鉄壁のガンズー、協会へ
バスコー冒険者協会アージ・デッソ支部は、街の中央近く、区画としては南西部に位置していた。
なかなか大きな建物で、町の中心部にある噴水広場からその屋根を確認することもできたので、細かく道を聞かずとも辿り着けた。
支部は繋がった二棟の建物で構成されている。屋根が見えた高い側が事務所、その右手に一段低い建物があり、そちらは受付所。主に冒険者および利用者が出入りするのは後者だ。
冒険者であり、事務所に用事など無いガンズーは、迷わず右側に入った。
朝一の混雑する時間を過ぎたというのに、中はまだそれなりに人が多かった。
斡旋手続きの受付前には新人から中堅あたりと見受けられる冒険者たちが幾人ほどたむろしていて、依頼の張り出された掲示板の前も同様だった。依頼受付の前には町人だろう依頼者が数人、列を作っている。
奥の新規受付に三人の若者が立っているのが見えた。これから冒険者の道を歩み始める新人だろう。この時間ならきっと面談も試験も終えていざ初仕事となるはずだ。頑張れよ、とガンズーはどこからかよくわからない目線で思った。
「これはこれは、鉄壁のガンズー殿! よくぞいらっしゃいました」
そして目の前には、ほんのり太り気味の、ちょび髭を生やした男がいた。
周囲の視線がこちらに集まる。「ガンズー?」「マジで?」「誰?」「あれだよ勇者の」「あーあの鉄壁の」「首を飛ばされても死なないとかいう」「嘘だろアンデッドじゃん」嘘だよ。さすがにそりゃ死ぬわ。
「……俺、お邪魔するなんて連絡よこしたっけかな」
「なにをおっしゃいます。ガンズー殿ほどのかたです。窓からでもひと目でわかりましたとも。このボンドビー、伊達に統括をやっておりません」
そう言って胸を張るちょび髭、ボンドビーの胸に下げられた札には『冒険者協会アージ・デッソ支部長』と書かれている。
面倒なのに捕まったかもしれない、とガンズーは思った。
「そうかい。悪いんだが俺は今日、ちょっと覗きに来ただけでよ。仕事しに来たんでも、茶ぁ飲みにきたわけでもなくてだな――」
「いやいや、わかっております。勇者トルム様がたが今朝ほど再び遺跡群へ向かった矢先、ガンズー殿が来られたわけですから。単独での大事なお休みの機会を奪うようなつもりはございません」
ガンズーは眉を上げた。表情を隠せるような余地はなかった。
そうか。トルムたちは向かったのか。素直に、ガンズー抜きで。
自分が言いだしたことだというのに、やたら寂しいような気がしてしまって、そう思っていることがさらにガンズーをうんざりさせた。
未練がましく、緩慢に思考を切り替える。
ボンドビーという男、伊達に支部長などやっていないというのは確かだった。あるいは、この街の協会が伊達ではない。
繰り返すが、トルムたちは動向を喧伝したりしていない。細かい予定などなおさら。今朝の彼らの動きを把握するとしたら、三頭の蛇亭の主人あたりが逐一細かく報告でもしなければならないが、滞在中、そんな様子は無かった。
街中の情報をさまざまな所から集めているのだろう。あるいは街の外からも集めているのだろう。トルムたちを注視することは協会としては当然だろうが、つねから優秀な情報網を構築していなければ不可能な仕事だ。
そこまで考えて気づいた。
昨日の喧嘩も把握している?
