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鉄壁のガンズー、対峙/エウレーナ

 もはや考えることなどなにも無い。

 犯人をぶっ飛ばす。ノノとアスターを取り戻す。関係各所に誠心誠意の謝罪と援助をする。終わり。解散。


 ただそれだけ頭に置いて、ガンズーは走った。空だって飛べるつもりでいたというのにそれは叶わず、鈍重な身体を罵った。

 ラダが南へ走ったのでそれを追った。門を再び閉めようとする番兵の姿が見えたので、体当たりするようにそれを阻止すると閂がひしゃげ折れた。関係各所に彼らも追加する。


 はたして、逃亡を阻止することはできたようだ。

 街道の中ほど、雨の中に馬車のわずかな吊るし灯りで照らされたのは四人。

 ラダとバシェットが対峙している。街道の石畳から外れて横転した馬車のほど近くに女がひとりと――アスター! 見つけた!


 ノノはどこだ!? 近くにいるはずだ!

 暗闇の中にその姿を探そうとした瞬間、別のものが目の前に現れた。

 巨体。ガンズーが自身より大きな人間を見ることはそうそう無かったので、もしや魔物かとも思った。

 にっこりと朗らかとさえ感じる場違いな笑みを浮かべていることだけわかった。

わかったときには、殴り飛ばされていた。


 ダメージは無い。が、駆けるままの体勢だったせいで勢いのまま転がる。背の大斧を地面に引っ掛け、支点にして起き上がった。

 殴りつけてきた男はこちらを気にする素振りも無く、ラダたちのほうへ歩み寄っていった。


「はあはははあ! ラダ! 久しぶりじゃあないか! どおしたんだこんなところで!」


 大きく両手を上げて男が笑う。

 それでガンズーは、こいつこそが『黒矛のザンブルムス』だとわかった。


「はははあ! オーリーと話していたんだ! お前とも会いたかった! 元気にしていたかあ!?」

「……元気だよザム。君も壮健そうだ」

「そおとも! まだまだ元気だ! 確信があるんだラダ! 次こそは、必ずあの遺跡を攻略できると――」

「ザム。その子を返してもらう」


 夜の雨を浴びながら、主を迎える執事のように直立不動のラダが静かに言った。

 ザンブルムスも、両手を広げた姿勢で固まる。


「――それはできないなあ、ラダ」

「なぜだ?」

「その子は儂のところで育てる。強くなる」


 ……は?

