鉄壁のガンズー、号泣
門。でかい。
門番。ふたり。
蹴った。壊れた。
弾け飛んだ鉄製の錠がどこかに跳ね返り頭に当たったおかげで、ガンズーは少しだけ正気に戻った。
こんな夜更けに現れてずんずんと突き進んできた男に誰何の声を上げようとした門番は、槍を構えようとしかけた姿勢で固まっている。金属補強した門扉が蹴りのひとつで吹き飛んだのだから仕方ないだろう。
そのまま中へ入る。
アージ・デッソ領主の館は北西区画の中ほどにあった。
ガンズーはここまでどうやって来たのか覚えていない。ほんのかすかに残っていた記憶と、動物的な勘でどうにかした気がする。
走ってきたことだけは確かだ。街に戻るときにまた南門をちょっと壊した気がするし、ギリギリで残っていた理性でラダにアスターを任せたことだけは覚えていたものの、あとはとにかく走ってきた。
次は飛ぼう。そう決めた。決めてから、次なんてあるわけねぇじゃねぇかバカたれこの野郎、と思った。
ノノが連れ去られることなど、二度とあってたまるか。
一度でもこうなってんのが問題なんだろうがバカ野郎この野郎ガンズーのマヌケ野郎。そう思った。
「てっ、敵、敵? 敵襲、敵襲ー!」
広い前庭をのっしのっしと歩く。
その横に門番が追随してきて、なにやら叫びながらこちらの前方に槍を突き出してきた。止めようというのだろう。なんでだ。門番だからか。門は壊れたんだからもういいだろ。
無視して歩くとちくちく突かれる。
それでも無視し続けていると、勝手に槍は折れた。ちょうど踏み出したときに突っ張ったからだ。門番のふたりは泣きそうな顔をしていた。
屋敷の敷地はそれなりに広いが、一領の領主邸宅としては小さい。他の街と規模を比較すれば、ここには小さくても城くらい建っていておかしくないのだ。
しかしアージ・デッソに城は無い。近いとすれば、中央教会の聖堂が最もそれらしいだろうか。
この街の成り立ちによるものだというが、いつか聞いたレイスンの講釈はすっかり忘れてしまった。大事なのは、ここにノノがいるかもしれないということだ。
はたして、屋敷には二十人を超える警備兵が常駐していたようだ。
ばたばたと走り出てきて、玄関前に並んだ。似たような恰好のせいで門番と見分けがつかない。
そのうちの誰かが「てっ……」と呻いた。もしかしたら「鉄壁のガンズーじゃないかなにしてるんだこのバカ」と言いたかったのかもしれない。誰がバカだ。いいや俺はバカだ。
とにかく、こちらが誰かは当然のようにバレているようだ。関係ない。
門を破壊したのはやりすぎだった気もするので、玄関扉には優しく手をかけた。ガンズーはノノさえ返してもらえれば穏便に済ませたいのだ。
扉を開け、兵隊を何人も身体にしがみつかせながら中へ進む。わざわざ抜き身の剣で首を羽交い絞めにされているが、どうか自身や同僚を切らないよう気をつけてほしい。
玄関ホールに、ひとりの男が立っていた。待ち構えていたのだろうか。
痩身の男だった。口髭も頭も白い。老人――ここしばらく爺にばっかり縁があるな――だが、背はしっかりと伸びている。シンプルだが瀟洒な衣服に身を包んでいた。
「久しいな。鉄壁のガンズー」
アージ・デッソ先代領主、オレイル・ハーシュ・ホーフィングン。
以前に一度だけ、彼に会ったことがある。
現領主であるその息子のケルウェンがどうにも印象の薄い頼りない男だったせいか、ガンズーは目の前の男が領主だろうと勘違いしたものだ。
こちらへ向けられた目は冷徹にも感じるが、特段の意図も読めない。だからなんでこう最近の爺どもは無表情ばかりなんだ。
「こんな時間になんの用かな」
「ノノを返してもらいにきた」
「さてな。なんの話やら」
「放っといてくれていい。捜して勝手に出てく」
「ここがどこだかわかっていてか? 勇者の認可があろうと、許されるものではなかろう」
「あいつらにゃ俺から謝っとく。好きにしろ」
「国から触れが出るな」
「ノノにゃ悪いが、しばらく引っ越しだな」
「……力尽くも辞さんか」
「手荒な真似はしねぇよ。門の修理代は置いてく」
ふー、とオレイル前領主はこめかみを押さえて溜息を吐いた。
数人の兵隊が周囲を固めようとするが、その手を振って下がらせる。ガンズーの身体から、しがみついていた腕やら剣やら槍やらが剥がれる。
わちゃわちゃと群がっていた兵たちが静かになると、遠く館の奥からなにかが聞こえてきた。
――わああん
子供の泣き声。
やっぱ居るんじゃねぇか!
