鉄壁のガンズー、怒号/コーデッサ
コーデッサは、自分を運のいい人間だと思っていた。
運だけではない。小さなころから魔術の素質を認められ、大事に大事に扱われたおかげでその才能をすくすくと育たせることもできた。
神童と呼ばれ、末は司祭か宮廷魔術師かと言われた。おかげで小賢しく育ったもので、そんな都合よくはいかないだろうと思っていたが、それはそれとして己はまあまあ優秀であると知っていた。
アージ・デッソから西、遺跡群も超えてさらにずっと西、カルドゥメクトリ山脈の西端にある山村で成人を迎えたコーデッサは、自然と冒険者の道を志した。
村の子供たちは、そこに残る古い冒険者の名前を聞かされて育つ。
彼女もその例にもれなかった。
麓とはいえ山の中に人が住みつくのは自殺行為に近い。
棄民が寄り集まってできた村が、まだ村とも呼べない集落だったころ、魔物がそんな格好の餌場を見逃すはずはなかった。
また放浪の日々に戻らなければならない。そんな思いを抱えていた村民は、とある冒険者パーティに救われる。
柵を立て堀を作り、安全圏を構築するあいだ、冒険者たちは魔物を寄せつけぬ八面六臂の活躍をした。近辺を根城にする巨大な魔獣さえ狩った。短くない時間をかけて、彼らは村を守った。
彼らは見返りを求めなかった。魔獣を狩れば核石が採れるのだから、それで十分だと言った。核石を売りに行くことすら苦労する地だというのに。せめてもと村から提供する粗末な食事を、彼らは喜んで食べた。
そのパーティの名は『白炎』。今も村に残る恩人たちの名。
コーデッサはそれなりに優秀だったために、一端の冒険者として認められるのもそれなりに早かった。中級となるころには、同じ村の出身が組んだというパーティに誘われ、仲間もできた。
彼らは自分たちに『雪の篝火』と名付けた。村の英雄にあやかって。
それなりな人間が所属するのだから、やはりそれなりに力もあって、まあ、そう悪くない活躍をした。ほどなく、彼女は上級冒険者となった。とんとん拍子にそこまで来て、やはり自分は運がいいのだと鼻を高くした。
いつか『白炎』のように誰かを助ける仕事がしたい。漠然と、パーティの皆はそんなふうに思っていたのだろう。
コーデッサとしては、あまり大層なことをするべきではないと考えていた。仲間たちはいい人ばかりだ。だから、無茶をして彼らに被害が出るほうが怖い。普段の仕事だって誰かの助けにはなっている。それでいい。
けどもし、それなりの自分にそんなことができるなら、もう少しだけ胸を張ってもいいかもしれない。
そうも思った。
ひとりになって、一度だけ修道院へ向かった。
こそこそと門から覗くと、遊ぶ子供たちの中に輝く瞳を見つけて、そっかぁと思った。
それから、街の中で鉄壁のガンズーとその足元を歩く子を見かけ、よかったねと思った。強い人に助けてもらってよかったね。
そして、やはり大層なことなどするべきではなかったと泣いた。
自分だけがなぜ生き残ってしまったのか。それはわかっている。仲間が生かしてくれたからだ。杖も壊し核石も失い、もはや力になれない自分を、彼らは戦場から逃がしてくれた。
その仲間は死んだ。『雪の篝火』は消えた。
でも、共に戦った青鱗のヴィスクは生き残った。エウレーナはあの怪物に一撃を見舞って、やはり生き残った。シウィーはたったひとりで護送隊残党の大半を相手にして、瘴化さえしてしまいそうな汚染の中から生き残った。
風の噂によれば、仲間を一撃で屠った怪物を、鉄壁のガンズーは打ち倒したという。眉唾だが、きっと彼なら事実だろうと思う。
彼らは生き残り、仲間は死んだ。
コーデッサは恨めしいなどと思わなかった。理由などわかりきっていたから。
彼らは強く、自分たちは弱かった。それなりの己などとは違う、本当に強い者たちだったからだ。それだけだ。
自分にはできなかった。マナの汚染に身を沈めてまで限界を超えることも。死をいとわずに子供たちを追うことも。
村に帰ろう。アージ・デッソにもいられず、しかし冒険者を辞める踏ん切りもつかず、ふらふらと彷徨ってタンバールモースにまで出てきて、ようやくそう結論した。
そこで、バシェットという壮年の冒険者に出会った。
成り行きからずいぶんと良い待遇で『黒鉄の矛』というパーティに誘われた。だがコーデッサはそこに長く居座るつもりは無かった。もう少しだけ貯えに余裕を作ったら、やはり村に帰るつもりでいた。
だから彼と、村に残る名前が合致するまで時間を要した。
パーティの正規メンバーとして認められるまでは、バシェットのもとで遺跡の探索を行う。
