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鉄壁のガンズー、グレる

「あんたさぁ」

「……なんだよ」


 この店のエールは少し薄い。どうも混ぜ物をして水増ししているようだった。

 つまみに頼んだ腸詰めもけして味自体は悪くないのだが、濃い。そしてなんだか妙に粉っぽい。

 量と塩分が優先される一般的な冒険者酒場ならこんなものだろうとは思うが、たとえ鳥の頭を出すとしても三頭の蛇亭の方が飯は良かったかもな、とガンズーは後悔した。


「一応、アタシ買ったんだよね?」

「前金はもう渡したじゃねぇか」

「それでいいならいいんだけどさぁ……もう日付変わったよ」


 横に座った女が蜂蜜酒をちびちび飲んでいる。

 三頭の蛇亭を出たガンズーはふらふらとアージ・デッソの街をさまよい、南東の区画までやってきた。請負冒険者が集まるこの一帯は、当然それ向けの店が集まっている。

 店先で呼び込みをしている数人の女性を見かけたので、とりあえず目についた彼女に声をかけ値段を聞いて半分を渡すと、連れ出してこの冒険者酒場に入った。店の名前もこの宿の名前も見なかったが、特に気にしなかった。


「高い酒飲ませてんだからいいだろ。付き合えや」

「付き合えっつったってさぁ。黙って飲んでるだけじゃない。どうしろってのさ。酌婦じゃないんだけどアタシ」

「似たようなもんだろ」

「そういうこと言うとどっちにも怒られるから気をつけな」


 女はガンズーの手元に盛られた腸詰めを一本つまむと、見せつけるように舌先でくるりと舐め回してから齧り切った。

 残った半分をガンズーの口に押しこんでくる。


「たまに飲むだけとか話するだけとかしたがる男もいるからいいけどね。でもあんた冒険者でしょ。それに有名人」

「知ってたのかよ」

「顔は知らなかったけどさー」


 それ、と女が指さしたのはガンズーが隣に立てかけた大斧。

 かつてマーシフラ公国の大公から依頼された亜竜(ありゅう)退治の報酬に貰った物だ。大柄のガンズーよりさらに大きい全長に、相応に広い両刃は叩こうがぶつけようが火で炙ろうが滅多に刃こぼれしない。

 その辺の鍛冶師じゃ同じ物は作れないお気に入りの一品だった。重すぎてガンズー以外に使えるものでもないが。


「そんな立派なもん持ってる冒険者なんてそうそういないでしょ」

「そいつぁ、俺も有名になったもんだ」

「勇者サマのついででね」

「へっへへ。おうよ。勇者サマの一の子分、鉄壁のガンズーとは俺のことよってなもんだ」


 ガンズーはいじけていた。グレていたと言い換えてもいい。


 へらへら笑いながらジョッキの酒を干し、店の主人におかわりを要求する。

 主人はうんざりした顔をしていたが、文句は言わず注いでくれた。


「だから、なんだかなって」

「なんだかってなんだよ」

「なんかその辺の連中とあんま変わんないと思ってさぁ。こないだ店でさ、うまい仕事が入ったからってお大尽(だいじん)した冒険者がさ、次に来たときは報酬をかっぱらわれたって、すっかり萎びててさ。そいつにあんた似てる」

「間抜けな野郎だな。んでそいつと似てるからなんだって」

「慰めてーってことでしょ? ていうか、冒険者なんてとりあえずやることやりたがるんだからさ、あんた実はあんまり慣れてないでしょ」


 ガンズーはなみなみと注がれたエールをすべて一気にあおった。

 この店のエールは薄い。が、混ぜ物をなにかうまく作用させているのか、割と強かった。何杯めかもう忘れてしまったが、再びおかわりを頼んだ。


 トルムに出会う前、傭兵や冒険者稼業をやっていたころにこういったたぐいの女性にお世話になったことはあった。

 若さもあったのだから仕方がないというものだ。なに言ってやがる。俺はまだ二十七だ。いや五十五かもしれない。いやガンズーは二十七歳で間違いない。

 トルムと旅を始めてからはどうだろう。そういえばなかなかそういう気にはならなかった。色々と事件ばかりで、それどころじゃなかった。

 つい先ほど自分が言った、トルムを無理やりに連れだしたときを思い出す。

 確かあのときは、その勇者が言う「魔王を倒してこの国を救う」なんて夢物語を聞かされた直後で、買った娼婦から魔物に親を殺されたなんて身の上話を聞かされてすっかり参って撤退したのだったか。


