鉄壁のガンズー、鍛えよう
丸印が描かれた石を手の中に転がし、ガンズーは今後の方針を考える。
目の前で死屍累々といった具合に倒れ伏す三兄弟は、もはや一言も発しない。ちょっと走ったくらいでだらしない若者である。
とりあえず、アージ・デッソをぐるっと一周しても息を乱さないくらいの持久力は欲しい。しばらくは走らせよう。
走る力は大事だ。危険な敵から危険な場所から危険な状況から離れるとき、走れば走れるだけ生存確率は上がる。
時間に追われる場合も多いし、ちょっと近くの街まで向かうときに馬を借りなくても済む。
そういえばミークはマーシフラ公国とダンドリノ国を短時間で行き来したりしたなぁと思い出して、あれはまた別の技術だっけかと考え直した。
「ほれそろそろ起きろ」
倒れるドートンの背中を蹴って促す。ノノは地べたに顔面を押しつけたままのダニエに「パンありがと」と言っていた。
「お師さん……俺死ぬ」
「死んだら川に流しちまうぞ」
「川の向こうにディナが……」
「川向こうはさんざ行って来いしたろうが。また行ってくるか?」
「嫌っす……」
もう用済みの手中の石を足元に放り、ガンズーは空を見上げる。
雲の合間に太陽が半分ほど顔を出していて、おおむね中天から東寄り。昼には余裕をもって間に合ったようだ。
デイティスがよろよろと上半身を上げた。
「ガンズーさん、石あんなに用意してたんですか……?」
「石? 石はひとつだったぞ?」
「じゃ、じゃあ袋……?」
「まぁ同じくれぇの袋は持ってるが、あってどうする」
「えぇ……だって……」
「考えてみろよ。そういう洞察力も大事だぞ」
「考えるっす……考えるっすけどお師さん、先に水ください……マジ死ぬ」
「そこに川あんだろ」
三兄弟が仲良くアージェ川に頭を突っこみ、よたよたと戻ってくるとガンズーは聞いた。
「どうやったかわかったか?」
「ギブっす」
「早ぇよバカ」
「誰もガンズー様を監視してたわけじゃないし、私たちが走ってる間に印を描き変えてまた投げたのよ」
「おぉ、ちゃんとわかってんじゃねーか。さすがだなダニエ。途中で気づいてたら完璧だったな」
「んん? でもさ姉ちゃん。最初はどうすんの? 石の入った袋なんて絶対ひとつしか無かったよ」
「それは――うーん。うーんと」
半分も当たれば十分だろう。ガンズーは種明かしをすることにした。
「それはな」
アージェ川へ向き直ると、ガンズーはおもむろに走り出す。
川べりまで達すると、左足に気合を込めて踏み切った。跳躍する。
高さはあまり必要ない。身体をくの字にして空を裂くように跳ぶ。足下のアージェ川の水面がキラキラ美しい。
対岸の川原は大小の石が転がり下草もあり着地するのに少し苦労する。つんのめるようになったが、見られている手前、転びはしない。
振り返ると、三兄弟はどうやら足元から崩れ落ちたようだった。ノノがこちらへ手を振っている。
実際この川をひと息に跳び越せるような人間はそうそういないので、裏技としか言えないだろうが、実戦において裏技を躊躇する者などいない。
可能性があるなら、そこまで考えねばならないのだ。
単にこれで騙せれば今日は相手するのが楽だなと思いついただけなのだが、それはそれとしてガンズーはうんうん頷いた。
さて帰ろう、とガンズーは再び助走をつけ、アージェ川へ跳んだ。
間違って右足で踏みこんだ。
足首がみしりと――てめぇ忘れてやがったなと――悲鳴を上げ、ガンズーは空中でもんどりうって、川の中央あたりで頭から水面に落ちた。
「まぁそういうわけで、調子に乗るとこうやって足元すくわれるからな。よくよく注意しろよ」
「わ、わかったっす……」
川から這い上がったずぶ濡れのガンズーが言うと、ドートンは神妙に頷いた。
◇
「なぁ、ダニエ……食欲あるか?」
「バカ言わないで、無理でも食うのよ……嫌ならデイティスに寄越しなさい」
「僕もそんな食べれないよ……でもこんないい宿の食事、うう……」
初日にして威厳を失った気がしたので、ガンズーはノノを伴い昼飯ついでと三兄弟を連れ出した。パンの礼も兼ねて。
毎度お馴染み、三頭の蛇亭である。
主人が獲りに行ったという猪肉を食べてみたかった。正直、猪はクセが強いので苦手な意識があったが、主人の手にかかるとどうなるのか興味があった。
「つーわけで、あんだろ? 猪」
「……まだあまり熟成してねぇんだがな」
主人はぶつぶつと言ったが、大人しく厨房へ下がった。周りの少ない客を見てみても、猪肉を食っている者はいない。どうやらまだメニューとして出してはいないようだ。
ベニーは見かけなかった。話によれば昨日一昨日とひとりで宿を仕切っていたはずなので、休んでいるのだろうか。
