鉄壁のガンズー、なまった
ドートンたち三兄弟の初修行を終えてからは、とても平和な日が続いた。
これほどなにもしない日々があっていいのだろうかとガンズーは不安になるほどだったが、足首がドス黒くなってきたので再びオプソン医師に診てもらったところ厳重に注意を受けたので静かにすることにした。
とはいえ、暇というほどではない。
ノノと暮らしていると毎日あれやこれやと必要なものが見つかるし、ケーもやって来る。
木曜にはベニーに飯作りを習いに行くし、土曜には三兄弟が来る。折を見て修道院へパウラやアスターを尋ねに行くし、協会のボンドビーと話をしに行ったりもする。
どうやらパウラは、王都から東へ二日ほど行った辺りにある村の出身だったようで、母親は健在らしかった。彼女は村の名前はわかっていたものの、はっきりした場所を答えることが出来なかったので、少し時間がかかった。
現在、協会の連絡員が当地へ飛んでおり、月の末くらいには戻るという。それから彼女を親元へ帰す算段がつけられる。
ガンズーはその報せをボンドビーから聞き非常に安堵したものの、脳裏にノノの父カゼフの姿が浮かんでしまい、まだ素直に安心はできんなと思った。
どちらにせよパウラを送る際には護衛がつけられる。ガンズーはよければ同行させてもらおうと考えている。
アスターの出自は目下調査中。アスターは自分がどこにいたかを具体的に答えられなかったので、虹狩りの足取りから追うしかない。
ただ、ボンドビーは気になることを言った。アスター少年は、自分がいた場所を答えられないのではなく答えたくないのでは、と。
それはつまり、戻りたくないということだ。
ガンズーはアスターが心配で仕方がない。
三兄弟にはひたすら走らせている。ガンズーの元へ来る日以外にも余裕があるときは走るよう言い含めている。ただし仕事に支障が出ない範囲で。
なかなか真面目に取り組んでいるようで、二回目にも川向こうとの往復をさせてみたところかなり時間が短縮された。
ただペース配分を習得したきらいがあったので、次に時間制限を設けてアージ・デッソを一周させてみるとやはり倒れた。
これをこなせるようになったら、何かしら実戦形式の練習を考案してみようかと考えている。
ただ、どうやら早い段階でレベルも上がっており、先日は依頼で小躯を相手にしたという話も出たので、そちらはあまり重きを置かなくてもいいかと思う。実戦に勝る練習はない。
案外とんとん成長するかもしれんな、とガンズーは少し楽しみになってしまっている自分に驚いた。
ガンズーのレパートリーはふたつ増えた。ポトフとオイルパスタである。
ポトフに関しては、拍子抜けするほどすんなりうまくいった。考えてみれば、習う以前からそれに近いものは作ろうと試みていたのだ。
なので、火加減の大事さを学んだガンズーは、あとは適度な味付けと具材の量を覚えるだけでそれなりのものを作れた。
しかし出汁を良くするためのアク取り作業が苦手である。なかなか三頭の蛇亭の主人が作るような美しいスープにならないと言うと、当たり前だという答えが返ってきた。悔しいのでポトフに限らず煮込み料理を積極的に練習している。
パスタについては、ガンズーは出来合いのソースでもないと不安で仕方がない気がしていたので、とにかくシンプルなものを習った。
それはもうシンプルである。基本的にはオリーブオイルと塩漬け魚とニンニクしか入らない。具材を増やしたければご自由に、とのこと。
要するにペペロンチーノというやつなのだが、ノノも食べることを考えるとあまり辛くはしたくない。というわけでペペロンチーノのペペロンチーノ抜きといった様相となった。
これが困ったことにうまい。ガンズーは油とニンニクが入ってれば大抵のものはうまくなることを学んだ。
学んだせいで、油でぎっとぎとのやたら臭くて渋い野菜炒めを作ったりもしてしまったが、貴重な経験として腹に収めた。当然ノノには出さなかった。
暇を見て、ガンズーは釣り竿を作った。大小のふたつ。
せっかく川近くの家に住んでいるのだから、釣りがいつでも出来るではないかと考えたのだ。
正直なところ、ガンズーはそれほど釣りが好きというわけではないのだが、ノノと共になにか暇潰しをするならうってつけだと思った。
遊びとしても上等だし、教育としても良いような気がする。
家の裏ほど近くの川べりに、ちょうど座って川の深いところに糸を垂らせそうな岩があったので、気が向いたときにはそこでノノと並んで川面を眺めた。