激昂して思わず手近にいた兵を殴りつけそうになったが、手荒なことはしないと言ったのを思い出し寸前で止める。止めたがその兵はそれで気絶した。
「ついてきなさい」
前領主が階段へ向かう。兵が何人か付き従おうとしたが、それもやはり制した。
どういうつもりなのかは知らないが、ガンズーを連れていこうとしている。罠だろうか。それならそれでまた勝手に館内を歩いてノノの元まで向かえばいい。
ガンズーは彼の背を追った。
二階の奥にある扉の前には、おそらくここの家令が佇んでいた。
そして、扉の奥から子供の泣き声が聞こえる。聞き間違えようのない声。ガンズーは先を歩く老人も家令も押し退けて扉をぶち破りたい衝動に駆られたが、なけなしの理性でもって耐えた。そろそろ奥歯は折れる。
オレイルがひとつ頷くと、家令が頭を下げながら扉を開けた。
室内には驚愕の表情を浮かべてこちらを見る線の細い男――ああ、そういや現領主はこんな顔してたっけ――が突っ立っている。近くの壁には調度品だろう剣が掛けられていて、なんとも領主邸らしい。
それから端女だろう服装の女がベッドの手前に。やはりこちらを向いている。
そしてベッドには――
「ノノっ!」
いつもどおりの服と黒髪。
ベッドに座りこんでぐしゅぐしゅと泣いている小さな姿。
まごうことなくノノだ。間違いようもなくノノだ。どうしようもなくノノだ。ノノがいたぞ見つけたぞこんにゃろうちくしょうバカ野郎。
頭の中に詰まっていた霧が晴れたような錯覚があった。だが脳はそれを待たなかったようで、考えるよりも先に名前を呼んでいた。
目をごしごし拭いながら泣いていたノノが、弾かれたようにこちらを向く。濡れた虹の瞳が限界までひらき、また泣いた。
「……あああああっ!」
もはや泣き声は絶叫に近い。
泳ぐような動きでこちらへ来ようとして、端女に止められた。ガンズーはその顔面を蹴り飛ばすところだったが、オレイルが彼女を下がらせた。
ベッドから飛び降りるようにして、ばたばたと両手を振りながら、どたどたと足を暴れさせながらノノがやってくる。
もう大丈夫だ、あんまり泣くなよ。ガンズーはそう言うつもりだった。
「――パパあああああ!」
…………
こらこらなに言ってんだノノ。お前の父ちゃんはカゼフの野郎だろ。いくらなんでも俺なんかをパパなんて呼んだらあのバカ化けて出てきちまうぞ。混乱してんだな。まぁちょっと嬉しいけどそんなお前、もうしょうがねぇなぁ。
おおむねそんなことも言うつもりだった。なぜか喉から出ていなかったようなので、仕方なく先ほど言おうとしたことを口にしようとすると、すっかり忘れてしまった。
なので改めて彼女に声をかけようとしたが、唇は動かない。
困ってしまった。安心させて泣き止ませてやらねばならないのに。
よし、こういうときは笑顔で迎えてやろう。そう決めた。
膝をついてノノを抱きしめたガンズーは、号泣した。
「あああああ!」
「うおおおお! ごめんなぁノノ! 怖かったなぁ! ごめんなぁ!」
「バカあああああ!」
「バカだなぁ! 俺ぁバカだなぁ! すぐ来れなくてごめんなぁ! ぐおおお!」
これでもかと言うほど泣いた。ふたり揃ってびっくりするほど泣いた。
領主の館に、太い泣き声と高い泣き声が延々と響いていた。
「――んで、領主様なんてお人がこりゃどういう了見だ」
どうにか一呼吸ついて立ち上がり、部屋にいる者を見回す。
ノノはいつもの定位置、左腕の中にいた。まだかすかにうぐうぐしゃくりあげていて、胸当てに額を押しつけている。
涙と鼻水を垂らしたまま言うと、オレイル前領主がハンカチを渡してきた。こりゃどうも。高そうな布だが遠慮なく鼻をかむ。
「うむ……ケルウェン」
「う……」
促された青年は、現アージ・デッソ領主ケルウェン・ハーシュ・ホーフィングン子爵。
ガンズーよりかなり年上のようだが、ひょろっとして頼りない印象の男だ。レイスンから嫌味かつ自信に溢れた態度を取り去ったら似ているかもしれない。