「ですがガンズー殿も勇者様と志を同じくする方。知らぬ間に無辜の人々が苦しい思いをしているなどとなれば、許せるものではないのでは。そんなふうに思いましてな。せめてお耳にはお届けしようと、こうして一般には公開の難しい依頼をお持ちしました。なにせ勇者様がたの主力、鉄壁のガンズー殿ですからな」
あ、こいつ知っとるわ。俺が離脱したこと。
おずおずと依頼書の束を見せてくるボンドビーだったが、その目は自信満々であった。
ガンズーを賓客のように迎えておいて、わざわざ奥へ呼んだりせず周囲に人が居るこの広間で話しかけてきたのが不思議だったが、人が周りにいる状態で押し切ってしまおうというのだ。面倒な依頼の押しつけを。
なにせ相手、つまりガンズーには今、弱みがある。周りからの憧れやら賞賛やら嫉妬やらの目がある。
べつに断ってもいいだろう。俺はもう勇者の仲間じゃないと宣言したっていい。気ままなひとりの冒険者ガンズーでいい。
いや待て。
自分は完全にトルムたちから離れたというわけではない。一時的なものだ。多分そうだ。俺の評判はそのままトルムたちのものだ。
いやしかし、あれだけ騒いで彼らを罵倒してパーティ崩壊寸前まで追いこんでおいて、素直に戻れるのか。いやしかし、彼らならどんなことがあっても最後には自分を迎え入れてくれるだろう。いやしかし、俺は俺自身がどの面さげてと思っているのだから。いやしかし、俺たちの絆は。いやしかし。
疑心暗鬼に陥ったガンズーは、震えそうな手で依頼書を受け取るしかなかった。
「……見るだけならな」
「まったくかまいません! 頭に入れておいていただけるだけでも、私としては感謝のしようがございません! ……正直なところ、本当に困っていたのです。貴方のような人でなければ、手に余るものがありまして」
小声になった後半は、おそらく本音だった。
打算もあろうが、そして勝機を見たのもあろうが、そこに関しては本当だったのだろう。ガンズーなみの能力を持つ冒険者はそうそういない。
ほがらかに笑っていたかと思えば、ガンズーにだけは見えるように申し訳なさそうな憔悴したような顔を向ける。狸だった。そのちょび髭を引っこ抜きたかった。
仕方なくガンズーは数枚の依頼書をめくる。
亜竜赤色種討伐。こんなもん特級冒険者をかき集めればなんとかなるだろう。
瘴界封印。まず国か教会に言え。俺みたいな脳筋だけが来たらどうすんだ。
遺跡深部の建材採取。今度は逆に国からの依頼かよ。自前の軍でどうにかしろ。
エーレアローク山の植物採取。誰だ魔王本拠の代物なんて欲しがる奴は。
「あ? なんだこりゃ」
最後にひとつ、気になるものがあった。
『捧物追跡』
捧物。
そのままの意味で受け取れば神様への供物か何かである。
しかし、この地においてはそれだけを指すものではない。神がいるならその反対も実際に存在しているのだから。
魔王へ捧げる貢物。
虹色の眼を持った人間のことを言う。
「虹狩りの足取りを見付けたのか?」
ガンズーはうめいた。脳裏に仲間のひとり、セノアの顔が浮かぶ。
これまで魔王の勢力はこのスエス半島各地に手を広げていた。バスコー王国しかり、マーシフラ公国しかり、ダンドリノ国しかり、ハーミシュ・ローク都市同盟しかり。
そしてその全てで共通して行われていたのが、虹瞳を持つ者の捜索と略取――俗に、虹狩りと呼ばれていた。
大抵は子供だった。当然のことではある。この地に現在の魔王を名乗る脅威が現れて五十年強。ただでさえ希少な彼らにそんなことが行われ続けていれば、生き残って長じる者は少ない。
魔物によって直に襲撃される者。近隣の安寧と引き換えに生贄として捧げられる者。逆に自ら身を呈する者。
自然、人間にも虹瞳の子供をかどわかし、魔族へ引き渡して対価を得ようとする者もいた。親に売られた者もいるし、親ごと差し出された者もいる。初めからいなかったことにされた者だっている。
魔物がなにゆえもって彼ら彼女らを集めているのかは分からない。
ただ推測はいくつか。
百人にひとりあるいは千人にひとりとも言われる虹の眼は、類稀なマナの素養を表わす。それを脅威としているためというものがひとつ。
あるいは、マナへの高い素養は転じて瘴気への純化にも適する。魔獣化を引き起こしやすいのだ。人間の魔獣化、すなわち魔族化。魔王は眷族を増やそうと試みているというものがひとつ。
