鉄壁のガンズー、不穏
「ガンズー様」
「はい」
「遠くに聞く地拝教では男女の関わりを厳格に律しているといいます」
「はい」
「ご存知の通り、七曜教ではそうではありません」
「はい」
「男女は助け合い、互いに尊重し合い、愛し合うことを是としています」
「はい」
「ですが」
「はい」
「放蕩が許されているわけではありません」
「はい」
「嫁入り前の女が人様の前でみだりに素肌を晒すことは良くないことです」
「はい」
「事故であってもです」
「はい」
「修道女であれば尚更です」
「はい」
「ガンズー様が責任をお取りになるというなら話は変わりますが」
「いやそりゃさすがに」
「お静かにお聞きください」
「はい」
「ガンズー様はそれほどのことをなさったということです」
「はい」
「フロリカは泣いておりました」
「ぐっ……」
「嘘です。あれは泣き上戸ですがそんなやわな心根はしておりません」
「あぁ、それならよかっ」
「よくはありません」
「はい」
「本来であれば、ガンズー様には退去していただきたいところです」
「し、しかしだな院長」
「黙ってお聞きください」
「はい」
「ですが、状況も状況です」
「はい」
「これまでのガンズー様の信用を鑑み、事故であったという言も信じます」
「はい」
「どうか深くご反省なさってください」
「はい」
「私からは以上です」
「誠に申し訳ございませんでした」
ハンネ院長の説教が終わり、ガンズーは正座のまま頭を下げた。
「な、なぁ院長。フロリカにも謝るわけにゃいかんですか」
「さっきの今でですか?」
「いや、その」
「ひと晩ほど置くのがよろしいでしょう」
「……はい」
院長室を辞して外に出る。初秋の風がガンズーの顔を撫ぜた。ばーかばーかと言われている気がした。
孤児院のほうをちらと見てみれば、窓から子供が三人ほど顔を覗かせている。年長の男の子たちだった。
「ガンズーなにしたの?」
「フロリカ姉ちゃんの裸見たんだって」
「揉んだって聞いたぞ」
「すげー」
「姉ちゃんおっぱいでかいからな」
「ガンズーもでかいからあれくらいじゃないとダメなんだよ」
「すげー」
聞こえているが、なにか言う気にもなれない。
ただ、どうかアスターには伝えないでくれと願った。おそらく無理だろうと思うが願った。
そのままとぼとぼと歩くと、門の辺りでラダとエウレーナに迎えられた。
エウレーナはなんだか斜めになって眉間に皴を寄せている。ガンズーより頭ふたつ近く背が低いのだが、下から見下ろすという器用な真似をしている。
なんだか棘を感じるので、ラダのほうへ視線を向けた。
「災難でしたな」
「役得の間違いであろう」
「おいちょっと待て。そんな経ってないのにもうそんな詳しく伝わってんのか」
「この方を誰だと思っている」
「おま……」
「いえ、ガンズーさんが遅いものですから。なにごとかあったかなと」
「技術の有効活用してんじゃねぇよすっとぼけた顔しやがって」
「まったく。婦女子の湯浴みを覗くなど思春期の子供じゃあるまいし。それも仕事中に! ガンズー殿がそんな男だとは思わなかった」
「いやあれはだから事故だってこらお前ちょっとニヤついてんじゃねぇか!」
「おっとあまり近づかないでくれよガンズー殿! 私の身はヴィスク様のものなのだ。私の湯浴みのときはその辺で鎖にでも繋がっておくように」
「てめわかってて言ってやがんな誰が見るかってんだそんな無加工の胸当てで済むような身体!」
「ガンズーさん。どんどん不利になる発言をしていますが大丈夫ですか?」
大丈夫じゃないやい。
頭を抱えていると、夜闇の遠くから鐘の音が届いた。
二十一時。宵の口だが、孤児院は灯りを消す時間だ。
気を取り直して、休憩の順番を決め見張りに立つ。
ラダの提案で、エウレーナ、ガンズー、ラダの順で休憩をとることとなった。空が白むまではやはり本職の者が居てくれると心強いので、ガンズーにもエウレーナにも異論は無かった。
エウレーナがひとまず休憩に戻って――「寝姿を覗かれてはたまらんな」まだ言うか――警戒を開始する。
ラダが外をひと回りしてくるというので、ガンズーは門の近くで内外に備える。
見てみると予定通り孤児院の灯りはすでに消えている。今ごろノノはパウラと共に眠っているだろうか。アスターは年長からガンズーの所業を吹きこまれているかもしれない。
