鉄壁のガンズー、危険物
「ガンズー殿……その、頼んだものは買ってきていただけたろうか」
「あ、悪い。忘れた」
地団駄を踏んで怒るエウレーナを放って、ガンズーはその横に立つ女性に視線を移す。
ぽんやり笑顔をこちらへ向ける彼女は、ふわりと軽く頭を下げた。
「その節はお世話になりました~。改めまして、シウィーと申します~」
魔術師然としたローブを纏った彼女――シウィーはやはり柔らかな笑顔だ。
が、顔立ち自体はちょっと柔らかとは言い難い。鼻筋も顎もシュッと通っている細面には、化粧が映えそうなつり目が乗っかっていて、眉もやはり真っ直ぐだ。
狐みてぇな女だな、とガンズーは思った。そんな彼女の口からはずいぶんとのんびりした声音が出てくる。なんだか印象がちぐはぐだとも思った。
そしてガンズーはエウレーナを見た。狸みてぇだなと思った。
どうにも彼女たちは互いになにかが掛け違っている気がする。中身か外見かわからないが。
「おう、あんたも無事でよかった。んで、奥さん同士でなに話してたんだい?」
「あら~。奥さんですってエレちゃん。照れちゃうわね~」
「ヴィスク様もいないのに照れるもなにもないだろう……特にこれといった話をしていたわけではない。近況を聞いていただけだ」
近況というと、ヴィスクの調査状況ということで間違いないだろう。
特にこれということが無いのならば、やはり彼のほうでもあまり進展は無いのだろうか。
「あ、そうそう。あのね~エレちゃん。ガンズーさんも見てほしいんですけど~」
シウィーが袖や懐の中をごそごそ探る。あるいは、のったりのったり探る。
なかなか出てこない。
「……なに見りゃいいんだ?」
「シウィーはしょっちゅう無駄なものを拾っては懐に集めてな。こういうときは数分待たんと出てこんぞ」
あら~? あら~? などと言いながらシウィーはローブの中でもぞもぞ蠢いている。
大丈夫かこの女と思ってしまうが、これでも虹狩りの護送隊、その魔獣十数体をひとりで相手どる女傑である。人というものは見た目によらない――いや、見た目は合ってる。中身が合ってない――ものだ。
きっかり三分かかって彼女は目的のものを取り出した。
「これなんですけど~」
彼女の掌の上には、指先ほどの大きさの板が数枚ほど乗っていた。正方形で、茶色にザラついている。
ちょっと見るだけなら焼き菓子かなにかの欠片のようで、手に取ってみるとやはりビスケットのような質感だ。しかし思い切り噛まないと砕けなさそうという程度には堅い。
「なんだこれは。菓子でもくすねてきたのかシウィー。私の分はあるのか」
「エレちゃん食べちゃダメよ~。ちょっと危ないんだから~」
「危ねぇだと?」
シウィーが言うには、これはどうも薬物の一種らしい。
協会とは別に独自の調査を開始したヴィスクは、チンピラやゴロツキ、評判の悪い冒険者や停滞者の集まる酒場や賭場を片っ端から回った。
妙な仕事を斡旋する者を探していた。例えば、修道院の様子を探れだとか、虹瞳の子をかっさらってこいだとか。
いくつか回るうち、路地裏にある小さな酒場で主人からそれらしい話を聞いた。これがガンズーの困ったことに、まさに自分の話で盛り上がっていたらしい。そこから、虹瞳の子供の話に移った。
普段は見かけない者がいて、そいつが中心になって話題を煽っていたという。しかし不思議なことに、風体を思い出せない。
夜も更けて客もはけ始めたころ、そいつとその店によくたむろするうだつの上がらない冒険者たちがコソコソなにか話をしていて、一緒に店を出ていった。なぜかツケをまとめ払いしていった。
やっぱ誰かがやらせてんなと結論して店を出たところ、襲われた。
なかば浮浪者もどきの停滞者だった。ヴィスクなら片腕だろうと素手のまま目を閉じていても問題にしない相手。
だったのだが、
「凄いのよ~。これをね、いっぱい齧ったらピョーンって~」
「わからんぞシウィー」
「だからね~、ピョーンって。周りの壁をトントーンって蹴ってね~、アパートメントより高かったんじゃないかしら~。落ちてきたらボカンて地面に穴が開いちゃったの~。あのまま当たってたらヴィスク様死んじゃってたかも~」
「おいおい、ただの停滞者だろ?」
「そうですね~、それで脚も折れちゃってましたし、もともとあんまり強くはなかったのかもしれませんね~。お話もできないくらい興奮してたからわかりませんけど~。でも凄かったです~」
「シウィー! そういうことをなぜ早く言わんのだ! ヴィスク様は無事なんだろうな!?」
「もちろんよ~」
「その停滞者はどうした?」
「死んじゃいました~」
「返り討ちにしたのか?」
