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鉄壁のガンズー、挽歌

 雨は止まない。

 ここは街の外、街道の途上。雨天の上に夜だ。

 森も近いし平地とはいえ窪みや物陰に瘴気だまりが発生しないとも限らない。野獣が寄ってきても困るし、虫や無定形の魔獣なんて湧いたらもっと困る。

 あまり長居するべきではないだろう。


 切り裂かれた胸を押さえて膝をつくバシェットは、喉元へ突きつけられた剣ではなくこちらに視線を向けていた。

 ガンズーはそれを見返しながら、息を整えた。口の中にじゃりつく感触。どうも泥かなにかが残っている。


 気づけば隣にラダが歩み寄ってきていた。彼も同じく剣先の男を見下ろす。


「バス……」

「…………」


 そちらへちらと目をやって、バシェットはほんのかすかに口の端を歪ませた。自嘲じみた笑み。


「斬るんだ」

「誰がやるかってんだバカ野郎。しっかり官憲に突き出してやっから覚悟しろ」

「……無意味だな」

「ま、あんた喋んなさそうだよなぁ……」


 剣は引かない。必至をかけたとはいっても彼の傷は浅い。ここから反撃をしてくるとも思えないが、下手な動きもしてほしくない。

 ケツ突っついて街まで戻るしかないかな、と考えた。ザンブルムスとかいう爺さんも抱えていかなきゃならないし、こりゃ大変だ。


「あ、あの……」


 ふと見れば、こちらへ近づく女。足元にはアスターがいて、その肩に手を置いている。

 切り揃えた前髪。つぶらというにはぼんやりした目。高くも低くもない鼻。薄めの唇。びっくりするほど印象の少ない顔をしているから気にしていなかったが、どこかで見たことがあるような。

 とはいえ、そういえば彼女も『黒鉄の矛』の残党だろうか。まだいたのか。見たところ魔術師だが、まだ抵抗するというなら勘弁してほしいとガンズーは思った。


 アスターと目が合った。口を真一文字にしたいつもの表情だが、泣いていない。偉いぞ。


「……離してやれ」


 バシェットがそう言うと、彼女はしばらく迷ったようだったが、素直に手を離して少し下がった。

 その女の顔や俯くバシェットの姿へ、アスターはきょろきょろと頭を動かしていたが、意を決してこちらへ走る。

 雨水を跳ねさせて、ガンズーの足へしがみついた。


「ガンズー!」

「おう。ごめんなアスター。怖い思いさせたな」


 彼はぶんぶんと頭を振ると、


「絶対来るって思った!」


 答える代わり、微笑んで頭を撫でる。髪をかき回してやりたかったが、雨でべちゃべちゃだ。風邪をひかなければいいのだが。

 さてノノはどこだ、と視線を巡らせようとして、


「――鉄壁のガンズー。ラダ」


 バシェットの言葉に遮られた。


「彼女は」


 首だけで後方の女魔術師を示す。

 その彼女のほうは、まさか自分のことを言われるなど思っていなかったのか、こちらを向けばいいのかバシェットを見ればいいのかわからずに当惑しているようだった。


「我々の下へ来て日も浅い。今回の件には一切の関与をしていない。できることなら……斟酌(しんしゃく)を願う」

「バシェットさん!?」

「ザンブルムスも……そうだ。彼はとうに、なにかを企てることなどできん」


 その台詞に、後ろの彼女が信じられないといった顔で叫ぶ。


「なに言ってるんですか!? そんなの、バシェットさんだって悪いことなんかしてないじゃないですか! あのお爺さんの言うことなんて、ずっと他の人が――」

「……俺は遺跡で冒険者を襲った」

「だって、あれは……だって、みんなを守らなきゃならないからって……私、聞いてるんですから……ずっと反対してて、前もそうだって……ずっと弱い立場だったのに……」

「……したことに変わりはない」

「そんなぁ……」


 ぐずぐずと泣きだしてしまった彼女を置いて、バシェットは改めてこちらに向けて言う。

 きっと出てくる言葉は予想を外さないだろう。


「すべて、俺の責だ。『黒鉄の矛』に咎は無い」


 ほらきた。ガンズーは思った。

 そんな戯言で納得できる奴なんざいないぞ、と言ってやりたいが、かといって彼が主張を翻すことはしないだろう。事実、生き残りという意味で彼しかもう残っていないのも確かだ。


