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鉄壁のガンズー、不覚

 下から突き上げるような、細剣の切っ先。喉を狙っている。

 そのまま受けても、ガンズーには通用しない。はずだ。

 はずなのだが、なにか嫌な予感がした。


 ずっと手に持っていた、鞘に入ったままの剣を反射的に上げる。刀身でも柄でもいいから受けるつもりが、あまりに鋭い一撃に目測が合わない。腕で受け止めることになった。


 ぷつりと、皮膚が裂ける感触。力を込めるのが遅ければ、おそらく骨も削れていたし貫通もありえた。

 そしてほんのわずかに、ガンズーの身体が浮く。ただでさえ巨体で、さらに防具に大斧まで背負った身が。


 それで細剣は折れた。靭性に富んだ斑鋼(ダマスカス)の剣が。急所の柔らかい箇所であれば致命傷も考えられる威力だった。

 ロニは止まらない。


「ぐあぁが!」


 獣のような唸り声を上げながら、拳を繰り出してくる。


(まだ持ってやがったか!?)


 聞いていた薬物の効果。どう考えてもそれだった。

 めくらめっぽう身体を打ちつけてくる拳。ガンズーの身体を傷つけるほどではないが、その衝撃は凄まじい。目にでも当たれば、しばらく開かなくなるかもしれない。


 これに手加減は難しい。が、無力化させなければならない。

 仕方なくガンズーは、剣を居合気味に抜き放って彼の足を払った。できれば抜きたくなかったが、言っていられなかった。


「ぐうっ! チクショ、がっ!」


 両腿を斬られ彼は倒れ伏したが、肘で地面を掻くようにしてまだこちらへの闘志を消さない。

 獣のようだとも思ったが、しかし完全に正気を失っているわけでもないようだ。


「おいもうよせ。その薬、ヤベーやつだろ。大人しくしてりゃあ足も治療してやるし、なんかあっても――」


 虹瞳の子の誘拐を企てた彼らがどう裁かれるかガンズーにはわからないが、未遂に終わるのであればそこまで重い罪にはなるまい。なんなら、ちょっと口添えしたってかまわない。

 こちらとしては、ノノとパウラとアスター、そして院の子供たちや修道女たちに平穏が戻りさえすればいいのだ。


 そんな思いでロニに手を伸ばした。

 骨までは断っていないが、出血が多い。手当が必要だ。ガンズーの足先まで血は広がりだしている。


 出血が多すぎる。


「――あぁ」


 彼は眼球から血を流していた。流していたどころではない。噴出している。


「あー、クソ、チクショウ……やっぱりか。やっぱりダメか……」


 がりがりと、血の中になにか大事なものを落としたかのように地面を掻いて、ロニはこちらを見上げた。目は血に塗れてなにも見えてやしないだろうが、たしかにこちらを見た。

 それから、どぼ、とひとつ大きな血の塊を吐き出して、死んでしまった。


「……あ?」


 動くものがいなくなって辺りは静かになった。ガンズーの呻きだけが響く。


 この薬を飲んだ者が死んだことも聞いていた。だからこの結果もありうることだったとは思う。

 しかしなんだこれは。彼はまだ意思を残していた。狂ってなどいなかった。生きるつもりでいた。


 なんだってんだ。ガンズーは繰り返した。腰の道具袋を上から掴む。この薬はなんだ。やっぱりってなんだ。


 ロニは答えない。背後からの明かりに照らされて、血の海に沈んでいる。

 なんだか唾を吐きたい気分になって、しかしここでそうするのは彼に失礼なような気がして、やめた。


 ふらふらと自分の影が踊る。暗い気持ちなのに、辺りは明るくなってきた。


 ――明るい?