「あ、あのお師さん。いいんすかね、俺らこんなとこ来ちまって。有名っすよここ遺跡探索の上級者が来る宿だって」
「心配すんなよべつに気取った飯屋に来たわけでもねぇんだし。見たとおりその辺の冒険者酒場と変わんねぇだろ」
「いえあの、僕らそういう宿自体がこの前はじめて泊まったくらいです」
「それまではどうにか木賃宿に潜りこめたくらいでしたので……お、お高いんでしょうか、やっぱり」
「まぁ高ぇのは高ぇかな。ひと晩分で木賃宿にひと月くらい泊まれるだろうし」
「……あの、ガンズー様。余裕ができたとはいえ、私たち、その」
「だから心配すんなっつの。新人に出させるバカいるかよ」
「聞いたねドートン、デイティス! 意地でも食いなさい!」
「お、おう任しとけ……お師さんからいただく物だ、死んでも食うぜ……」
「僕、先に吐いてこようかな……」
なにやら決死の覚悟を決める三兄弟を放って、ガンズーはノノに先日はどんなカード遊びを教わったのかなどを聞いてみた。どうやら神経衰弱のようなシンプルなものを伝授されたらしい。
そんなことをしていると、主人が湯気の上がる皿を持って出てきた。
目の前に置かれると、皿ではなく温められた小ぶりの鉄鍋で、わざわざひとりひとつ用意された。ふつふつとスープが緩く沸いている。
ガンズーの前には若干大きめの鍋が出て、小皿がふたつ置かれたので、ノノと分けて食えということだろう。
人参やラディッシュといった根菜にリーキも入っている。そしてその上に、薄く切った猪肉がピンク色になって乗っていた。
ちょっとスープを味見してみると、和風出汁かと錯覚する風味があったが、おもには濃い目のブイヨンだ。もしかしたら、別に海鮮で作った出汁も使っているのかもしれない。猪肉の甘味がうまい具合に出ている。
洋風牡丹鍋といったところだろうか。ガンズーは本当に何者だこのオヤジと思った。
熱っちいからな、とノノの小皿へ適度に具を取ってやり、視線を戻してみると三兄弟がおそるおそる匙を持ったところだった。
まったく同じ動作でそれぞれスープを啜ると、各々顔を見合わせた。
それからはもはや獣の様相だった。匙に息を吹きかけるのも待てないようで、熱々の肉や根菜を口の中に叩きこんでは上を向いてばふばふ言っている。
気ぃつけろやと言っても聞きはしない。デイティスなんかは勢い余って鍋の端を掴んでしまい「熱っつ!」などと叫んだ。
まぁ、食欲があるのは良いことだ。肉は疲労回復にも効くはずである。
次に主人が持ってきた皿は大判のステーキだった。おそらく肩肉。
野菜か果物の汁に漬けこんだもののようで、臭みもほぼ感じない。ソースもフルーツの風味が爽やかだ。ノノの分はわざわざ切りわけてくれていた。
三兄弟はなかば手掴みしそうな勢いでかぶりついた。
「……兄ちゃん、食っちゃったね」
「あぁ……気がついたらもう無くなっちまったな」
「おかしい……私そんなに食べてないはずなのに」
放心している三人は置いておいて、ガンズーはノノの手元を片付ける。最後に果汁を使ったゼリーが出てきたからである。
「お師さん。遺跡って、どれくらい強くなったら行けるんっすか?」
「遺跡っつってもピンキリだからなぁ。まぁ、潜るだけなら中級に上がれば認可は出るが、安定してってなると……とりあえずこないだの黒狼を相手にできるくらいにはなりてぇな」
「あれか……」
「だが上層をちょろちょろできるようになるだけでも、稼ぎは段違いだからな。ここにも出入りできるようになるだろ。鍛えて稼いでいい装備して、そうやってりゃいつかはそうなる」
姉弟たちは再び顔を見合わせて、
「デイティス、ダニエ。稼ぐぞ」
「うん兄ちゃん」
「まずは月一でこのお食事を目指すわよ」
なにか誓いを立てたようだった。
「だってよノノ」
「がんばれ」
毎日に近い頻度でこの食事をいただいているノノはどうでもよさそうで、足裏で椅子の足をべしべし叩きながらゼリーに舌鼓を打っていた。
節約? まぁこれからよこれから。
初級冒険者になってからの心得だの良さげな依頼の見分け方だのお手頃な装備を扱う商店だのトルムの話だのトルムの話だのトルムの話だのを聞かれながら、ガンズーがゼリーを食べるノノを待っていると、宿の入り口がひらいた。
「あっれぇー、ダニエちゃん。どうしたのこんなところで? やぁドートンにデイティスくんも。元気?」
入ってきたのは若い冒険者で、くすんだ灰色の髪をしていた。鎖帷子の上にさらに鉄輪で編んだベストを着ているものだから、かしゃかしゃうるさい。ベストはただの鉄ではないようで、良いもん着てんなとガンズーは思った。
