鉄壁のガンズー、お見舞い
どんな手練手管を使われたのか知らないが、ノノはあっさりとシウィーに気を許したようで、その膝の上であやとりを教わっていた。ていうかスエス半島にもあるんだなあやとり。
その向かいでただの毛玉になった綿糸をちまちま解こうとしているエウレーナと目が合って、ガンズーとヴィスクは帰りの挨拶をしそこねた。
「戻られたか」
「よく糸なんか持ってやがったな」
「シウィーに言えば大概の物は出てくる」
「そうなのか?」
「シウィーは凄いぞ。なんせたまにどっかから金貨まで拾ってくるからな」
「届けろよ大金じゃねぇか」
「照れます~」
「褒めて……いややっぱ褒めてねぇぞ」
ガンズーの姿を認めて寄ってきたノノが構える手には、糸が格子状というには少々複雑な形状に絡まっていて、なんらかの模様を作っている。
ぶっちゃけ指に糸が引っかかっているだけにしか見えないが、なにかしら完成形ではあるらしい。こればかりは、手の大きさを考えると仕方がない。ついでに言えば彼女は器用なほうではない。というか大雑把な気質だ。
しかしこちらを見る表情は、ぷっすんぷっすん鼻を鳴らして、目には自信が満ち溢れている。
言い当てなければならない。必ず正解を引き当てなければならない。これは彼女からの信頼に関わる問題だ。
ここ最近、妙に頭を使う展開が続いたが、どうやらこれが集大成だ。ガンズーは戦闘時のように集中した。
模様を見る。乱雑にぐちゃぐちゃと絡まっている――わけではない。明確に糸と糸を交差させてなにかを描いているのは確かだ。
物の形状、というわけではない気がする。ガンズーの知るあやとりにおいて、箒や塔といったものならばもっと一方向に同じ形の列が続くはず。これは中央から外へ向かって横と斜めに糸が通っている。
ではあやとりで作るものといえば……デフォルメだ。デフォルメしたなにかの模様。絵だ。どんな世界だろうとそこにあるものを簡略化して描くことは共通する。なにを描く……動物だ!
犬か、猫か。そう見てみれば中央下段のひし形は鼻を描いているようにも見えるし、その上で小さく対称になった角は目か。なるほど横は尖らせてモフモフした頬を表現して――
いや待て、であれば上辺、目の上のこれはなんだ。普通の犬や猫、あるいは狐なんかであれば三角を描いて耳を作るのではないか。四角……いや、角ばった丸になっている。耳であるのは間違いないようだが……
そうか、これでいいのだ。丸い耳の動物などいくらでもいる。犬にも猫にもそれはいる。しかしわざわざ品種別で描きはすまい。
ならば耳の丸い動物、熊か、鼠か。いや、これは――
「……狸か?」
ノノは笑顔を――花ひらくようなかわいい笑顔ではない。我が意を得たりといったニマァ……とした笑みだった――見せて、シウィーに向かって勝利のジャンプをした。
正解したらしい。いやよかったよかったと思いながら、ちらとエウレーナの後頭部を覗き見る。目の前に狸みたいなのいたしなぁ。
「ノノちゃんよかったわね~、上手よ~」
そう言うシウィーの手元には、これははっきり狐だとわかる形に糸が張られていた。狐が狐を作っている。
ようやく糸玉を解き終わったエウレーナがそれを放りだし、
「さてガンズー殿、そういうことだったわけだが、なんとする?」
「なんとするって言われてもよ……」
ガンズーが疑い、ヴィスクたちが調べていた相手は死体になって出てきた。
手がかりがひとつ消え、代わりに手元には――
「これ、どう思う?」
彼女たちが座るテーブルに、先ほど預かってきたメモの束を置く、隣に『鱗』の入った包みも。
エウレーナがメモをぺらぺらめくる。シウィーは手元の糸を、ノノへ同じように手を作らせ指を潜らせて渡すと、それを覗き見た。
完成している形をそのまま受け取った子が再びガンズーに見せる。「狐だな」と言ってやるとやはりニヤ、と笑った。
「エレちゃんこっち向けて~」