 ガンズーが置いたカンテラは少し先にある。辺りを照らすほどではない。

 振り向いた。


 修道院から、火の手が上がっていた。






 正門にまで回るのも待てず、無理やりに塀を跳び越す。背中の斧が重いが、腕力にまかせてよじ登った。


 院が燃えている。最も火勢が強いのは孤児院と修道女の宿舎を繋ぐ渡り廊下の辺りか。

 もちろん、そんな場所に火元などない。カンテラでも落ちた? そんな都合のいい事故がこんなタイミングで起こっても困る。


 塀周辺の藪を越えて、本院の裏から表へ出る。

 出る直前、鼓膜を直に叩かれたような衝撃が走った。頭の内側から頭蓋骨を殴られたようでもある。


 ちらと目をやれば、本院の入口で司祭と修道士が杖を手に瞑想している。後ろには幾人かの修道女と子供が緊迫した表情で外を窺っていた。

 小規模の結界魔術だろう。おそらく街を覆うものと同種の、しかし人間にも効果のあるもの。


 子供が避難していることに安堵しながら、ガンズーはそのまま駆け抜けた。

 下手に近寄って結界を解かせることも、その効果で自分が昏倒することもしてはいけない。


 表に回ってみれば、思った以上に火が強い。すでに孤児院も宿舎も半分ほどまで燃え上がっている。

 その炎が照らす中、エウレーナとラダが猿のように跳ねまわる冒険者の集団と交戦していた。


「ラダ殿! 私から、私から敵を引き離してくれ!」

「わかっています! しかし、多い!」


 ラダには五、六人の冒険者がまとわりつくように襲いかかっている。即座に包囲を抜けるものの、異様な反応速度で追随されていた。

 彼が腕を振る度に、数人の敵から血が散る。傷は浅くもないだろうに連中は動きを止めようとしない。


 エウレーナに突撃した男は彼女の剣に顔面を突かれた。だが意図したものか偶然か、頬を貫かれただけでそのまま手を伸ばす。恐怖すら消えているように見える。

 彼女はその顔をさらに殴りつけた。相手は吹っ飛び、燃え盛る建物の、まだ炎にまかれている瓦礫へ突っこむ。


 絶叫が聞こえて――絶叫するまま、炎に突っこんだ男は燃えながら立ち上がってきた。


 なんだろうなこれは。

 駆けながら、ほんの一瞬のあいだに繰り広げられた光景を眺めて、ガンズーはどこかひどく冷静に思った。

 きっとこの者たちもあの薬を服用したのだろう。だからって、これはあまりにも異常だ。話に聞いただけと実際に見るとではまったく違った。

 ふざけている。暴れるこの連中も、ロニの死に様も。ここが燃えているという事実も。


 身体を燃やした男が立ち上がったのと同時だった。孤児院の入口から誰かが飛び出してくる。

 修道女だ。あれはたしか、この院で最も若い修道女だ。その腕には子供がふたり抱えられている。そちらも子供たちの中で最も年下の幼児。泣いている。

 まだいる。まだ全員が非難しきれていない。ガンズーの背が泡立った。


「いかん!」


 エウレーナが叫んだ。

 その身を炎上させ今にも絶命しておかしくない男は、しかしその修道女へと狙いを向けた。


 ああ。いかんな。それはダメだ。


 ガンズーの手から放たれた剣は矢のように奔り、男の頭を貫くどころか砕き散らした。またあの剣に呪われちまいそうだ。そんなことを思いながら背の大斧に手を伸ばす。

 エウレーナが振り向いた。そちらへ走るまま、目の前に飛び出てきた別の冒険者を斧で薙ぎ斬る。ラダと交戦していたひとりだろう。


「ぎゃはははははは!」


 哄笑に目を向ければ、二本の杖を両手に構えた女がいた。すでに片目からマナの汚染が漏れ出ているが、意にも介さず爆笑している。


「【火吹(レー・スウェル)】!」


 向けられた杖から火炎が迸る。

 ああ、これだな。そう思った。あっという間に建物を炎上させるくらいなのだから、そりゃ魔術だよな。

 上から炎へ斧を叩きつける。扇であおぐように。炎は吹き散らされたが、マナによる熱の残滓がかすかに腕を炙った。


「【火咆(レー・カーン)】! 【火走(レー・クラー)】!」


