鉄壁のガンズー、爺ども
ラダとザンブルムスの戦闘は、結果的には数瞬で終わった。
だが、決着はついていない。
両手を広げて突進するザンブルムスに、ラダは当然そうするように横へ身をかわした。自分のいた位置に、刃を残して。
鋼線が踊り、巨体を切り刻む――が、顔と首を庇うように構えられた腕や、背や足に傷はつくものの、決定打にはならない。
小さな負傷は無視するつもりなのだろう。ガンズーの言えた義理ではないが、ずいぶん頑健な身体をしている。
ラダは回りこみながら腕を振るう。それを追うザンブルムスの動きは、彼に比べるとやたら緩慢に映る。あの巨体であるし、やはり重戦士型の戦闘スタイルだったようだ。
ならば追いつくことは不可能。しかし攻撃も通らない。
であれば、狙うのは急所となる。ジェイキンがガンズーにそうしたように。
そして――同じ立場だったなら、ガンズーも同じことをするだろう。
急所を狙われるのがわかっているなら、こちらもそこを狙えばいい。
ラダは首を狙った。翻った鋼線が複雑な螺旋を描き雨を弾く。ザンブルムスの死角から、鏃は上空から回りこむような軌道で耳の下を狙う。
後頭部の端に刃が食いこむ直前、ザンブルムスはそれを掴んだ。
綱を引くように鋼線を手繰り寄せる。
ラダの左腕が引かれた。その手首をさらに掴む。
右腕が振られようとするが、それも掴んだ。
ラダの両手首が掴まれるかたちで互いは膠着した。
が、次の瞬間――びしりと、ガンズーにも聞こえた。骨が折れる音。
「はああはははは! ダメだなあラダ! 俺ほどお前の手の内を知ってる奴などいないんだ! そんな攻撃が通用すると思ったかあ!?」
ザンブルムスの哄笑。どちらの両手も塞がっているとはいえ、主導権を持っているのは彼だ。あのまま腕を潰す? 引き寄せて蹴るなり投げるなりもできる。
「だけどどおしたんだラダ! お前はもっと鋭かった! もっともっと鋭かったじゃあないか! この傷はなんだ少しも痛くない! お前らしくないじゃないかいつもはもっと……もっと……、……いつも……?」
ただ――手のどこかが折れたというのに、ラダの顔には苦悶などわずかにも見えない。
ひたすら、目の前にある旧友の顔を睨みつけていた。
睨んでいる? あるいはあの目は――困惑か、もしかしたら憐憫に近い。
「どうしたザンブルムス」
腕を掴まれたまま、ラダは語りかける。
「私の腕くらい砕き潰せるだろう」
ザンブルムスは答えない。
「できんのか」
答えない。
「……お互い、衰えたな。ザム」
彼がなにをしたのかは、後から思い返してもはっきりとはわからない。
けれど、どうも右足を外側へ向けて捻ったような気がするので、おそらくはあれが仕掛けだったのではと思う。
閃光が奔った。一帯の夜闇も雨の翳りもすべて押し出すような。
それから轟音。あるいは爆音。きっと爆音が正しい。
なにせ、実際に爆発したのだから。ラダの胸元が。
衝撃と共に水滴がガンズーの顔を叩いた。向こうからアスターと女の悲鳴が聞こえてきたが、突然の光に目が狂わされて様子は見えなかった。
と、後方になにかが倒れこんだ。
振り返れば、ラダが仰向けに横たわっている。彼らの戦闘からは多少の距離を置いていたが、ここまで飛んできたか。
胸の、どうもハンカチを差しこんでいたポケットの辺りを中心に弾けている。もしやあれは伊達でやっていたわけではなかったのか。破れた服の下には防護服らしきものが焦げている。
「ぐううおおおおっ!?」
反対側には吹っ飛んだザンブルムスが、左手で顔面を押さえてのたうち回っていた。しかしどうも右手は動いていないように見える。
そこから少し横へ視線を動かして――バシェットと、目が合った。
彼はしばらくガンズーへ目を向け、それからラダを見て、ザンブルムスへ振り返り、目を閉じた。
