表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/122

鉄壁のガンズー、急げ

 その栗毛の馬はアージ・デッソの冒険者協会が所有する中で最も大きな個体であるらしい。


 街を出て北東へひた走る。馬はガンズーの巨体を乗せても意に介さず、長い距離を申し分ない速度で快調に飛ばしている。

 最悪の場合、潰してしまうかもしれないと不安もあったが、カルドゥメクトリ山脈のひとつ、コンネオ山の山容が望める所まで来てもまだまだ元気なようだった。


 麓の林を駆け抜ける。

 途中、数匹の野良魔獣にちょっかいを出されたが、腰の剣で振り払うなり馬に蹴飛ばさせるなりして追いはらった。


 林の先、山道に入る手前に少しひらけた地帯があった。

 向こうには、ごつごつとした切り立つ岩壁がそびえている。


 点々と魔獣の死体が転がっていた。十数体ほどだろうか。

 ほとんどが武装した兵隊の姿だった。革なり金属なりの鎧を身につけ、大抵は槍を持っている。剣を持っている者もいた。

 だが頭の上は蛇の様相をしている。魔王の手勢で最もよく見かける魔獣だ。


 二体、狼の魔獣が混ざっていた。

 ガンズーが今その背に乗っている馬と遜色ないほど巨大な黒い体毛の狼。

 こちらもよく見かける。黒狼と呼ばれ恐れられている魔獣。中堅程度の冒険者なら一匹でも危険な相手だ。


 そしてひとり、鎧姿の人間が倒れていた。

 顔はよくわからない。鼻から上が無いからだ。そばには端を千切られたような大盾が転がっている。


 ヴィスクたちはここで待ち伏せをしたようだ。戦闘の跡が山道へと続いている。


 駆け抜けて山道へ入ろうとして、慌てて馬を制止した。足をばたつかせていななくのをなだめる。

 木立の陰に、人影を見た気がした。


「おい! 誰かいるのか!?」


 陰から下草が擦れる音が聞こえた。姿を隠す気があるのか無いのか、あるいはそれすらままならないほど動揺しているのか。

 これで出てきた顔が蛇なら参ってしまうな、とガンズーは思った。


「俺は鉄壁のガンズー! アージ・デッソの協会から救援に来た!」


 叫んだ声に応えて覗いた顔は、幸いに蛇でも狼でもなかった。女性だ。

 まだ年若い。二十そこそこ、トルムと同じくらいだろうか。砕けた杖の残骸と肩に垂れたフードからおそらく魔術師のたぐいだと分かった。肩や頬に若干の負傷をしている。

 顔に覚えは無い。ヴィスクの連れていた片割れでもない。上級冒険者のひとりだろうか。


「他の連中は!?」


 問うと女魔術師は震える手で山道の先を指さした。

 やはり話のとおりだ。待ち伏せからの衝突で決着がつかず、山道を逃げる護送隊を追いながらの戦闘に入ったのだろう。

 馬を煽って山道へ向かうと、後ろから彼女の声が追った。


「子供が、三人も! お願い、みんなを――」


 応えずガンズーは馬を走らせた。






 街を発つ前に、息も絶え絶えのヴィスクからどうにか聞いた話では、護送隊への襲撃自体は上手くいった。

 隊の戦力も想定の範囲内であったため、最初の奇襲から大勢を削いで、そのまま制圧できると考えたらしい。


 馬車の陰に、一体の大きな魔獣か魔族がいたという。どちらかはわからないしどちらでもないかもしれない。というのも、肩から上をボロ布で包んでいたからだという。

 身の丈ほどの大鉈を持っていて、大きいとはいえ人の姿に近かったとヴィスクは言った。しかし絶対に人間ではない、あれはただの化け物だ、とも言った。


 そいつの一撃で、まず上級冒険者のひとりが死んだ。遺跡の中層まで潜ったこともあるベテランパーティの盾役だった男が、一撃で頭を飛ばされた。


 それからは乱戦になった。ヴィスクがそいつと戦った。

 多少の手傷は負わせたものの、愛用の剣を飛ばされ、予備の剣も折られ、腕も折られ、これは死んだと思ったところでエウレーナに庇われたという。

 彼女が相打ちに放った魔術で相手を負傷させ、これを退散させることができたのだが、代わりにエウレーナは瀕死の重傷を負った。


 そのあいだに護送隊は山道への退路を確保してしまう。

 深追いするなと言うヴィスクだったが、しかし上級冒険者たちは追撃を決めてしまった。その中に子供の親がいた――いてしまった――から、仕方がない部分もあった。

 ヴィスクは仲間のひとりを彼らの援護に置いて、エウレーナを連れ離脱した。


 なるほど。そのとんでもない奴さえいなければ、なんとかできると思ったのかもしれない。ガンズーは山道を駆け上がりながら思う。

 だが虹狩りの護送隊はそう容易(たやす)い相手ではない。

 子供が奪われることに抵抗した村が丸ごと滅ぼされたこともある。抵抗しなくても気まぐれに滅ぼされたことだってある。ほんのついでのように。