ケーには「ようやくお魚を食べる気になったんだねお魚は頭に良いからねおバカさんにはとても良いね」などと言われたので、糸に吊るして沈めてやろうかとも思ったが、そんな蛙が見ているときに限って釣果が良かったので諦めた。
釣りをやってから気づいたが、ガンズーは魚の捌き方を知らない。精々が腹を割って内臓を抜くくらいだ。今度ベニーに教わってみようと思う。
ただその場で焼いて食えるような魚は、川べりで焚火を起こしてそうした。ノノはこれをとても喜んだ。
小刀で自身の爪を削っている時に、ふと気がついた。
はたしてノノは爪をどうしているのだろうか。というか、子供の爪ってどうすればいいのだろうか。
眠っているノノの手を見てみれば、各指の爪は長さがまばらで、ギザついていたり滑らかだったりしている。どうも齧っているのではないだろうか。
これはいかんとガンズーは思った。いかんのだが、どうするべきなのかわからない。どうにかするべきなのかすらわからない。しかし放っておくとなにかの弾みに引っ掛けて剥がしてしまいそうで怖い。
歯磨きはいい。歯木や楊枝で磨けばいいし、無ければ指に布でも巻くなりその辺の小枝でも削るなりで始末することはできる。実際にノノはそうしていた。
髪もいい。まだ邪魔になるほど伸びてもいないし、そうなったとして整えてやるくらいはできる。
爪……爪? ガンズーは困った。
慌ててフロリカに聞いてみたところ、「院では酷くなれば私たちで切ったりもしますが……放っておく親も多いかと思います。それか自分で削らせるか」そんな答えが返ってきた。
結局のところ、いかんと思うなら切ってやらなければならない。
人の爪を切る。しかも子供の。
ガンズーは、おそらく人生で一、二を争うほど緊張した。
ウークヘイグンには悪いが、多分あいつと戦ったときより緊張した。傭兵として初めて戦場に立ったときより緊張した。
そしてノノも緊張していた。ガンズーの顔と自分の指先と、凄まじい速さで視線が行き来していた。もう少しで泣きそうだった。というか足の爪に取りかかった段階で若干ぐずりかけていた。
どうにか血を出させずに仕事を終え、考えてみればフロリカに頼んでもよかった気もしたが、きっとノノとの絆が深まったはずなので良しとする。
ところで家の周りの雑木林にはけっこうな数の桜に似た木が混じっており、今は花の姿は見えないが、代わりに果実が生っている。
ノノは時々長い枯れ枝を使い、それを落として集めている。
果実は手のひらに乗る程度で、果肉はスカスカしていて食べられるようなものではない。彼女は集めた実を割って、中の種子を取り出していた。
アーモンドだった。それそのものかはわからないが、どう見てもアーモンドと呼べる木の実だった。
それをノノは小さめの袋に集めている。その様子を見てガンズーは、カゼフが木の実を街に売りに来ていたという話を思い出した。
こんなことまでやらせていたのか……と暗澹たる気持ちになったが、どうもノノが苦にしている様子は無い。
案外彼女はこの作業を楽しんでいるようで、遊戯の延長線として捉えているのかもしれない。
それであればガンズーに止める権利は無いので、存分にやらせることにした。手伝ってみると加減が狂って実を砕いてしまい、これがなかなか難しい。
アーモンドはそのままでも食べられるようだが、これまでどおり量が溜まったら売りに行って、その代金はノノ自身のものとして貯めておこうと思う。
◇
そんなこんなで二週間と少しばかり経つと、ガンズーの足も肩もずいぶんと良くなってきた。いちおうまだ包帯で固めてはいるが、少々力を入れても響くほど痛むことはなくなった。
ただなるべく酷使しないようにつとめてきたおかげで、ちょっとなまっている気がする。特に腕がよろしくない。
『 れべる : 50/50
ちから : 79(-1)
たいりょく: 99
わざ : 40(-1)
はやさ : 35
ちりょく : 25
せいしん : 25 』
久々に己のステータスを確認してみると、バッチリなまっていた。
いよいよもって算出法がわからないが、ステータスはこのように下がることもある。基本的には鍛錬をサボるとそうなる。
下がった分を他へ振り直せるならガンズーの悩みも解消されるのだが、残念ながらそうはいかない。そもそもレベルは変わっていないし、鍛え直しても下がった分が戻るだけである。ままならない。
レベルまで下がった例も見たことはあるが、その場合は最大レベルごと下がってしまう。身体の衰えがそのまま反映されるのだろう。やはりままならない。