「ラダ――! ラあダあああっ――!」
ザンブルムスの怨嗟の声が届く。
ラダもそれに答えるように上体を起こし、しかし出る言葉は彼に向けてではなかった。
「――ガンズーさん」
起き上がるが、両腕は垂れ下がっている。胸ではまだ雨粒がしゅうしゅうと鳴っているし、体中が泥で汚れていた。
だが彼の目は敵へ向けられている。ザンブルムスではなく、バシェットに。
「どうか、手を出しませんよう」
息が荒くなってもけして口を開けたままにしないのは、戦闘者としてよりも彼自身のこだわりかもしれない。
満身創痍であっても、この始末をつけるのは自分の役目と受け取っているのだろう。
だからガンズーは、その顎髭を引っ張った。雨で濡れて掴みやすい。
「っ!? ……あの」
「さっきの、お前にも言ったんだからな」
「は」
「お前らの都合なんざ知らん。ノノとアスター助けに来たんだ俺は」
「…………」
「年寄りは休んでな」
髭を離せば、ラダはこちらへ目を見開いて――いたずらを叱られたガキみたいな目をするものだから急に若返ったように感じた――いたが、視線を下へ落とすと更に頭も下げ、一礼しながら引いた。折れてんだがら腕まで添えんな。
向き直っても、バシェットはいまだ目を閉じたまま。
背の大斧を掲げる。振り下ろしながら柄に手を滑らせる。柄の先端手前で握り直せば、斧刃は土に触れる寸前にぴたりと制止する。荷重を支える右腕の筋肉が引き締まる。
地を叩くような威嚇などいらない。心臓の鼓動を広げるような気合い。これだけで必ず通じる。
バシェットがゆっくりと目をひらいた。
「あんたをぶっ飛ばして終わりだ。子供たちは連れて帰る。そっちの話はあとでのんびりやってくれや」
ガンズーの言葉に、彼はなにも答えなかった。
ふいとふたたび視線を向けたのは、足元で呻く巨体。だが気づけば、ザンブルムスは懐からなにかを取り出したところだった。
茶色の欠片。予想通り、この男も持っていた。まだ悪あがきをするつもりだ。関係ない。そうするというなら、まとめてぶっ飛ばす。
しかし、それが口の中へ入ることはなかった。
首筋へ突きこまれた斧頭によって、ザンブルムスは今度こそ気を失った。そうして見下ろすバシェットが、手のひらに残った数個の欠片を拾いながら言う。
「鉄壁のガンズー」
そしてそれを、適当に遠くへ放った。闇の中へ消える。この雨だから、奇怪な薬物とはいえいくらなんでも溶けてしまうだろう。
「俺はきっと君には勝てん」
それから、そんなことを言う。
歴戦の戦士である彼なら、彼我の戦力を推し量ることは可能だろう。そんな彼がそう言う。そしてそれはこちらも同じだ。
正面から殴り合えば、きっとガンズーが勝つ。初見の印象からそれは変わっていない。
「……これを用意した者は、『鱗』と呼んでいた」
だが、彼に引くつもりは無いようだ。
手の中を見ている。よく見れば、先ほど捨てた薬が一欠けだけ残されていた。
「人を強く、だが使いすぎれば――いや、ただの毒だな。こんなものは」
多少の濡れでは形を崩さないそれを、彼は手中で転がす。
「しかし……魅力的な毒。若い奴らはそれで死んだ」
背後の、アスターを抱える女へ振り返った。
「コーデッサ。俺が死んだら、その子と共に彼らに従え。君は……なんの関係も無い。なにもしていない。悪いようにはならん」
「え、でも――」
そしてしゃがみこみ、吊るし灯りに残るわずかな光でも輝く虹の瞳と視線を合わせた。
アスターはひとつびくりと震えたようだったが、口を真一文字にして耐えた。視線は逸らさない。
「……すまない」
立ち上がりざま、バシェットの斧が回る。風切り音を鳴らして逆手に持ち上げられたそれは、彼の手にあると重量など無いように見える。
こちらへ一歩。二歩、三歩。
その表情から、感情は読み取れない。
「待たせた」
