鉄壁のガンズー、後片付かない
丁字架のひとつを指して聞く。
「ここにいんのは?」
「ママ」
横にあるもうひとつを指す。
「こっちは?」
「パパ」
ふむ。
最後に自分を指してガンズーは聞いた。
「俺は?」
「パパ」
自信満々に言うノノ。
うーむ。
昨晩あった彼女の言葉にかなりの衝撃を受けたガンズーだったが、冷静になってみればあれはやはり混乱していたが故だろうと考えた。
が、どうやらそうでもなかった。
出かけついでに聞いてみれば、ノノの目には一点の曇りも無い。
彼女の中では明確に、カゼフとガンズーの区分けがされているようだ。詳しく確認しても仕方ないし、そういうことになったのだろうと飲みこむことにする。
化けて出ねぇかな。出ないよな。どっちかっていうと母ちゃんのほうに誰てめぇって言われそうだな。などと思うが、飲みこむ。
両手を合わせて目を閉じた。なにがどうなのか自分でもわからないが、よろしくお願いしますと祈った。
目をひらいてみるとノノが真似している。この国の作法とはまったく別物なのだが、覚えさせてしまっていいものだろうか。さすがに礼のひとつで異端審問などされないとは思うが。
「行くか、ノノ」
「あい」
ぽってりと腫れた瞼を携えて歩く。
隣を歩く子も、下瞼がほんのり赤い。
一晩も経ったというのに、顔も洗ったのに、なかなか治まらなかった。一年分くらい泣いたし仕方ない。
この顔であいつらの前に出るのは少しはばかられたが、だというのに我知らず笑みが浮かんで、ガンズーは複雑な気持ちになった。
◇
ミラ・オータウス修道院は孤児院と宿舎がそれぞれ半分ほど焼けてしまい、なかば機能不全となってしまった。
本院は残っているが、子供たちや修道女が過ごすには狭すぎる。
いざとなったら俺がどっかの宿でも貸切るか、と覚悟して向かったところ、引っ越しの準備をしていた。
聞いてみると、朝早くに領主の使いがやってきて、屋敷の離れを解放して貸し出すという申し出をされたらしい。院の修復にも援助が出され、元々簡素な建築であったし建て直しもそれほどかからないという。
ガンズーは胸を撫で下ろした。
ハンネ院長に謝罪と、こちらからも援助を、と申し出たところ断られた。「パウラさんは無事です。アスターさんもノノさんも帰ってきました」そう言われた。
人的被害は最小限に済んだ。ガンズーと、同様にエウレーナもラダもよく戦ってくれた、というようなことも言われた。恐縮して仕方なかった。
フロリカは中央教会の魔療師の元で静養するという。昨晩のうちに運ばれてしまったので、ガンズーは会えなかった。
数日で出てくるというが、それはそれで次に会ったときどう話せばいいか迷ってしまう。
子供たちの中には、襲撃者の死体を見てしまった子もいたようで、ショックを受けた者も多いようだ。近くガンズーも領主に呼ばれることになるだろうし、そのときにはたっぷりの見舞いを用意しよう。
◇
そういった、院や領主との繋ぎをこの朝までにどうにかしたのだろうボンドビー支部長は応接室のソファに尻を沈めて憔悴した顔をしていた。
隣に座るラダも涼しい顔をしてはいるが、さすがに昨日の今日で疲れが隠せていない。顎髭が右に曲がっているし、両腕を包帯で覆っている。
バシェットとコーデッサは、冒険者協会の拘置所にいる。警吏にはまだ引き渡さない。そして驚いたことに、ジェイキンも同じく拘留しているという。
エウレーナが捕縛してきたそうな。ガンズーは心の中で感謝した。逃がさずに済んだこともそうだし、昨日の乱戦にあいつまで加わっていたらどうなっていたかわからない。
冒険者の犯罪において、協会は該当者を一定期間――それが可能であればだが――拘束し、取り調べることが許されている。自治と自浄の名目で。領主や判事の了解があれば、独自の裁量で処罰もできる。
とはいえ余程のことがなければその権利は行使されない。ほぼ無意味だからだ。大抵の冒険者から発生した犯罪者は、どこかで直に警吏に掴まるか、死んで見つかるか、そもそも冒険者であったと証明されない。
協会職員、あるいは冒険者によってそれが捕縛されたとしても、そのまま引き渡すのが通例であるし、手間も無い。せっかく司法が整備されているのだから従ったほうが楽なのは冒険者に限った話ではない。
