鉄壁のガンズー、さがしもの
蔦のボールを、適当に拵えた棒でぽこんと打ち上げる。
落ちる辺りに男の子たちが群がってわちゃわちゃ押し合ううち、ボールを掴んだのはアスターだった。
「ガンズー、やった!」
「おう、やるなぁアスター」
彼は会心の笑みを浮かべると、渾身の力でもってボールをガンズーへ投げ返す。
ツーバウンドで戻ってきたそれを掴むと、ガンズーは再び打ち上げた。
「それはなんという遊びなのだ?」
「ノック……あーいや、野球、かな」
「やきゅう?」
「おう」
背後の草むらではエウレーナが女の子たちに花冠の作り方を教えていて、パウラはいかに花弁を美しく前方へ見せるかにこだわり、ノノはひたすら太く大きく作ることを目的にしている。
遊ぶのは仕事のうちではない、と渋っていたエウレーナだが、子供たちに騎士様騎士様とおだてられるとあっさり折れて、あまり騎士っぽいとは言えない遊び方をし始めたが、子供たちは喜んでいるのでよしとする。
ラダは院長の許可を得て、修道士と共に塀の修復に回っているらしい。
以前、ノノが抜けだしたと思われる小さな穴はすでに塞がれていたが、他にも脆くなっている箇所がいくらかあったので、ラダが見立てて重点的に補修をするのだそうだ。
年長の子が腰の入ったカーブを投げてきたので、受け取るのにちょっと苦労しながら、ガンズーはぼんやりと空を眺めた。
薄暗い。雲はぶ厚くなってきて、太陽の姿が見えない。
雨が来るかもなぁ、とガンズーは思った。
「ガンズー次!」
「高く、高く!」
子供たちにそう言われたので、ガンズーは可能な限り垂直に、かなり気合を入れてボールを打ち上げた。
雲に突き刺さるがごとくボールは飛んでいき、灰色のキャンバスの下に小さな点となる。
「すげー、たけー!」
「見えねー!」
「ガンズーすげー!」
「おっぱいガンズーすげー!」
やめんかい。
冒険者ふたりの遺体は、憲兵を呼んで引き取ってもらった。
協会からある程度の話は行っていたようで、ラダが二、三言ほどやり取りすると特に子細を聞かれることなく引き上げていった。
あれから怪しい気配は無い。
交代の時間になり起きてきたエウレーナは、その間の事情を聞くと表情を険しくしたが、少々空回りになったようだ。
ガンズーもそうだった。仮眠をとるにも心配が先に来て、いまいち寝つけなかった。再びなにかあればすぐに起き出そうとしていたのもある。
そうして、以降はなんら異変も無く修道女たちが起きだし、子供たちも起きて朝食の時間となったため、警戒態勢はひとまず解除となった。
朝食の場にはなぜかフロリカの姿が見えず、安堵したような心配なような気持ちになって、ガンズーはほど近くにいた年かさの修道女にこっそり聞いてみた。
部屋には居たが、起きてこなかったとのこと。いいのかと思ったが、叱られるだろうが今日くらいはいいのだと言う。と同時に非難めいた目を向けられた。お前が聞くんかいとその目が言っていた。
ガンズーはつとめて静かに朝食をとった。ノノが不思議そうに見ていた。
「パウラとアスターを他の場所へ移すという手もあるのではなかろうか」
休憩と言って、棒とボールを年長の男の子に任せベンチに座ると、エウレーナも隣に座ってそんなことを言った。
「移すったってどこによ」
「協会支部などだ。しばらく泊まる設備くらいはあるだろう。少なくとも警戒の目は多くできる。あとは、ガンズー殿の家はどうだ。ノノも一緒に見ることができるであろう」
「ウチはダメだ。狭いし、街ん中から離れすぎてる。協会もどうだろな。職員の連中だってかかりっきりにゃなれねぇし、それこそ冒険者は出入り楽だろ」
「む……領主に相談して間借りするというのはどうだろう。領主の館ならばそれこそ衛兵に不足せん」
「領主ねぇ……つったってよ、向こうさんが様子見で抑えるつもりなら、ここと大して変んねぇぞ。出入りなんざどこで見られてるかわかんねぇんだ。どうせ移ったのなんかすぐにバレるだろうしよ」
「むむ」
「それに」
「なんだ?」
「俺は領主のことよく知らねぇからな。最悪の場合、領主があっち側って話もありうる」
「む、む、む……私も親しいわけではないが、そんな方ではないと思う」
「まぁそうかもしんねぇけど、下手に動くのもどうかねぇ……まぁ、ラダが戻ってきたら院長とも含めて相談してみっか」
そんな話をしていると、パウラがやってきた。花冠をふたつ持っている。
「ガンズー、あげる」
「お? おうあんがとな。うめぇもんじゃねぇか」
「騎士さまもあげる」
「え?」
ガンズーが頭に冠を被ったのを確認して、パウラはニコニコしながら戻っていった。次は自分の分を作るつもりかもしれない。
隣に目を移すと、エウレーナは受け取った冠をじっと見ていた。