「いいえ~。それがヴィスク様とふたりでどうしようか迷ってたら、急に血を出して死んじゃったんです~。耳からピューって出るの初めて見ました~。あれも凄かったわ~」
胸元で両掌を組みほんわかと言うシウィー。
ガンズーは手中の欠片を見た。やはり小さなビスケットか煎餅のようにしか見えない。のだが、不穏な空気を纏い始めた気がする。
「薬物……? いやしかし、人間をそんな狂暴にするような薬なんてあんのか?」
「内海の向こうには薬物によってとてつもない戦闘力を発揮する戦士などもいると言われているから、そのたぐいかもしれんが……」
ガンズーもピアオラの丸薬など身体能力を増強する薬は持っている。
が、あれは身体に害を及ぼさない成分だけでできているし、あくまで一時的にわずかな強化を施すだけだ。
その辺の浮浪者が、特級冒険者に通用するほどになる。ちょっと常識外れにも程がある。どんな危険な成分が入っているかわかったものではない。というか服用者が死んでいる。危険すぎる。
魔王のいる時期でもなきゃどこか危ねぇ国が放っとかなさそうだな、とまで考えたところで、ガンズーは思い至った。
「これ、術性定着薬の一種じゃねーの?」
液状以外のものを聞いたことは無いが、固形にできないとも聞かない。
そもそもガンズーは術性定着薬の製法を知らないから当てずっぽうだが、そこまでの効果ならばそれ以外に考えられなかった。
「はい~。ちょっと調べてみようと思ってます~。食べてみればすぐわかるんですけどね~。エレちゃん試しに齧ってみて~」
「先ほど危ないと言ったばかりではないか……」
「しかしアージ・デッソにゃ色んなもんが集まるが、とんでもねぇ代物が出てきたもんだなぁ」
「問題はこれ自体じゃありませんよ~」
シウィーが相変わらずの調子で言う。
「私たちは調査中に襲われたんです~」
「……あ」
「他にもこれを持ってる人がいるかもしれませんね~」
◇
マデレックという商人と『黒鉄の矛』についてヴィスクに調べてもらうようシウィーに連絡を頼み、その場は別れた。
例の薬物はいくつかあったので、ひとつ手元に預かっている。下手に持っているところを見つかるとマズそうなので、慎重に道具袋の奥へしまった。
今日は晩飯を抜いて頑張らなければならんかな、と考えていたが、なんとフロリカがひとり分を取り置いてくれていた。
「勝手に出てってすっぽかしたのに、悪いな」
「いいえ。ラダ様から仕事の上のことと聞いてますので」
昼間にも使った本院の応接室を食堂代わりにさせてもらう。
昨日と同じ夕食のメニューをもそもそと食べていると、彼女はわざわざティーポットまで持ってきてくれた。
「……ノノ、怒ってなかったか?」
「ずっと口を尖らせていましたよ。あとで顔を見せてあげてください。それにノノちゃんだけじゃありません。パウラちゃんもアスターくんも、他の子たちも。ガンズー様はすっかり懐かれてますね」
茶を注ぎながらそういう彼女を、シチューを啜りながら覗き見る。
今回は全力で気をつけているので、顔しか見ない。見ないったら見ない。
とりあえず、ごく普通の対応をしてくれている。いや、むしろ親切すぎるくらいかもしれない。
まぁ、変に気にしすぎるよりいいのかな。ガンズーはそう結論した。
温野菜の最後のひと摘みを口に放りこみ、淹れてもらった茶を啜ると、ほんのりミントの香りがした。
「ありゃ、ミントか」
「あ、苦手でしたか?」
「いやいや、うまいぜ。珍しいなと思ってよ。修道院でもこういう茶を置いてんだなぁ」
「いえ、実はこれ、私が個人的に作っているもので」
「へぇすげぇな。嫌いじゃねぇぞ俺これ」
「そ、そうですか?」
「おう。食後にゃぴったりだ。毎日出してくれてもいいくらいだな」
温かなミント茶にほっと一息してみれば、フロリカは再び顔を赤くしていた。断じて胸のほうは見ていない。
なにかしくじったろうか、と思っていると、彼女はひとつ咳払いをして、
「その、それじゃあ、こちらの食器下げますね」
「お、おう、すまん」
「えと、ティーポットは置いておいてくれればかまいませんので。あとで取りに来ますから」
気にするよりいいとした途端に謎のぎくしゃくが発生して、ガンズーはなぜだか姿勢を正した。
目の前の食器をフロリカは手早く片付けてくれる。
ひとつ思いついて、応接室を去ろうとする彼女の背中に声をかけた。
「なぁ、ついでで悪いが、ラダがその辺にいたら呼んでくれねぇか」
「ラダ様ですか? はい、わかりました」
ソファにひとり座り、茶を啜る。
のんびり話をするなら、こういうものがあったほうがいい。
応接室にはチェストがあって、幸いにもいくつかのカップが収められていた。