 山道の脇で、黒狼と折り重なるように死んでいる剣士らしき男の姿を横目に、ガンズーは間に合えと祈った。

 間に合わないなら――魔王の領域にひとりで特攻することになるかな、とガンズーは思った。それこそトルムたちに怒られそうだな、とも思った。






 山道の中腹で、岩肌を背にして女が座りこんでいるのが遠目に見えた。その後ろは、分かれ道になっている。

 辺りには、麓の戦闘跡で見た数を超える魔獣の死体が転がっていた。彼女がやったのだろうか。


 死んでいるのかと思ったが、近づけばその女性はわずかにこちらを向こうとしたようだった。蹄の音に気づいたのだろう。

 その顔の辺りから、黒い靄のようなものがふわりとにじむ。


 マナ汚染! 思わずガンズーは馬を止めそうになった。

 しかし、


「無事か!?」


 戦闘がこの辺りでも行われていたのなら、護送隊はまだ遠くまで行っていないかもしれない。

 足を止めるわけにはいかない。声だけを張り上げた。


 彼女は何か言おうとしたようだったが、代わりに口から黒煙のようなものが漏れて中空に散る。

 眼球からも同じものがにじんでいた。


 汚染がかなり重い。杖の耐久を超えて、予備の核石も使い切って、さらに身体の許容限界を超えても魔術を使い続けたのだろう。


 マナの許容量を超えるとまず眼球に黒いにじみが現れる。その時点で凶悪な毒でも飲んだように身体に不調が出てくるという。

 さらにいけば眼球のにじみは靄となって浮き出てくる。次に鼻や口や耳からまで出てくる。

 最後には皮膚からさえ漏れる。ここまでくると意識を保つことすら困難で、そのまま死ぬことさえある。

 以前、セノアが無理をした時は三日三晩も昏睡(こんすい)した。


 彼女は握り締めていた――指が離れなかったのだろう。限界まで意識を保とうとして、必死に握っている――杖の先を右の道へ向けた。

 杖は金属で補強され紋様が刻まれている。きっと良い物なのだろうが、ところどころに黒い錆のような汚れが浮いていた。もしかしたらもう使い物にならないかもしれない。

 そしてそれを見て、ガンズーは彼女がヴィスクのもうひとりの仲間と気づいた。シウィーとか呼んでいたろうか。


 ガンズーは道具入れから核石を――使い道が無かろうが持っていて良かった――取り出すと、彼女に投げつけるようにして、


「戻るまで死ぬなよ!」


 分かれ道を右へ駆けた。


 分かれ道の先は岩壁と林に挟まれるようになっていて、坂道は少しずつ広がっていくようだった。

 木立の合間にわずかに見える向こうの景色は一段低くなっている。どうやら、林の向こうは崖のようだ。


 と、遠くからかすかに金属音。次いで、魔獣の雄叫び。


(間に合ったか!?)


 ガンズーは馬にいっそ飛んでくれと願いながら、坂道を駆け上がる。






 坂の上に辿り着いたガンズーの目の前で、男が胴体の数か所を蛇兵に刺し貫かれた。


「クソッ!」


 横たわる邪魔な黒狼の死体を跳び越え、馬を突っこませる。

 四体の蛇面たちがガンズーに気づき、男から槍を引き抜いてこちらに向けた。


 ガンズーは手綱を左手に引いて、激突する直前で馬の進路を変える。と同時に跳躍した。

 槍衾(やりぶすま)を跳び越え、蛇たちの頭上も越え着地ざま剣を抜き、一体を唐竹割りにぶった斬った。

 返す刀で二体をもろともなぎ斬る。反対側に残った一体が槍を返して振り向くところだったので、蹴りで頭を砕いた。


 振り返れば、男は木に背を預けてくずおれていた。

 腰の道具入れに手を伸ばしかけるが、術性定着薬は先ほど使ってしまったことを思い出した。

 思わず舌打ちが出る。ひとり一本という教会の約定なんて無視してもっと用意しておけばよかった。


 上級冒険者のパーティなら医療魔術の使い手くらいいるんじゃないのか、と視界を回せば、先ほど跳び越えた黒狼の陰に、神官らしき姿の女が倒れていた。

 首を大きく裂かれてこと切れている。


「お、俺」


 男が声を――声というより、ただ喉から漏れる泡音のようだったが――発した。

 ガンズーが正面にしゃがんでみるが、もはや視線も合わない。


「俺、の。む、すめ。ぱ、パウラ」


 最後に、男はガンズーの目を真っ直ぐに見つめて、


「どうか」


 口から血の塊を吐いて死んだ。


 男の背後の林に、下草がなぎ倒され木の幹が削られた跡がある。なにか大きな物が無理に通った跡だ。


 せめて男の目を閉じさせてやりたかったが、急ぐ。

 林へ飛びこみガンズーは走った。

 ガンズーの足はあまり速くない。ぐしゃぐしゃに乱れた藪に足をとられるし、その巨体に低木の枝は大いに邪魔になる。

 やはり速さの数値にもう少し振りたかったな。ガンズーは思った。


 だがそれでも、


(いた!)