 なに言ってやがるんだこいつは。そんな思いで見ていると、どうやらラダも同じような感想を持ったようだった。鉄面皮が明らかに歪んでいる。


 ラダが振り向いて、背後のバシェットを見た。静かにその状況を見守っていた彼は、暗闇の中でわかりづらいが、目を閉じて俯いたようだった。


「バス。この子はどこに引き渡すつもりだったのだ」

「……タンバールモースだ」

「原理派か? まあいい。しかし彼はこう言っている」

「……そうだな」

「バス――バシェット。どういうことだ」

「…………」


 項垂れた男はそれきり答えない。

 ゆっくりとザンブルムスへ向き直ったラダは、もはや表情が崩れていることを隠そうともしていなかった。


「ザム。得物はどうした。君の矛は」

「なあに、あれは持ち歩くには不便じゃあないか。みんなで揃えた大事な武器だからなあ。ミシャルが預かってくれているさあ。あいつは手入れが得意だ――」

「……ザム。あれは遺跡に置いてきてしまったよ。ミシャルももういない」


 空を見上げても、彼の目には夜闇と降り注ぐ水滴しか映らないはずだ。


「そうか」


 だが、もしかしたらそこに誰かの影を見ているのかもしれない。例えば、昔の自分と、仲間の姿。


「そうか……」


 戻ってきたその顔は、ひどく疲れた老人のようだ。


「狂ったのだな、ザンブルムス」


 ラダがそう呟いたとき。

 視界の端で、なにかが動いた。「あ、ダメ!」という女の制止と、こちらに伸びた小さな手。


「ガンズー!」


 アスターの声。その声に、背中の大斧へ手を伸ばす。

 そうだ。今は連中の話を聞いている場合ではない。


「アスター! 今行く! どけこのボケ爺! お前らにかまってる暇ねぇんだ!」


 ザンブルムスへ一撃するつもりで踏み出し――アスターと、それを抱える女の横にバシェットが立った。

 それから、その足元へ斧が突き立つ。ガンズーのものよりはるかに小さいが、たしかな鋭利さをもった手斧。


「……鉄壁のガンズー。動かないでほしい」

「てめっ――」

「この子は……返す」

「はあ!? 当たりめーだボケなにふざけたこと言っ――」

「だが今ではない」

「こ……の……!」


 奥歯に力を入れ続けているせいで顎が痛くなってきた。

 ずいぶんと前から――修道院が直に襲撃されるもっと前から、連中の都合ばかり押しつけられている気がする。

 もはや強者に対する矜持も先達に対する敬意もどこへやら、頭をカチ割ってやりたい衝動さえ湧いてきた。相手にするなら魔獣のほうがよほどいい。戦う。勝つか負ける。それだけで済む。


