鉄壁のガンズーとバシェット
『 れべる : 45/45
ちから : 84(+5)
たいりょく: 82(+5)
わざ : 50(+5)
はやさ : 42(+5)
ちりょく : 28(+5)
せいしん : 24(+5) 』
とんでもねぇな、と頭に浮かぶ数値の並びを見て思う。
たしかバシェットは、あの薬物のことを『鱗』だとか言っていた。この数値に現れた補正がその効果なのだろう。
彼が口にしたのはほんの一片だけ。
それでここまでの強化が施されているのだから、もしも大量に摂取したとしたらどうなるのか。
なるほど、弱者だろうと特級冒険者に対抗できるようになるのも納得する。ただし正気と命が引き換えとなるが。
そして、とんでもねぇのはそれだけではない。
弧を描いて顔面を狙ってきた斧の刃を、ガンズーは大地を蹴りつけて無理やりに身体を制動し、鼻先を通らせた。
お返しにこちらの大斧を振り上げようとして――もう一度、同じ軌道で斧刃が襲いかかってくる。
逆手に持っていた手斧を、手先だけで回転させてきた。横へ薙ぐ軌道の中で、振りきらぬうちに。
力が乗りきっていないことを祈って、鉢金で弾く。ハンマーで殴られたような――まあ、斧で叩かれたのだから遠くはない――衝撃に首が飛んだ錯覚をしたが、どうにかダメージは少ない。大斧を振り抜く。
振り上げたときにはすでにバシェットは一歩分ほど離れていて、即座にその一歩を詰めてくる。今度は掬い上げてくるような一撃。
こちらが斧を返すのは間に合わない。身を沈めながら、ガンズーは柄頭を相手の胸へ突きこんだ。
反転してかわされる。彼のサーコートの表面を撫でるに終わったが、体勢を立て直すために再び距離をとらせることはできた。
とんでもねぇ。改めて思った。
少なくない激突を繰り返しているというのに、バシェットの表情を見ても息を荒げる様子は無い。
薬の身体強化を差し引いても、肝の据わり方が半端じゃない。差し引かずとも負担が無いわけはないはずだが。こっちは体表を流れる雨に汗が混じりだしているというのに。
彼の歳はラダに近いはずだ。老境に差しかかり、衰えが出ている。たしかにレベルにもそれは表れていた。
表れてはいるが――ほんとに歳とってんのかこいつ。どうやったらこんな維持の仕方ができるんだ。
もしかしたら全盛期であれば、ガンズーとまったく互角だったかもしれない。
しかし『鱗』の効果。これのせいで力の総量はそれ以上になっている。
単純計算でその力量は実質レベル51相当。ガンズーは今、レベルがひとつ上の相手と対峙している。
せっかくカンストしたってのになんでこう次から次へと。俺って割と強いほうだったはずなんだけどなぁ。そんなことを思った。
突然、無造作にバシェットがこちらへ手斧を投げた。思考を中断して、それを弾いた。
弾いた先に、彼はすでに走りこんでいる。空中で掴んだ斧を、そのまま振り下ろしてきた。尋常ではない反応と、常識外れの剛腕。
「うっお!?」
下ろされる斧刃を柄で受け止める。柄まですべて封鉄製の相棒は、しかし同質の刃を受けてわずかに軋んだ。
そう、厄介なのは彼自身の力だけではない。この武器もだ。
何度か打ち合ってわかった。こちらと同じ、封鉄の手斧。ガンズーの大斧に比べればその大きさは四分の一ほどしかないが、人間を断ち切るには十分すぎる重量を持った凶器。
それが彼の膂力で自在に振り回される。たしかに力の数値はこちらの体力を下回っているが、その差を埋めて余りある。
あるいはあのウークヘイグンの大鉈より厄介だ。そして今回は、折れてくれるような事態は期待できない。
じりじりと、斧刃が押しこまれる。
やべぇ力つえぇ。魔族なんて反則連中ではない、正真正銘の人間を相手にそんなことを思うとは。
世界は広いなチクショウ、などと妙な感心をしながらガンズーは、蹴りを放とうとした。が、相手のほうが早かった。
柄にかかる圧が不意に抜けた瞬間、腹に衝撃が走った。バシェットの爪先が突き刺さっている。
ガンズーの身体がくの字に折れた。踵が少し浮いた。胃の中のものどころか胃が口から脱出したがったが、肺の空気だけで勘弁してもらった。
虚を突かれた上の急所だと、多少のステータス差では防ぎきれんのか。技術まで乗っけられると恐ろしいもんだな。
事ここに及んでいまだ学ぶことがあることに、ガンズーは奇妙な納得をする。
そして悲鳴を上げるかわりに、歯を食いしばった。掲げたままだった斧を振り回す。