 ラダを見る。目の前の男を見下ろすまま、特になにも言わない。冒険者協会としてはどう対応するのだろうか。

 元斥候の男を見て、そういえばジェイキンという男はどこに行ったのだろうと思い出した。襲撃者の中には見かけなかった。あの騒ぎでノノやアスターを攫っていけるとしたら奴だろうと考えていたが。

 実行犯がいればもう少し話も早いんだがな、と溜息を吐いた。


 なんにせよ、バシェットがどう言ったところで官憲や協会の調査は『黒鉄の矛』に入るだろう。そのリーダーであるザンブルムスに対しても、本人の状態がどうあれ責任が問われる。

 ボケかけた爺さんにゃ酷だけどなぁ。そう思いながら振り向く。


 倒れていたはずの、ザンブルムスの姿が無い。


 身体ごと向き直って剣を構える。

 どこに行った? 負傷をしていて、あの巨体だ。そう簡単に隠れるというわけにはいかないだろう。遠くにはいないはず。


「ラダ! アスターを頼む!」


 叫んだ。そして見つけた。

 吊るし灯りの光が届く先、足裏だけがどうにか見えた。

 這いずって移動した? なぜ? 逃げようとした? ならばそこに留まっているのは? どうしてそんなところにいる?


 あの辺りはたしか――バシェットが、『鱗』を投げ捨てた場所。

 ゆっくりと、ザンブルムスが立ち上がった。


 ――はあははははああああ


 雨の向こうから笑い声が聞こえる。

 とても朗らかな、とてもやわらかな、とても楽しそうな、かつてならば剛毅さや包容力を感じられたのだろう――狂笑。


 こちらへ一歩、二歩。身体を引きずるように。

 灯りに照らされ、しかし赤く染まった目はどこへ向いているのかわからない。口の端から泡を飛ばしながら、それでも笑っていた。


「ザム――!」


 バシェットの声。痛恨の声。だがその声は哄笑を上げ続ける男に届かない。


 ガンズーが踏み出したのと、ザンブルムスが弾丸のように飛び出したのは同時だった。数歩の距離を一瞬で詰められる。

 腕を交差して、大振りの拳を受け止めた。


「バシェエエエット!」


 眼前からの叫びに顔をしかめる。

 仲間への呼びかけ。ならば意識は保っているのだろうか。これはマズイ。この期に及んでバシェットにまで再び動かれると対応しきれるかわからない。


 しかし、続いた咆哮にガンズーは困惑した。


「俺が止めるぞおっ! お前が仕留めろお! ラダあ! 後ろへ回れえ! 増援にも気をつけるんだぞおっ!」


 ずしん、ずしんと重い拳が打ちこまれ、ぬかるみに足裏が沈む。

 交差したまま剣を握る手に力が入る。防御のための力でも、反撃のための力でもない。


「どおしたオーリー!? 援護が少ないぞおっ! ミシャあル! 俺の矛を持ってこおい!」


 なにかよくわからない感情に、ガンズーはとにかく手に力をこめる。

 ザンブルムスの叫び――指示は止まらない。


「ダラドおっ! バシェットを治療してやれえっ! ハスファどおした!? 撃つんだあ! 儂なら平気だあ!」


 ここにいない者に、知らない誰かに指示を出しながら、彼は拳を打ちこみ続けていた。


 いや、違う。

 ここにいないのは彼自身だ。ザンブルムスだ。この男はもう、ここにはいない。

 きっと今、彼は遺跡で仲間たちと戦っているのだろうなと、ガンズーは受け入れた。強敵と戦っているのだ。いつかのように。


 背後にいるラダやバシェットの姿を見ることはできない。できないが、なんとなくどんな表情をしているか察してしまって、やるせない気分になった。