「待てシウィー。私も読んでいる」
「だってエレちゃん見てもわからないじゃない~」
「むぅ」
奪い取った紙束にひととおり目を通してから、シウィーが言った。
「……なんとな~く、ですけど~」
「おう」
「はっきりとはわからないんですけど~」
「おう」
「試してみないと確実じゃないんですけど~」
「いいから早よ言え」
「これのとおりに作っても、あの薬とまったく同じにならないんじゃないかなって~。なんだか色々と抜けてる気がします~」
いまいちその雰囲気から彼女の能力を信用しきれていないが、最も早くに『鱗』について調べ始めたのだから、その知見は無視できない。
おそらくは言うとおりなのだろう。
しかしそうなると、
「……スケープゴートの線が強くなってきやがったなぁ」
「すけ、なに?」
「身代わりに押しつけられたんじゃねぇかなって」
「あぁなるほど。でもよ旦那、偽の代物だなんて調べてきゃわかっちまうんじゃねーの?」
「本物と偽物、お前どっちも試してみる気ある?」
「……ちょっとイヤかなぁ」
「俺たち以外にはこれで理屈がとおっちまうんだよな」
領主も冒険者協会も、延々とこの件にかまけているわけにもいくまい。さらに言えば、ガンズーにとってさえそうである。
他に黒幕がいるというならば、そいつを幕の裏から引っぱり出してやらねば仕方がないのだ。
街の中へ消えたミークはどうしたろうか。ラダはすでに街を出てしまった。
待っていて解決するならそれに越したことはないが、やはり少し心配になってしまう。
「弱ったもんだな。俺たちそろそろ稼ぎに出ようかと思ってたんだよ。ここ最近の色々で出費も多かったしさ」
「だから無理に礼なんかすんなっつったのによ。まぁ、助かったけど」
「そういや結局、術性定着薬使っちまったんだっけ。そっちは手持ちとか大丈夫なのか?」
「どうだっけかな……いや薬買うくれぇの金はあるはずだが」
そういえば結局、手持ちを確認しようと思ってからやっていないことに気づく。いつなにが起こっても、というラダの言ではないが、念のため術性定着薬もきちんと補充しておこうと考えていたがどうだろうか。
いや、それくらいの金は――オレイル前領主に門の修理費を弁償する約束をしてしまったことを思い出す。南門についてもそうだ。
ちょっとドキドキしてきた。あとできちんと確認しよう。
ヴィスクたちは無理のない範囲で『鱗』の調査を継続してくれるということだったので、お願いして別れた。
明日は修道院の者たちがタンバールモースへ向かう。仲間たちも同道することだし、見送りついでに情報交換をしてみよう。
◇
寝坊した。
というわけではない。わけではないが、南門近くの待合所からはすでにタンバールモース行きの一団が出発してしまったあとだった。
以前フロリカたちに行き当たったのが昼のタイミングだったため、てっきり出発はそれくらいだと思っていた。昨今の事情を鑑みれば、時間をずらすなりして対応するのは当然だった。よく確認するべきだった。
これではただの散歩である。べつにそれはそれでいいのだが、このまま素直に帰るのも間抜けだ。朝がのんびりだったため、ノノの昼寝にも少し早い。
ふと、フロリカは中央教会に残っているのだろうかと気になった。おそらくそうだろう。さすがに怪我人まで遠出はさせまい。
市場のパン屋裏手で包み――今日は豚の内臓肉を野菜と煮込んだものが詰められたパンだった――を買い、齧りながらノノと中央教会に向かってみる。ついでに果物を少し用意した。
せっかくだから術性定着薬の値段も確認しよう。そう考えた。
そちらも案の定、人は出払っていた。そりゃあ教会関係者は皆さん向かうのだから、考えずともわかることである。
というわけで、入り口で守衛に止められた。
そもそもごく最低限の人員しか残っていないので、見舞いだろうが薬の補充だろうがなんの対応もできませんよ、と言われた。