ちょっと蹴られたくらいで怯むような身体ではない。そう自分に言い聞かせる。
バシェットは追撃するつもりだったのだろう。こちらがすぐに反撃できると思わなかったかもしれない。めくらめっぽう振った大斧が彼を打ち据える。
手斧で防がれはしたが、大きく飛ばした。
「冗談じゃねぇなクソ……お前さんとラダに、そこのザンブルムスだって並みじゃねぇくらいわかる。これで逃げ帰ったって? どんな魔窟だよ四番遺跡ってのは」
片膝をついてこちらを窺う彼に軽口を叩いた。
ただの時間稼ぎだ。胃と横隔膜が踊りだしそうになっているので、少しでも落ち着かせたかった。
「……未熟だっただけだ」
答えが来るとは思っていなかったので驚いた。
ゆっくりと立ち上がりながらバシェットが続ける。
「今もまだ……あのころよりは、できるのだろうな」
言葉少なく独り言のように言うものだから、すぐにその意味はわからなかった。
だが、おそらく言葉のままなのだ。年齢を重ね衰えた今でも、未熟だった当時よりは強い。
大器晩成ってやつだろうか。もしそうであれば――
「……いつだって間に合わんのだ、俺は」
その力は、もっと昔に欲したものなのだろう。
殺気。ずっと静かに静かに、しかし強烈な攻撃をしかけてきた彼から、ここで初めて殺気を感じた。心臓の鼓動が、ここまで届くような圧迫感。
なにか切り札がある。それが来る。
次に彼がした行動は単純だった。
上半身を捻るようにして手斧を振り上げ、そのまま駆けてくる。真っ直ぐに突っこんでくる。それだけだった。
胴か、首か、あるいは足か、いずれかを勢いのまま薙ぐ。そう見える。
まさかそれだけか? そんなわけはない。だが、ならばどういう攻撃をしてくるのかなどわからない。
真っ向から来るなら、真っ向から打ち返す。他には無い。
上段から大斧を振り下ろすようにして迎えた。
バシェットは――間合いのはるか手前で斧を振った。こちらまでまだ数歩は離れている。
カララ、と小さな音が耳に届いた。
と同時になにかが右足を叩く。引っ張られた視線が捉えたのは、どこかから伸びる鎖。どこかから? バシェットからに決まっている。
視界の端、左方で白刃が光った。
回りこんだ刃が後ろから脇腹を叩いた。
崩れながらガンズーは斧を振り下ろす。
手に残った柄でそれを受け流したバシェットが迫る。
しゃにむに放った左拳が彼の頬を打つ。
止まらずカウンター気味に飛んできた拳で身体が後ろに流れた。
背に回っていた鎖が引かれ、倒れられない。
暴風のように回転する刃が、ガンズーの身体を、胸当てを、手甲を削る。
「ぐおおおっ!」
鉢金がどこかへ飛んでいって、額が切れた。目に血が入りかけたが、雨に流される。が、視界が悪くなるのは時間の問題だ。
変幻自在に操られる鎖だけを見る。と思えばバシェットは斧刃を納め、直に斬りつけてくる。迎撃すれば離れ、刃が飛んでくる。
鎖が仕込まれた封鉄の手斧。おそらく鎖自体も封鉄だろう。断ち切れるかと問われれば、戦いの中では難しい。
しかし見る。軌道を読む。掴んで制する。ザンブルムスがラダの攻撃へそうしたように。
左下方から飛んできた刃を踏みこんで後ろへ流す。背中を叩かれ、おそらく血を噴いたが無視する。
鎖を掴んだ。思いきり引っ張って相手の体勢を崩し――
手応えの無さにこちらがつんのめった。
引くより先にバシェットは走り寄っていた。
鎖を掴む左腕を、手甲ごと肘と膝で挟まれる。ミシ、と骨に感触。
柄頭で顎をしたたかに叩かれ、倒れ――
「ナメんなぁ!」
鎖を巻きこむように回転し、そのままの勢いで斧を回した。
右腕だけで水平に近い袈裟懸けへ振ったそれを、バシェットはまた柄で流そうとしたのだろう。だがこの間合いと威力なら無理だ。それがわかったのか、その上を回転するよう跳び上がってかわした。
斧刃が土を抉り沈みこむ。鎖が絡んでいる。
掘るように打ち上げようとしたが、バシェットに踏みつけられた。さらに土の中へ斧刃が潜る。彼はそのままこちらの後ろへ走った。
追って斧を振り抜こうとして、なにやら手が不自由なことに気づいた。大斧に絡んだ鎖が、ガンズーの身体を回って右腕を巻きこんでいる。ガシャリと、もうひと回り巻きつけられた。
顔を上げれば、分離した刃を直に持って振りかぶるバシェット。
ひどく痺れている左腕を叱咤して、刃が頭に突き立つ前に彼の手を掴んだ。
膠着。
ずいぶんと不自然な姿で固まってしまった。右腕はすっかり身体に巻きつけられて、どうにか大斧の柄の先だけ掴んでいる。左手は刃を止めていて、ジンジンと痛む。痛みが無くても力押しで負けそうだ。