新人研修のようなものかと受け取り、隣で同じくそれに従事する軽薄な男に辟易しながら黙々と従った。遺跡には何度も――やはりそれなりに――潜っていて慣れたものと思っていたコーデッサは、ここでまた鼻を折られる。
バシェットは強かった。見たこともないほど。『雪の篝火』だって強い者が集まっていたはずなのに、彼らが子供に思える。鉄壁のガンズーの戦いを見たことは無いが、彼とも遜色ないのではとすら感じた。
それでようやく、彼と村の英雄とが繋がった。
信じられないという気持ちと、でもきっとという気持ちで、頭がぼんやりと整理のつかないまま、口走った。
考えもせず、「『白炎』という名を知っていますか?」と。
そのときの彼の顔が、今も頭から離れない。
彼はひたすら、『黒鉄の矛』のリーダー、ザンブルムスの影となり動く。
なぜかを聞くと、「恩だ」と短く答えられた。コーデッサにはもったいなく感じてしまう。彼ならばたとえひとりだとしても、冒険者として今より目覚ましい活躍ができるように思える。
なにより『白炎』の名を残してほしかった。
彼らが遺跡に消えたという話――聞き出すのに尋常ではなく苦労した――はショックであったが、バシェットが生き残っているならばきっとできるだろう。
そう言ってから、『雪の篝火』を消してしまった自分がなにを言うのだろうと考えて、ひどく落ちこんだ。
彼は寡黙な人間のため、聞き流されたのだと思った。コーデッサが失礼を言ったことを詫びてその場を後にしようとするまで経ってから、
「背負うだけでいい」
と聞き逃しそうなほど小さく呟いた。
「失われたものに、心まで捧げることはない」
それが自分に言っているのか、彼自身に言ったものか、あるいはまた他の誰かに向けられたものか、コーデッサには判断がつかない。
ただ、彼がなにかを悔いていることはわかった。
もしかしたら、自分と同じなのかもしれない。そんなことも思った。ただそうであれば、自分よりはるかに長い年月を重ねたそれがどれほどか想像もつかない。
それはもはや、呪いに近い。
だからもし、彼が後悔をしているというなら――なおさら、こんなところにいることはなかったのだ。
「クソが、あの爺! 勝手なマネしやがって!」
テーブルを叩いて怒声を上げるジェイキンを横目に、コーデッサは目を伏せる。
屋敷の一室。もはやここにはふたりしかいない。あれだけの大人数を揃えていた『黒鉄の矛』は、ほとんどがもう戻らないかもしれない。
いや、ふたりの他に、小さな姿。
気を失いソファに寝かされた子供の姿を、コーデッサは直視できない。
(わたし、もうダメだろうなぁ)
仲間たちが命懸けで救おうとした子供たちを、まさか奪う立場になってしまうとは。
このパーティが危ない仕事にも手を出していることはわかっていた。正規の人員として屋敷に呼ばれてからは、よりはっきりわかった。
どっちつかずの立場のまま、なんとかひたすら居残りを貫いていたが、目の前に出された事実にもはや逃げられないと悟る。
「おい! そこの、ええと――」
「……コーデッサです」
「ああ、なんでもいい。ザンブルムスはどうした!?」
「自分の部屋から出てないです……昨日あのお爺さんと話をしてからずっと」
「またかチクショウ! こんなときに!」
椅子を蹴り飛ばして荒れる男から目を逸らすと、自然と顔は眠る子供のほうへ向いてしまう。
髪に触れようとして、やめた。自分がこの子に触れる資格など無い。
突然、扉が乱暴にひらかれた。
そこに立つバシェットの表情は、いつもと変わらないようにも見える。頭が濡れている。そういえば、先ほどから雨音が聞こえていた。
彼はちらとコーデッサの手元にいる子供の姿を見て、
「ジェイキン。なんだこれは」
そう言った。
呼ばれたほうは彼が来ることなどわかっていたようで、顔を向けぬまま不愉快そうに答える。
「遅かったじゃないですか、バシェット。馬の用意はできたんですか? 抜け道の仕込みは?」
「これはなんだと聞いている」
「見ての通りだよ請けた仕事だろうが!」
自嘲じみた笑みを浮かべてジェイキンが叫んでも、バシェットは表情を少しも変えない。
「俺が失敗した時点で街を脱出すると決めたはずだ」
「ああそうだ兵隊も全滅させてくれてな! それをあの爺どうしたと思う!? わざわざ残った連中けしかけやがって! 俺が行かなきゃただ無駄死にするところだったさ!」
「……他の奴らはどうした」
「死んだよ! どいつもこいつも!」