協会の拘置所が埋まることなどそうそうなかった。他の街には拘置用の部屋が職員のホテルと化していた場所もあった。
そして今回は、余程の場合である。
よく見ると、ボンドビーのちょび髭は数本が逆立っていた。会談のあいだ、ノノはずっとそこを見ていた。
結局のところ、アージ・デッソに残る偉大なパーティ『黒鉄の矛』の名をどう扱うべきか。問題はそこなのだそうだ。
くだらんなぁ、とガンズーとしては思ってしまうが、支部長の立場を考えるとそうもいかんのだろうとわかる。
西の遺跡群を発見した冒険者。他にも幾多の功績を残しており、近年だって他国で実績を積んできた。怪しいところがあったとしても、それを把握しているのはラダとその周辺の他にはそういない。
勇者には及ばずとも、その名に憧れる者は多い。あれだけ若い人員を集められていたのが証左だろう。
いってみればアージ・デッソの名士だ。この街に残る歴史のひとつ。
それが街の修道院を襲って虹瞳の略取を試みました。
できれば大っぴらにしたくない。と考えるのも仕方ないだろう。
あんだけのことやったら噂なんかあっという間に広がるんじゃねーか。そう思うが、あくまで噂と正式に公表されるのでは大いに違うのだそうな。
やっぱりくだらんなぁ。ガンズーは半眼になった。
しかし領主については事件に片足を突っこんでいた負い目があるものの、教会は自前の施設をひとつ焼かれている。黙ってはいるわけがない。なんらかの追及は必ずある。というか、すでにもうされていると考えていい。
近所のタンバールモースに人が集中するから、この街の七曜教はそれほどの規模ではないとはいえ、おろそかにできる相手でもない。
ボンドビーの髭が天へ還ろうとしているのはそこだろう。これからどういうお話をするのか知らないが、疲れるに決まっている。
ラダはどう思っているのだろうか、と見てみても、のんびりと茶を啜っているのでその内心は量れない。
「ジェイキンという男が、妙なことを言っておりまして。なんだって喋るが、条件があると」
「あん? とっ掴まった奴が条件ってなんだよ」
「それがその、たとえ拷問にかけたとしても……というか、多少の取り調べは行ったのですが、黙秘を続けてまして。そもそも、逃げようと思えば簡単に逃げられるなどと嘯く次第で」
「どうだ? ラダ」
「やってやれないことはないでしょうな。おそらく技量は私より上です」
「ふーん……んで、条件って?」
「それがですな、奴めこう言うのです。『王都か、せめてタンバールモースのような、確実に安全な場所に移してくれ』と。そしたらいくらでも話すと」
「あー……つまり、あれか? 口封じにビビってんのか」
「そのようで」
たしかにアージ・デッソの裁判所にある牢屋もここの拘置所も、お世辞にもしっかりしたものではない。警備は緩いほうだろう。
しかしそこから簡単に抜け出せると言い張る奴が、逆にそこで殺されることを恐れるとは。いや、逆か。そんな場所だから安全ではないと思っているが、逃げたらなおさら危険だと思っているのか。
だがそうなると、
「裏にいるのはそんだけビビるような相手だったってことか」
「そこをこそ聞きたいのですが、そのためには奴を守る段取りをつけねばなりません」
「なんだかなぁ……バシェットの野郎はどうした?」
「そちらはなんというか、素直に。ですが……ラダ殿」
「昨晩に聞いたもの以上のことはあまりありません。まぁ、そうですね。そういうことが苦手な男でしたから。悪だくみの詳細など、耳に入れぬようにしていたのでしょうね」
「そんなこったろうと思ったぜ」
結局、確保できたのは最も中心で動いていたが口を塞ぐ男と、最も核心に近いところにいて目も耳も塞いでいた男。
見事に厄介なのが残ったもんだなぁ、と思った。
「あいつどうした? あの、コーデッサとかいう」
「彼女もバシェットと大差ありません。そもそもパーティに加入してからひと月も経っていないようですし、活動の形跡もほぼありません。話がまとまるまでは拘束することになりますが、降格程度で解放するつもりです」
「……口止めしてか?」
「ま、その……ガンズー殿。いじめないでください」
肩を竦めて話を流す。
ガンズーとしては彼女に対してまったく遺恨は無い――というか印象自体が薄い――ので、文句も無い。
聞けば身体を張ってアスターを守ってくれたというし、むしろ同情的だ。これからどうするかはともかく、早く自由になってほしいとさえ思う。