それはそれとして、わずかながら無視できないなまり具合である。身体を叩き起こしてやらねば。これくらいなら少し動けば戻るだろう。
愛用の斧を久々に引っ張り出して右腕で持ってみると、やはり痛みは無いがどうもしっくりこない感じがする。
慣れさせるために空き地でゆっくりと振り回す練習をしていると、昼寝から起きてきたノノが横に来て眺めた。
危ねぇからちょっと離れてるんだぞ、と言うと彼女は素直に離れたが、そのうち小枝を拾ってきてガンズーの真似をしだした。
高く掲げた斧を、ゆっくり緩慢に、時間をかけて地面すれすれまで下ろす。けして接地はさせない。それからまたゆっくり、横へ薙ぐようにする。
ノノも枝を掲げると、ひょろーっと地面へ振り、ひょろーっと横へ振った。
土をすくうような起動で斧を引き戻すと、さらに返して頭上で斧が並行になるように構える。
ノノも枝を土に引っかけながら手元に戻し、頭上へぶんと返すと勢い余って後ろへよろめいた。
平和だ。ガンズーはなんだか笑いそうになってしまった。
それもトルムたちが戻るか、また魔物たちがやる気を出すまでのことでしかないかもしれないが、もう少しだけこのままでいさせてほしいなとガンズーは思う。
演武を続けながら、仲間たちはどうしたかなと考えた。遺跡の攻略が成ったにせよ撤退したにせよ、そろそろ戻るころだろうか。
なにから相談したもんかな、やっぱノノのことからかな、などと思いを巡らせていると、
「遺跡を出るのに苦労してるみたいだね」
いつの間にか斧刃の上にケーが乗っかっていた。
「……なにしてんだお前」
「ちょっと速いかな。もうちょっとゆっくり動かしてほしいねボク。そうそうその調子。心地いいねそよ風。ボク思うんだけど、風車に乗っかると涼しいんだから小さな風車があれば熱い夏も安心じゃないかな。ボク天才」
「いよっと」
「あーーーーーー」
ちょっと本気めに斧を繰ると、ケーはへばりついた餅のようになった。遠心力で落とさずにするのはちょっと楽しかった。
「んでお前なんつった。もしかしてトルムたちのことか」
「キミが言ってたからちょっと気になっちゃった。クウォルデリオンの墓所にもカエルちゃんはいるからね。ボク勤勉。でもカエルちゃんたち蟻さんにこき使われてるんだよね。おのれ蟻さん。ボク悲しい」
「ちゃん、とか付けるにゃでっけぇぞありゃ」
「大きく育ってほしいね」
斧の上のケーにノノが手を伸ばすので、少し傾けてやると蛙は彼女の腕の中にぽとりと落ちた。
「カエルさん」
「やあノインノール」
ほとんど毎日会っているのだが、ふたり――ひとりと一匹――は必ずこのやり取りをする。挨拶なのだろうか。
それは置いておいて、トルムたちのことである。ケーがどうやって彼らの様子を知ったのかなどは、今さら聞いても仕方がないしきっと答えも無い。
「苦労してるだって?」
「よく知らないけど、奥のほうで大変だったみたいだね。帰りだしてるけど、ゆっくりだね。無茶なことはしないんじゃないかな。賢いね。ボク感心」
「そっか。なんかあったんかな……まぁでも、帰ってきてるんならいいぜ。ちゃんと五人揃ってたか?」
「コッペリアを人として計算するかはなかなか難しい問題だね。彼女たちは人と呼ばれて喜ぶ子もいれば断固として否定する子もいるからね。ボクなんか一度すっごく怒られたことがあるんだ。あのときは本当に参っちゃった」
「なんだか知らんがとりあえずアノリティはいたんだな」
「ノインノールに似てる子もいたしヘイムに似てる子もいたしあとはよく知らないけどふたりくらいいたよ」
ノノに似てる、というのはもしかしてセノアのことだろうか。虹の眼であるということ以外に欠片も似てるようなところは無いと思うが。
ヘイムというのが誰かは知らないが、とにかく五人は揃っているようだ。
ガンズーはほっとした。トルムたちが帰ってくる。
そしてノノを見て――もうちょっとだけ待ってもらおうかな、なんて考えてしまった。
「ところで、誰か来るよ」
「あん?」
「じゃあボク、しばらくカエルちゃんになるから。ケロケロ」
ケーのわざとらしい鳴き声は捨て置いて、ガンズーは顔を上げた。
林の切れ目、獣道の先からは確かに人影がこちらへ向かってきている。
「あいつぁ……」
ガンズーの前に現れたのは、青い革鎧を身に着け、左腕を包帯で吊った優男だった。
「よっ」
青鱗のヴィスクは、軽快に片手を上げた。