 雨音を遮るように、高らかな笑い声が響いた。この場にまったくそぐわない、楽しそうな、のんびりとした笑い声。

 ザンブルムスが笑っている。


「はっはっはっはっはっはああ……心配性だなあバスは。大丈夫さあ、ラダもわかってくれる。いつもの喧嘩だよ、前にやったのはいつだったかなあ……」


 笑いながらも、目の前のラダを睨みつけていた。

 だが、その目は本当にそこを見ているのだろうか。ガンズーにはわからない。わかる必要も無い。


「ザンブルムスは止まらん」


 バシェットが静かに続ける。


「黒蜘蛛のラダ。鉄壁のガンズー。お前たちの役目でもない」


 雨が強くなってきた。彼の表情は見えない。

 ただ、視線は真っ直ぐにこちらへ向いている。


「ガンズーさん」


 ザンブルムスと睨み合っていたラダが、視線はそのまま口をひらく。


「彼らはここで討ちます」


 後ろに組まれていた手を解いた。無造作に下げられたその先には、やはり白い手袋がはめられている。


「それで終わる」


 彼が腕を躍らせるのと、ザンブルムスが突撃したのは同時だった。





 床に立てた細剣を引き抜き、鞘に納めた。

 一帯のマナの動きが把握できるようになると、エウレーナは軽く室内を見回してから迷い無く進む。


 成金通り――と呼ばれている。正式名は知らない――にあるこの屋敷に、もはや灯りはともされていない。カンテラを翳しながら、暗い廊下を歩く。

 かなり広い屋敷だ。まあ、自分が幼少のころに住んでいたところはもっと広かったがな、などと無駄なことを考えた。


 修道院に憲兵が駆けつけたのは思うよりも早かった。が、ガンズーとラダが外へ駆けだすのはそれよりももっと早かった。

 幸い、フロリカはすぐに治療を受けることができたし、院の火も雨のおかげで完全に静まったが、場を収めて後を任せるのに手間取り出遅れた。


 だが、あのふたりが追ったのなら十分だろう。攫われた子は必ず戻る。

 ならば、自分の仕事は他にある。そう思ってここへ向かった。


 その予想は的中したようだ。

 最奥にある部屋の扉を蹴破り、カンテラで照らした。


 姿を隠そうとする素振りも無く、チェストを漁る男がひとり。


「――こんなところにあるはずないか……机でもないとなると、すべて持ちだしたか……初めからここには無い可能性もあるな……ちっ」

「……なにをしているのだ?」


 ゆっくりとカンテラを置きながら問いかけてみても、こちらに目も向けない。

 後ろに撫でつけて固めていただろう髪は、大いに崩れてから雑に直したのかところどころ跳ねている。雨にでも濡れたか、かき回しでもしたか。


 ここに彼がいるとエウレーナに知れたように、彼も自分がここへ近づいていることはわかっていたのだろう。


「少々、探しものを」

「ほう。なにを?」

「……命綱、ですかね。おかげで慌てて戻らなければならなかった」


 チェストから離れると、男は次に本棚へ向かう。

 適当に本をとって中をひらき、放り捨てる。数冊そう繰り返してから、ばさばさと手当たり次第に床へ落とし始めた。


「……高いものだろうに」

「ああ、なるほど。これを売るのもいいな。考えなかった」

「それで、なにをしている。夜逃げの始末か」

「よければ、邪魔をしないでいただきたい」


 本を引き抜く手が一瞬、こちらへ振られた。

 左手で顔を防ぐ。カチンという金属音と共に籠手に当たったなにかが落ちる。針金のような細く短い鉄杭。


「おや。月銀ですか。さすが」

「答えるつもりは無いと思っていいな? 黒棘のジェイキン」

「……あまり目立たないよう気をつけてたつもりだったんですがね。まあ、光栄ですよ廻炎エウレーナ」


 本棚へ向いていたジェイキンが、不意にこちらへ身体ごと振り向いた。

 と同時に、攻撃の気配。部屋の入口にいたエウレーナは慌てて扉を盾にした。

 しかし鉄杭はぶ厚い木板を易々と貫く。籠手で顔を庇うことはできたが、二本が肩に突き刺さった。残念ながら、月銀の装備は左手の籠手だけだ。


「くっ!」


 反転するように飛び出して、彼のいた位置へ細剣を抜き打つ。

 目の前には本棚。刺突は空を切った。

 気配も殺気もあったわけではないが、嫌な予感だけを頼りに左手を振り回した。ぱちんぱちんと鉄杭を弾いたが、左足にまた一本が刺さる。


「勘でそういうことをされると本当に困る。一番困るのはこれが通用しない相手ですが」


 いつの間にかジェイキンは窓の近くへ退避していた。

 そちらを睨みながら肩の鉄杭を引き抜く。細いと思っていたが多少の厚みはあったようだ。少なくない出血がある。

 そして、すでに表面がザラザラと錆びついていた。


 なるほど、魔術剣など剣を無駄づかいするだけのものと思っていたが、こういう使い方もあったのか。

 短剣でも買いこんで練習してみようか。そう思ったが、彼のように無詠唱あるいは黙唱だけでこの精度が出せる気がしない。そんなことを考えながら足に刺さったものも払う。


「もう少し時間がほしかったが……無手での交渉か。仕方ないな」


 こちらへ興味を失ったように――最初から無かった気もするが――彼は背を向けて、


「それでは失礼。できれば追わないでいただきたい。うまくいけば、金輪際この街には近づきませんので」


 窓枠へ右手をかけた。


「【懐炎楼(リ・クス・エト)】」


 エウレーナが細剣を逆手に持って唱える。

 途端、視界が明るくひらける。部屋の四方、床、壁、天井へ走るように炎の線が広がる。当然、窓枠にも。


 ジェイキンが飛び退った。手の先に炎の舌が絡みついて残る。なにか叫ぶとその火だけは消えたが、聞き取れなかった。もしかしたら魔術で中和したのかもしれない。


 改めて見れば部屋は存外に広い。いつも泊まる宿の部屋の二倍くらいはある。あそこだって安い宿ではないのに、とやはり余計なことを考える。


「前唱は無かった……それでこのクラスの結界術? なぜ平気でいられる」

「平気ではない。見ろ、核石が真っ黒だ。先ほど取り替えたばかりというのに」

「……ずっと黙唱していた? いや、事前に唱えていたのか……屋敷に入ってからマナが動き続けていたのはそれですか。下手をすれば暴発するというのに」

「私はあまり集中力が続かんタチでな。苦労した」


 細剣を順手に持ち替える。手を庇っている男に切っ先を突きつけた。

 室内には床や壁の角へ這うように火炎が幾筋も伸びている。が、燃えているわけではない。


 これは籠であり鎖である。中にいる者を逃がさず捕らえる炎の空間。

 と格好よく言ってみたところヴィスクからは「これわざわざ火にしないほうが見えなくなって強くね?」と言われた。三日ほど口をきかなかった。せっかく頑張って独自構築したというのに。


