代や地域によって違います。カルドゥメクトリや内海の向こうで魔術の形式も違ってくるのはこういった経緯ですね」


 長ぇな。ノノ寝たか? ありゃ起きてたわ。


「私としては、魔王期直前にイークルハレル――いや違った、クヴァーンでしたかね? オリッセンネリー女王国? いや、原著はたしかスオウス語……イェンシュッツ諸侯連合……? まぁとにかく、大陸のほうで提唱された、視認できないごく微小な物質である、という説を推したいところです。これなら大気中のみならず水中、地中、そして生物の中にも存在し、かつ知覚手段もあることへ説明がつきますし、マナも瘴気も突き詰めれば同じものであると納得がいく」


 おいおいおい脱線はいいが地理まで持ち出してくんなよ。ドートンなんかもうチンプンカンプンどころじゃねぇぞ。俺も聞いたことねぇ国まであるし。


「少々余計なことを語ってしまいましたね。失礼。要するにマナとは火や水、土や石、あるいは光や風、そして我々の血や肉と同様、明確に認識できるひとつの自然存在です。長々と前置きをしてしまいましたが、これを了解しているとしていないとでは魔術の理解にも支障が出る可能性がある。自分がなにを使っているのか意識する、ということです」


 そこだけ言やよかったんじゃねぇの? まぁいいけどよ。


「はい先生!」

「はいデイティス君」

「め、めいかくににん……にん……ちゃんとわかるってことですけど、僕マナを見たことが無いです! どうすればわかるんですか?」

「よい質問です。マナはそのままでは目にすることはできません。ある意味では常に触っていますが、意識して触ることは難しいですね。魔術による操作で物質化することもありますが、これはまぁ置いておきましょう」

「難しいんですか?」

「難しいと言えば難しいですね。ですがデイティス君。君は火を見たことがありますね?」

「あります!」

「よろしい。では火は触れますか?」

「火傷しちゃいます!」

「そうですね。では今度は、風を見たことがありますか?」

「風……? えーと、砂煙なら……あ、でもあれは砂が風に乗ってるだけかぁ」

「しかし風を肌で感じることはできるのではないですか?」

「できます! 涼しいです!」

「そうです。目に見えないものも触れることはできるし、利用することもできる。火もそうですね、触れられませんが明確に視認できますし、起こすことだってできるし暖もとれるし灯りにもなる。マナも同様です。そしてこちらは火や風、もしかしたら水や土よりもよほど確実に認識できる」

「そうなんですか!?」

「はい。なぜなら人間にはそもそもマナを知覚する機能が備わっているからです。目で見るよう手で触れるよう、あるいは音や臭いや、味を感じるのと同じようにわかることができます。触れぬ火、見えぬ風、鳴らぬ光に香らぬ水と比べればよほどわかりやすい。あぁ、土を扱うのが魔術の初歩に適しているのはこのあたりも関係ありますね。それは後に回しましょう。ともかく、マナは認識できるのです。目や耳の利かぬ者が代わりにマナの知覚が鋭敏になるという例もあります。しかしこの感覚は意識せねば普段は眠っている。そして起こさねばずっと眠ったままです。目を閉じていれば光は見えません。当然です。そしてこの感覚は頭の回転、いえもっと言えば筋肉や技術と同様に磨かねば育ちません。ひと昔前は生まれ持っての才能が全てなどというなんとも痛ましい風説が蔓延っていたこともありましたが、そんなことはありません。これを今もって信じこんでいる教導塔の化石どものような老人もおりますが、魔導知覚、あぁ、私が修している学派では(しき)(かく)と称していますが、これは鍛えることができるのです。そこを理解していないからあの老害たちは塔から出ることすらできない。しかしこちらの学院のような個人の資質を考慮しない画一的な教育もどうなのかと思いますが。あれでは宮廷の優秀な人員も減っていくばかりです。いっそ貴族院のほうが――」


 あ、ヤベ。俺がちょっと寝てたわ。話終わったか?

 おう、ノノすげぇな、起きてたのか。なに? なんか口の動きが面白い? そうだなあの兄ちゃん早口になると変な顔になるんだよ。

 なんだまだ続いてんのか。ドートンもダニエも居眠りしてんじゃねぇか。

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