 次々と撃ち出される火炎に、ガンズーは横へ回転した。竜巻でも作ろうという勢いで斧を振り回す。

 ラダへ向いていた者がまたひとり、巻きこまれて吹き飛んだ。近づくんじゃねぇよバカ野郎め、と思った。


 頭のどこかでひどく冷淡に状況を見ている自分がいる。

 ガンズーは細かいことをあまり考えない人間だが、それでも自分のことくらいはわかっている。こういう感じのときはあまりよろしくない。

 キレる寸前だ。とてもよくない傾向だ。


「あぁはははははっ――」


 再び笑いだした女が、唐突に声を止めた。喉が裂けている。それでも笑い続けようとしたようだったが、すぐに倒れた。

 炎の明かりになにかが光る。(やじり)のような小さな刃に、目視できないほど細い鋼線が繋がっている。それは包囲から解放されたラダの手元に伸びていた。

 そういう仕組みかい。やはりどこか冷静に思った。


「ガンズー殿! 火を消す! 私に敵を近づけるな!」

「っ! できんのか!?」

「できるからどうにかしろぉ!」


 殴りかかる敵を振り払いながら絶叫するように言うエウレーナ。その相手を斧で掬うかたちで叩き飛ばす。空中で分断しながら、院の向こうへ飛んでいった。

 孤児院の入口前には、子供を助け出してきた修道女がうずくまっている。


「ラダぁ! 彼女を頼む!」

「承知!」


 いまだ周囲を暴れまわる冒険者たち。走り回り跳び回り、なかなか判別しきれないが、五人以上はいる。

 エウレーナが剣を地面に突き刺した。柄頭に核石が仕込まれている。

 彼女を守るようにガンズーは斧を振り回す。ひとり、ふたりと弾き飛ばしたが無力化できたかわからない。どこかから再び火炎が吹きつけられる。まだ他にも魔術師がいたようだ。


間隙がある(テ・サー・ガ)海の淵(イス・オ・イア)間隙がある(テ・サー・ガ)空の淵(イス・オ・キイ)無明のそこに(テ・サー・ガ・)間隙はある(テ・イ・リン)――」


 詠唱が響く。聞いたことがない呪文だ。なにをするつもりかわからないが、気にしている余裕も無い。信じるしかない。

 その彼女へ背後から、なにかを振り回しながら突撃する男がいる。棍かなにかだろうか。見た顔な気もする。


 どちらにせよ斧で迎撃すればエウレーナも巻きこむ位置だった。ガンズーは彼女に殴りかかるような体勢で、後ろへ左拳を大振りした。

 拳の先に顔の骨が砕ける感触。もんどりうって転がった男はそのまま燃える瓦礫の中へ。起き上がってはこなかった。


「【廃風圏(クル・イ・オー)】」


 エウレーナが結詞を唱えると、ガンズーにさえ意識せずとも感じられるほど大きくマナが動いた。そして、空気も動いた。


 一瞬、炎の上がる建物の方へ引っ張られるような錯覚があった。

 あるいは、錯覚ではなかったかもしれない。勢いよく伸びていた火勢が、みるみるうちに小さくなっていく。

 真空でも作っているのだろうかと思った。もしかしたらもっと力尽くの作用にも見える。そして、どちらでもいい。


 燻る煙を残して、院は鎮火した。

 渡り廊下は完全に燃え落ちている。宿舎も孤児院もその三分の一近くが炎に舐められて、焦げた建材が剥き出しになっていた。

 壁が剥げて、食堂がここからでも覗ける。ノノと、パウラと、アスターと、院の皆と食事を共にした場所はすっかり黒くくすんで、それが夜闇のせいなのかすらわからない。


 静かだ、と思った。それから、暗いな、とも思った。

 エウレーナが掴む剣の柄頭についた核石が、パチンと音を立てて割れ弾けた。大きく息を吐いて、彼女は膝をつく。

 それきりやはり周囲の物音は少なくなって、小さな瓦礫が転がる音や少し残った熱ではぜる音しか聞こえない。


 ひどく静かだ。襲撃者は全滅したのだろうか。辺りを見回す。


 それほど離れていないところに、ふたりいた。男がひとり、杖にもたれかかるようにして――まだ魔術師がいたんだったか――くずおれている。耳から血を垂らして、呼吸をしていないように見える。