「まさか……待て、あの薬に手を出したのか? やめろと言っただろう」
「使うわきゃねぇんだ、あいつらだってバカじゃねぇ! 全部取り上げた! 最初に試したっきりだ! なのに、クソ! そもそもなんでまだクソ爺の口車に乗せられて――ああ? 待てよ、そうだ。なんで今さら従った?」
コーデッサはそのやりとりを聞かないようにしていたが、嫌でも耳には届く。蚊帳の外にいたいが、もはやそうはいかないのだ。
数年前からこのパーティの相談役をやっているというあの老人について、詳しくは知らない。しかし今、自分が持つ――ほどこしてもらった――装備も、大元は彼が用立てたものだというし、凄いお金持ちなのは間違いない。
それから、とても得体が知れないということもわかる。
とっくにザンブルムスにも、幹部たるジェイキンにもバシェットにも制御できなくなっていたこともわかっている。いや、そもそもザンブルムスは彼に生かされているようなものか。
どこから仕入れてきたものか、虹瞳の子供を求める裏の依頼を用意してきたのも彼の仕業だ。以前にも近いことをしたと聞いて、目の前が暗くなった。
この街でそんな仕事がうまくいくはずがない。冒険者協会を、七曜教会を、そして鉄壁のガンズーを敵に回して、無事に済むはずがない。
だが彼はすべてが些事とでもいうように強攻策を推した。押し入って虹瞳以外の者を皆殺しにすれば手間が省けると、平然と言った。もう手を引くことはできないと迫った。
すでに自ら街のゴロツキを誘って兵隊を作っていたし、『黒鉄の矛』が到着する前から襲撃も企てたという。彼らがその後どうなったかはわからない。
ジェイキンはパーティが――あるいは、己だけでも――生き残る手段をどうにか絞り出したのだと思う。それでも、頭のいい彼にしては粗末な計画だった。当然だろう。時間も準備も足りない。
修道院の者がタンバールモースへ通う、その護衛。彼らの席を奪う。遺跡からの帰りに賊と交戦し負傷、代わりを募ったところで『黒鉄の矛』の名を使う。
潜りこみさえできれば、街を出たところで子供を奪取して逃げればいい。片付けさえすればそのまま国を出てもかまわない。
先日、遺跡へ向かっていたバシェットは、ひとりで戻ってきた。引き連れていった他のメンバーは死んだという。
それで計画は終わり。鉄壁のガンズーが近辺を嗅ぎまわっているし、協会の調査が届くのも時間の問題。もはやこの街からは逃げるしかない。
あの老人を殺してでも。ジェイキンはもしかしたら、そこまで考えた。
虹瞳の子供を抱えて帰ってきた彼に、八つ当たりで殺されるのは自分かもしれないと思ったが。
「遺跡の顛末があってあんなもの使うわけがねぇ……使うしかなかった? いや違う、一度試して……術性定着薬……魔術……任意で……待て、まさかザンブルムスも――」
なにやらぶつぶつと呟いて頭を抱えたその彼を放って、静かにバシェットがこちらへ寄ってきた。
眠る子供を見下ろして、目を細めている。相変わらずなにを思っているのかは知れないが、優しい眼差しだ。ということは、それは悔恨の眼差しだ。
「――君はどうした」
それが自分への言葉だと理解するのに、少し時間がかかった。
「え、あ、わたしは、あの……ザンブルムスさんをひとりにしたら危ないかもって言って、残らせてもらって」
「そうか」
それきり黙った。ひどく居心地が悪く、コーデッサは視線を彷徨わせる。
「なぁ」
静かな面持ちになったジェイキンが、こちらへ言葉を投げた。
「バシェット。俺は抜けます」
「……そうか」
「あんたも抜けろ。もうどうしようもない」
「そうは……いかん」
「あんたがザンブルムスに恩義を感じてるのは知ってます。だがもうダメだ。あれはもう死んだもんだと思ったほうがいい。たしかにここまでもったかもしれない。だが逆だった。あれは――」
「わかっている」
「わかってるなら……ああ、そうですか。なぁバシェット。俺たちはな、結局あの爺の駒――いや、実験台にすぎなかった。我らが『黒矛のザンブルムス』さえな。それでもいいのか?」
「…………」
答えないバシェットに、ひとつ舌打ちを残すとジェイキンは扉へ向かった。一瞬だけコーデッサに視線を向けたが、特になにも言わなかった。
扉を閉めなおすこともなく、彼は去っていった。ザンブルムスが唯一、育成に成功したという『黒鉄の矛』の秘蔵っ子とは、これで別れになるだろう。
本音を言えば、自分も彼について逃げてしまいたかった。今が最後のチャンスだったように思う。