次はごく単純。餌のためだ。虹の眼は魔物にとっては最良の栄養となる。
他にも、マナの触媒として何かに利用するためとも言われている。人間が魔獣の水晶体を採って魔導具の核石として用いるのと同じように。
ガンズーたちは各地を巡って魔王の勢力と戦い、これを撃退してきた。
バスコー王国とマーシフラ公国の連合軍と共に、魔王の征伐軍を押し返したのが一年ほど前のことだった。このアージ・デッソにやって来るよりも前の出来事だ。
おかげでしばらく敵を大人しくさせることができている。しかし虹狩りが止んだわけではない。半島の全てに手は届かないのだ。
ともあれ、虹狩りはさまざまな手段でその捧物を魔王の元へ運ぶ。
鳥型の魔獣でもって空を去っていったこともあれば、カルドゥメクトリ山脈から流れる大いなるヴァーユ河を船でさかのぼっていったこともあるらしい。魔族がじきじきにやってきて、不可思議な魔術で消えてしまったなんて話もある。
そして当然、魔獣の馬車が陸路を行くこともある。
依頼書には、その虹狩りの馬車が向かうだろう道行が記されていた。
「おや……? おお、これは失礼いたしました。ガンズー殿、これは斡旋済みでございます」
「斡旋済みだと?」
「左様で。喫緊だったもので、別けそこねておりましたな」
「急ぎっつったってお前、虹狩りの護送隊が相手だろ。俺も一度やりあったことがあるが、並みじゃねぇぞ。よく受けさせたな」
「はい。街中から至急、腕の立つ者をかき集めました。おかげで亜竜にまで手が回らなくなってしまった次第です」
こっちの亜竜退治はそういうことか。手元の依頼書をめくってガンズーは思う。
「それにしたってな。これこそ、俺た――トルムに要請したってよかったんじゃねぇか?」
「残念ながら、皆さま遺跡に潜られていたあいだのことでしたので。昨日の内に待ち伏せ地点へ入らなければならなかったのです」
「依頼受付が二日前、期限が昨日……あぁ、まぁ、そうか」
アージ・デッソから遺跡群には丸一日近くかけて移動する。
そしてガンズーたちは探索に潜るとそのまま数日かける事が多かった。前回は二週間ほど潜りっぱなしだった。
「依頼者に護送隊の行動を追った冒険者本人がおりまして、彼の子供が連れ去られたようなのです。連中はそのまま各所を辿って、さらにこの街の近くでも子供の取引をしたようでしてな。どうにかそこから山道へのルートを導きだしたのです。とはいえその時点で時間はほぼありませんでした」
「なるほどな。任せた奴らは大丈夫そうなのか?」
「えぇ。その冒険者に加えて上級冒険者五名の『雪の篝火』。それに特級冒険者が三名の『イースファラ』。青鱗のヴィスク殿を筆頭にした混成部隊を組んでいただきました」
「ヴィスク! 知ってるぜ。手練れだ。それなら間違いはなさそうか」
遺跡探索中に出会ったことのある名前だ。
亜竜青色種の皮鎧を身にまとった凄腕だった。同じく特級冒険者である二人の女冒険者を連れ、終始いちゃいちゃしていたが、三人とも間違いなく強かった。
炎の魔術を使い近接戦もこなす魔術騎士に、大地を自在に操り広範囲の敵を相手どる魔術師、そして敵の攻撃を軽くいなし触れさせもしない二刀の剣士ヴィスク。
知った冒険者のパーティ名を聞いてガンズーは安心した。
そういえば、結局トルムたちとはちゃんとしたパーティ名というものを決めないままこれまでやってきた。最初はあれやこれやと考えていたが、冒険者協会の斡旋を受ける機会がだんだんと減って、いつしか誰も言い出さなくなってしまった。
いま協会に登録されている名前は何だったろうか。
遺跡に入る認可を受けるため決めたのが最後だったはずだから、たしかあのときは――そうだ、レイスンが適当に『勇者トルムとその仲間』とか味も素っ気もない名前を通したのだった。
「護送隊が山道を通過するとすれば昨日から今日にかけてと思われますので、早ければそろそろお戻りになられると思うのですが――」
ボンドビーがそう言ったまさにその時だった。
協会の外から、だかだかと馬の蹄が石畳を叩く音が聞こえた。次いで馬のいななき。そのヴィスクたちが帰ってきたのだろうか。
そう思ったが、妙だ。総勢で九人にしては、蹄の音が少ない。一匹分?
