鉄壁のガンズーとノノと髭の爺ちゃん
正午の鐘が遠くから聞こえ、離れを後にした。
ガンズーとノノも共に食事をしていくよう誘われたが、遠慮した。善意で置かれているとはいえ、修道女や子供たちも居候の身だ。そこへさらに混ざるというのも図々しい。あまりオレイルに気を遣わせたくないのもある。
近くだが、やはり三頭の蛇亭にはまだ寄らない。ノノにはちょっと残念そうな顔をされた。ガンズーだってあの宿の飯が恋しいが、気分の問題なのだ。あと――けして今まで忘れていたわけではないが――節約。
中央広場を斜めに通り過ぎる。向かったのは山羊のひげ亭。
考えてみれば、飯を食うといったらふたつの宿のどちらかばかりになっている気がする。もう少し他の飯屋も開拓するべきだろうか。
慣れた場所でなければ嫌だなどと言うつもりは無いが、なんとなく足が向いてしまう。以前イフェッタに教えてもらった穴場のような、安くてうまい店もきっとあるのだ。
誰かにいい店でも教えてもらおうか、と考えながら、結局は宿の前まで来てしまったので今日はここで済ますことにした。
「あらー、久しぶりだね」
いつだかぶりの女将に笑顔で迎えられ、カウンターに座る。ここの椅子は少し高めなので、ノノは持ち上げてやらなければならない。
「いやー、なんだかあれだねぇ。ガンズーさんみたいな人ってのは、騒ぎが向こうからやってくるようになってるのかねぇ」
どうやら一連の事件についてある程度の話は伝わっているようだ。相変わらず耳聡いおばちゃんである。
適当な昼飯を頼むと言うと、パイの用意があるという。魚か、カボチャと木の実のどちらかが選べるらしい。自分に魚、隣の子にはカボチャを頼んだ。
「そういえばね、ちょっと前からウチに冒険者になって間もない子たちが泊まってるんだけどさ。聞いたらあんた、ガンズーさんのお弟子さんなんてやってるって言うじゃないかい」
「なんだ、あいつらここに泊まってんのか」
「あらまー、やっぱりホントだったんだねぇ。ダメだよもう、もっと大事にしておやりよ、頑張ってるじゃない。仕事に出る前に走って、仕事から帰れば走って。あんたそればっかりさせてるそうじゃない」
「いや、そこはなんだ、俺もぼちぼち考えてるよ。今はそれが大事なんだ」
「そういうもんかい? でも納得したよ。ウチはほら、安いほうとはいっても中堅の人たちを相手にしてるからさ。新人にしては羽振りがいいじゃないのなんて思っちゃったけど、ガンズーさんとこの子ならねぇ。優秀なんだねぇ」
ドートンたち三兄弟が木賃宿生活から脱出したのは聞いていたが、ここを定宿にしようとするとカツカツではなかろうか。
おそらくヒスクスだかいう助けた商人からの謝礼で気が大きくなって、目についたこの宿に飛びこんでしまったのだろう。冷静になってグレードを下げようとしてもなかなか踏ん切りがつかない。そんなところか。ガンズーにも覚えがある。
あいつらもたいがい節制ができねぇな、などと自分のことは忘れて思う。
女将は厨房であれこれ作業しながら、ひょこひょこと顔を覗かせては会話を続けてきた。
「しかしほんと人は見かけによらないもんだ。私なんか最初、ほら、金髪でしょあの子たち。どっかの貴族のボンボンが冒険者遊びかいなんて思っちゃったよ。そしたら田舎の農民だったって言うんだもんびっくりさ」
「ボンボンっつうかオノボリっつうか。どうだい女将、いろんな冒険者見てるあんたから見るとあいつらは」
「やだよもう、お師匠さんにそんなこと聞かれたら困っちゃうよ。うーん、でもそうだねぇ。上の双子はわかんないけど、下の子は頑張れそうな気がするね。なかなかの器なんじゃないか、なんて言っちゃったりしてねあはは」
すげぇなこのおばちゃん。勇者見込みの才能を見抜いてやがる。
やはり冒険者としてなにかしら感じさせるものがあるのだろうか。当のデイティスは商人の息子になる道も模索し始めているが。
ともあれ、そうすると彼の成長も楽しみではあるが、肝心なのはドートンとダニエだ。あの双子がどうなるか。もしかしたら、けっこうな比率でガンズーの手腕にかかっているのかもしれない。