 それを見下ろしている女がいる。剣を持ったまま、ぼんやりと。


 その彼女がこちらへ顔を向けた。表情はわからない。暗いからだ。それから、顔が血に塗れているから。


「いやだ……」


 小さくそう言って、女も倒れた。


 ひどく静かだ。静かすぎて、ガンズーは吐きそうになった。

 ぽつんと、頬に感触。続けて、雨粒が髪を触る感触。

 さらさら降り始めた雨が徐々に勢いを増していく。見ていたかのようなタイミングに、遅ぇよと声に出さずに呟いた。


 うああん――


 かすかに声が聞こえた。心臓が跳ねる。

 なんの声だ、と考えるまでもない。子供の声だ。泣き声だ。これだけは間違えない。

 どこからだ。本院に集まった子供たちの声がここまで届くか。そうではない。決まっている。孤児院からだ。


 跳ねた心臓に弾かれるように、ガンズーは飛び出した。孤児院の入口へ。修道女が出てきたときに反動で閉まり、熱で歪んだのかやけに軋む。無理やりに引きはがした。


「うわあああああん!」


 ほど近くに子供がいた。煤で汚れた頬に涙の筋ができている。


「パウラ!」


 叫ぶように呼んだ。パウラはその目にガンズーを認めると、数回しゃくりあげてまた泣き声を上げた。

 彼女はなにか大きなものを引きずっている。黒い袋のような、人間大のもの。

 黒く見えるのは煤の汚れだ。本来は藍色のはず。

 それから、亜麻色の髪。


 心臓がまた、痛みを感じるほどに胸を叩いた。


「ガンズー! お、お姉ちゃん、フロリカお姉ちゃんが、うあ、うわあああん!」


 ガンズーは倒れこむように彼女へ駆け寄る。

 床は煤と血で汚れていた。フロリカを見れば、背中を大きく裂かれている。

 心臓が暴れる。だというのに頭はひどく冷静に状況を見ている。ここは戦場ではないのに。なかったはずなのに。


「フロリカ! おいフロリカ!」


 彼女はまだ息があった。しかし出血が多い。

 エウレーナが飛びこんできた。状況を見て、息を呑んだ気配があった。


「医療魔術を使える奴がいるはずだ! 呼んできてくれ!」


 即座に走っていく足音を背後に、ガンズーは術性定着薬を道具袋から引っぱり出した。ヴィスクからいただいたばかりだが、迷う暇など無い。

 傷へ流しかけると、フロリカはわずかに目をひらいた。


「――ガンズー様……」

「喋んな! 大丈夫だ、死なねぇ!」

「ごめんなさい」


 か細く、消え入るように繰り返す。


「ごめんなさい……」


 なにがだ。なにがごめんなさいだ。彼女が謝る必要などどこにある。謝るのはこっちだ。守ると言っておきながらこんな目に遭わせた。

 申し訳ないという気持ちが拭えない。きっと油断をしていた。こんな自爆同然の特攻をしてくるなど思っていなかった。するべき対処はもっと他にもあった。


 心臓は逸り、頭は冷静で、しかし後頭部には血流が集まってやたら熱く感じる。叫びだしたかった。


 ぐすぐすと泣き止まないまま、パウラが言う。


「く、黒いのが、黒いモヤモヤがぶわーって来て、煙かと思ったのに、ノノちゃんが、ノノちゃんが連れてかれて」


 ……なんだって?


「アスターが、返せって言って、でもおんなじで、ダメで、アスターが、アスターも。こっちにも来て、でも、フロリカお姉ちゃんが守ってくれて、でも、でも」


 そう言って、パウラが泣く。


 視界がうっすらと赤くなった。おそらく、涙が浮いている。

 きっと、奥歯に力を入れすぎたせいだと思う。

 耳の上あたりで、ブチブチとなにかが鳴った。


 冒険者たちの死に様に、焼け焦げた修道院に、血を流すフロリカに、泣き続けるパウラに、ここにいないアスターに。

 ガンズーをずっと待っていたノノに。

 不甲斐ない己に。


 瞳を潤ませながら、ガンズーはキレた。

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― 新着の感想 ―
[一言] ここに来て主人公が急に無能感出してきたな 敵に情けはかけようとするわ、大事な護衛対象確認しないわで何やってんだろ 敵は薬使って形振り構わずきてるのに平和ボケしすぎでは?
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