姿は見かけたものの、結局ノノと話はできなかったなと思った。それどころではなかった。
院長室へ連行されていくときに見送ってくれた彼女の顔を思い出す。真顔のままだったが、あれは特になにも考えていないときの顔なので、多分ガンズーが悪いことをしたとは思っていない。
本院も修道女の宿舎も大半の灯りが落とされているので、消灯時間自体はどこも同じなのかもしれない。
いくつかの部屋からは光が漏れているので、子供と同じ時間にすぐさま寝るわけでもないのだろうが、しかし健康的な生活だなと思う。
今日は雲も多く月明かりも薄い。灯りの減った構内はひどく暗く、手に持ったカンテラだけではなんとも心許ない。
ガンズーも多少の夜目は利くが、完全な暗闇ではないのが逆に厄介だ。院のわずかな光や、遠く住宅街からかすかに届く灯りが、ちらちらと目を惑わす。
考えてみれば、街中での夜警なんて仕事はあまり経験が無かった。街道間の護衛や宮殿での護衛なんかはあったが、ずいぶんと勝手が違う。
これは本格的にラダが頼りなのかもしれない。ガンズーはちょっと不安になってきた。
「ガンズーさん」
そのラダが唐突に背後から声をかけるものだから、カンテラを落としかけた。
門を挟むように、互いに声を小さくする。
「おおおう、驚かすなよ。もう見回ってきたのか?」
「えぇ。これはなかなか面倒ですね。適度な距離にちょうど身を隠せそうな場所がいくつかあります」
「あんたから見てもそう思うか」
「アパートメントにも少し空き部屋があるようで。調べてみなければなりません」
「そっかそういう可能性もあんのか……厄介だな」
「そうですね。これくらいわかりやすければ良いのですが」
言うやいなや、ラダは右手を振った。門の内側にいるこちらを向くまま。
直近の住宅を囲む塀の陰から、小さく悲鳴が上がる。
「まだ他にもいたようなので、追います。ガンズーさんは今倒れた者を捕縛してください。陽動の可能性もあるのでくれぐれも注意を」
「え、お、お、おう? おう」
返事が届いたかもわからぬうちにラダが姿を消す。集中していても、かろうじて彼の影が住宅街側へ向かったのがわかっただけだった。
院のほうを注意しながら、悲鳴の聞こえた塀の角を覗いてみると、若い男が足を押さえて倒れていた。若いと言ってもガンズーとそれほど違わない。
「なんだてめぇは」
「ぐうぅぅ……ち、ちくしょっ」
門の前まで引きずってきて手首と足首を適当な紐で縛る。
改めて見てみれば、革のベストに腰の短剣。ドートンたちと同様、伝統的な新米冒険者スタイルだ。
だがどちらもずいぶんとくすんで、年季が入っている。停滞者か、初級か下級でくすぶったままのチンピラか。
短剣の鞘を裏返してみれば初級の木札がくくられていた。こんなところに馬鹿正直に識別証を持ってくるあたり、やはりただのチンピラだろうか。
足の傷は膝の柔らかいところを奇麗に切られている。だが周囲に刃物のたぐいは見当たらなかった。ラダの得物なのだろうが、どうやったのか。
「んで、こんなとこでなにしてたんだお前」
「……へっ」
「うわ痛そうだなこりゃ。ここやられっとちゃんと治さにゃ歩けねーんだよな」
「いぎぎぎぎやめろやめろやめろ!」
傷をひらいてじっくり具合を見てやるが、暴れてうるさい。
修道院の門前をあまり血で汚したくないし、騒がれて子供たちが起きてもよろしくない。
ラダを待つか、と思ったところに、その彼が帰ってきた。
何者かを肩に担いでいる。気絶しているようだ。
「早いなほんと」
「ただの素人です。苦労はしませんが、あまり手掛かりにはならなそうですな」
「こいつは初級の冒険者だったが、そっちは?」
「下級です。食い詰め者でしょう。少し転がしたら気を失ってしまいまして」
「んじゃこっちからお話でもしてみっか」
「そうしましょう」
倒れた男にしゃがみこんで顔を睨んでみれば、男もこちらを睨みつける。まあまあ根性はあるのかもしれない。
ちょっと乱暴に傷を触ったからか、荒い息を吐いて脂汗を流していた。
「よう。なんで修道院の様子を探ってたんだ?」
「……知らねぇ。通りがかっただけだ」
「こちらの男がこんな物を持っていまして」
「なんだこりゃ? んん……街の地図かこれ。この印、ここじゃねぇか」
「その懐にあるのはなんでしょうか」
「な、なんでもねぇ、知らねぇ」