 そして今も、正直に言えばそんな気分じゃなかった。というか心内はぼこぼこに叩きのめされたあとのような有様で、やっぱりそれどころじゃない。

 できるなら、酒の力で即座に気絶したかった。すべて忘れて寝たかった。


 ならばガンズーはなぜこの女を誘ったのだろう。

 また注がれたエールを一気飲みすると、


「そこそこ、歳いってそうだし」

「は?」

「先無さそうなのが、似てたからだな」

「はぁ!?」


 女の非難めいた顔を見たのが最後、ガンズーは突っ伏した。


「えぇー……? ちょっとぉ……」


 やめてくれ。起こそうとしないでくれ。やっとすべて忘れられそうだった。

 起きたら知力が上がってないかな、と思いながらガンズーは意識を手放した。





 同級生に子供ができたらしい。


 どこから聞きつけてくるのか、母親がそう話してくるのを、俺は適当に相槌を打って聞き流した。同級生の名前も顔もいまいち思い出せない。


 母親がそういった話をすることが、最近やたら多い気がする。どこそこの誰が結婚した、あれそれの誰に子供ができたという話。

 自分の同級生だとかならばまだ――興味はまったく無いが――わかるが、母親の友人の子供が結婚したなんて話を聞かされても困る。

 そしてどういう意図なのかも、まぁ、わかる。直接は言わない優しさもわかる。


 とはいえ、俺にどうしろと言うのだろう。

 結婚する相手もいなければ、生活にもそんな余裕は無い。この歳になっても親元にいることがどういう意味を持つのか考えてほしい。

 仕事だって正直なところ大した先は無いのだ。会社だけはそれなりに良い所に入れたが、俺自身は今後の昇給が期待できるような立場にない。

 そりゃあ叶うなら親に孫の顔のひとつも見せてやりたいが、残念ながら見込みは欠片もないのだ。堪えてほしい。

 結婚や、ましてや子供なんて。


 あるいは俺にも。

 結婚して、子供を育てるような未来もあったのだろうか。


「知力が25しか無いので不可能です」


 母親がアノリティの顔をして言った。





「うおおおあっ!?」


 シーツを跳ねのけて起き上がる。

 ばくばくと脈打つ心臓を落ち着かせて、ガンズーは辺りを見回した。窓からは朝日が差しこみ、爽やかな風が入ってくる。

 ベッドで眠っていたらしい。ということは昨日の冒険者酒場の一室だろうか。酒場で酔い潰れてそのまま寝たはずだったが。


「あら。起きた?」


 横を見ると、水差しからコップに水を注いでいる見知らぬ女。

 いや、確か――自分が買った娼婦か。


「なんかうんうん言ってたけど、変な夢でも見た?」


 コップを差し出してくるので受け取り、ひと口。意外にもよく冷えた水だった。


 夢。

 夢は見た。いまいち細部を覚えていないが、あまり楽しい夢ではなかった。

 しかし、久しぶりに母親の顔を思い出した気がする。ガンズーには親はいない。前の自分と、前の母親の夢。

 この世界にやってきて――転生? おそらく転生というやつなのだろうが、前の自分が死んだのだとしたら、そのときのことを覚えていない――から、もうそろそろ前の自分の歳を超えそうな年月が過ぎている。