彼は俯きがちにもごもごと口を動かしていたが、意を決したように、
「て、鉄壁のガンズー。君には多大な迷惑をかけた。謝罪する」
それだけ言った。
領地を持つ貴族がそうそう冒険者に出すような言葉ではないが、今のそれはガンズーにとって関係ない。
「謝罪とかどうでもいいんだよ。なんでこんなことになったのか聞きてぇんだ」
「き、貴様、なんだその態度は――」
「ケルウェン」
権威があるのだからそれを保つために諫めようとするのは正しい。領主殿が本気でこちらに文句をつけるつもりが無いのは様子でわかったし、それも含めた上でオレイルが割りこんだのもわかる。
しかし、いいからさっさと話してくんねーかな、とガンズーは思った。
「こんな状況でへりくだっても仕方ねぇだろ」
「まったくそのとおりだ。かまわんだろうケルウェン」
「……無礼を許す」
面倒くせぇ! もうここずっと面倒なことばっかりだ。面倒くせぇちょっかいかけてきたバカどもも、面倒くせぇオッサンも、面倒くせぇ貴族も。
これならケーのわけわからん話のほうがマシだな。どうしてっかなあの蛙。ノノが攫われたとかバレたらなに言われるかわかったもんじゃねぇな。ていうかもうバレてそうだな。そんなことを頭のどこかで考えた。
「そ……その子をどうにかしようなどとは、していなかったのだ」
俯いたまま――よくよく見てみれば、線が細いどころではない。衰弱しているとすら言えるほどすっかりやつれている――ケルウェン領主が言う。
「鉄壁のガンズーが保護する、虹瞳の子供だ。そんな目に見える爆弾に手を出す者がいるわけないだろう」
「んじゃなんでここにノノがいるんだよ」
「私だって信じられん! よりにもよってこの子を……なんのつもりだと問えるものなら聞きたいくらいだ」
んん? よくわからんな。
つまり、ノノは勝手にここに置いていかれたということか? 修道院へ襲撃したあと、ノノとアスターを連れて――十中八九、ジェイキンの仕業と思うが――逃げる途中、片方を置いていった。
なんだそりゃ。無意味にそんなことをするわけがない。そもそもバシェットが言っていたのだ。指示の上だと。
「んなこと言ったって、子供よこせって裏に流してたんだろうが」
「し、していない! 私は断じてそんなことは! た、たしかにそんな恐ろしいことを言いだした者もいたが、許すわけがない! つ、妻の慰めになるだろうかと少しだけ考えたことは認める。だが私は――」
「妻?」
「そうだ……気づかぬうちに妻の元でこの子が泣いていた……あまりにひどい冗談だ。危害を加えるつもりなど無い……」
んんんん?
これはもしかして……
ガンズーはオレイル前領主へ振り返る。
「まさか、あんたらも把握しきれねぇうちに俺が来ちまったか?」
「下手をすれば君と戦争をせねばならんと考えたら、肝が冷えたよ」
だというのにあんなどっしり構えて俺を迎えやがったのか。なんとも食えねぇ爺さんだ。
しかしどちらにせよ、この屋敷へ子供を調達する指示が出ていたのはたしかだ。指示があったということは対価もある。ジェイキンだってタダで動きはしないだろう。
ならば。
「ノノはあんたの奥さんとこにいたんだろ? ちょっと奥さんに会わせてくれ」
「い、いや……それはできん」
「庇うのか? べつにぶん殴ろうなんて思っちゃいねぇ」
「そうではない、そうではないんだが――」
と、部屋の扉が開いた。
女性がひとり。美人だったろう面影が見てとれる。が、目は窪んで影ができているし、頬はこけてしまっている。顔色が悪い。
その後ろには、侍従だろう連中が困った顔をして並んでいた。
「メイリ……」
ケルウェン子爵が呟いた。彼女の名前か。それを呟くということは、彼女がその妻と考えていいだろう。
彼女は室内へふわふわと視線を――どうも焦点が合っていない気がする――彷徨わせた。
その目がガンズーの腕にいるノノへと止まる。
「――エリッサ!」
誰だって?