「さて。ガンズー殿は激怒しておいでだったからな。向こうは問答無用で斬り捨ててくるかもしれん。お前には洗いざらい喋ってもらうぞ」


 ジェイキンは部屋の中を見回す。逃げ場は無い。窓も扉も潜ろうとすれば即座に炎が絡みつく。そして足元には、少しずつ炎の鎖が近づく。

 それがわかったのか、彼はひとつ鼻から息を吐いた。


「仕方ないですね……殺すしかねぇか」


 途端、彼は跳んだ。

 右で一度、左で一度、壁を蹴ったところまでは視認できたが、そこから目が追いつかない。炎で足場も少なくなったというのに素晴らしい身のこなし。


「【暗霞(リン・ウート)】」


 マナが励起したと同時に視界が暗転する。

 結界の火による光さえ届かない。が、声は聞こえた。

 後ろから。ブラフ? いいや、そう迷うことが狙い。

 ならばあとは――


(下から来る!)


 上から来た。振り返りざま下方へ振るった左籠手の裏拳は空を切った。

 天井が蹴られる音が聞こえた。そのままなら頭蓋を斬られていたのだろう。


 エウレーナは自分の勘など大して信じない。当たらないから。先ほど鉄杭を防ぐことができたのは日頃の行いだ。空腹に耐えて仕事を頑張ったおかげだ。

 裏拳と同時に、細剣は上へ向けていた。


 手元すら見えない。

 が、硬い感触と共に、細剣が折れた――というより、断ち切られた――のがわかる。

 しかし相手の攻撃が頭に届くまで一瞬の間ができた。

 細剣を追うように、振った左手を頭上へ。


 ガチンと、籠手でなにかを受け止めた。魔術剣だとしても月銀の効果でマナは散っている。だというのにわずかに食いこむ感覚。鋭い。

 が、


「やはり」


 これでたしかに接触した。至近にいる。


「フロリカ修道女を斬ったのは貴様だな」


 虹瞳の子供を攫ったのも。そのせいであの花冠をくれた子はひどく泣いていた。


「相応の報いは受けてもらう」


 籠手の隙間から火炎が噴き出す。腕自体が炎と化したように。

 その向こうで、息を呑んだ気配があった。赤い奔流がそちらへ渦を巻くように伸びていく。


「うおおおっ!?」


 床が大きく叩かれる音。それに合わせて視界が晴れた。

 目の前には炎にまかれ転がる男がいた。転がるたびに、床へ広がっていた火も取りこみ、さらに燃え上がる。肉の焦げる臭いが立ち始めた。


「私の術だ。私も結界の一部に決まっておろう」

「クソぁあっ! 俺はっ、絶対に死な――」

「殺しはせんよ。裁きを受けるがいい」


 折れた細剣の柄頭でジェイキンの顎を叩いた。燃えるまま、彼はうずくまるように崩れ落ちる。

 ひとつ、左手を振った。彼の身体を覆っていた炎も、室内を這い回っていた火も消え、元の夜闇が部屋に戻る。入口に置いたカンテラの灯りだけが残る。


 ぷすぷすと煙が散った。皮膚も服も焦がした足元の男を見下ろし、それから自分の肩と足を確認する。

 血は止まっていないし、傷の様子を見るにどうやら毒も仕込まれていたらしい。イースファラの家で毒見役をやっていた先祖代々に感謝する。


 大きく息を吐いた。

 疲れた。強かった。ひとりで戦うような相手ではなかった。単純な技量なら自分よりはるかに上だった。

 ヴィスク様ぁ、と思った。このまま彼に会うと自分で引くくらい甘える自信があるので落ち着かなければならない。


 ジェイキンを肩に担いで暗い屋敷の中を歩く。

 ノノとアスターは無事だろうか。ガンズーとラダはどうなったろうか。必ず帰ると信じているが、思っても耳に届く答えは雨音しかない。


「む。そういえば」


 結局、この男がなにをしていたのか聞き出せなかった。なぜひとり残って家探しなどしていたのか。戻ってきたとか言っていたが。

 まあ、然るべき手順でもって尋問でもなんでもしてもらえばわかるだろうが、少し気にかかる。


 ともあれ、こいつを官憲に引き渡せばそれ以上エウレーナにできることは無い。

 帰ったら主人には存分に頭を撫でてもらおう。そう決めた。

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