ケーの言うとおり、デイティスの横にいる影響でふたりも成長が早まっているとするなら、なおさら正しく導かなければならないだろう。なにせドートンなんかいまだになにが得意かわからない。
「こりゃけっこう悩むな……」
「ガンズーさん、人にあれこれ教えるの苦手そうだもんねぇ。でも悪いもんじゃないよ、そういうのって自分の勉強にもなるもんだからさ。はい、こっち魚、こっちカボチャ」
どん、どん、と置かれた目の前の皿には長方形のパイ。
横のノノには、三角形のパイが置かれた。円型のものを彼女にあったサイズに切ってくれたようだ。
齧りついてみると、中には白身魚の切り身が入っていた。てっきり塩漬け魚かと思っていたが、どうやら鮮魚。仕入れがあったのだろうか。えらく運のいい日に当たったらしい。
おそらくヒラメの、ホロッとした身が大ぶりに入っていて、刻んだエシャロットと茸、それと香草がアクセントになっている。
ほのかな塩気で魚のうま味が引き立つ。しょっぱいなんてことはない。どうもここは冒険者向けの料理でなければ非常にうまいものが出てくる。ある意味ではこれも穴場なのだろうか。
横ではカボチャのパイに足をぶんぶん振っている子がいた。ころりと皿に落ちる木の実を大事そうに摘まんで食べている。
ドートンたちには教えないでおこう。あいつらは汗かいてしょっぱいもん食ったほうがいいんだ。そんなことを思いながらパイに噛みついていると、新たに客が入ってきた。
ちらと振り向く。
「――こちらにおられましたか」
山羊のひげ亭に、山羊のひげのような顎髭を生やした男。
ラダはいつもと変わらない静かな面持ちで佇んでいた。
「なかなか良さげなものを食べておいでで」
いまいち本音なのかわからない声音で言いながら、ラダはガンズーの隣に優雅な仕草で腰かけた。
「かなり良さげだぞ。昼は?」
「まだです。私もここで済ませましょうかな。女将、同じものを」
「はいはーい――えっ!? ラダさん!? あらちょっとやだ、どーしましょ。こんなところに来るだなんて、まぁまぁまぁ驚いちゃった。もー、お口に合えばいいんだけど」
なに顔赤くしてんだおばちゃん。
厨房から顔を覗かせた女将はなにやらひとしきり騒ぐと、やはり騒ぎながら奥へ引っこんだ。
横に座った男は特に反応は見せない。
そういえばこいつも有名人のひとりだ。街の中にはあんな反応をする者も多いのかもしれない。
そう考えると、ボンドビーが言う『黒鉄の矛』の名を保ちたいという話もわからなくはない。
両手を組んで正面を向いたまま、ラダは――やっぱり静かに――口をひらいた。
「ジェイキンの輸送が決まりました」
「おふ?」
ちょうどパイの最後の一欠けを口に入れたところだったので、返答が珍妙な音になってしまった。かけらを飛ばしてしまわないよう、口に手を当てて咀嚼する。
「やっぱ喋んねぇか」
「はい。さっさと要求を叶えてやろうと王都へ。タンバールモースには修道院の皆さんも向かわれますし、あまり」
「そうか。ま、それでも話さんなら王都の審問官にでもお世話になるしかねぇな」
「支部長としては嫌がるでしょうが。あくまで協会の元で片づけたいようで、連絡員を含め何人も同行させることになりました」
「そりゃそうだろうな。いつ出るんだ?」
「準備さえ整えば今日にでも。おそらく日の入り前には出るのでは」
「また急だな」
「解決が早まるならそれに越したことはないのでしょうね」
つらつらと話しているが、なんだか他人事のようにも聞こえる。
ラダ自身もいちおうは協会の人間である。それにしては距離を置いたような口ぶりだ。そういえばボンドビーとの会談のときも、あまり話に加わらなかった。
理由は――まあ、立場が曖昧になってしまうのもわかるが。
「……あれは、ジェイキンという男は、要求さえ叶えば言うとおり喋るだろうと見ております」
「そうなのか?」
「なんと言いますか、同種の勘と言いますか。自分の身を優先しているだけなのでしょう。その場その時で、最も優位に立ち回れるところを探している。その公算が高ければ、身内のために全力で働き、あるいは見捨てる」
