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鉄壁のガンズーと子供たち

 ぷふー、ぷふー、と己の呼吸音がやけに大きく聞こえる。

 どこかでからから鳴っているのは、きっと馬車の車輪のどれかが生き残っていたのだろう。


 ちらと見れば、岩壁にさんざん打ちつけられた馬の魔獣の死体はあっちがねじれこっちがひしゃげ、もはや原型をとどめていない。

 あんな姿にならなくて良かったとガンズーは思った。


 遠くの木の枝葉から、野鳥が歯ぎしりのような鳴き声を残して飛び立っていったのを、あれはカケスとかいう鳥だったかなぁ、などと思いながら眺めて、ガンズーの心臓はようやく落ち着いてきた。


「言ってる、場合じゃねぇ……」


 いまだ静まらない息切れを、思いきり唾を飲んで無理やり引っこめる。

 抱え続けていた馬車の車体を、慎重にゆっくりと下ろす。


 車輪は前方の左側だけが半端に折れた車軸のせいで残っており、荷台は斜めに傾いた。

 幌はところどころ破れていたが、側面からでは鉄の壁しか覗けない。


 荷台の後方へまわる。

 檻の中は影になって、あまりよく見えない。が、


「おい、大丈夫か?」


 中には子供が三人、隅のほうで寄り添うようにうずくまっていた。

 ガンズーが呼びかけると、そのうちひとりがびくりと震えた。そしてもうひとりが庇うように前に出る。

 それを見てガンズーは、中にいるのは男の子がひとり、女の子がふたりであると気づいた。


「心配すんな俺は味方だ。もう助かるぞ。いま出してやる」


 檻の中から小さく「たすかる……?」と幼い声。

 そうだ。助かる。冒険者たちが何人も命をかけたのだ。それで助からないなんてことがあってたまるか。


 格子扉を掴んでがしゃがしゃやってみるが、当然ながら開かない。

 やたらごつい錠がふたつもついているが、ここまでのどの魔獣が鍵を持っていたかなどわかるわけがなかった。


「危ねぇからあんまり動くなよ」


 ガンズーは檻の下側に片足を置いて腰を落とす。斜めになっているので少々体勢が不自然だが、仕方がない。


「ふんっ」


 両手に渾身の力をこめる。

 鉄格子は、縦横にすりこぎ棒のような太さで走っているが、多分なんとかなるだろう。無理であればその時。錠を叩き壊そう。


 ぎぎぎと鈍い音を立てて、格子が左右に大きく歪んだ。男の子が小さく「凄い」と呟いた。


「どっ、こいせっ」


 更に格子に足をかけて、一気に踏みこむ。荷台がバランスを崩していっそう傾きそうになったので、両手に加えて額も押しつけて支える。

 今度は甲高い悲鳴を上げて、格子扉にはどうにか子供が通れる程度の隙間がひらいてくれた。


「よし、これで出られるぞ。ほら来い」


 ガンズーがそう言うと、最も手前にいた男の子は一瞬かけ寄りかけてから止まった。振り返り後ろの女の子と顔を合わせると、彼女たちを促したようだった。


 よく見れば三人のうちひとりは、ひと回り小さい。幼児と言っていい。ふたつかみっつは歳が違うのではないだろうか。

 その子の手を引いて、女の子が恐る恐る前に出てくる。格子の間からきょろきょろと外の様子をうかがった。


 ガンズーが手を少し差しだす――格子の隙間に伸ばしてしまっては、太い腕が邪魔で通れなくなってしまう――と、女の子はその小さな幼女が隙間を通れるように手伝った。


 その子よりも年上だろうとはいえ、男の子も女の子もおそらく五歳か六歳かその程度だ。真っ先に解放されたいと思ってもおかしくない。

 そんな状況で、それでも彼らは自分より小さな子を優先させた。

 ガンズーは泣きそうになった。


 隙間を腰あたりまで潜ったその子を、ガンズーは壊れ物でも扱うように両手で引き寄せた。

 信じられないほど軽い。


 その黒髪の幼女は檻から救い出されたというのに、感情をどこかに置いてきたかのごとく無表情だった。

 ガンズーと目を合わせているのに、まるでこちらを見てもいないよう思える。


 恐怖がなかったわけはない。心細くなかったわけがない。

 こんな小さな子が、こんなふうに連れてこられて、泣きわめかない理由がないのだ。親を求めて泣いていいのだ。


 なにを思って彼女はこんな表情をしているのだろう。その心はちゃんと宿っているのだろうか。

 ガンズーを見る虹色の瞳は、美し過ぎてもはや空虚だ。

 出会った頃のセノアがこんな目をしていた。あざやかに輝く瞳に呪いをのせ、世に絶望していた。


 誰にもそんな目をしなければならない道理なんて無いのだ。ガンズーはやっぱり泣きそうだった。