しかしこりゃ参ったな。ガンズーは声に出さずに呟き、それをぬるくなった茶と共に啜る。
もしかしたら、まったくなにも解決していない。
ザンブルムスもバシェットもジェイキンも、『黒鉄の矛』の連中も、領主の館にいた家令も、あるいは蜥蜴の尻尾を刻んだにすぎないのだ。
「なんつったっけ。『蛇』だかなんだかって奴については?」
「風体以外の点についてはなんとも。『黒鉄の矛』には十年以上前から接触していたようですが、正体に繋がるようなことは一切見せなかったようです」
「領主のほうは?」
「人を出して調べるつもりですが、どうでしょうな。呼びつけた者たちを管理していたのが例の家令となると……」
「……『鱗』ってのについては?」
ボンドビーは両手を上げて頭を振った。
「そ奴が持ちこんだ薬、以上には。解析を頼んではいますが、時間がかかりそうです」
彼とガンズーの溜息が重なった。
昨日の今日の話だ。進展を期待するものではないが――すっきりしない。
「……ヴィスク待ち、かな。どうしたかなあいつ」
「なんでしょう?」
「いや、なんでもねぇ」
ヴィスクに調査の継続を頼んでから一気に状況が動いてしまったが、彼にもある程度の顛末くらい伝わるだろう。調べてほしいことはまだ残っている。
とはいえ、これでマデレックという老人が外れなら八方塞がりだな。そう思ってしまった。
「ひと段落したら、私は都市同盟に飛んでみようと考えています」
黙ってこちらの話を聞いていたラダが、唐突に言った。
「バシェットたちがその某に誘われたのがそちらだと言いますので。まあ、当時とはずいぶんと状況が変わっているでしょうが」
「あー、教団まわりでかなりごたごたさせちまったからなぁ……俺たちが」
「ですが、調べてみる価値はあるかと」
「かもな。無理すんなよ爺さん。手ぇ痛めてんだからよ」
「お互い様です」
こちらの左腕を見て彼が言うので、互いに笑った。
今すぐできる話はこれくらいしか無いということで、解散になった。
バシェットに会ってみたい気もしたが、今日はやめておこう。なにを話したものか悩むし、協会に来た目的は他にもあるのだ。
ちょび髭を眺めながら菓子をもしゃもしゃ食べていたノノに、再び土産を包んでもらってその場を後にした。
◇
「……たとえば傷を縫うとしたら、君の肌ははたして針を通すのかね?」
「こっちで全力で脱力すりゃあ、まあ、通らんこともねぇんじゃねぇか」
「なるほど苦労しそうだ。頼むからそんな傷はこさえてこんでくれよ」
「今回ばかりは縫わんとダメかと思ったが、かさぶたになってくれてよかったぜ」
「そうだな。異様に早いようだがな。しかし骨はそうもいかんかったか」
額の傷をこりこり掻きながら、ガンズーは左腕を包帯でぐるぐる巻かれている。
添え木を当てたが、吊るすのは断った。「その子を抱き上げるのに邪魔だからと言うんじゃないだろうな」と言われ、怒られそうだったので黙る。
巻き終えると、オプソン医師はやはりぺんと叩いた。どうも癖のようだが、医者として患部を叩くのはどうなのだろう。そしてやはりノノも同じくそうした。子供も真似しちゃうしなぁ。
「しかしあれだね。鉄壁のガンズーを診察するなど、なかなか無いはずなんだが。それもこの短期間で二回だ。どうしたことかね」
「どうしたもこうしたも、俺だって人間だぞ先生よ」
「人間は斧で頭を叩かれれば死ぬんだよ」
「気合い入れりゃ意外と死なねんだよ。骨は折れっけど」
「なんというか、世界は広いな」
「それは俺も思った」
呆れたように言われたので、半笑いで答える。
包帯に包まれた添え木の感触が面白いのか、ノノはそこを指先でこちこち叩いていた。俺だから平気だけど、他の奴はきっと痛がるからやめるんだぞ。
「ま、奇麗に折れてたからくっつくのにそう時間はかからん。君ならなおさらだろう。ひと月もいらんかもな」
「そりゃよかった」
「安静にしていればだ」
するするめっちゃする。静かにしてる。
そういう気持ちで頷いていたが、オプソンには怪しんだ目を向けられた。信用されていないようだ。なぜだ。
「まあいいさ。それにしてもあれかい」
鼻から息を吐いた彼が、机の上でなにごとか書きつけながら言う。
「同じ釜の飯を食べていると、骨の折れ方も似るのかね」