「はいよ失礼。こいつは……書きかけだが、院の見取り図か?」
「しら、知らねぇったら知らねぇ」
「なぁラダさんよ。上手な尋問ってなどんな感じなんだ? なるべく静かで、汚さないやつがいいんだけどよ」
「ふむ……治療してやりましょうか。繕い用の針と麻紐くらいしか持ち合わせておりませんが、口に布でも詰めこめばそれなりに静かにはなるでしょう」
「わぁわかった、言う、言うから待ってくれ」
そんなに根性は無かったようだ。
ラダと顔を見合わせて肩を竦めてから、男に視線を戻す。
「で、なんのご用ださっさと吐けおら」
「いいい、言われたんだよ賭場で。金出すからって。この修道院調べろって。人の出入りとか、塀の脆そうなとことか」
「誰に言われた」
「わ、わかんねぇよ見たことねぇ奴だ」
「見たことねぇこたねぇだろ話しといて。どんな奴だって聞いてんだ」
「わかんねんだよぉ、フードなんか被ってよぉ。でもあの髭だと、爺だ。声もそんな感じだった、多分」
「んな怪しい奴の話になんで乗るかね……他には?」
「し、知らねぇって本当に。前金で金一もくれたんだから仕方ねぇだろ。な、なぁ兄貴離してやってくれよ、殺してねぇよな?」
担がれた男を首で示してそう言うので、ラダは隣にどさりと放り捨てるように下ろした。
目を覚ます様子はない。実際に血縁なのかは知らないが、普段から行動を共にしているのだろう。こんな仕事でも。
多分この男から引き出せる話はこの程度だろうと思う。正に単なる使い捨ての雇われチンピラなのだろう。
しかしそれにしても金貨一枚とは、見せ金にしてもずいぶんばら撒いている。
他にもこんな手合いを集めているとしたら、金に糸目を付けていないのか、それほど資金力に余裕があるのか。
虹瞳の子に価値があるのは確かだが、人がそれに手を出そうとするなら、結局のところ最後には金に換えるのが目的のはずだ。
ハーミシュ・ローク都市同盟の地下教団といった特殊な例もあるにはあるが、あれだって金で集めていたのだから、最終的な行き先が魔族か教団かの違いだけだ。
もしアージ・デッソにそんな地下組織があって、さらにそんな資金力があるというのであれば、耳に入っていておかしくない。少なくともこのラダやボンドビーに把握されていないわけはないだろう。
金のために金をばら撒いてしまっては本末転倒だ。虹瞳のひとりやふたりの対価としては、金もそうだしリスクも高すぎる気がする。
(んん?)
ふと、そういえば最近も都市同盟の話をどこかでしたなと思った。
どこだっけか、と考えていると、カンテラの光が消えた。ラダはカンテラを持っていないので、ガンズーの灯りだけが頼りである。
油が切れちまったかな、と視線を移す。
どうもおかしい。真っ暗闇である。
カンテラの影どころか、なにも見えない。
院から漏れる微かな光も、住宅街のほうから届く小さな光も無い。
「ラダ!」
「魔術です。警戒を」
身構えて声を上げると、返事があった。
気配はあるので、ラダがすぐ近くにいるのはわかる。
「詠唱なんて聞こえなかったぞ」
「若干ながら、マナの動きがありました。遠いです。なかなか腕の立つ術師のようですな。攻性のものではありませんが……」
ラダの言うとおり周囲は暗闇に包まれたが、攻撃の気配は無い。おそらくは、ガンズーたちの居る一点だけに光が届いていない。
魔導によって光を生み出すのは比較的容易い部類だ。ガンズーにすらできる。
逆に、光を遮ったり、光を消してしまう――つまり、暗闇を生み出すのは難易度が高いらしい。以前セノアに、昼寝に便利そうだからやってくれと頼むと、ちょっと強めに怒られた。
それを、詠唱が聞こえない位置から狙いすまして行う。そのへんのチンピラ術師が持つような技術ではない。
動くか? とラダに相談しようとした途端、視界に光が戻った。カンテラも煌々と周囲を照らしている。
警戒を解かず周囲に視線を巡らせるが、やはり攻撃は無かった。
「くそ、なんだってんだ」
「ガンズーさん」
「あん?」
ラダが顎髭の先を揺らして足元を示す。
視線を下ろすと、倒れたふたりの男のこめかみから短刀が生えていた。
苦悶ではない、なにが起こったのかと混乱した表情のまま絶命している。
ラダが南の通りの先を見ている。誰かその先にいるのだろうか。ガンズーにはどれだけ集中してもわからなかった。