「待ってねぇよ。子供置いてくなら、そのデカ爺と逃げてくれたってかまわねぇ」
「そうはいかん」
「そいつがまだやる気だからか?」
「……そうだ」
「そうも見えねぇけどなぁ……めんどくせぇオッサンどもだ」
言ってガンズーは、平行に構えていた大斧を肩に担ぐ。少し、腰を落とした。
「引導渡してやる」
それに答えるように、バシェットは手中の欠片を口へ。がり、と堅いものを噛む音と共に天を仰ぐ。おかげで、嚥下した喉の動きがやけに目についた。
本音を言えば、心のどこかに彼とは真っ当に戦いたいという気持ちもあった。この状況でもはやそんなことを言うつもりは無いが、やはり少しもったいないようにも感じてしまう。
もし彼が院を襲った連中のように、自我さえ残っているかすら怪しいほどの狂態と変じてしまうなら、それはあまり見たくない。それこそ、即座に介錯してやりたいと思う。
ロニという男の姿を思い出す。内から暴れる過剰な力を持て余し、しかし戦おうとする意志は失わなかった姿。
あれはなんだったのか。使った量か、それとも個人の資質か。
なんにせよ――抑えこめバシェット。
真正面からはじき返してやる。
バシェットの腕に力がこもる。首の血管が際立つ。肩の筋肉が一段隆起する。ゆっくりと、天へ向いた顔が下りてくる。
はたして、彼の目は――冷たい炎を宿したような目は、こちらを見据えていた。
逆手に持った手斧を前方へ翳し、彼は深く腰を落とした。
(なんでだろうな)
ガンズーは思った。
彼とはここで初めて言葉を交わしただけだ。なんの思い入れも無い。見かけて強そうだなと思った冒険者など他にもいる、彼だけではない。
目の前にいるのは打ち倒すべき敵でしかない。修道院を燃やしてくれて、フロリカを斬ってくれて、ノノとアスターを攫いやがった連中の首魁のひとりだ。断固として許さない相手だ。
だというのに、どうにもガンズーは彼に同情的になる部分がある。
出会い方が違えばよかったのに、と思ってしまう。
ラダの話を聞いたせいで感化されたのだろうか。どうもそれだけではない。
若手をすべて失った彼らの惨状に? 夜中にこそこそと逃げ出すしかなかった哀れな姿に? それとも、後ろで倒れている男の醜態を見たから?
おそらく違う。もしかしたら、
(あいつらいなくなっちまったら、俺も似たようなことになんのかなぁ)
そう思うと、仲間の顔が見たくなった。
トルムと馬鹿話をしたい。セノアに我儘を言われたい。ミークをからかいたい。レイスンに小言をもらいたい。アノリティを餌付けしたい。
彼らにノノを紹介したい。
ほんのひと月ほど別れているだけだというのに、ずいぶんとセンチメンタルになったものだ。
それもこれも、もうすぐ帰ってくるなどと聞かされたせいだ。
あの蛙が悪い。絶対そうだ。やはり釣り餌にでもすべきだった。
帰ったらノノと一緒に釣りをしよう。
そして、もしそこにトルムたちもいたなら、きっと楽しい。
肩で支えていた大斧を浮かせる。左手を添える。
両手で構えると、ぬかるんだ足元を固めるように踏ん張った。
「鉄壁のガンズー。お前らはここで止める」
そう宣言しても、バシェットは答えなかった。
今にも飛びこんできそうな姿勢のまま、黙ってこちらを睨んでいる。
失礼な野郎だ、と思った。二十歳ほどだったという鰐面の魔族が頭をよぎる。若い奴のほうが礼儀正しいとかよくねぇことだぞまったく、などと思った。
「名乗れよ」
だからガンズーはそう言った。
「あったんだろ? 二つ名」
バシェットは特に表情を変えなかった。ただ、少しだけ虚を突かれたのだろうか瞼がわずかに動く。
しばらく経って、ようやく彼は口をひらいた。
「……白刃のバシェット」
かすかな明かりの中、ふたりの巨体が対峙して、
「……止めてみせろ」
ふたつの斧が、雨の幕を切り裂き交差した。