ただ、バシェットも子供も放って逃げるのは寝覚めが悪いというだけだ。結局のところ、いつだって自分は中途半端な立場にしかなれない。
しばらく沈黙の時間が過ぎて、それから、半端に開いたままだった扉がゆっくりとひらいた。
異様の巨体。黒矛のザンブルムス。
その視線は、どこか遠くへ投げ出されている。
「……ザム」
彼の姿を認めて、バシェットが小さく言う。
「ここを去る。行こう」
その視線が、バシェットを過ぎて、コーデッサを通り越し、眠る虹瞳の子へ向いた。
「――おお」
ザンブルムスの顔に喜色が浮いた。
「凄いぞおバス! 虹瞳だろお!? この子を育てれば、きっと素晴らしい戦士になるぞ!」
馬車は静かに進む。ただ、道の整えられていない荒れ地を行くせいで、ガタガタと揺れる。
雨が強くなってきたのは、僥倖であるのかもしれない。見咎められる確率が下がる。
「マナに強いというのは才能の中でもとびっきりだからなあ。儂はあまり得意じゃなかったから、羨ましいなあ」
アージ・デッソ南東の端、防護柵の薄いところに抜け道を作ったようだった。門を通るわけにはいかないから仕方ないが、完全に逃亡犯や脱走犯のそれだ。
いや事実、逃亡犯なのだ。コーデッサは隣の男の気に障らないよう小さく小さく溜息を吐いた。
「魔術師になるのかなあ。しかし男の子はやはり武器を持ってほしいなあ。うまく教えてやれるかなあ」
御者台で馬を繰るバシェットが振り向くことはない。可能な限り静かに馬を進めている。もう少しで街道に回りこむことができる。
南へ抜けて、一度タンバールモースに寄る。情報が行き渡るまで、おそらく明日の朝までが限界だろう。
けど、それからはどうするんだろう。
「ハスファみたいになってくれるといいなあ。あいつは強かったんだよお。会わせてあげるのもいい。ジェイキンは奴を参考にしたんだ」
ザンブルムスは嬉々として育成計画を語っている。
どうやら、コーデッサに抱かれて目を閉じている――なかなか起きる気配が無いのは、ジェイキンがなにか細工をしたのだろうか――虹瞳の子を、新たな戦力として考えているらしい。が、そうはならない。
依頼のひとつはタンバールモースからだ。保護された中で虹瞳の男の子。まさにこの子が指名されている。このまま引き渡す――はずだ。
本当に?
今さらになって足元から戦慄が走る。もはやパーティも崩壊したというのに、バシェットはあの老人の指示を完遂するつもりなのだろうか。
そうしてしまえば、もう戻れない。お尋ね者だ。いや、それこそ今さら。でも今度こそ、コーデッサは堕ちる。
仲間の顔が浮かぶ。『雪の篝火』の面々が。蔑んだ目を向けている。
馬車が街道に乗った。追手は無い。馬に鞭を入れて、加速した。
誰かに止めてほしいと思った。こんなところまで来て、自分勝手にそんなことを思った。
この子を助けてほしいと思った。あまりに身勝手な願いに、泣きそうになった。
御者台の吊るし灯りの先、街道に立つのは、そんな願いを叶える神の使いだろうか。あるいは死神だろうか。きっと死神だ。
顎髭をたくわえた死神が叫んだ。
「バシェット! 子供を守れ!」
その声に反応して、バシェットは――ザンブルムスではなく、こちらへと振り向いた。
「――コーデッサ!」
馬車が揺れる直前に見えたのは、死神が大きく腕を振る姿だった。
おそらくなにかの攻撃だったのだと思う。馬に繋がる引綱が切れた。それで馬車が傾いだ。そしてひとつ、ごつんと音。尻の下あたりから聞こえたので、きっと車輪がどうにかなったのだとわかった。
速度を上げていたせいで、バランスを失った馬車は横へ逸れる。
舗装された街道から車輪が落ちる。
このままだと横転する。
子供を守れ。それから、名前を呼ばれた。
それくらいできなければ、もう自分はどこにも行けない。
コーデッサは腕の中に子供を強く抱いて、馬車から飛び出した。ほとんど放り出されるようにして、背中から落ちる。
横に転がりそうになって、この子を下敷きにしてしまうと思い、足と顔面で踏ん張った。耳やら頬やらが切れた気がするが、かまわない。
逸る動悸を抑えて腕の中を見れば、子供に傷は無いようだ。安堵する。かすかに呻き声を上げているから、さすがに目覚めるだろうか。
のろのろと視線を巡らせれば、奇跡的に生きていた吊るし灯りの小さな光の向こう、対峙する死神とバシェット。
そして――街の方角から駆けてくる、猛牛のような影。
暗闇から現れたその影が飛ばす怒声にコーデッサは、やっぱり殺されてしまうんじゃないだろうかと思った。
「――ノノとアスター返せコ゛ラ゛ア゛ァ゛ァァッ!」