 林の向こう。崖の手前に、檻を乗せた馬車の姿をとうとう見つけた。


 馬車を引く馬はやはり魔獣だ。

 赤黒い毛並みは、体毛というより表皮をはいだむき出しの肉のようにも見える。

 ここまでガンズーを連れてきてくれた馬も巨体だったが、それよりもさらにひと回り大きい。頭にはねじくれた角が三本も生えていた。


 その魔獣が馬車に繋がれたまま暴れている。

 相対しているのは身軽な姿をした若い男だった。細剣を持っているが、おそらくは斥候(せっこう)のたぐいだろう。上級冒険者パーティの生き残りだろうか。


「あっ」


 ガンズーが林を抜ける直前、馬の魔獣が大きくいなないて前足を振り上げた。

 斥候の男は横へかわすつもりだったのだろう。しかし足元の蛇兵の死体を避けそこねた。


 男の細剣が魔獣の頭を下から貫く。と同時に、魔獣の蹄が男の頭を砕いた。


 男はそのまま踏み潰された。だが馬の魔獣はどたどたと足を暴れさせ、あらぬ方向へそれていく。

 崖の方向へ、馬車を引きずるように。


 魔獣の片足が地を見失い、あがきながら崖の向こうにその身を落とした。

 馬車は一度がたんと後部を浮かせた。

 御者台が地面に当たりひしゃげた音を響かせた。

 それでも車輪は魔獣の重みに引かれるように回る。

 そして崖先の空中へ放り出された。


 檻の中の誰かと一瞬だけ目が合った。


 子供の目だった。


「チクショウがっ!」


 ガンズーは駆けるまま、崖へその身をおどらせた。






 岩肌をがりがりと削りながら馬車が落ちる。

 転覆しなかったのは奇跡だ、とガンズーは思った。あるいは、崖の先にほんのわずかな勾配があったことが奇跡か。


 とはいえ、この一瞬だけのことだ。

 がつんとひときわ硬い音がして、馬車の後輪が吹っ飛んだ。

 スローモーションのように、馬車は大きく傾いていく。


「ふざけんなオラァッ!」


 絶壁を駆け降りるようにようにしてガンズーは手を伸ばす。

 どこでもいいから届けと吠える。指先でもいいから届けと願う。

 馬車には幌が張ってあって、その内に檻が設えられていた。

 その幌の鉄骨の一本に、指が引っかかった。


「んごおおおっ!」


 たぐり寄せるように――自分の身を引き寄せるように――鉄骨を掴み、幌を引っ張り、泳ぐようにして、荷台の本体に手が届いた。

 同時に、壁面に両足を押しつける。足をかけられるような箇所は無い。岩盤を削るように突っ張る。

 馬車の前部がひしゃげて、馬の死体が遠くへ転がっていくのが見えた。


 なんとしてでも馬車が転がり落ちるのだけは阻止しなければならない。

 車体と、鉄檻と、その中の子供と。全ての荷重をガンズーは両手両足、身体のすべてに引き寄せた。


 二トンくらい行ってるのかもな、とガンズーは前の世界の単位で適当に量った。そして、さすが俺、と笑いそうになった。二トンだってよ、と思った。トラックかよ馬鹿じゃねーの、とも思った。結局、へ、と少し笑いが出た。

 これほどの重さでも今のガンズーならば、まぁちょっと頑張れば持てる。ひとりで持ち上げることができる。力80は伊達ではない。


 だが、崖を落ちながらというのはいくらなんでも経験が無かった。


 ブーツの踵はもはや岩肌を()()()しているようだった。足裏が無くなる前に降りられるかな、とガンズーは思った。

 どこかが岩のこぶにでも当たったか、馬車の車体が大きく跳ねる。なにかはわからないが、ばきんと折れた音が響いた。


 そのまま馬車が岩肌に叩きつけられれば、中の子供に被害が出るだろう。それどころか、車体が崩壊しかねない。

 ならばいっそ、とガンズーはそのまま車体を浮かせて保持する。


「おごごごごご」


 車体は抱えられたものの、足が岩肌を跳ねる。その度にあらぬ方向へ引っ張られそうになる。

 重心もバランスも、もはや膂力だけで無理やりに制していた。


 岩壁に背中を押し付ける。鎧を着てくる暇が無かったから、防具らしい防具といえばいつも履いている補強したブーツくらいだ。

 この程度で傷つくガンズーの身体ではないが、着てきたダブレットの背中はずるずるになるなと思った。せめてケツは出なきゃいいな、とも思った。


 ずん、と両足に負荷がかかって、つんのめりそうになった。

 あやうく馬車を放り出しかけて、ガンズーは慌てて両手に力をこめる。

 そうして数秒。


 ガンズーは、崖の下へ着地したことに気づいた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