「おめーら結婚してんだろ。子供ほしいとか言わねーの?」
「……今ちょっと考えた」
「あそ」
ノノもやってきた。その手にはやたら縦に伸びた草の筒ができあがっていて、花冠と呼ぶより烏帽子のようだったが、とりあえずガンズーは被った。
◇
「移動するのはお勧めしかねます」
昼食を終えて先ほどの提案をラダにしてみると、そう却下された。
「やっぱそうか?」
「はい。それが狙いでしょうから」
「ラダ殿、どういうことだ?」
「エウレーナさん。連中がわざわざチンピラを寄越してくるのはなぜでしょう」
「それはやはり見取り図なんかも持っていたわけで……侵入路を探したり、その機会をうかがっているのではないか?」
「そうですね、雇われた者たちはそうとしか聞かされてないでしょう。ですがそちらに意味はあまりありませんな」
「まぁ、俺たちもいるっつーのに真っ正直に潜りこむバカいねぇわな」
「囮……? いや、こちらが焦れるのを待っているということか」
エウレーナが得心がいったようにパッと顔を上げる。
顎に手を当てて考えている素振りだが、その手が上がりすぎて両頬の肉をもっちり持ち上げている。本人は真面目にしているのだろうが、妙に間抜けだ。
「そう推測します。この院の中にいるうちは向こうの手も限られますが、動こうとすればどうしても綻びが出る。私なら、そこを狙います」
「つったってお前、逆にガチガチに固められても困んだろ。実際に俺たちが今ここにいるみたいによ」
「……私は間者です」
「は?」
「嘘です。ですが相応の力があり、まったく完全に信用できる者となると多くはありませんので。人員を増やせば、どうしても紛れはあるでしょう」
「あー……あー。それはいかんな。いかん」
「はい。いかんです。正直、なかなか嫌なプレッシャーですね。それに――あ、いえ失礼しました」
「なんだ?」
「いえ。やはり出自の怪しい者を護衛として増やす事態は不安だな、と」
目を伏せて顎髭をするすると撫でながら言うラダを見てみても、特に変わりは無い。
だがなにか歯切れの悪いものを感じて、ガンズーは少し額に皴を寄せた。
黙して聞いていたハンネ院長は深く頭を傾けて眉間を押さえる。
「弱りましたね……もうすぐ第二火曜です。先月のように途上で襲撃される可能性もあるということですね」
「さすがに今月は見送るってわけにゃいかねぇですか?」
「こればかりはどうにも。何人かだけ置いて、パウラさんとアスターさんには街に残ってもらうほうがよいでしょうか」
「……本当に最悪の場合、という可能性の話として聞いていただきたいのですが」
ラダが髭から手を離さずに続ける。
「人が少なくなればなるだけ、強引な手段はとりやすくなります。護衛がいるとはいえ、火でも放てば混乱させられますな。殺す相手も少ないほうがいい。そこまでするつもりがあるならば、ですが」
「あぁ……陽神よ、どうかご加護を」
その太陽はすっかり雲に隠れてしまっている。雨が降りそうで降らない天気が続いているが、そろそろ勝敗が決しそうだ。
「できればその来週の火曜までにゃどうにかしてぇな」
「そうは言うが、協会の調査もどこまで及んでいるかわからんではないか」
「今朝がた来た連絡員によりますと、ここ最近でアージ・デッソに入った冒険者や商人からある程度の選別はしたものの、進捗は芳しくありませんようで」
いつの間にそんな情報を得てんだこの男は。
とりあえずラダに任せておけば協会との繋ぎには困らないらしい。なんとも便利というか、怖いというか。
結局のところ、こちらがとれる手段は少ない。
敵もじっくり時間をかけた対応をしてくるというのならば、なおさらそうだ。もしかしたら、院の者が外に出る第二火曜を待っているということも考えられる。
ガンズーにできることは少ない。
が、できることがあるならば、それくらいはやっておこう。
「なぁ、悪いんだがちょっと出てきてもいいか?」
「なんだガンズー殿。夜食でも買いに行くのか」
「違ぇっての。いやちょっとな」
「なにか当てがございましたか?」
「んー……いやいちおう、念のためってくらいでな。まったく見当外れでもおかしくねぇから、まぁ、戻ったら話すぜ」
そう言って、会議室がわりの本院応接間を後にする。
背中に「ガンズー殿、暇があれば干物でも買ってきてもらえんか」とエウレーナから言われたので、覚えていたらということにした。
「あ」
「あ」
ちょうど本院を出たところでフロリカにはち合わせたので、お使いの件はその場で完全に忘れた。
「あ、あの……お顔を上げてください」
反射的に正座して頭を下げたガンズーに、フロリカの優しい言葉が降る。
彼女もわざわざ膝をついている。