髭を撫でて、彼はわずかに口の端を上げた。
「私もそうでした」
不意にこちらへ目を向けてきたので、ガンズーは少し面食らった。
院で彼と話をしたときにも、ここまで真っ直ぐに目を見据えられたことがあっただろうか。
「支部長の前では言えませなんだが……ガンズーさん。正直なところ、少々貴方を恨めしいと思いました」
「……そりゃまた」
「わかっておりますよ。私ではバシェットを止められなかった。ザンブルムスにも勝てたとは言えません」
溜息を吐きながら、「ただ」と付け加える。
「彼らに最期まで付き合うのは、私でありたかった」
「その場にいたじゃねぇかよ」
「えぇ。貴方のおかげで」
ふ、と笑う。向けられた目に、剣呑なものなど見当たらない。
「……あー、んじゃあれだ。いっちょ決闘でもすっか。俺に勝ったらお前も十分やれたってことで」
「老骨をいじめないでいただきたい。お互い無茶をしないと言ったばかりでしょうに」
腕の包帯を見せながら肩を竦めるので、ガンズーも歯を見せて答えた。
少し視線を落として彼は続ける。
「十分やれた、か。どうなのでしょうね」
「ん?」
「実は、ここ数年は引退も頭にあったのです。頭も体もまだ十全に動きます。その努力もしていたつもりですが、なかなか……ですが、あれを見ました」
「……バシェットか?」
「強かった。あるいはあのころよりも。その是非はどうあれ、目的のある人間とはああなるものなのですかね」
改めてこちらを見る。それから、後ろのノノへ目をやる。
見られて彼女も顔を向けたのか、どうやら目が合ったようだ。ラダは眩しがるように目を細めた。それだけならば、好々爺のような風情だ。
「貴方もきっとそうだ」
「……お前さん、子供とかいねぇの?」
「おりません。家内がいましたが、ずいぶん前に先立たれました。私は……『黒蜘蛛のラダ』という男は、宙に浮いて落ちる先がありませんでした」
そう言って、また正面へと向き直る。手を組んで、元の姿勢に戻った。
「輸送を見届けたら、先日言ったように私も都市同盟へ向かいます。ジェイキンが話をしたとて、裏にいた者がそれで出てくるわけではない」
「……なぁ、マジで無茶はすんなよ」
「しません。自分が大事なのは今も変わりません。ですが、年甲斐もなく張り切っている部分もあるのですよ。まだ私にもやれることがある」
「そうかい。頼むから、この話を遺言にすんなよ」
「約束したいところですが、どこでなにが起こるかわからないということを思い知ったばかりですからね。帰らなければ、オーリーによろしくお伝えください」
「やめろよ縁起でもねぇ」
ひととおり話して落ち着いたのか、ちらとこちらを向いたラダの目がまたガンズーの後ろへ行った。
振り返れば、パイを食べ終わったノノが彼の顔をじっと見つめている。不思議そうな顔をしていた。
「……そういえば、近くで過ごしていたのに君とはあまり話さなかったね」
子供へかける声は、いつもどおりの声音だ。けして老人が小さな子をあやすようなものではない。
「名前も――言わなかったかもしれない。これは失礼な話だな」
そんなことを言うラダに、ノノは少し首を傾げてから、ガンズーを見た。
また彼へ顔を向けて、
「知ってる」
と言った。
「パパの友だち」
それから、自分の顎にとんとんと手を当てて、
「ひげ」
それだけ言った。
ガンズーはラダと目を合わせた。見たことが無いようなきょとんとした顔をしている。
どちらともなく、ぷっ、と口から噴き出した。
ラダは大いに笑った。それこそ見たことが無い。大口を開けて、食堂に響き渡るくらい笑った。厨房から出てきた女将が信じられないものを見る顔をしていた。
目尻に涙を浮かべるくらい笑うと、彼がノノに言う。
「ああそうだ。君のお父さんの友だちだ。髭の爺ちゃんだ。覚えておいてくれ」
いよいよ遺言みたいなことを言いやがって。ガンズーも笑った。
しかし遺言になどならない。彼はきっと有力な情報を抱えて帰ってくるだろう。
帰ってきてもらわねば困る。この髭の爺ちゃんほどアージ・デッソに詳しい者などそういない。色々教えてもらうのだ。