「大丈夫か?」


 だからガンズーがそう聞いて、その子が小さく頷いてくれたから、ほんの少し――足しにもならねぇ――だけ安心できた。


「よし」


 彼女を足元に下ろして、檻へ残った女の子に手を伸ばす。


 女の子はその手を取って、ゆっくり格子の隙間から這い出す。

 ガンズーが下ろしてやると、心底ほっとしたように、泣き顔と笑みの混じったような顔をした。

 その眼もやはり虹のように多色に輝いている。目元は涙の跡でたっぷりと腫れていた。


「よしお前も来い。頑張ったな」


 最後まで残っていた男の子に声をかける。

 男の子はぐっと唾でも飲みこんだのか、少し体に力をこめたようにしてから格子の隙間を潜った。

 肩の下に手を差しこんで引っ張り出してやる時に気づいた。彼は額と肩から出血している。ちょっとした擦り傷だが、ここまでの騒ぎで負ったものだろうか。


「怪我してんじゃねぇか。ちょっと待てよ――」


 男の子を下ろしてやり、腰の道具入れをあさる。強力な薬剤や飲み薬の他に、小さな傷に使う塗り薬も常備しているのだ。


 ガンズーは取り出した軟膏を指先につけ、血の跡を軽く拭うようにして塗ってやった。

 しみるような薬ではないが、傷跡を触られても男の子はじっと我慢している。


「ぐらってした時に、守ってくれたの」


 女の子がそう言った。どうやら男の子の傷は、二人を庇って負ったもののようだった。


「そうか……」


 男の子は口を真一文字に結んでいる。虹の瞳は、ずっとガンズーの足元を見つめていた。

 ガンズーは彼の頭をわしゃわしゃと撫でて、


「本当によく頑張ったなぁ。立派な男じゃねぇか」


 と言った。


 そんなことをしたものだから、男の子はとうとう決壊して、大声を上げて泣きだしてしまった。

 それにつられてか、女の子も泣きだしてしまう。


 だがこれでいいのだ、とガンズーは思う。

 この子たちは助かったのだから、安心して泣いてほしかった。存分に泣いてほしかった。

 正直に言えば、子供たちの献身と悲しみに、誰よりも先にガンズー自身が泣いてしまいそうだったのもある。


「おーしおしおし、大丈夫だ大丈夫だ。あーそうだな、良いもんやろう。どこにやったっけかな……」


 軟膏をしまった道具入れを再びあさる。

 油紙に包まれているのは、指先ほどの大きさの、飴のような錠剤のような黒い球状の粒。

 ちょうどみっつだけ残っていたので、ガンズーはほっとした。


「ほれ、食ってみろ。うまいぞ」


 ぐしぐしと目元を拭いながら泣き続ける男の子の手を取って渡す。女の子にも渡した。

 そして最も小さな黒髪の子に渡そうとして――ガンズーは、ああ、と口の中だけで呻いた。


 彼女は変わらず、無表情で自分の足元を見ている。身じろぎもしない。


「……ほら」


 ガンズーが粒を差しだすと、彼女もその小さな両の手を合わせて受け取った。受け取ってはくれた。


「おいしい!」


 粒を口に含んだ女の子が歓声を上げる。

 それを見て、男の子もひっくひっくとしゃくりあげながら粒を口に含む。


「……甘い」


 ころころと口に含んで味わう二人が涙を止めたのを見て、ガンズーはどうにか安心感を取り戻したが――


 黒髪の子だけは、手のひらの上の物を見つめるだけで、口にしようとしない。

 ガンズーはひたすら、ああ、ちくしょう、と思った。


 無理に食えと言っても仕方がない。ガンズーはその子の頭に優しく手を乗せた。


「お嬢ちゃん、名前は言えるか?」

「…………」


 その子は答えない。

 もしかしたら、声の出せない子なのだろうか。あるいは、出せなくなってしまった子か。

 そんな不安がよぎったが、


「……ノノ」


 と小さく――あわや聞き逃しそうなほど本当に小さく――彼女は呟いた。


「ノノか。そうか」


 前髪をかくように、ノノと名乗った子のおでこを親指で撫でる。

 ノノは一瞬だけ視線を上に向けてガンズーと目を合わせたが、またすぐ手のひらの上に目を戻してから、そこにあった粒を握ってポケットに押しこんだ。


 食べたくなかったかなぁ、と思ったが、少なくとも名前を答えてはくれた。ガンズーはまた少しだけ安心した。


 男の子に目をやってみると、


「アスターです」


 と丁寧に答えた。

 しっかりしている。よく見れば着ている服も――おそらく連れてこられた時のままで、ところどころくすんでいるが――なかなか良い生地が使われているから、もしかしたら貴族や、それに近い家の子かもしれない。