 降り注ぐ拳の向こうにある赤い目を睨む。そこから流れる血を睨む。お前からなら見えるだろうが。仲間ならそこにいるぞチクショウめ。


 腕を、腹を、頭を殴られながら、しかしガンズーには――あー、チクショウめ――ほとんど効かない。

 おそらくザンブルムスはこのまま死ぬ。それだけの量の『鱗』を体内に入れたと見える。その分の力は拳に乗っている。

 だが、届いていない。腕を叩く力は足を沈ませるほどの衝撃を響かせるが、足りていない。ガンズーには通用しない。


 黒矛のザンブルムスはとうに終わっていた。バシェットはこれをずっと近くで見てきたのか。

 ひでぇことしやがる。誰に向けたものか自分でも知れないまま、独りごちた。


「バシェット」


 だから、彼らに向けて言った。


「ラダ」


 止めんなよ、と願いながら。


 振り抜かれようとした拳に、迎えてこちらも拳をぶつける。ザンブルムスの指の骨がひしゃげて、皮膚から覗いた。

 絶叫してたたらを踏む彼を放って、小さく振り向く。


「終わらすぞ」


 つとめて表情は見ない。見る必要は無い。

 それでも、ラダが一礼をとったのはわかったし、バシェットがこちらを見据えているのもわかった。

 おうよ任せとけ、と勝手に思った。いや、ガンズーが勝手にやるのだ。それでいい。


 骨の露出した手まで振りかぶって襲い来る男へ、正面から相対する。

 剣を上段へ構えた。


「手向けだ」


 肩口へ、一直線に振り下ろす。

 夜の闇を、雨の幕を切り裂くように。裂いた先にはきっとなにも無い。夜はどこまでも続いているし、雨は降り続けるだろう。

 だとしても、ぶった切れろと願った。闇を切り裂け。夜を払え。夢の中へ沈んだ男を連れ戻せ。


 剣はその身体を易々と切り裂いて、足元で止まった。


 ゆっくりと巨体が倒れる。血の膜の向こうから、その目はたしかにこちらを見ていた。最期の時に立ち向かった敵を見ていた。ガンズーを見ていた。


 黒矛のザンブルムスは戦いの中、戦士として死んだ。






「この男がこうなったのは俺のせいだ」


 まだ言うか、とガンズーは思った。

 倒れ伏したザンブルムスを、バシェットは座りこんで眺めている。


「あんたが責任感じてるのはよくわかったけどよ。もういい歳だったんだろ。ボケが来たって無理もねぇじゃねぇか」

「……そうではないのだ」


 彼は小さく答えた。


「ザムが死病を自覚したのは何年も前だ。その時点なら……朦朧とも曖昧ともなることはなかった」


 ぽつりぽつりと――本当に口の回らねぇオッサンだ――静かに続ける。


「あのときに……帰ってくるべきだった。たとえ道半ばになっても……あの遺跡に向かうべきだった」

「若いのに後を託す方向に行ったってか? 汚ぇ手まで使って金集めて」

「……俺は」


 バシェットの顔がこちらを向く。が、目はザンブルムスを見ている。


「俺はな」


 遅れて、ガンズーを見た。


「俺は彼に、もういいと言ったんだ」


 ふ、とかすかに笑って、再び彼は俯いた。


「なにを勘違いした……彼は自身の矜持のために道を進んでいたというのに。けして俺たちのためなんかではなかった……それを俺は、なぜあんなことを……」


 雨粒が小さくなってきた。止んでほしいが、月の出る様子は無い。


「それからだ。手段を問わず有力な者を探し始めたが、ザムの安定はどんどん失われていった。そのころだ。『蛇』などと名乗る老人が現れたのは……奴の持ちこむ薬で彼は命を伸ばすことはできたが……心は戻らなかった」