そして――次に聞こえたのは、悲鳴だった。
思わずガンズーは、ボンドビーと共に協会の入り口を振り返った。
扉が叩くように開け放たれる。
現れたのは、体中に傷を負いおびただしい血に塗れた青い鎧の男と、彼に背負われたもはや瀕死の女だった。
協会の中が騒然とする。
「ヴィスク殿!?」
ボンドビーが駆け寄った。
ヴィスクと呼ばれた男はその場で崩れ落ちたが、なんとか膝をついて踏みとどまり、背の女をゆっくりと下ろして横たえさせた。
「わ……わりぃ支部長……しくじった……とんでもないのがいやがった……」
「おお、なんてこと! ほ、他の者は!?」
「追って行っちまった……逃げろっつったのに、ま、まだ戦ってるかもしれねぇ……だ、だけどまず、頼む、医者か、魔療師を。エウレーナが死んじまう」
「おい誰か! オプソン先生を呼んできなさい! 早く!」
ボンドビーが叫び、横でうろたえながら成り行きを見ていた職員が奥へ走る。協会付きの医者を呼びに行ったのだろう。
ガンズーは床へ寝かされたエウレーナという女性の元へしゃがみこんだ。顔や肩や足にもところどころ傷があるが、最も酷いのは脇腹のものだ。大きく割け、内臓がこぼれるすんでのところだった。血ではない体液までにじんでいる。
ヴィスクが弱々しくこちらを見た。
「おお……? よ、よう、ガンズーじゃないか……変なとこ見せちゃったなぁ……なんでこんなとこ居るんだあんた……」
「ほうっとけ。おい支部長さんよ。その先生だかってのは魔療師か?」
「い、いえ医者です。医療魔術も多少はできますが――」
「それじゃ間に合わないかもしんねぇ。おい! 誰でもいいから、魔療師を呼んでこい! 教会でもいい! 文句言うようなら俺でも勇者トルムの名前でもなんでも使え!」
勝手にトルムの名前を拝借するが仕方ない。それどころではないのだ。
初級冒険者らしき若者が数人、すぐ呼んできますと叫んで出ていった。行動が早いということはなにより良い才能だ。
それからガンズーは腰の道具入れを開いた。小さな木筒を取り出して、中の薬液をエウレーナの脇腹へ注ぎかける。傷口からしうしうと煙が上がった。さらに丸薬をつまみ出すと指先で潰し、彼女の口内へすりこんだ。
彼女の浅く早い呼吸に、死ぬなよと祈る。
協会の事務所側へ繋がる通路から、白衣を着た中年の男がばたばたと慌てて走ってきた。オプソンとかいう医者のようだ。
ヴィスクとエウレーナの容態を見て一瞬ほど息を飲む彼に、ガンズーは立ち上がって言った。
「お医者先生か」
「あ、ああ」
「女の方がやべぇ。腹の中までやられちまってる。いま魔療師を呼びに行かせてるから、下手に塞ぐよりも再生魔術をかけてからの方が良い。術性定着薬をかけたし鎮静剤も飲ませたからもうしばらくは大丈夫と思うが。男の方は――」
「お、俺は……平気……」
「強がってるが、左腕の折れ方がまずい。あれは魔術じゃ変なくっつき方しちまうかもしれねぇから、あんたなんとかしてくれ」
「ああ、分かった。感謝する」
「よし。支部長! おいボンドビー!」
周りで右往左往する職員やら冒険者やらにあれこれ指示をしていたボンドビーが振り返った。
「馬を貸せ! なるべくでかくて、速いやつだ!」