「アスターか。いい名前じゃねぇか」

「わたし、パウラ」

「おお、そうか。パウラだな――」


 女の子も名乗ったので、ガンズーは笑顔で答えて――固まった。


 パウラ。その名前は聞いた。つい先ほど。


 この子か。ガンズーは思った。


 パウラを救うために、その父親はここまで追ってきたのだ。

 被害は出たが、彼がここまで辿り着いたから、ガンズーも同じく導かれ、この子たちを助けだすことができた。

 父親の顔を思い出そうとしたが、ほんの数瞬のことだったから、ガンズーは思い出せなかった。

 ただ、眼を閉じさせてやりたかったことは思い出した。


 それほど離れていない場所に、パウラの父親はいる。

 そのことを、彼女にどう伝えようかと迷った。

 そんなガンズーを見て、パウラは不思議そうな顔をしたが、


「――ガンズー殿~!」


 その時、頭上から声が届いた。


 仰いで見れば、ガンズー三十人分はありそうな高さの崖の上から、誰かが頭を覗かせていた。

 よく目を凝らしてみればちょび髭を生やしている。


「ボンドビーか!? なんでいるんだお前!?」

「荷車を用意して後を追わせていただきましたー! 今ロープを下ろします、お待ちくだされー!」


 そう言うと冒険者協会支部長は頭を引っこめた。

 ガンズーと同じ場で話を聞いていたとはいえ、組織の長である彼がなぜわざわざ出張ってきたのかわからなかったが、何はともあれ手助けはありがたい。


 なにせ山道を外れたこの場所が山のどの辺りなのかいまいちわからない。

 魔獣の跋扈(ばっこ)する魔王のお膝元を、ガンズーだけならばともかく、三人の子供を抱えて街まで無事に戻るのはなかなか苦労があっただろう。


 そう思っていると、頭上からロープの先がするすると振り落とされてきた。

 ガンズーは声を張り上げた。


「ボンドビー! 子供が三人いる! 抱えて登るから、短いロープを別に寄越してくれ!」


 崖の上から、「心得ましたぞー」と小さく聞こえてきた。ほどなく、三巻き分ほどのロープが投げ落とされた。

 それを取って、ガンズーは子供たちへ向き直る。


「さて、いいかお前ら。上まで登らなきゃ帰るの大変なんだ。ちょっと怖いかもしんねぇが、俺にしがみついてくれねぇか。なぁに、絶対落としたりなんかしねぇから信じてくれ。俺ぁ力持ちなんだ」


 しゃがんで言えば、子供たちは互いに顔を見合わせて、しばらくどうしたらいいのか悩んでいるようだった。


 怒った牛と呼ばれたこともある厳つい顔に、どうにか優しく映ってくれと笑顔を作ってみれば、パウラが正面から胸元にぎゅっとしがみついてきた。

 アスターが背中へ回ると、


「ぼろぼろだ……痛くないの?」


 と聞いてきたので、「俺は強いからぜんぜん平気だ」と返した。

 実際に負傷などはしていないので本当のことだが、やっぱり服は駄目だったかとガンズーは顔に出さずにこっそり嘆息した。


 ノノは、静かにその様子を見ている。


「ほれ、来い」


 言って、ガンズーは自分の腿をひとつ叩いた。

 ノノはおずおずとその腿に座るようにして、パウラの横に収まる。


 子供たちをロープでたすき掛けるように身体へくくりつけると、ガンズーは慎重に立ち上がった。軽くてしょうがない。


「おし、そのままちゃんとしがみついてろよ。特にアスター、しっかりな。傷は痛くねぇか?」

「ぜんぜん平気。痛くなくなってきたよ」


 言って、背負われたアスターが肩に腕を回そうとするが、ガンズーの肩幅が広すぎるせいかいまいちしっくりいかない。

 最終的に腕は首に巻かれて少し絞められるかたちになったが、ガンズーは何も言わなかった。

 胸元に掴まったふたりも左手で抱えるように支える。


 崖上から垂らされたロープを掴んで少し引いてみると、しっかり張られているようだった。


「登るぞボンドビー!」


 小さく「かしこまりましたー」という返事。

 ガンズーは片腕でのロープクライミングにとりかかった。


 まったく支障はない。なにせ子供たちは軽い。

 この崖を登ることにはなんの支障もない。ただ、ガンズーはどうにもこうにも心が重かった。

 ここを登れば、すぐそばにパウラの父親が死んでいる。


 子供たちの体重はとにかく軽くて軽くて、ガンズーにはその命がとても重く感じられて仕方がなかった。

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