しかし向こうも、斧刃だけを持っているから力を万全に込められていない。反対の手は柄から伸びる鎖を引き絞っている。これが緩まればいくらでも脱出の手立てはある。
とはいえ、こちらが不利なことには変わりない。生殺与奪を握られているとすら言える。
だが目の前にある顔は、これまでの無感情が崩れひどく焦燥を浮かべていた。息を荒げ、瞳は充血を通り越し血が滲み始めている。
「どうした大将。お疲れじゃねぇか」
「…………」
「こっからどうすんだい? このまま我慢比べか?」
バシェットは相変わらず答えなかった。代わりに、絞っている鎖がギシギシと鳴る。
実のところ、こちらも左腕がどう考えてもよろしくない痛み方をしているので耐久勝負は辛いものがある。お疲れなのはお互い様だ。
だから必要なのは、あと一手。
どちらも、あと一手が足りていない。
「あんたさ、なんでアージ・デッソに来た?」
せっかくだから、気になっていたことを聞いた。
「虹瞳がいるからとか、そんなことでも言われたか?」
彼が答えることはないだろうとわかっているが、それでも聞いた。
「まぁ、だいたいそのへんなんだろうけどよ」
案の定、バシェットは答えない。
「だが、あんただけは断ることもできたんじゃねぇか? いや違うな……ザンブルムスを連れてこないって手もあった」
雨だけが音を返す。
「ここに来ちまったら、否が応でも初心に帰っちまうよな。昔の仲間もいる」
視界にラダはいない。どんな顔をしているだろうか。
「でも来た。もしかしたら……最後とでも思ったか?」
雨が額の血を目に運んだ。わずらわしい。
「もしくは――奇跡にでも縋ったか」
バシェットの目にも、雨が流れる。
「そんなもんねぇって、わかってたろうによ」
目から落ちる水滴に血が混じり、一筋の線を引いた。
左腕に渾身の根性を入れ直し、刃を押し返す。筋肉の内側から悲鳴が聞こえる気がするが、俺の身体だろうが我慢しろと鞭を入れる。
こちらへ傾いていた互いの体勢が、均等にまで戻った。
間合いは至近。しかし十分。
「どうもそんな気がしてたんだがな、あんた俺に似てる。おっとわりぃ、俺があんたに似てんだな先輩。あれだろ、身体さえ丈夫ならなんでもできると思ってたろ」
右手に握ったままの大斧の柄。触るだけでもどの辺りを掴んでいるかはわかる。
「子供をひでぇメに遭わせるなんて、よくまぁ我慢したもんだ! 実は泣きそうだったろ!? 俺なら泣くな! あとあれだ、死んじまった若い連中も、てめぇ自分のせいだと思ってんだろ! 違うか!?」
間違いなく、柄頭の手前を掴んでいる。
「わっかりやすいツラぁしやがって! そのツラはな、いじけて頭バカんなってる野郎のツラだ! バカな時の俺にそっくりだ! そして――」
大斧の柄を、思い切り捻った。
「――武器の好みも似てる」
一閃。
バシェットは、信じられないものを見た顔で後ろに倒れた。
抜き放たれた剣が、彼の胴を逆袈裟に裂く。
上体を捻って倒れこみながら、手首の角度だけで斬り上げたために、ガンズーは自然と顔面から土の中に突っ伏した。
ようやく鎖が緩んだおかげで身体が解放され、口に入った泥なんだか雨水なんだかをぺっと吐く。
封鉄の大斧に隠された仕込み剣は、その刀身もやはり封鉄。柄の中を通っているほどなのだから、薄いし細い。しかし重く硬いし、それだけ鋭い。
便利だしロマンに溢れた切り札だが、困ったことにちょっと歪むか土でも噛むだけで抜けも納めもできなくなるし、その辺の鍛冶師じゃ調整も難しいという繊細な代物だ。できればあまり使いたくない。
「ぐっ……!」
胸を裂かれて倒れた男は、しかしすぐに起き上がった。
浅いか。わかりきっていたことだが、致命傷にはほど遠い。
だが均衡は崩れた。どうしようもなく。
彼の喉元へ切っ先を突きつける。
俯いた彼に告げる。
「……勝負ありだぜ」
「…………」
「変な期待されちゃ困るから言っとくが、殺してなんてやらねぇからな」
弾かれたように顔を上げたバシェットは、意外そうな表情をしていた。
ほれみろ。どうせ自分で止まれないから殺してくれとか思ってやがったんだ。
仲間のために身を堕とすなんて心底くだらない。
けれどもし同じ立場となったら、自分もそんなふうに考えてしまうのだろうか。
嫌だなぁ、とガンズーは思った。
そしてこの男は、その嫌をずっと続けてきたのだ。
嫌だから、思うとおりになどしてやらない。