 以前のことを思い出す機会もとんと減った。もはや自分が転生者であるという自覚もずいぶんと薄れている。

 今の俺はガンズーだ。バスコーの冒険者。勇者の仲間、鉄壁のガンズー。

 自分がなにか周りと違うところがあるとすれば――


『 ちりょく :   25 』


 ステータスをひらいてみると、わかりきった変わらない現実が待っていて、ガンズーは頭を振りそれを振り払った。

 見れば女が不思議そうな顔でベッドに座っている。


「ああ……母親の夢だったかな」

「あっは。ちょっとやめてよ、こんなとこでさ」


 確かに娼婦の横で母親を夢に見るというのは、なかなか気持ちの悪い話だ。

 忘れようと思い、ガンズーは水をすべて飲み干すと立ち上がったが、ふと気づいてみると全裸だった。そして元気だった。朝だった。


「服も荷物もそこ。汚かったからね」


 足を組んで頬杖をつく女が部屋の隅を指さす。防具一式も下着も背嚢(はいのう)もそこに積まれていた。

 考えてみれば、昨日は遺跡群から帰ってきてろくに湯浴みもせずに飲み始めていた。たいそう汚かったろう。


「あんた運ぶの大変だったんだから。斧は持ってこれなかったから、店のおじさんに頼んで奥に隠してもらった。後で受け取んな」

「あー……すまん」


 意気込んで立ち上がったものの所在がなくなり、結局ガンズーは女の横に座り直した。すると入れ替わりに女が立ち上がる。


「んじゃ、ひと晩ありがとうございました。アタシ戻るから」

「えっ、あ、おう」


 スツールに置いてあった手鞄を取って、小物を中に入れながら女が言う。

 ガンズーは鞄の中身について少し考えてから、


「なぁ、その、ちなみによ」

「ひと晩ずーっと寝こけてたわよー。気持ちよさそうにね」

「あ、そっすか……ん、ちょっと、ちょっと待て」


 慌てて荷物の山に駆け寄った。

 背嚢から革の小袋を取り出して、大銀貨を三枚とり出す。

 女に渡すと、彼女は軽く眉を寄せて、ガンズーの下のほうを見ながら言った。


「……時間外は受けつけてないんだけど」

「いやそうじゃねぇよ。ひと晩分の後金だろ」

「あぁ。なんだ。すっとぼけてればよかったのに」

「んなこと言ったら、お前だって寝てる間に帰るなりスるなりできただろ」

「そういやそうね」


 ほのかに笑って、彼女は銀貨を鞄にしまった。

 これ以上は特に言うことも無い。ガンズーは手持無沙汰になってしまって、とりあえず水を手酌で注ぎ、それより服を着ればよかったと思った。


 ふと気づく。そういえば、彼女の名前すら聞いていない。いや、聞いたのかもしれないが、覚えていなかった。

 気づいたはいいのだが、今から聞いてもいいものだろうか。ひと晩つき合わせた女性を、しかも業務外の対応をさせておいて、名前も覚えず帰すというのはどうにも座りが悪い。

 娼婦の名前をいちいち確認するものだろうかとも思ったが、なんにせよ聞かないまま帰すのもはばかられた。


「あのよ」

「ん?」


 まさに部屋を出ようとしていた女を呼び止める。

 栗色の髪は後ろでまとめられていたが、毛先が内に跳ねているのはそういう髪質なのか何か油でも使っているのか。改めて見てみれば意外と長身だった。もしかしたら、だから真っ先にガンズーの目に入ったのかもしれない。

 ただ正直にいえば――簡素なナイトドレスに包まれた身体は、そういう職業にしてはそれほどスタイルが良いようには見えない。だがそれが彼女には似合っているようにも思えた。


「いや、なんつーか……けっこう美人だなあんた」

「だから時間外は受けつけてないって」

「そうじゃなくてな、なんだ、その――あんた、名前なんだっけか?」


 女は半眼になってガンズーをにらむ。

 つかつか歩み寄ると、何故か視線は下を向いた。そして、指でぴんと弾いた。


「おぐおっ!?」


 ガンズーは水差しを取り落としそうになった。内股になる。


「イフェッタよ。昨晩から一度も聞かれなかったけどね。もったいないと思ったなら、また呼んでちょーだい。鉄壁のガンズーさん」


 言ってイフェッタは部屋を出ていく。


「……名前も知ってんじゃねぇか」


 内股で妙な姿勢になった全裸のガンズーだけが、取り残された。





「あらぁガンズーさん。ゆっくり休めたかい?」


 着替えてから食堂に出てみると、恰幅の良い婦人から声をかけられた。両手に朝食――というには少しのんびりだが――だろう皿を持って、店内を行ったり来たりしている。

 いくつかのテーブルにはおそらく冒険者だろう姿の者がまばらに座っていて、彼女はきっと昨夜にいた店主の女房だろうと思った。朝は彼女が切り盛りしているようだ。

 なにせ始めて会ったのでこちらは向こうを知らないが、旦那に聞きでもしたのだろう。こういった、知らない人間がいつの間にか自分の名前を知っているということが増えた。勇者の威光とはなんとも凄いものである。