「いやその、なんつーか、正面から顔合わせんのも申し訳ねぇっつーか」
「そんなにしていただかなくても大丈夫ですから。私、ほんとぜんぜん気にしてませんから。事故だったのもわかってますし、お風呂の時間をちゃんとお伝えしてなかったこちらも悪いんです」
「しかしその、そうだとしてもこう、面目ないというか」
「もう! そんなふうにされたら私が困ります!」
謝る相手を困らせるのもよくない。
お言葉に甘えて頭を上げると、フロリカの怒ったような困ったような顔が待っていて、それで逆にことさらの遺恨は無いことがわかりガンズーは安心した。
「いや、本当に悪かった。自慢じゃねぇが俺は忘れっぽい人間なんで、忘れるったら忘れる。そこんところもうほんと安心してくれ――」
ところでガンズーは今、地面に正座して背中を丸め、顔だけを上げている。
フロリカは膝をついて、こちらに手を伸ばしかけていた。
ところで人間の視線というものは、自身が思う以上に無意識を反映する。
ガンズーは頑張った。だいぶ頑張った。もし最初から気をつけていようと思っていたなら、きっと無意識を強い意志で抑えこめた。
頑張ったが、フロリカの顔を見ようとした目線は一瞬だけ、胸のほうに行った。
あまつさえ、やっぱ着やせしてんな、とか思った。
やっべ、と思い目線を顔に戻した時には、彼女の顔は真っ赤になっていた。
「……ほ、ほんと、気にしませんから」
言葉のとおり、フロリカは気にしないようにしたのだろう。
赤い顔をプルプルさせ、泣き上戸の彼女だからやっぱり目尻にちょっと涙が浮きだしていたが、気にしていないのだ。
ガンズーは地面に額を打ちつけた。
この世界に土下座の概念は無い。無いけどとにかく打ちつけた。
フロリカは謎の自傷行為をする男を相手に、ひたすらおろおろした。
修道士が怪訝に声をかけてくるまで、ふたりはそうしていた。
◇
アージ・デッソ南東区画は冒険者酒場や娼館の集まる夜街が広いが、それですべてが占められているわけではない。
その近辺で働く者たちが住むアパートメントなんかも多いし、アージェ川に沿う東西大通りの近く辺りはそこそこ大きい邸宅が並ぶ。
北東区画に比べると、あまり趣味がいいとは言えない屋敷や、逆に屋敷と言うにはずいぶんと質素な外観のものが多い。
この辺りの屋敷は入れ替わりが激しい。
成り上がりの冒険者や当代限りの商人なんかがおもな入居者なので、近くの夜街から女がひっきりなしに訪れていたかと思えば、ある日いきなり家主が消えたりもする。
要するに、成金が集まる場所だ。あとは、永住するつもりのない金持ちが一時的に住みつく。
ガンズーはその住宅地をぶらぶらと歩き、結局たしかなものはなにも発見できないまま合祀教会に辿り着き、端まで来てしまったことに気づいた。
(さすがに門だけ眺めるだけじゃなぁ)
寺のような外観に、屋根にだけ丁字架がくっついた合祀教会のちぐはぐな姿を眺めながら呻く。
馬車を探していた。豪華な装飾のされた箱馬車。
適当に屋敷の前にでも繋がれていてくれればよかったのだが、そう簡単にはいかないらしい。
商人。
金を持った。
最近になって街に。
爺。
ひと晩たって、ガンズーはハーミシュ・ローク都市同盟の地下教団について話をしたときのことを思い出した。
マデレックという老商人の姿が脳裏に浮かぶ。浮かばせようとしたが、どうにも記憶はおぼろげだ。
(あの爺さんがそれそのものなんてこたねぇだろうけどよ)
口内で独りごちる。
彼が今回の件の黒幕である。などという短絡的な考えをしているわけではない。
ただ、奇妙な符号が気になってしまって、話を聞いてみたいと思ったのだ。
おぼろげな記憶をどうにかこうにか引っぱり出す。一介の行商に似合わぬ豪華な箱馬車。貴族と見まがう上質な服装。
何度も何度もこちらを見ていた。ガンズーよりもノノを。
さて、あの目はなんだったのだろうか。老人が幼子を眺める慈愛の目か。それとも、商品を値踏みする商人の目か。
ともあれ、当人がなにかあれば訪ねてくれと言っていたんだし、独自の情報網も持っているようだからきっと顔も広い。なにか有力な情報があるかもしれない。
しかし困ったことに彼がどこにいるのかわからない。
街の入出管理や商人協会ででも聞けばわかるかもしれないが、大っぴらに探すのもちょっとよろしくない。彼が本当に敵であった場合、逃げ出されても困る。
だから、外から来た金持ちが落ち着くならこの住宅地だろうと当たりをつけたのだが、見て回るだけで見つかるものでもなかった。
一軒ずつ訪ねてみるしかねぇかなぁ、とガンズーが合祀教会の外柵に寄りかかって考えていると、
「なにしてんすか? お師さん」
弟子一号に声をかけられた。