人懐っこい笑み――ちょっと過剰な――を浮かべながら、ずかずかと三兄弟の元へやって来ると、ダニエとデイティスの肩を抱くように手を置いた。
「君らこないだ初級になったばっかなんでしょ、ダメだよこんなとこ来ちゃあ。高いんだよぉこのお店。迷子にでもなっちゃった?」
「あ、エクセンさん。僕らは」
「放っときなさいデイティス」
ダニエが肩に置かれた手を払うが、エクセンと呼ばれた冒険者はそれをかわすとさらに彼女の首を抱きこむように手を伸ばす。多分ちょっと胸も触っている。
「冷たいなぁーダニエちゃん。同郷のよしみじゃない。仲良くしようよぉー。なぁドートンも仲良くしたいよな」
「いや、俺は……」
「エクセンさん、姉ちゃんのおっぱい触ったらダメですよ」
姉にべったりくっついたエクセンにデイティスが真っ直ぐ目を見て言うと、その男は少し眉を上げてから身を離し、両手のひらを見せるようにした。
「ごめんごめん、ちょっとしたスキンシップだよーもうデイティスくんは厳しいなぁー。それでなんでこんな所に?」
「僕ら、ガンズーさんに連れてきてもらったんです」
「ガンズー?」
そこでようやくエクセンはこちらを見た。どうもガンズーです。
彼はピンとこなかったらしく、訝しげな目をこちらに向けてくる。と、入り口のほうからまた別の声が届いた。
「――エクセン。なにやってんだ」
「あ、すいませんバシェットさん! ちょっと旧友に会ったもんで……」
「忘れ物を取ってくるんじゃなかったのか」
「すいません、すぐ!」
エクセンはそう言うと、ばたばたがしゃがしゃ急いで客室のある二階へ上がっていった。
ガンズーは振り返り、宿の入り口を見る。
金属板で補強したサーコートを着る壮年の男が立っていた。
(お、強ぇなありゃ)
ステータスを見なくてもわかる。かなり強い。
体躯はガンズーとそれほど変わらない。筋肉の厚みはガンズーに分がありそうだが、その鍛え方には洗練されたものを感じる。
真正面からの殴り合いならきっと勝てるだろうが、なんでもありでやり合ったとしたら、ちょっとどうなるかわからない。
一見だと髭面に思えたが、顎の周りは奇麗に剃り上げていて、髭で覆われているのは口の周りだけだった。野卑な印象も怜悧な印象も受ける。
ガンズーが顔を向けたので、目が合った。
きっと向こうもこちらの力量を測っているのだろうなと思う。戦士として生きる冒険者の、面倒な癖だ。
「やかましいなバス」
背後から主人の声が上がったので、ガンズーはひねっていた首を戻した。
「今日から潜りに行くんじゃなかったのか」
「すまんなオーリー。すぐに出る」
「新入りの面倒か」
「そんなとこだ」
三頭の蛇亭の主人はオーリーという名前だったらしい。長いこと世話になってきて初めて知った。
再びがしゃがしゃと金属音が鳴り散らし、エクセンが下りてくると、バシェットと共にその場を去っていった。
途端に宿の中は静かになる。
「見ねぇ顔だな、おやっさん」
「一昨日来たらしいな。俺は知らん」
「それにしちゃ知り合いみてぇだったが」
「さぁな」
それだけ言い主人は厨房へ引っこんでしまう。不愛想なオヤジだなまったく、とガンズーは思った。
冒険者としても名を馳せた主人である。そしてあのバシェットという冒険者もかなりのベテランのようだ。顔見知りでもおかしくあるまい。
そう納得して、横でなんだかすっきりしない空気を発する三兄弟に向き直る。
「んでなに静かになってんだお前ら」
「いやなんつーかっすね……せっかくうまい飯でいい気分だったのにって感じで」
「同郷ってなあれか。あれもベンメの奴か」
「ずいぶん昔に出ていった男です。しかも家の貯えを持ち出して、おばさんがどれだけ苦労したか。昔から調子のいいことばかりで、私は好きではないです」
「ふーん」
「協会で偶然会ったんですけど、もう中級冒険者なんだそうです。なんだかって強いパーティに入れてもらったらしくて」
「ほーん」
「興味なさそうっすねお師さん」
「いやまぁそりゃあな。どっちかなら、あのバシェットって男のほうが気になる」
「そっすか……」
ドートンが煮え切らない顔で下を向くので、ガンズーはなにを言おうか迷った。
「……ありゃダニエに気ぃあんのか?」
「やめてください。ぞっとします」
「弟にやらせねぇで、おめーがビシッと言えよドートンよ」
「いや、つってもっすよ。さすがに中級の奴には敵わねぇっつーか」
「まぁだろうな。ボコボコで済めばいいくらいだ」
「う……」
さらに肩を落とすドートン。しまった、べつに扱き下ろそうなんてつもりはなかったのだが。
「……鍛えるこった」
「……うす」
ぷわ、とノノが欠伸をした。