そりゃそうだよな、としか言えない。
これは本格的にただの散歩になったな、と思ったとき、教会敷地の中から声をかけられる。
「予定はきちんと確認していただかないと困りますよ、ガンズー様」
ハンネ院長だった。
「院長さんは合同集会だかに行かなくてよかったんで?」
「あちらは司祭様にお任せいたしました。こちらでの対処がまだ済んでおりませんので」
中央教会の敷地は広いが、建物自体は多くない。人がほとんどいないせいか、ただの閑散とした広場のように思える。
装飾の少ない神殿ののっぺりした壁を横目に、ハンネと並んで歩く。教会付きである診療所、魔療院はこの裏手にあるという。
「忙しそうだ」
「二十年近くこの職に就いておりますが、初めての経験です。お許しをいただけたのは幸いですが、これで来月に司教様と会わねばならぬと考えると、少々気が滅入りますね」
「次も休ませていただこうかしら」などと言う彼女はいつもどおりのやんわりした笑顔だが、やはり内心は読めない。先日に説教されたときもこうだったので、ガンズーはこの院長がちょっと怖い。
「フロリカの面倒、ってわけじゃねぇんですね」
「あれは大事をとっているだけですので。傷自体はずいぶん落ち着いています。ただ、背の骨が断たれる寸前でしたから」
「……本当に大丈夫なんですかい?」
「大丈夫ですよ。誰かさんがよい対応をしてくれましたしね。まあ、心配もありますからこうして大事をとって、私も手隙に様子を見に来ていますが」
魔療院は小さかった。石材建築のしっかりした建物だが、その大きさだけ見れば掘っ立て小屋のようだ。
ノノの家と大差が無い。協会支部の診療所も狭かったが、どちらが広いだろうなどと考える。
だが魔療師の施療といえば要するに、大きい外傷を魔術でパッと治すものだ。場所などあまり必要としないし、それこそ入院する患者など少ない。そういえば協会付きで広い魔療院など見たことが無いと気づいた。個人のものだとバカみたいにでかくて豪華な場所もあるが。
その表でぼんやりと日向ぼっこしていた老齢の魔療師――タンバールモースに向かってないということは、兼任神官じゃないんだな――に軽く挨拶し、中へ。
小さな扉を叩いて、ハンネ院長は中に声をかけた。
「フロリカ。入りますよ」
少し待ってから、「はぁい」となんだかずいぶんぼんやりした返事が届く。
それからなぜか院長がこちらを見る。自分で扉を開けるつもりは無いらしい。そもそもガンズーとノノが来ていることを言わない。どういう意図だろう。怖い。
仕方ないので、扉を開け――いやその前に声をかけるべきだろう。女性の入院している部屋なのだ。なにせ彼女に対しては以前にヤベーことをやらかしている。下手なことはできない。
と思っていたらノノが扉を開けた。ノックしなさい。いや横の婆さんがしたからいいと判断したのか。
「院長様ぁ、私そろそろ外に出ても大丈夫だとおほうあ」
謎の語尾はガンズーと目が合ったことによって彼女の口が歪んだからだ。
おそらく先ほどまで眠っていたのだろうと思う。寝間着代わりの白衣もそのままであり、亜麻色の長い髪がところどころねじくれている。
やっぱ修道服を着ていないと誰かわかんなくなっちまいそうだな、とガンズーはフロリカを見て思った。
「フロリカ。私は魔療師様と少しお話がありますので、外します。ガンズー様、どうぞごゆっくり」
いやいや待て待て、という間も無くハンネは背を向けてしまった。寝起き姿の彼女も口を歪めたまま言葉を出せない。
さすがに身支度の時間くらいほしいだろう、と考えてひとつ断りを入れ下がろうとしたが、その前にノノは遠慮なく彼女のベッドへ向かってしまった。よっ、と片手を上げている。
ガンズーは困った。あと多分フロリカも困った。
「……ど、どうぞ」
どうぞ、て言われてもなぁ。
その寝間着、身体の線が出てて弱っちまうんだよなぁ。