 その言葉に、反射的にラダを見た。

 横で同じく話を聞いていた彼と目を合わせると、互いにひとつ大きく頷く。


 『蛇』。そいつだ。それがきっとパトロン役だ。


「もう、奴にすがるしかなくなった。いや……俺は結局、どうすることもできずに惑っていただけだ。なにも成せずに……若い者たちさえ巻きこんで……手を汚すことすら、彼らに押しつけて……愚かにも、ほどがある」


 要するにこいつは、自分のせいで大恩ある相手が狂ったと思ったわけか。

 口をひらくのが苦手そうな男だ。きっと改めて話をするチャンスも逃しまくったのだろうし、パーティを是正することも難しかった。弱り目につけ込まれればなおさらだ。


 オッサンがこじらせると面倒くせぇからなぁ、とガンズーはどこか身も蓋もない感想を持った。そう単純な話ではないとわかってはいるが、詳細を確認できたとしてもおそらく同じ感想を持つ。


 バシェットの告解はもはやこちらに向けられたものではなかった。あるいは、自身にさえ聞かせていない。

 それはただただ、眠るザンブルムスへ向けられている。


 かける言葉は無いだろう。なにを言っても無意味だ。彼が自身を責めるなら、自身で決着をつけるしかない。

 それはこれからの話だ。


 それよりも、聞くべきことがある。


「そいつの名前は?」

「知らん……昔からそうとしか名乗らなかった」

「今もアージ・デッソにいるのか?」

「どうなのだろうな……奴の行動はいつもわからん。同じ拠点に滞在することもあれば不意にどこかへ行くこともあった」

「ヒントが全然ねぇじゃねぇかよ……どんな奴なんだ」

「……老人だ」

「いや、だから――」

「あの、お爺さんです。私よりも背が低くて」


 言葉の少なすぎる彼にかわって、コーデッサ――という名前だったらしい。ガンズーはやっと彼女が『雪の篝火』の生き残りだと思い出した――がおずおずと付け足す。


「髭を伸ばしてます。えと、そちらの――協会の方? よりもずっと長く。いつもフードを被っててはっきりしないですけど、ちょっと見るだけなら優しそうなお爺ちゃんって感じで。杖を突いてるけど、べつに足が悪そうには……」


 ラダを示しながら彼女が言う。

 特徴を聞けば聞くほどマデレックという老人の姿が頭に浮かぶ。似たような爺など街には他にもいるのだろうが、それにしたって合致しすぎる。


 考えこむガンズーに、ラダは察したのか短く答えた。


「探りましょう」

「頼むわ――ってお前、手ぇ折れてんだろ」

「まぁ、この程度ならあまり不自由しますまい」

「そうかい」


 ともあれ、この場で話しこんでも仕方あるまい。アスターを返さなければならないし、バシェットと、念のためコーデッサも連行しなければ。それから、ザンブルムスを連れていってやるべきだ。


 そしてガンズーはようやく、とうとう、最も肝心なことを聞くことができた。


「そんでよ、ノノはどこだ? まさかその辺に転がってんじゃねぇだろうな。そんなことしてみろもう一回キレるぜ俺は」


 言えば、コーデッサはきょとんとした顔をした。

 バシェットも訝しげな表情を向けてくる。


 嫌な予感がした。致命的に間違ったような、そんな予感。


 コーデッサが不思議そうな目をこちらに向けたまま、口をひらいた。


「――ジェイキンさんが連れてきたのは、この男の子だけでしたが……」


 水滴が後頭部を通って、うなじに垂れて、背中に落ちていく。

 それを逆行するように、寒気が頭にまで上ってきた。


「……我々の手元に来たときはすでにひとりだった」


 バシェットの台詞がどこか遠くから聞こえるように感じる。

 心臓がまた暴れはじめた。


「それ以前にどこかで離したとすれば……」


 頭皮がとてつもない熱を発しだしたのがわかる。雨がじゅうじゅうと蒸発していく幻聴を聞いた。


「虹瞳に限らず……年少の子供を求める指示があったはずだ」

「……、……ど、こ、だ」


 どうにかそれだけ口に出した。


「ジェイキンの言でしか推測できんが……あれはたしか」


 早く言え。


「領主の元だ」

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