それをひとつ、ローテーブルの向かい側に。ティーポットから茶を注ぐとまだ十分に温かいようで、かすかな湯気と共にミントの香りが広がる。
「……ガンズーさんの手ずから、となるとなにやら緊張しますな」
「なんかヴィスクにも似たようなこと言われたな」
向かいに座ったラダは、実に優雅な仕草でカップを口に傾けた。
「これはなかなか」
「だよな。ここの修道女が個人的に作ってるんだってよ」
「ほう。売り物にしても通用しそうですね」
彼がカップを置く。ほんのわずかな音も立てなかった。
「――お話があるとか。日中になにかありましたでしょうか?」
「おう」
ガンズーも茶で口を湿らせると、カップを置く。カチャンと乱暴な音が響いた。
腕組みをして、正面のラダを見て、天井を見て、カップを見て、もう一度ラダを見た。
「昼によあんたよ、自分のこと間者だとか冗談で言ったろ」
「ええ。そんなことも言いました」
「あれ、まるっきり冗談ってわけでもねぇだろ」
ラダの表情は動かない。
ソファに浅く座り、膝の上で両手を組んでいる。
「……私が密通していると?」
「いや、そういうわけじゃねぇ。意味ねぇもん。あんたならどっか適当なタイミングでとっくに、パウラでもアスターでも、まぁ、ノノでもそうなんだが、かっさらって消えることできるだろ」
「そうですね。できないとは言いません」
「だろ。だからそういうんじゃなくて……あー……」
少し考えてから、ガンズーは自分のカップに残っていた茶を呷った。
もう一杯注ぎ、一気に飲み干した。温度が下がっていてよかった。
「まどろっこしいのやめっか。『黒鉄の矛』について教えてくれ」
「他にも詳しい者はおると思われますが」
「まぁエウレーナなんかもよく知ってたからな。そうかもな。でも俺が聞きてぇのはそれじゃねぇんだ」
「私から聞かねばならぬのですか?」
「あんたから聞かなきゃなんねぇ」
微動だにしなかったラダは、そこでようやく少し動いた。
目を閉じ、片手で顎髭を撫でる。元はおそらく黒だったろうその髭も、今は白いもののほうが多い。
改めて見れば、彼も相応に年老いた男だった。
「よく考えりゃよ、なんで協会から来たのがラダだったのかなって思ってよ。協会もそれなりに層は厚いんだろうが、それにしたってあんた最上級クラスだろ。特級冒険者がもうふたりいて、そこに寄越すにゃ過剰だ」
「…………」
「まぁ虹瞳三人だし、この修道院自体も大事だが、それにしたってな。周囲の警戒ってだけならもう少し若いのを何人かでも済んだはずだぜ。最初にノノたちが来た日みたいにな」
目を閉じたままの男は、やはりそのままカップに手を伸ばし、一口。
ガンズーは置かれたカップに茶を注ぎ足してやり、自分の分も注いだ。それでティーポットの中身は空になってしまった。
「最近アージ・デッソに来た冒険者。まぁ沢山いるわな。だが『黒鉄の矛』なんてでかいパーティを協会が捕捉してねぇわけがねぇんだ。しかもこの街じゃ有名ってんだからよ」
「……他の国でも、それなりの成果を出しておりますね」
しばらく黙していたラダが口を挟んだ。
「やっぱ、情報は仕入れてんだな」
「個人的にです」
「だろうよ。だから協会が対象を絞りきれてねぇってのも本当なんだろ。でもあんた、連中の規模や人員の能力もある程度は知ってんじゃねぇのか?」
「詳しいわけでは……そうですね。予測はつきます」
「そうか。どうだい? あんたと対抗できるような冒険者、いるかい? 他に思いつくかい?」
彼は目を開き、ガンズーを正面から見据える。
それからまた少し目を伏せて、なにか考えているようだった。ほんの数秒、沈黙が落ちてから、
「――まず、彼らで間違いないでしょう」
そう言った。
「……だからここの護衛に自分から名乗り出た」
「そのとおりです」
「やっぱあんた、見当がついてたんだな」
「申し訳ありません」
「いや、そりゃいいんだ。確証は無かったんだろ?」
「はい。人を動かせるようなものはございませんでした」
それは今日のガンズーと同じだ。
それだけで直接『黒鉄の矛』を叩いたとしても、のらりくらりとかわされて、そして街から出られてしまえば終わりだ。
あるいはだからこそ、彼はここを守護することを選んだのかもしれない。
だが彼にはきっと、自ら動く理由がもっとあったのだろう。ガンズーなどよりも判断材料ははるかに多いはずだ。
「教えてくれねぇか。あんたの古巣について。ザンブルムスってリーダーや、バシェットって男のことも知ってるだろ?」
ラダの髭を撫でていた手が一瞬ほど止まった。
「私は迷っています」
それから手を下ろし、また膝元で両手を組む。
「ザムは――ザンブルムスは」
ぽつりと言った。
「いえ、我々は……妄執の人間です」