 テーブルの冒険者たちからひそひそと「ガンズー?」「勇者んとこの?」なんて話し声が聞こえてくるが、気にしないふりをする。


 カウンターに座って、ガンズーも朝食を頼んだ。

 そして、少し考えてから、


「……酒も頼めるか。エールでいいや」


 と言った。

 朝から酒を飲むなんてここ最近はとんとなかった――レイスンがうるさいのだ――が、今日は、いや今日からは何の気兼ねもない。

 ぞんぶんにだらだらと過ごしてたっていい。そんなふうに身を持ち崩して落ちぶれていった冒険者を何人も見てきたが、まぁちょっとだけよちょっとだけ。


「はいよー! さすが朝から豪快だねぇ」


 女将はほがらかに笑って厨房に入り、すぐに皿とジョッキを持って現れた。作り置きをしてあるのだろう。

 朝食は黒パンと葉菜のスープ、おそらく鳥の内臓と香味野菜のペーストに、腸詰めだった。どうやら腸詰めは昨晩の残り物だ。

 食べてみると、やはり味は濃いめだった。エールもあるのでむしろ塩梅が良い。


「女将さんよ。そういやあ、俺の斧を預けっちまってるはずなんだが」

「ああ、聞いてますよ。奥にしまってあるんだけどねぇ、ちょっと私じゃ重くってねぇ。ウチの人も引きずってやっと運んだみたいで。悪いんだけど、自分で持って出てくれないかねぇ」

「ああ、いいよかまわねぇ。せっかくならそのまま預かっててくんねぇか。街の中を持ち歩くようなもんじゃねぇからよ。いちおう、予備の剣もあるしな」

「そりゃお安い御用だ。でも心配じゃないかい? いい物だろうあれ。ちゃんとしたとこに預けたほうがいいんじゃないかい?」

「ま、大丈夫だろ。あんなもん盗める奴ぁそうそういねぇよ」


 しばらくは、あの斧を使うような機会も減るかもしれない。そんなふうに思いながら、ガンズーは黒パンをペーストにつけて口をひらいた。


「ところでガンズーさん、今日は他のお仲間さんはどうしたんだい?」


 パンに齧りついたところで良かった。

 不意に女将からそう問われて、あやうくガンズーはうろたえるところだった。


「あー……今日、というかしばらくは別行動だ。いろいろあってな」

「へーえ。勇者さま、今は遺跡群を回ってるんだったかねぇ。お休みかい? それともなにか、調べものとか」

「ん、お、まぁ、そんなとこだな」


 さすがおばちゃん。情報が早い。俺たちは目的を喧伝して回るようなことはしていないんだが。

 しかし考えてみれば冒険者酒場の女将である。勇者一行の動向を真っ先に知れてもおかしくなかった。


 そんなことを考えていると、食堂の壁の向こうが急に騒がしくなった。請負冒険者への斡旋受付が始まったのだろう。


「そういやあ、アージ・デッソにゃ冒険者酒場だけじゃなくて協会の支部もあるんだったか」

「そうさー。なんせ冒険者の街って呼ばれるくらいだからね。この街に置かなきゃどこに置くんだい。王都の本部をこっちに移したっていいくらいさね」


 協会支部へはこの街に来たころに一度だけ行ったきりで、以降はほとんど関わっていない。そのときも滞在報告をしただけだ。

 それからは遺跡の攻略にばかり時間をかけていたからだ。会ったことがあるといえば、出入の受付と緊急要請を運んできた係員くらいだった。報告もその係員に任せていたから、今まで冒険者宿の受付所すら入らなかった。

 勇者の称号を貰ったとはいえ、トルムも冒険者である。その仲間のひとりでしかないガンズーはなおさら。

 一度くらい協会を覗いてみるか。特段、請負をする気も無いのだが。


「仕事でもするのかい? ま、あんたなら協会も大歓迎だろうけどねぇ」

「そうだなぁ……どうすっかな」


 日がな一日、酒でも飲んで過ごそうかと思っていたが、途中で飽きるかもしれないなとも思い始めた。なにせそんな生活、長い間やっていないのだ。

 見に行ってみるくらいならいいか、とガンズーは暇の潰し方を決めた。

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